第93話 ジュエルの暴走
葵衣が学校で乙女会について悩んでいた頃、緑里は花鳳の屋敷にいた。
葵衣が不調になったときに各種業務が滞らないようにするため緑里にも補佐役としての仕事を任せるようになっていた。
「撫子様ぁ。これはさすがに無理です。」
緑里の机には山と積まれた書類がある。
一仕事終えて部屋に戻った緑里はそれを見て慌てて撫子に連絡を取ったという状況だった。
『緑里、わたくしは仕事中よ。それに葵衣がこなしていた量より多くは出さないように指示してあるわ。だから頑張りなさい。』
「…はい。」
撫子に激励されてはやるしかないと緑里は気合いを入れ直すが目の前に鎮座する山を見ると怖じ気づいてしまう。
「葵衣はこれ以上の仕事を、しかもヴァルキリーとか他の仕事もやりながら終わらせてたんだ。」
本来なら尊敬し追い付くために頑張ろうと意気込むものだが
「ボクの妹は忍者か宇宙人じゃなかろうか?」
あまりのスペックの違い、それこそシングルコアとクアッドコアのハイパースレッディングくらいの圧倒的な性能差に気付いてしまった緑里は姉妹という現実すら疑い出していた。
しかしどんなことを考えていても手を動かさなければ山は減らず、むしろ後日持ち越しで増える可能性が高い。
「よし、やるぞ!」
緑里はようやく机の前に座ってペンを手に…
コンコンッ
やる気メーターが上向きになった瞬間を見計らったようなタイミングでドアがノックされて緑里はペンを取り落とした。
「はい、どなたですか?」
声をかけながら仕方なくドアへと向かう。
使用人の誰かだとは思うが礼節として客人は招き入れるものだと教えられてきたため面倒でも自分でドアを開けに行く。
「頑張ってる、緑里ちゃ…」
バタン
「…。あは、ちょっと書類の山を見るのが嫌なあまり幻覚を見ちゃったみたいだな。」
コンコンコンッ
「入ってます。」
コンコンコンッ
「ただいま留守にしております。」
コンコンコンコンコンッコンッコンッ
「うがー、いい加減にしてよ!」
適当に流そうとしていたのだがいつまでもノックを繰り返し、よく聞くと三三七拍子だったりしたため緑里の方が先に我慢の限界を迎えてドアを開けた。
そこには侍女長の中之島恵里佳が何事も無かったようにニコニコと笑っていた。
「もう、駄目でしょ緑里ちゃん。お部屋に訪ねてきたお客様を閉め出すようなことをしては。」
「仕事を邪魔しに来た侍女長は客じゃないもん!」
拗ねたように叫ぶ緑里にも恵里佳は動じない。
「お邪魔をするつもりはないわよ。ただ、執事服姿の緑里ちゃんを目に焼き付けておきたくて。」
緑里は普段の屋敷の仕事の時はメイド服を着ていることが多いのだが、執務補佐の時は気を引き締める意味と葵衣にあやかるため執事服を着用していた。
葵衣よりも感情が顔に出ていることと口調が少年みたいなため緑里の執事姿は葵衣以上に男装の麗人のようであった。
だが麗しき人はビシリと額に青筋を浮かべていた。
「あ、あらぁ?」
恵里佳も笑顔に一筋冷や汗を垂らす。
今日の緑里はノリが悪いというか本気で不機嫌だった。
「…ボクがせっかくこれから頑張ろうとしてたのに…してたのにぃ…」
グッと唇を噛み締めた表情が俯いて隠れ、体が小刻みに震え始めた。
「み、緑里ちゃん?」
まさか泣かれるとは思ってなかったので恵里佳は冷静なようで
(ああぁー!?どうしましょー!?)
と大いに焦っていた。
打開策を求めて視線を室内に向ければ目立つのはやはり机の上に山と積まれた書類だった。
「緑里ちゃん、実は私はその姿を見に来たんじゃなくてお仕事を手伝いに来たのよ。」
名案が浮かんだとばかりに胸を張って告げる恵里佳だったが緑里は
「……」
ものすっごい疑わしげなジト目をしていた。
「…ははは」
恵里佳の額を冷や汗が滝のように流れ、笑顔がヒクヒクとひきつっている。
嫌な感じの沈黙が恵里佳世界時間的には永遠に近いほどに続き、カチカチと時計の針の音ばかりが耳についた。
「…ふぅ、しょうがないから許してあげる。だから泣きそうな顔しないでよ。ボクが悪いみたいじゃない。」
その世界の終わりは想像よりもずっと優しい緑里の声で訪れた。
「緑里ちゃーん!」
恵里佳はあまりの感動に緑里に抱きついた。
緑里はずっと姉のように思っていた人がいつの間にか自分より背が低くて…みたいな少年のような感傷を抱きつつ恵里佳を離す。
「それじゃあさっさと始めよう。このままじゃ終わらないから。」
「そうね。緑里ちゃんのためメイドパワーを解放します!」
メイドパワーとは何か尋ねようと思った緑里だったが拳を握る恵里佳から闘志が滲み出しているように見えたので何も聞かなかった。
本当にメイドパワーがあっても反応に困るから。
「よっし、やるぞ!」
「緑里ちゃん、頑張って!」
恵里佳の応援も得て緑里は再びペンを…
ドンドンッ
「……」
「……」
その手がノックの音で止まった。
だが叩き方が妙に慌ただしくて緑里と恵里佳は顔を見合わせるとすぐにドアに向かった。
ドアを開けた先には黒服の男が立っていた。
使用人ではない。
花鳳の家の中でも特に撫子に忠義を持つヴァルキリーの暗部だった。
それを見て緑里の雰囲気が一気に張り詰めたものに変化した。
恵里佳はヴァルキリーとは関わりはないものの何かをしているのは察しているため気を使って距離を取った。
緑里は会釈をすると廊下に出る。
「どうかした?」
「それが…拘束直後から意識不明だったジュエル・神戸が暴れ出しました。」
緑里は暗部の運転する車で現場に向かっていた。
「大阪で命令違反をした神戸が意識不明でこっちの病院に収容されたのは聞いてたけど、何で暴走?」
「わかりません。突然瞳を赤く輝かせて手当たり次第暴れ始めたもので。」
「それならすぐに連絡入れないと。」
ジュエルの暴走となれば一般人や暗部だけでは対処は難しい。
「携帯に連絡はしましたが通話中でした。ジュエルに関する内容でしたのでお屋敷にかけるのも問題ではないかと思いまして。」
だが暗部の対応も問題点はない。
悪いのは緑里が仕事の多さを嘆くためにタイミング悪く撫子に電話をかけたことだ。
「くぅ!とにかく、急いで!」
「はい!」
ここで責任を追求しても事態は好転しないため解決のために車は公道を駆けていった。
到着した病院は表向き平常通りに見えた。
「隔離病棟に入れておいたのが幸いしたみたいだね。ボクが行くから万が一の時には退避指示を出してね。」
「はい、鎮圧の報だけお待ちしております。」
それ以外は聞く気はないという暗部の信頼に
「そう、ありがと。」
緑里は微笑んで車から出た。
執事服の少女が駆ける姿を患者たちは不思議そうに見ているがそこに危機感はない。
「何事もなく終わらせる。」
隔離病棟が見えてきた。
見た目は他の建物と同じはずなのに待ち構えている事態のせいか不気味な印象があった。
「ベリル・ベリロス!」
ジュエルを顕現させながら病棟に飛び込んだ緑里は
「ガアアアァァ!」
獣のような雄叫びと飛来する待ち合い室の長椅子に出迎えられた。
「!!」
緑里はジュエルを長椅子に向けて振るった。
魔剣は合金製の椅子を真っ二つに分断する。
ガランゴンッと周囲を巻き込んで地面に落ちた椅子の音が響く。
椅子の飛んできた方角には誰もいなかった。
「いない?」
そこで気を抜くほど緑里も戦いの素人ではない。
直ぐ様その場を飛び退くと一瞬遅れて背後から襲撃を受けた。
距離を取った分対応に時間を使うことができた。
「行け、式!」
襲撃者に向けて不規則な軌道で式符が飛ぶ。
一般人では対処できる速さではなく、ジュエルでも変則的な動きを目で追うだけで撃墜は難しい緑里のグラマリー。
ガシッ
「フウウゥゥ。」
それを襲撃者、神戸はジュエルを握っていない左手で掴み取った。
そのまま力を込めてクシャクシャになった式を地面に投げ捨てる。
「何が原因かは分からないけど確かにこれは暴走だね。」
緑里の目の前にいるのは本当にかつてジュエルだったのかと疑ってしまう"化け物"だった。
ジュエルの身体強化を限界まで引き出したのか筋骨が明らかに膨らんでいる。
瞳は左だけじゃなく右まで怪しげな輝きを放っていた。
「これが…ジュエル?」
緑里は警戒を強めながらも信じられずにいた。
目の前にいるのはどちらかといえばかつてのジェムに近い。
ジュエルの力を引き出しているヴァルキリーは誰一人としておかしくなったことはない。
ジュエルに悪い意味での変身能力があるとは思えなかった。
「ガアアアァァ!」
「まずはこれを先に止めなきゃ調べようがないね。」
両の目を赤く輝かせた神戸はジュエルを振りかぶりながら床を蹴った。
「速い!?」
一瞬消えたように見えるほどの速度で瞬く間に距離が詰まったため式を使う間もなくベリル・ベリロスで応戦する。
ギギン
2本の魔剣がぶつかり合い鍔迫り合いになる。
「アアアアアア!」
「こいつ、何てパワーなの!?」
パワータイプではないとはいえ緑里は神戸に力で押し負けそうになっていた。
靴底で床を踏ん張るがズッ、ズッと後ろに滑ってしまう。
「今だよ、式!」
押されながらも緑里が叫ぶと神戸に握り潰された式がクシャクシャのまま弾丸のように神戸の足に激突した。
「ゴアアァァ!」
体勢が崩れた瞬間に緑里はジュエルをぶつけ合わせる力を利用して距離を取った。
神戸は追撃せず転がった式符をジュエルで滅多刺しにしていた。
(パワーもスピードも普通のジュエルとは桁違いだ。これは…)
緑里がその力の正体を考察するよりも先に神戸が動いた。
「グオオォォォ!」
天に掲げたジュエルからパチ、バチッと空気が爆ぜるような音が響く。
それは瞬く間に数を増して大きくなりバリバリと輝きを放つ電光の剣となった。
「エルバイトのグラマリー!」
「オオオォォォ!」
再び神戸が跳躍しさっきと同じように突進してきた。
ガギンと鍔迫り合いになるのも同じ。
だが違うのはジュエルがグラマリーを纏っていること。
「ッ、くっ!」
緑里はすぐに力ずくで神戸を離した。
ビリッとした痺れを感じたのだ。
ジュエルで受ける度に体が痙攣する感覚を受ける。
緑里が警戒して距離を取ろうとした矢先、神戸はジュエルの切っ先を緑里に向けた。
まだ距離がある。
それでも構えたその意味は…
「オオオォォォ!」
エルバイトの刀身から空走る稲妻のような電雷が放たれた。
「うわっ!」
緑里は咄嗟に持ち前のスピードで回避するが瓦礫に躓いて転んでしまった。
それを逃す神戸ではなくエルバイトの刃が緑里に向けられ
「グオオォォォ!」
極大の雷撃が待ち合い室を閃光に染め上げた。
神戸は低く唸りながら崩れた瓦礫の向こうを見ていた。
バチッ
金属が帯電したのか瓦礫とは違う場所で放電が起こった。
「ッ!」
神戸がそちらに意識を向けた瞬間、瓦礫が四方八方に弾け飛ぶ。
緑里は無傷だった。
瓦礫の1つにはショートスマラグドが突き刺さっていて放電を続けている。
ショートスマラグドを避雷針にして直撃を免れていたのだ。
緑里はショートスマラグドを拾いながら神戸に駆け寄る。
だが神戸のグラマリーの方が発動が速い。
刀身に電気が走り
「デュアルグラマリー・光式籠女!」
それよりもさらに早く光刃と式が飛び出して高速回転を始めた。
放たれた電光は回転力で弾かれて霧散する。
神戸は上に飛び上がろうと足に力を込めるが
「ッ!?」
回転力が生み出す吸気の流れが体を地面に縛り付ける。
かごめは発動前に抜け出さなければ回避困難なグラマリーであった。
「籠の中の鳥は、絶対に逃がさない!」
式と光刃の回転力が増していき、さながら光の輪のようになった。
「グウゥガアアァァァ!」
神戸は吠えるが体を拘束されたように動けない。
緑里はベリル・ベリロスとショートスマラグドを交差させ、左目の朱色を強く輝かせて叫んだ。
「駆けろ!式光円舞!」
光の輪が一度膨らみ一気に神戸を締め上げるように収縮した。
式符と光刃の二種類の斬撃が神戸の体の周りを縦横無尽に駆け回る。
「ガアアアアア!」
最後に爆発したように光輪が消えると神戸もドサリと地面に倒れた。
「殺しはしないよ。聞かなきゃならないことがいっぱいあるからね。」
緑里は携帯で暗部や葵衣に連絡を入れる。
さらにはこの後病院側とも話し合わなければならない。
緑里が憂鬱になりながら電話をしている後ろで神戸の手からころりと闇のように黒く紅色の斑点がある石が転がり落ち砕けて消滅した。




