第8話 暗躍する者の影
「オッケー。今日の部活終了ー!」
「ありがとうございました!」
威勢のいい声が体育館に響き渡る。
バレー部は近々行われる大会に向けて練習に励んでいた。
「ありがとうございます、良子先輩。乙女会の会長も兼任されているのに部員の指導をしてもらって凄く助かりました。」
「あ、あはは…」
これが美保や緑里だったら傀儡会長の事を馬鹿にするのだがそこまで詳しい事情を知らない部員たちにとっては偉くなって忙しいはずなのに部活に出てくれる素晴らしい先輩だという認識でしかなかった。
乙女会では全く仕事をしてないなどと疑う筈もなくキラキラと輝く瞳を向けている。
「まあ、乙女会には優秀な人が多いけど部の方はあたしがしっかり指導してあげないといけないからな。」
「すみません。私たちが不甲斐ないばっかりに。」
副部長がしょんぼりと俯く。
実力はあるのにどこか自信がないため力を発揮しきれていない良子が目をつけた次の世代のリーダー。
だからこそ自信をつけさせるために副部長を無理矢理やらせてみたわけだが、まだまだだった。
「あたしも3年だからいつまで部活の方に顔を出していられるかわからないけどあんただけはしっかり作り上げてあげるから覚悟しておきなよ?」
「は、はい!」
指を突き付けて宣言する良子に副部長は臆することなくしっかりと頷いて返事をした。
良子は満足そうに頷いて副部長の頭を撫でる。
「キャプテン、片付け終わりましたよー。」
「わかった。全員撤収。」
部員たちが良子の号令を聞いてぞろぞろと更衣室の方に退けていく。
頭を撫でられたままでポワンとした副部長と良子だけが残され
「くっくっく。これは副部長殿の成長度合いを隅々まで確認するいいチャンスかな?さあ、シャワー行こうか。」
「え、えーと、…や、優しくしてください。」
「?」
若干勘違いしている副部長の言葉の意味は分からないまま2人はシャワー室に向かい…筋トレ談義に発展するのだった。
緑里と葵衣はヴァルハラにいた。
葵衣はヴァルキリー関連の仕事と先日撫子から承った"太宮様"関連の調査の続き、緑里は学校の勉強をしていた…というかさせられていた。
「葵衣ぃ。もういいでしょ?」
「駄目です。これからまた忙しくなるので勉強を見てあげられる暇がありません。自力で解けるようになってください。」
葵衣はほんの小さな苛立ちを常の無表情に押さえ込んで自分の仕事を進めていく。
ジュエリア関連の計画は今のところ予定通りに進行していて近いうちに第一陣が出荷されることになっている。
しかし"太宮様"に関する情報は皆無と言って差し支えない状況だった。
そもそも未来予知を行う占いについては大手企業トップが数人から十数人。
どんなに多く見積もっても3桁には届かない人数しか知らない。
日本だけで一億五千人のうちの数十人しか知らず、しかも情報を広めようとしないためネットの情報にはまったく引っ掛からないのだ。
(意図的に"太宮様"の占いの情報を流し、占いを求める人で溢れた所で救済する形で確保するというのは…駄目ですね。)
的中率の高い占いは確かに多くの人が興味を持つだろう。
だがそれは"太宮様"が不特定多数の悪意ある人間に狙われる可能性を大きくする。
そして先日侵入した時に感じた神聖さはおそらく葵衣の浅はかな策謀などお見通しだろうと思わせるものだった。
(こちらは期待できませんね。しかし太宮院様も…)
あれからさらに調べを進めたが小学生、中学生の時期はまったくと言っていいほどに普通の子供だったらしく今のような特殊性はなかった。
変化が訪れたのは高校生になった初夏頃。
授業中に突然倒れ、そのまま病院に運ばれた琴は翌日から巫女装束で登校するようになったという。
(話を聞こうにも太宮院様と親しいご友人はいないようですし、手詰まりでしょうか。)
最後の手段として叶に直接話を聞くという方法もあるが"Innocent Vision"にヴァルキリーが琴を探っていることを知られると今後の行動に支障を来すため本当に最後の手となる。
「ふぅ、当面は調査を継続しつつジュエルの管理体制の強化に努めるとしましょう。」
"太宮様"の力が必要になるのはヴァルキリーの戦力が整ってからだ。
未来の可能性を磐石にするためにもジュエルの力は必要になるのは不可欠である。
「そう言えば大人しく勉強しているようですね、姉さ…」
思考に埋没していた葵衣が文句を言わなくなった緑里を労おうと横に目を向けるとそこに緑里の姿はなかった。
神隠し的な何かではなくサボタージュの方だ。
「…。」
葵衣は感情を表に出さないように訓練している。
だから見た目は変わらない。
ただその背中に立ち上る怒りのオーラまでは隠しきれないでいた。
「ふ、ふふふ、しかも答えが間違ってますね。しかたありません。捕えてしっかりと理解できるまで勉強を見てあげるとしましょう。」
葵衣はゆっくりと立ち上がり出口へと向かう。
部屋を出る直前に見えた葵衣の口許は笑うようにつり上がっていた。
半年ほど前、壱葉には不審死が頻繁に起こっていた。
現在それは"災害"の前兆で狂った人間の犯行だと認識されているが夜の闇の中には狂気が紛れていた。
そしてその狂気とはジェムを指す。
魔の力により負の感情を肥大化させられた人間が変容する化け物は怨みをぶつけるように人を襲った。
だがその被害が広がることはなかった。
むしろジェムとなった人物の行方不明として扱われることになった。
それは自らの手を血に染めようとも世の平穏を守ろうとした1人の少女の存在があったからだ。
タン
ビルの上から建川の町並みを見下ろす人の姿がある。
「…」
風に乱れる髪を気にする様子もなく、風に含まれる微弱な魔力を探るように明夜は無表情の目をゆっくりと動かしていた。
「…異常ない。」
一通り周辺の気配を調査して特に怪しい所が無いことを確認した明夜は次の場所に向かうべくビルの端に立つ。
真下から噴き上げてくる風に体が揺れる。
2年になってようやく壱葉高校の制服姿になったがそのスカートがはためく。
ソルシエールがあった頃は特に気にすることもなく跳んだがその力が失われた今は一度立ち止まることにしていた。
トンッ
地上数十メートルの高さで明夜は跳ぶ。
一歩間違えば地面に落ちたリンゴのようにぐちゃぐちゃになるというのに恐れた様子もなく幅跳びの要領で空を駆け、
タンッ
隣のビルの屋上に問題なく着地した。
「…。」
明夜は自分の手を見つめると数回拳の開け閉めを繰り返す。
「ファブレは消えた。だけど新しい敵が来た。」
今度の敵は叶と八重花を狙ってきた。
それは何か目的があってシンボルやソルシエールなどの"非日常"の側にいる人間に接触してきただけと考えられなくもない。
だけど今後も"Innocent Vision"やヴァルキリーにだけ接触してくるという保証はどこにもない。
その裏で罪のない人たちがその毒牙にかかっている可能性を否定することはできない。
だから明夜は動いている。
力なき"日常"に生きる者を守るために。
「…。」
明夜は何も語らず、今日も人々を守るために飛び回り続ける。
たとえその手に戦う術が無かったとしても。
草木も眠る丑三つ時、八重花は部屋の電気もつけずパソコン画面を凝視していた。
あれから2日、幾度か無意識に落ちた以外はほぼ不眠不休でパソコンと向き合っていた八重花はすでに乙女としていろんなものを捨てかけていた。
髪はボサボサで目は充血し、目の下にくまを作った姿を見れば百年の恋も一時に冷めそうだった。
それでも八重花が気にしないのは見せるべき相手である陸が目覚めておらず、この行為が陸の目覚めの助けに繋がる可能性を秘めているから。
そして何より陸が見てくれで八重花を嫌うような狭量な男ではないという信頼があるからだった。
ピコン
ソフトが電子音を響かせる。
その音は八重花にとって神の声に等しかった。
「ふ、ふふ、…やったわ。そう、そういうことだったのね。」
八重花はマウスを握りしめたまま肩を震わせている。
喜びのあまり声が出ないのかと思いきや顔を上げた目はむしろ怒りに燃えていた。
「ずいぶんと手の込んだ結界を組み上げたものね。」
八重花は膨大な数のトライ&エラーで発見された2人の位置をマップに記していく。
しかしそれはマップではなくその隣に置かれた白い空白の上にだった。
映像データの時間と連動したポインターは見る間に線を描いていく。
叶と八重花、2人の動作を鏡写しにしたように。
それは商店街に入ってから人型の闇を見つけて逃げ、諦めて戦い、商店街を去るところまでで終わった。
「これをマップの反転データのフィルターと被せると…」
手慣れた作業で反転マップを乗せるとそれはぴったり地図データの道と連動していた。
「これで決まりね。この結界は商店街の幻覚を作り上げたわけじゃない。商店街の中にある鏡やガラスの中に反転した商店街を作り出し私たちを放り込んだのね。効果範囲は商店街通りの全域。だからカメラには最後まで映らなかった。」
八重花が偶然見つけたのは映像データの中に小さく映るカーブミラーや商店のガラス窓の中の叶と八重花だった。
解像度が荒くてなかなか見つからなかったが自宅パソコンのスペックを最大限に利用し根気よく探していくことでとうとう答えにまでたどり着いた。
だが瞳の炎は消えない。
「幻影の次は鏡像反転の結界ね。本物か、それともそのブラフを誘導する偽物か。」
八重花は椅子に大きく背中を預けて仰向けのようになりながら天井を睨み付ける。
日夜酷使した目にとある人物が浮かび上がり頭痛がした。
「どちらにしても面倒なことには変わらないわね。まずは…」
八重花はバッと椅子から勢いよく立ち上がるとバッと飛び上がりバッと布団を被った。
「zzz…」
八重花は眠る。
来るべき戦いに備えるために。
明夜が去り、八重花が眠りについた壱葉の町。
建川とは違い壱葉は人と共に眠りについていて物静かな空気を月明かりが照らしていた。
「オーーッ!」
夜の町に遠吠えが響く。
就寝した人々が目覚めるほどではなく、まだ起きている人間がいたとしても犬の遠吠えに聞こえたであろう声。
だがそれは獣ではなく夜よりも暗い人型の闇だった。
人型の闇は家の屋根の上で背に月明かりを浴びながら雄叫びをあげる。
「オーッ!」
人を襲うにしては遅すぎる。
深紅の瞳は何を見ているのかわからない。
家の屋根を飛び回り、暗い道を駆け抜ける人型の闇はとうとう足を止めた。
その瞳が笑みを浮かべたように細くなる。
目の前にあるのは一軒の家。
泥棒に入るほど裕福そうには見えない家を人型の闇はじっと見つめ、ゆっくりと歩き始めた。
表札には「作倉」、そう書かれた家に人型の闇が近づいていく。
誰もが眠り鎮まり、誰も怪異が歩いている異常に気付かない。
「ッ!?」
だが人型の闇の足が縫い付けられたように止まる。
細まっていた目を見開き、作倉家の屋根の上を見上げていた。
そこに、あるはずのない人影があった。
目撃者がいたところでターゲットもろともに排除してしまえばいい。
しかし人型の闇は家への侵入をあっさりと断念して逆方向に駆け出した。
人影がその後を追う。
両者共に風のような速度でおよそ常人のものではない。
人型の闇が化け物なのは疑いようがないが、それに追従する人影は月明かりに翻るスカートを浮かび上がらせていた。
人の姿をした"化け物"は徐々に人型の闇との距離を詰めていく。
「オーーッ!」
逃げきれないと判断した人型の闇が足の裏を滑らせて急停止し、振り向きざまに拳を振るった。
だが人影は予測していたように回避して距離を取った。
睨み合う両者は互いに無手。
だが人影があくまで人の姿をしているのに対して人型の闇は鉤爪のように大きく鋭利な武器だった。
「ッ!」
互いに向かい加速し、一瞬の交錯で離れる。
静寂が世界を支配する。
それを破ったのは何かが倒れる音、そして
「オーーッ!」
獣のような雄叫びだった。
人影はゆっくりと振り返る。
その手にはいつの間にか剣が握られていて、その左目は朱色に輝きを放っていた。
人型の闇は砂粒のように分解しながら消滅していく。
人影はそれを見届けると一度顔を上げ、遠くなってしまった作倉家を見てかすかに笑みを浮かべると影に溶けるように消えていった。




