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ぐるぐる  作者: 神崎 翔
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第一章 「雪雄と怜」 (五)

 食堂を出ると、雨の威力は大分弱まっており、勝負はあたり一帯に淡い色の絨毯を展開した桜の勝利にように思えた。


「近いんですか?」

「ああ、歩いて行ける距離だ」

「そういえば、怜さんは何回生なんです?」

「二回生だよ。君を食堂で見かけるようになったのは四月からだから、君は一回生だね」


 まったく接点のなかった人に自分のことを知られているのは、あまり気分の良いものではない。言われるがままノコノコと家に向かうのがなんとなく不安になった。


「勘違いするなよ。俺は君だけじゃない、周りの人間のことは大抵知っている」

「変な人ですね」


 嫌な顔をされるかもと思ったが、意外にも嬉しそうに笑い、持っていたバッグを反対の手に持ちかえた。

 いつも自転車で通っていた道を少し北に入っていくと、家やアパートがちらほらと並ぶ狭い路地に出た。


「もうすぐだ」

「けっこう近いですね」

「あれだ」


 指を差した先には、なんとも古めかしい四階建のアパートがあった。外壁のコンクリートはところどころはがれ落ち、下の方にある(こけ)が、よりその建物の歴史を感じさせた。

 当然エレベーターなどはなく、赤茶色の階段をカンカンと登っていった。

 二階の一番奥の部屋のドアノブをガチャリとひねると、「まあ入って」と言いながらすごすご中へ入っていった。


「お邪魔します」

「狭いところだが」


 本当に狭かった。八畳ほどのワンルームなので、僕の部屋とそう変わらないようにも思えたが、あたりに散らばっている物たちが一年の差という歴史の壁を感じさせた。

 怜さんがこたつの奥側に腰を下ろしたので、つられて僕もこたつに入った。もう春なんだからしまってもいい時期だと思ったが、この部屋のナリから見ると、年中出しっぱなしなんだろうなと推測できた。

「なんか飲むか?」と言われたので、「お構いなく」と答えると、「お茶と牛乳、どっちがいい?」と聞いてきた。


「じゃあお茶でお願いします」


 怜さんが冷蔵庫を漁っている間、ぐるりと部屋を見回してみた。ぱっと見はものぐさな大学生の部屋に見えるが、どうもあたりに散らかっているものが普通ではない。

 背表紙を見てもタイトルが分からない本が、何十冊も部屋の片隅に重ねられている。ページは焼けていて、黄色くくすんでいる。空の酒瓶の中に、植物のようなものが入っており、丁寧にテープでぐるぐる巻きにして封をしてある。机の上には何枚か写真が転がっていて、真っ黒い中にほんのわずかに青白く光るものが写っている。


「どうぞ」

「どうも」


 怜さんは持ってきたお茶を早々に飲み干し、バッグから例の置き物を取り出した。


「君はまじないの類を信じるかい?」

「信じるも何も、今までの生活で関わったことがないんで……」

「このカエルは、おそらくまじないの一種だ」

「母の死と関係があると?」

「カエルはね、変化の象徴なんだ。おたまじゃくしからカエルに成長する過程は、他の動物にはない大きな変化が見られる。この変化とは、今回の件で言う対象を置き換えることに繋がるんだ。このカエルを持っていた人間の母親が死ぬ運命にあったものを、君が拾った。それによって、君の母親に死が訪れた。このカエルと同じ姿で」


 説明の意味はなんとなく分かったが、母さんの死が僕の責任であると言われたように感じ、気が滅入った。


「僕がこんな物を拾ったのがいけなかったんですね」

「君に責任はないよ。善意で拾った以上、その物は未だ君の物ではないし、きちんと法にも明記されている。たとえこのカエルが呪いであると知っていたとしても、所有権のない君には責任はない。自らの運命を他人に押し付けたこのカエルの持ち主こそ、罰を受けるべき存在だ」

「僕は……」


「僕は、正直この物を仕向けた人を許すことができません。なんとかして見つけて――」


 僕が続きをしゃべるのを(さえぎ)り、怜さんが話す。


「そういうと思ってね。事前に色々調べておいたよ。犯人を見つける方法を」

「どうやるんですか?」

 怜さんはこたつの上のカエルの置き物をコンコンと机に当てた。


「まずはコイツの仕組みなんだけど……」


 怜さんは服でできた山に手を突っ込み、手品のように道具を取り出した。

 ドライバーをカエルの頭上に押し当て、釘を打つ要領で上からペンチの腹で叩いた。何度か叩くと、カエルの置き物が半分に割れ、中から黒いしわくちゃの物体が出てきた。

 あまり顔を近づけないように凝視すると、物体から細い糸のような手足が伸びているのが分かった。


「これってもしかして……」

「カエルだよ。本物のね。これがまじないの正体だ。『木蛙(もくあ)』という。妖怪だよ」

「妖怪?!このちっこいのがですか?」

「あぁ。このちっこいのがだ。そうは言ってもこのカエル自身には意志はない。ただの干物だよ」


 怜さんは嬉しそうにカエルの後ろ足をひょいとつかみ、今夜の鍋に入れてやろうかなどとふざけていたが、自ら妖怪と呼ぶその物に平気で触ることができる神経は、にわかに信じ難いものだった。


「妖怪って言っても、僕らが子どもの頃に本やテレビで見たイメージとは異なるんだよ。妖怪はもともと人の心から生み出されたもので、人がいなければほとんど存在しないものだ。このまじないなんかが良い例だ。人が妖怪を作り出し、その悪業を為そうとしているんだ。不思議なもので、このカエルの干物には『木蛙(もくあ)』というもっともらしい名前が付いているが、それを作り出した人間は人間のままであり、妖怪であるとは見なされない。人間は自分たちの行いに無意識に罪の意識を感じ、それをすべて妖怪のせいにしているんだ」


 怜さんはこの小さな妖怪の後ろ足をつかんだままひらひらと揺らし、自分がこの恐ろしい妖怪の命を手玉に取ったというような満足気な表情を浮かべ、反対の手でコップに残ったわずかなお茶を飲み干した。


「じゃあ何がこの干物を妖怪に仕立てあげたのか」


 そう言うと今は無力に見える小さな妖怪をこたつの上にひょいと投げ、真っ二つに割れた木彫りの胴体を手に取った。


「デパートの服売り場なんかに行くと、マネキンが置いてあるだろう。もし君がその中に閉じ込められたらどう思う?」


 どう思うって、マネキンが真夜中にひとりでに動き出すだとか、髪が伸びるだとかいった具合の怪談なら耳にしたことがあるが、自分がその中に閉じ込められるなんて想像もしたことがない。


「……そりゃあ、なんていうか、息苦しいんじゃないですかね」


 我ながらなんとも間抜けな答えだなと思ったが、怜さんはうんうんと頷いた。


「そうなんだ。君はマネキンが着ている服に触れたことがあるかい?そのマネキン自身でもいい。俺たちは知らない間に、あのマネキンをただの物じゃなく、人に近い存在として認識してしまっているんだ。なんとなく触れてはいけない気分。そんな中に自分が閉じ込められたらどうだろう。人々はマネキンに閉じ込められた君の横を通り過ぎる。人でありながらも人ではない存在として、そのものを避けて通るんだ。しかし、マネキンの中にいる君は、どうか自分を見つけてほしい。この暗闇で息が止まりかけている自分を、もとの世界に連れ戻してほしいと懇願する。しかし、誰もその声を聞くことはできない……」


 そう言うと、両手に持った木製のカエルを器用に扱い、無造作に転がっている干物を再び中へ閉まった。


「そうして気の遠くなるような時間が経過して、このカエルを妖怪にならしめたんだ」


 説明の意味は分かったが、肝心の部分は余計に分からなくなった気がした。この物が怜さんの言う作られた妖怪だったとして、なんでこんないかがわしいものが大学の教室にあるのか。そして、目の前で割れた木製のカエルの中身を嬉々として見つめるこの男が、なんでこんなことを知っているのか……。


「ひとつ聴きたい」


 さっきまで子どものようにカエルをいじっていた男が、突然真剣な眼差しを向けた。


「この妖怪を仕掛けた犯人が見つかったとして、君はその人間を(ゆる)すことができるか?」

「僕は……」


 しゃべりかけた途端、様々な思いが頭を巡った。試されている?偶然僕が拾ってしまったにしろ、母さんを殺されたんだ。憎いに決まっている。笑って(ゆる)すとでも?警察に差し出すか?妖怪の仕業だのなんだの言うと、かえって僕が怪しい目で見られるに決まっている。

 頭の中に、毅然(きぜん)と振る舞いながらも、母の亡骸を目の前に泣き崩れる父さんの顔や、膝をついて母さんを呼び続ける妹の顔が浮かんできた。そして、棺桶の中で二度と覚めない眠りについた母さんの顔を……。


「……できることなら、殺したい。でも、……殺さない」


 自分でもこの矛盾した言葉の意味がわからなかったが、なおもぐるぐると回り続ける思考の輪から、言葉がひとりでに飛び降りた。


「合格だ」


 怜さんはニッと笑い、緊張した僕の肩をポンと叩いた。


「コイツを拾った講義は次いつだ?」

「ちょうどあれから一週間経つので、明日です。明日の十時四十分」

「そこに必ず、犯人が現れる。カエルはまたカエル(・・・)ってね」


 授業開始前に教室の前で会う約束をし、怜さんの家をあとにした。雨はすっかり止み、夜の静けさに肩を震わせた。万年ごたつも悪くないかもと思いつつ、それでもやはりあの部屋にはあまり近づきたくないもんだと思いながら、我が家へ帰った。


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