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ぐるぐる  作者: 神崎 翔
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第一章 「雪雄と怜」 (四)

 葬式を終え、この日は一泊して実家の手伝いをしたり、父さんや妹と昔の話をしたりして過ごした。

 父さんは、とりあえず今まで通り大学に行きなさいと言った。妹は、まだ高校卒業まで二年近くあるが、卒業後は実家の近くで働くと決意していた。


 今になってはじめて、この前母さんから着たメールを返さなかった自分を呪った。

妹の話によると、あの日家族で花見をしたとき、母さんが作った弁当を食べながら、母さんが僕にも食べさせてやりたいと話していたのだと言う。遠くにいるから、弁当は無理でもせめて元気な顔だけは見せたいと、使い慣れない携帯電話を使って写真を撮ったらしい。

 そんな話をしながら妹はまた泣き崩れてしまい、僕もつられて涙を流した。


 帰る前の日の晩は、普段あまり良いものを食べてないんだろうと父さんが気遣い、高級な寿司を食べさせてくれたが、母さんの料理の味が思い出され、また泣きそうになるのを堪えながら、味もわからず寿司を二、三個口に押し込み、トイレに駆け込んだ。

 戻ってくると、父さんと妹は喧嘩をした後仲直りをした子供のように、泣いているのか笑っているのかどっちともつかない表情で、頬を赤く染めていた。



 次の日の朝早く、父さんに駅まで送ってもらい、電車に乗った。

車内でもまた、懐かしい思い出を忍びながら、緑一辺倒の景色から赤や青の屋根が代わる代わる過ぎ去ってゆく様子を見ていた。

 幼稚園の頃に、近所の年上の子と喧嘩し、怪我をして家に帰ってきたとき、母さんが僕の手を引いて相手の家へ行き、相手とその母親を謝らせたことや、高校の受験勉強で部屋にこもっている時に、いつもジュースとお菓子をお盆に乗せてそっと差し出してくれたことを思い出した。


 アパートに戻ると、この数日間の出来事の疲れがどっと押し寄せてきて、ベッドに倒れこんだ。倒れこんだ衝撃が強かったのか、机の上に置いていたおぞましい木彫りのカエルが、ごろりと仰向けになって倒れた。それはしばらく机の上でごろごろと左右に振れ、何か意思を持っているかのように思えた。


「この置き物は、自分の不幸を人に置き換えるための媒体(ばいたい)だよ。元の持ち主の運命を、拾い主に押し付けることができる‥‥」


 ふとあの男の言葉が脳裏をよぎった。もしかして……。


 カエルの置き物は、摩擦によって制止されるはずの左右の動きを止めなかった。まだ机の上をぐらぐらと動いている。さもこちらを見て嘲笑っているかのように。そう思っているうちに、恐れの感情が怒りの感情に変化し、置き物をぐわしとつかんでバッグの中にしまい込んだ。


 決めた、明日もう一度あの男と話してみよう。




 久々に雨が降った。あまりに強く降るので自転車で通学するのも鬱陶(うっとう)しいと思い、歩いていくことにした。傘をさしていても斜めから強く降りつける雨によって、またたく間に服が水浸しになった。


 今日という日は、昼の食堂で男と会うことのためにあった。以前はあれだけ避けていたものなのに不思議なものだ。母の死の真相より、大学の講義が重要だなんて誰が言えよう。講義中に外を眺めていると、より一層強く降る雨に、巨大な桜の木も抗うことができず、淡紅色(たんこうしょく)の花びらが、雨に負けじと地面に降り注いでいた。


 午前最後のレポートは、たった二行「大変すばらしい内容でした。次回の講義でより深い知識を身に付けたいと思います」という誰がみても内容のない文章を書き殴り、教壇に提出した。

食堂へ向かう道は積もった花びらで淡紅色(たんこうしょく)絨毯(じゅうたん)が敷かれているように見え、その上を滑るように走っていった。


 食券販売機を前にして財布をあさると、わずかな小銭しか見つからなかったため、はじめてカレーライスのボタンを押した。お盆を取り、カウンターに食券を差し出すと、カレーライスはあっちのカウンターだよ食券を差し戻された。


 カレーライスの乗ったお盆を持って食堂の中心まで歩き、きょろきょろと辺りを見渡す。今までなら人のいない場所を探していたものだが、今日はある男を探している。


 いた。


 前と同じ、黒いTシャツにジーパン姿。ボサボサの頭に、何を考えているのか気の抜けた表情をしている。


「こんにちは」

「ああ、君か」

「はい。席、空いてますか?」


 食堂にはまだ席がたくさん空いているので、急に相席なんか申し出たらあやしい状況ではあったが、そんなことに配慮している余裕はなかった。


「いいよ」

「あの‥‥この前の置き物の話なんですけど‥‥」

「どうだった?」

「はい、言われたとおり、起りました。確証はありませんけど」

「そうか‥‥。残念だ」


 ほらみろ言ったことかと言われるのを予想していたが、意外としおらしい応えが返ってきた。言葉の駆け引きなどを考えていたが、洗いざらい話してしまおうという気になった。


「母が亡くなりました。死因は脳卒中らしいです。あの置き物を拾って二日目の夕方の出来事です。死因が死因なんでなんとも言えないですけど、母はまだ五十歳です。その前の日までは元気で、家族と花見に出かけてました」

「ふむ‥‥お母さんが亡くなったときの恰好は?」


 恰好?そんなものは聞いていない。殺人事件じゃあるまいし、死んだ状況の詳細を聞くなんて、やっぱりこの男は変わっている。


「分かりません」

「そうか。そこが重要なんだ」


 そう言うと、男はスプーンいっぱいにカレーライスをすくい上げ、口に含んだ。


「ちょっと聞いてみます」


 父さんは会社の配慮でしばらく休暇をもらっていると言っていたので、多分家にいる。携帯電話の着信履歴から、父の電話番号を検索した。


「もしもし、雪雄か?」

「父さん、急にごめん。ちょっと変なこと聞くんだけど、母さんが亡くなったとき、どんな格好をしてた?」

「う~ん、あの時は気が動転してたからなぁ。はっきりとは覚えてないが。でもたしか変わった格好をしていたよ」


 外に漏れた父さんの話し声が男の耳に入り、男はピクッとした。


「ちょっと待ってよ。春菜が最初に見つけたから、何か知ってるかも……」


 そう言い切ると父さんは電話機から顔を離し、おぉ~い、春菜!と妹を呼んだ。


「もしもし、お兄ちゃん?お母さんね、変な恰好だった。両手をあげて、何かに驚いたような‥‥。バレーで点が入ったときに、仲間とハイタッチするような手。わかる?それでね、目を見開いてた。死ぬ瞬間にびっくりしたのかなぁ」


 カエルと同じ恰好だ。その瞬間、羽で背中をくすぐられるようなゾワゾワとした感じに襲われた。


「わかった、ありがとう。じゃあ今学校だから、切るよ」


 気が付くと男はカレーの皿を空にし、最後の一口をもぐもぐと噛んでいた。


「確認しました」

「どうだった?」

「この置き物と同じ恰好です」


 そう言うと、僕はカエルの置き物をコトリとテーブルへ置いた。

 男はもうこの置き物をこねくり回すことはせず、じっと見つめた。


「‥‥(れい)だ」

「霊?幽霊の霊ですか?」

「違う、(れい)だ。俺の名前」


 ああ。そういえばまだ名前を聞いていなかった。学年も、というか、昼休みにこの食堂で毎日カレーライスを食べているということ以外は、この男について何も知らなかった。


「今から俺の家に来い」

「えっ、ちょっと待ってくださいよ。午後の講義はないんですか?」

「母親の死とどっちが大事なんだ?」


 さっき自分が考えていた思いは、いつの間に忘れ去られていたのか。そうだ、講義なんて、今の状況では取るに足らないものだった。


「とりあえず、そのカレーを食べろ」

「あ、は、はい。」


 この先にある真実に気を取られて、今さら冷めたカレーなどどうでも良かったが、怜と名乗る男の言葉の力に圧倒されて、言われるがままにする意外の選択肢が思いつかなかった。

 必死に冷めたカレーを口に流し込んでいると、ためらいなく質問が飛んできた。


「名前は?」

「雪雄です」

「雪雄、どうして今日はカレーライスなんだ?」


 財布に金がなかったと白状するのは恥ずかしく思え、カレーを口に含んだまま答えた。


「だって、これが特別安いんでしょ?」

「そうか」


 怜という男はニヤリと笑った。


「それじゃあ、行くぞ」

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