第80話 闇の腕
「いいよ。それならメインディッシュから先に食べてあげる!」
飛鳥が明確な敵意を放った瞬間に飛鳥から滲み出す闇が触手となり周囲に溢れた。
「ッ!」
叶は悲鳴をあげそうになる口をつぐんだ。
飛鳥の触手はそれほどまでに禍々しい力を放っていたのだ。
「叶、私たちには時坂の力は見えないから目の役目頼むわよ。」
「う、うん。」
先ほどは叶が動かなかったことと飛鳥が大振りの仕草を取っていたため軌道が読めたが相変わらず叶以外の誰にも飛鳥の放つ闇の触手を見ることができなかった。
見えない攻撃に対処するのは至難の業なので叶の指示が必要不可欠だった。
「さあ、飛鳥の"Innocent Vision"殺戮ゲームの始まりだよ!」
飛鳥の左目がカッと光を放ち3本の触手が地面を打ったのを皮切りに最悪の敵との戦闘は始まった。
「叶を中心に密集陣形!左右と前で攻撃に備えるわよ!」
八重花は素早く指示を出すと叶に駆け寄り左側についた。
「いきなり攻め込むわけにもいかねえか。」
由良も悔しげに舌打ちしながらも指示通りに集まって右側へ。
「何か、モヤモヤする。」
明夜は飛鳥の放つ触手を感じるのか眉を潜めて叶の前に立った。
「あははは!いきなり亀みたいに殻に閉じ籠るんだ?意気地無し!」
嘲笑しながら闇の触手が振るわれる。
「八重花ちゃん、正面から来るよ!」
「了解。ジオード!」
八重花はジオードに炎を纏わせて構えを取る。
風すらも感じられない触手は猛烈な勢いで八重花に迫り
「今だよ!」
「はぁ!」
叶の掛け声と同時に振り下ろされた炎刃が真っ二つに切り裂いた。
"Innocent Vision"の脇を先を失った触手が通過していく。
軽自動車ほどの直径を持つ触手が特急電車のような速度で至近距離を掠めていったのに叶以外その攻撃への危機感がまるでない。
見えないし風も巻き起こらないが直撃すれば一撃で命を奪う攻撃に叶は改めて飛鳥の能力に恐怖を抱いた。
「どんどんいくよ!」
八重花に触手を斬られてもまだ飛鳥の余裕の態度は揺るがない。
左手を横に振り、右手を上に上げると2本の触手がその動きに合わせるように鎌首をもたげた。
「前と右から来ます!」
「了解。」
「おう!」
直ぐ様明夜と由良が対応して見えない攻撃を打ち払っていく。
「これならいけるかも。」
叶の顔に僅かながら余裕が見えた。
いかに不気味な触手とはいえ"Innocent Vision"の仲間たちがいれば敵ではないという信頼と自信が叶を勇気づける。
だが、その触手の根本で飛鳥は口を釣り上げて笑っていた。
"Innocent Vision"と飛鳥が戦闘を開始した頃、ようやく逃げ出せた村山たち壱葉ジュエルは木の間に身を隠していた。
さっきまでの絶望的な力に怯えたジュエルたちはオーに立ち向かう心を完全に折られていた。
村山は辛うじて平気だが1人ではオーには勝てないので結果的に逃げるしかない。
そして集まったジュエルたちは今後について額を突きつけて話していた。
「すぐにこんな場所から逃げ出そうよ!」
"Innocent Vision"や飛鳥の力を目の当たりにしたジュエルが名誉も何もかもを諦めて逃げることを提案する。
「それよりもヴァルキリーに連絡して助けに来てもらいましょう!」
もう少し冷静なジュエルは助かるためにヴァルキリーの力を借りることを提案する。
同じジュエルとは思えないほどの戦闘力を持つヴァルキリーへの信頼は崇拝に近い。
あの"化け物"同士の戦いにも介入し勝利を手にできると考えていた。
「…。」
だが村山は複雑な顔をしていた。
それは以前壱葉ジュエルを指導しているときに葵衣が口にした言葉。
『ソルシエールは、"Innocent Vision"は本当の怪物です。』
その意味を村山は肌で直に感じた。
ヴァルキリーをして"化け物"と言わしめる戦いに参戦させることを躊躇ってしまう。
「…とにかく現状を報告します。各自すぐに動ける準備をして。」
すっかり及び腰のジュエルを仲間が叱咤激励する中、壊れた通信機の代わりに葵衣の携帯に直接連絡する。
『こちら葵衣でございます。』
一瞬留守番電話に繋がったかと思ったが
『トラブルのようですが何かありましたか?』
実は本人だった。
口調が無駄に丁寧なので実に分かりづらい。
「こちら壱葉ジュエルです。"Innocent Vision"の作倉叶およびソーサリスを発見しましたが現在彼女らは未知の敵と戦闘中です。指示をお願いします。」
電話の向こうからも戦闘の音がひっきりなしに聞こえてきておりどこも大変な状況だと理解し、救援が絶望的であることにわずかに安堵した。
『未知の敵とはオー、もしくはオーの変種でしょうか?』
村山は飛鳥を思い出し、そのイメージにすら恐怖を覚えた。
「詳しくは分かりませんが人のようでした。ジュエルやソルシエールは見えませんでしたがオーとは違うもののように思えました。」
『…。』
ここに来てオーとは違う存在が現れたことに葵衣は混乱しているようだった。
葵衣が無言になると向こう側の戦闘がより如実に伝わってくる。
オーの咆哮、爆音、笑い声。
微妙におかしな声も聞こえた気がしたが激戦であることは間違いない。
『…確認が必要ですので座標をお願いします。ヴァルキリーを向かわせます。あなた方は中央のジュエル部隊に合流してください。』
結局村山の思惑とは逆にあの地獄へヴァルキリーを送り出すことになってしまったが反論できない。
「…わかりました。」
叶たちの戦っている座標を伝えると壱葉ジュエル部隊は中央に向かって歩き出した。
"化け物"の戦場に新たな火種を放り込んで。
「右と左と前!」
叶が切羽詰まった声を出す。
もはや敬語で指示を出すほどの余裕がなくなっていてただ迫る脅威を追い払うために声を張り上げる。
その脅威の根元は高笑いを上げながら見えざる触手を扱っていた。
「ほらほら、まだレベル3よ。ここからレベル4ね。」
そう言った瞬間、飛鳥の扱う触手が4本になった。
「!?」
叶にしか見えないからこの恐怖は叶にしか分からない。
そしてレベル3までは1人1本でどうにか出来ていたものがついに1つ足りなくなったのだ。
次の攻撃を凌げるか不安で叶が冷や汗を流す。
叶の様子の変化に気付いて八重花がわずかに後ろに下がって叶に近づいた。
「どうかしたの?」
「黒い腕が4本に増えたよ。」
叶はあれを黒い腕と呼ぶ。
八重花は険しい表情になって飛鳥を睨み付けた。
嘲笑を浮かべて攻撃する前に叶の精神を削ろうとしている。
(私や由良なら4本でも見えさえすれば対処できる。だけど今の目は叶しかいない。想像以上に厄介ね。)
「行くわよ!」
飛鳥が手を振り上げると腕の動きとは違い触手は両側から2本ずつ動いた。
「両側から2本だよ!」
叶の指示を受けた瞬間左に駆け出しながら八重花は叫んだ。
「明夜!」
「了解。」
明夜の短くも正確な返答と同時に八重花の隣にはアフロディーテが並んでいた。
由良と明夜、八重花とアフロディーテで4本の触手を打ち払う。
「はぁ、はぁ。」
「レベル4までは行けるみたいね。」
時坂飛鳥の余裕はまだまだ崩れない。
美保と良子は走っていた。
「待ちなさい、芦屋真奈美!」
それはジュエルを中央に送り届けた真奈美を見つけたから。
真奈美はそれに気付いていながら叶を助けるために全力で駆ける。
(叶の力は…あっちか。)
セイントの力に引かれるのかスピネルが叶の居場所を教えてくれる。
だがこのまま美保たちを連れていくのは危険だった。
身を捻って背後から飛んできたレイズハートを避ける。
「また避けられた!?」
その場合美保はそれほど問題ではない。
巻こうと思えばなんとかなる。
だがさっきから静かに追いかけてきている良子は違う。
本気になればルビヌスで真奈美より速く走れるため逃げ切るのは難しかった。
(それでも仲間を危険に晒すわけには行かない。)
真奈美は振り返って応戦しようと足に力を入れ
「うわっ!?」
「何!?」
…ようとした瞬間、美保たちの足元の地面が突然陥没した。
由良と八重花が作った地盤沈下の余波だった。
「チャンス!」
「待ちなさい、待てって言ってんのよ!」
その好機に真奈美は脱兎の如く逃げ出した。
「レベル4終わり。」
「はぁ…はぁ…。」
4本の触手による攻撃が一段落した瞬間叶は緊張の糸が切れて倒れかけた。
「叶!」
「大、丈夫、だよ。」
その言葉には力がなく全然大丈夫ではなかった。
絶えず緊張を強いられる状況で叶の精神が参ってしまっていた。
これは癒しの光では治せない。
「まあ、よく頑張った方じゃない?ただのセイントにしては。」
飛鳥はヒラヒラと手を振りながらバカにした声をかける。
実は細い触手に指示を出しているのだが叶は気付かない。
そのまま音もなく鏃のように先を尖らせた触手が叶の眉間に向けて放たれた。
(バイバイ、弱いセイント。)
決死の一撃は誰にも気付かれずに飛び
「何となくスターダストスピナ!」
空から飛来した真奈美のスピネルに阻まれた。
「真奈美?」
「なんだか凄い嫌な感じがしたからとりあえず攻撃しちゃったよ。」
触手は真奈美にも見えてはいないが異質な力の分ソーサリスよりも感知していた。
真奈美の登場に飛鳥の表情がようやく歪んだ。
「紛い物が邪魔しに来た。」
「君の邪魔を出来たなら上出来かな。」
真奈美は叶を守るように前に立つ。
これで"Innocent Vision"は完全集結だ。
「くくく。」
それでも飛鳥はおかしそうに笑い出した。
「やっとそろったわね、薄のろ。これでようやく…」
飛鳥は左手を天に掲げる。
「全力を出せるわ。」
カッと左目が朱色の光を放つと掌を中心に闇が凝り、血と闇を混ぜた何かが塔のように突き立った。
それは玻璃によく似た形であり、透明な玻璃とは正反対の闇の色をした魔剣だった。
"Innocent Vision"が戦慄する目の前で不完全だった触手がその力を増して顕現した。
「ソルシエール・モーリオン。そしてグラマリーモルガナの力、レベル10まで耐えられるかな?」
絶望の戦いが始まった。
実体化したモルガナの威力はこれまでとは桁違いでソーサリスの攻撃を全力でぶつけなければならなかった。
そしてレベル5を終えたとき、"Innocent Vision"は限界まで追い詰められていた。
「はあ、はあ。」
叶の癒しの光を使っても体力と気力の回復が追い付かない。
「よく頑張ったって褒めてあげる。」
だが飛鳥は無傷で余力を残していた。
飛び込んできたヴァルキリーの美保と良子は一撃で排除された。
「特別サービス、レベル10よ!」
「ッ!!」
もう叶の目を頼る必要はない。
だからこそその異形の触手の怒濤に絶望した。
全員が地面に倒れ伏す。
「まだ生きてるんだ。ゴキブリみたい。」
飛鳥は嘲り、モルガナをスッと叶の上に移動させた。
「ゴキブリは潰さないとね。プチッと。」
蝿叩きや丸めた新聞紙のように巨大な触手を振り上げる。
あんなものが直撃されれば間違いなく虫と同じ末路を辿ることになる。
「カナ…」
「起き、なさい、叶!」
「うう…」
由良と八重花の呼び掛けで意識を取り戻したがもう何もかもが遅い。
「さようなら、無力な聖人さん。」
必殺の一撃が振り下ろされた。
「カナッ!」
由良の音震波では弾けない。
「叶!」
八重花のドルーズでは焼き尽くせない。
「叶。」
明夜の速度でも間に合わない。
「逃げろー!」
真奈美からは遠すぎた。
「陸、君…」
叶は自らの命を奪う悪夢を前に、最後にもう一度会いたかった人の名を呼んで瞳を閉じた。
圧力と暴風が迫る。
誰かの叫びが聞こえた気がした。
そして
目蓋を焼く閃光が閉ざした瞳の裏にまで届いた。
「何が…?」
叶はゆっくりと目を開ける。
もうもうと煙を上げるモルガナは中程から千切れていた。
だがそんなもの、戦場にいる誰も気にしていない。
全ての視線が叶の前に注がれる。
そこには人が立っていた。
否、"人"ではあり得ない。
飛鳥に対する左目は朱色に輝き、その右手には美しき剣を担っている。
「そんな、バカな?」
由良の呟きは全員の心の声。
その手に握られていたのは刀身が乱反射する光を放つだけの装飾の少ない剣。
存在しないはずの王者の剣。
そして、消えたはずのソーサリス。
叶があり得ないはずのその名を呼んだ。
「海、さん…?」




