第10話 スライムと泥田坊の違い
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「はぁ~。今日も疲れたな……」
仕事帰り、オフィスを出たオレに、珍しく声がかかった。
「おっ、佐々藤じゃん! 帰るとこだよな? 一緒に帰ろうぜ!」
なんだか学生のようなノリで話しかけてきたのは、同期入社の海端だった。
「おう、珍しいな。お前最近、もっと遅いことが多いのに」
「まぁな~。今佳境だからな! ま、今日は帰っていいとのお達しがあったから、問題なしだけど!」
「そうか。それじゃ、帰るか」
「ういっす!」
「暑苦しいノリだな、相変わらず」
苦笑を浮かべながらも、海端とともに歩き出す。
「新入社員の頃は部署も同じだったし、こうやって一緒に帰ることも多かったよな」
「そうだな! あ~、懐かしい! あの頃はまだ若かった!」
その内容には激しく同意なのだが。
こいつの見た目は27歳という年齢とは到底思えない、子供っぽい感じだからな……。
いまだに高校生くらいに間違われることもあるとか。
同い年とはいえオッサン化の激しいオレとしては、少々妬ましい部分でもある。
それはともかく、オレたちは並んで歩きながら駅へと向かう。
海端とは、電車も含めて途中まで同じ方向となる。
そのあいだも、雑多な会話は続いていたのだが。
オレはふと、気になっていたことについて尋ねてみることにした。
「そういえば、羽似さんとはどうなんだ?」
以前、ぽよ美も含めてダブルデートまでした、海端の彼女、羽似さん。
海端の話を聞いて、ぽよ美と同じくスライムなのではないかと考えたのだが、実際には泥田坊という妖怪だった。
ふたりのその後について、気にならないわけでもなかったが。
部署も違い、しかも海端が忙しかったこともあって、あれ以来、話を聞く機会がなかったのだ。
「うん、もちろんラブラブだよ!」
オレからの問いに、海端は一瞬の躊躇もなく即答する。
「もう、可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて! 毎日楽しいよ! ま、平日は仕事が忙しくて会う時間もないんだけどな! 平日は電話で話すだけだけど、それでもやっぱり楽しくてさ! ついつい夜遅くまで話し込んじゃうんだよね!」
「そうかそうか」
羽似さんの話になると、いつも以上に饒舌になる。
こっちが言葉を挟む隙もないくらいだ。
「それじゃあ、結婚ももうすぐか?」
「いや~、それが、そのあたりはやっぱり全然でね~。羽似は慎重派だからさ~」
「変わってないってことか……」
「うん……。今の2倍くらいの年収がないと安心できないって言われちゃって……」
「2倍か……。かなり厳しくないか……?」
「ま、それでも頑張るよ! 僕は本気なんだ!」
「ああ、頑張れ!」
応援はしたものの。2倍の年収はなかなか大変だと思うのだが。
今はオレの給与と同程度だと考えられるが、すでに入社してから数年経ってベースアップしていることも考慮すると、役員レベルまで行かないと2倍は越せないのではなかろうか。
「ぽよ美は、せっかく正体を知っても逃げない人を見つけたんだから、絶対に捕まえておくべきなのに、とか言ってたけどな」
「ぽよ美さんらしいな!」
「騙してでもすぐに結婚すべきだ、なんて熱く語ってたよ」
「あははは、騙されて結婚ってのは、さすがにひどいと思うけどね」
「うぐっ……」
実際、ぽよ美がスライムだと知らないまま結婚したバカがここにいるわけだが……。
海端のほうもわかっていての発言だったのだろう。
意地悪のつもりか。だとしたら、まだまだツメが甘い。
「それでもオレは今、最高に幸せだからべつにいいんだけどな」
「ちぇっ、結局はのろけかよ~」
不満顔の海端に、お前も早くこっちの世界に来いよ、なんて上から目線で言うオレだった。
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海端はさらに、ちょっと突っ込んだ話題にまで手を伸ばしてきた。
「ところでさ……夜のほうはどうなんだ?」
「あ~……」
どう答えたものか。
こういう話は苦手、というのもあるのだが、なにせ相手はスライムのぽよ美だからな……。
「なになに? 夫婦仲は冷め切ってるのか?」
ニヤニヤと楽しそうに問いかけてきやがる。鬱陶しい奴だ。
「そんなわけないだろ。オレとぽよ美はラブラブだ。超ラブラブだ!」
「超って言い方が、めっちゃ似合わない気がするな~」
「うるさい! さっきだって最高に幸せだと言っただろうが」
オレとぽよ美はラブラブで幸せ。それは間違いない。
しかし、夜のほうか……。
遠い目をしながら、いろいろと思い出す。
結婚する前は、当然ながら頻繁に会ってデートを繰り返していた。
ただ、ぽよ美はあまり遅くなる前に帰ってしまうのが常だった。
オレとしては興味がなかったわけではないが、それでもぽよ美とのあいだではなかなかいい雰囲気になどならず。
そういう話も全然しなかったため、身持ちの固い子なんだな、といった程度にしか思っていなかったのだが。
結婚を機に、ぽよ美がスライムだと知った。
さすがに驚きはしたが、ぽよ美を心から愛していたオレは、それで結婚を取りやめるなんてことをするはずがなかった。
むしろ、普通とは違った、オレとぽよ美だけの夫婦生活を経験できそうだと、楽しみにすら思っていた記憶がある。
だがそうすると、そっちのほうはどうなるのか……。
ぽよ美はノリ気ではなかったものの、何度か試してみたことがないわけでもない。
ともあれ、結果としては芳しくないというか、なんというか……。
詳細な経緯は伏せておくが、ぽよ美とのあいだに子供を授かるのは無理だな、という結論に達していた。
「なるほど、そうなんだ。ってことは、やっぱり冷え切ってるじゃん!」
オレが出した結論だけ伝えてみると、海端はそんなことを言い放ちやがった。
「だから、冷え切ってないと言ってるだろ? だいたいお前だって、相手は泥田坊なんだから、同じような感じなんじゃないのか?」
少々ムッとしながら尋ねてみれば、
「いや、実は羽似の父親って人間らしいんだよね」
という、思ってもみなかった答えが返ってきた。
「なにっ!? 羽似さん、泥田坊ハーフだったのか!」
「うん、そうみたいだ」
「それじゃあ、海端、お前もう試してみたってことか?」
「いや、まぁ、僕はまだなんだけど。羽似はそういう部分でも慎重派みたいで……。でも、実際にご両親から生まれた羽似がいるわけだから、子供を作るのも可能なはずだよ!」
「確かに……そういうことになりそうだな」
泥田坊の母親と人間の父親から羽似さんが生まれたのなら、泥田坊ハーフと人間のとのあいだで問題があるとは思えない。
それにしても、羽似さんが人間に変身できるのがハーフだからだとすると……。
完全な泥田坊とのあいだに子供を授かった羽似さんの父親は、随分とチャレンジャーだったんだな、と考えてしまう。
ぽよ美の両親はスライム同士だから、ぽよ美が生まれたのもごく自然なことだと言えるだろうが。
……いやしかし、スライムだとイメージ的に、分裂とかして増えそうな気がするな……。
今まで深く考えたこともなかったが、いろいろと謎な部分は多いようだ。
「まぁ、羽似がハーフだっていっても、人間の姿はあくまでも変身してるだけで、本来の姿は完全に泥田坊だって話だけどね」
「そうなのか」
「うん。だから、ぽよ美さんと大差ないのかもしれない」
「だとすると……大変だと思うが」
「う~ん。でも、僕、頑張るよ! もっとも、まだ本来の姿を見せてもらったことはないんだけどさ」
「見た瞬間、逃げ出したりなんかするなよ?」
「そんなことしないよ! 僕は羽似のすべてを愛してるんだから!」
「お~お~、お熱いことで」
なんだかんだ言っても、オレとぽよ美に似ているカップルだから、是非上手くいってほしいところだ。
そう考えていたのだが。いまいち応援の気持ちは伝わっていなかったらしい。
「なんか、あまり気持ちがこもってないな~」
「いやいや、そんなことはないぞ。お前のテンションが高すぎるだけだって」
「そうなのか~?」
「ああ。応援してるぞ」
「うん、任せとけ!」
気づけばそろそろ、海端の乗り換え駅に着く頃合いになっていた。
オレはこの電車一本で帰れるが、海端は乗り換えて別の路線を使っている。
もっとも、この先の乗車時間や徒歩分などを考慮すれば、オレと海端の通勤時間は同じくらいということになるのだが。
「それじゃ、またな! 佐々藤も、諦めないでもうちょっと頑張ってみたらどうだ?」
「ふむ……」
「やっぱりさ、結婚したら幸せな家庭ってのを築きたいじゃん! 佐々藤だってそう思うでしょ?」
「まぁ、そうだな」
「結果報告、待ってるぞ!」
「なにを報告しろっていうんだか」
「そりゃあ、スライムと愛し合う様子を、余すことなくじっくりと!」
「そんな報告するか!」
「あははは! と、降りなきゃ! んじゃな!」
「おうっ。気をつけろよ!」
「そっちもな~!」
騒がしい声を残し、海端は電車を降りていった。
ほどなくして、オレも目的地である駅へ着く。
ふぅ……。
さて、帰るか。愛するぽよ美の待つ我が家へ。
オレはいつにも増してウキウキした足取りで家路を急いだ。
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「ただいま~!」
「ダーリン、お帰り~!」
意気揚々とアパートのドアを開け、玄関へと足を踏み入れる。
すぐさまぽよ美が出迎えてくれた。ただし、声だけで。
靴を脱いでリビングに入ると、今度こそぽよ美の姿が目に飛び込んでくる。
……ソファーにごろりと横になった、というかドロリととろけまくった、そんなぽよ美の姿が。
スライム形態のぽよ美の手には、ビールの缶が握られている。
顔は真っ赤。
どうやら完全に出来上がっている状態のようだ。
「夕飯はできてるから、チンして食べてね~。むにゃむにゃ……」
どう考えても、仕事から疲れて帰ってきた旦那を迎える姿ではない。
最近のぽよ美は、あまりにもひどい気がするな。
海端には「頑張ってみたらどうだ?」なんて言われたが。
帰ってきたらこの状態だしなぁ……。
オレはぽよ美をじっくりと眺めてみた。
ソファーの大部分を占領するように寝っ転がり、ビールを片手にとろけきっている。
どうにかお帰りの挨拶と、夕飯ができていることだけは伝えたが、それで力尽きてしまったのか、ほとんど目が開いていない。
たまたま今日だけ、というわけではなく、このところいつもそうだ。
この状態では、頑張るなんてのも、ちょっと無理だよな……。
ま、オレたちはオレたちらしく生きていけばいいか。
というか、それしかないだろうな。
「ふぅ……」
諦めのため息をこぼし、オレはキッチンへと移動する。
ぽよ美の言っていたとおり、夕飯はしっかりと用意されていた。
料理が苦手なぽよ美だから、冷凍食品とか出来合いのお惣菜がほとんどだ。
もちろんぽよ美がスライム形態で盛りつけているため、深い緑色の粘液なんかがべちゃべちゃにくっついてはいるが。
夕飯をレンジで温め、お盆に乗せてリビングまで戻ると、ぽよ美はソファーで完全に寝入ってしまっていた。
持っていたはずのビールの缶はフローリングの床に転がり、中身がこぼれ出している。
「ああもう、仕方がないな」
オレは床を拭いたあと、ぽよ美を抱え、寝室まで運んでやった。
布団に寝かせ、そっと布団をかけて、作業終了。
当然のように全身が粘液まみれになってしまったが、それはいつものことなので気にしない。
と、リビングに戻ろうとした瞬間だった。
「むにゃっ……ダーリン~♪」
寝ぼけたぽよ美が布団を跳ね除け、抱きついてきた。
そのままオレは思いっきり包み込まれ……。
うごあっ、息ができない!
顔面をすっぽりとスライム形態のぽよ美に覆われてしまえば、空気なんか取り込めるはずがなかった。
ごぼごぼごぼごぼ。
まるで水の中に落ちたかのように、気管にまで液体が入り込んでくる。
このままでは、ヤバい!
ぽよ美は寝ぼけたままだったが、必死にもがいてあがいて抵抗し、どうにか逃れることに成功した。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
オレは荒い息を吐き出しながら、助かったことに胸を撫で下ろす。
「それにしても、室内で溺れかけるとは思わなかった……」
愛する妻に溺れる、などと言えば聞こえがいいかもしれないが。
文字どおりの意味ではどうしようもない。命に関わる。
「とりあえず、毎日こんなに酔っ払っているのは、どうにかしないといけないな……」
苦言を吐き出しつつも、幸せそうに寝息を立てるぽよ美の寝顔を見ていると、こっちまで自然と笑顔になってしまう。
ま、明日もビールを買ってきてやるか。
そう考えながら、オレは寝室をあとにする。
そしてビール缶のプルタブを押し開け、ぽよ美の粘液がたっぷりくっついた夕飯を食べ始めるのだった。