第7話 現代の眠り姫
どんなに手を伸ばしても光には届かない。
何が足りないのだろう?
腕の長さ?
走る速さ?
呼ぶ声の大きさ?
祈る気持ち?
そのうちの1つか、2つか、3つか、あるいはぜんぶか。
それともここにはない他の何かか。
とにかく何かが足りなくて手が届かない。
暗い所は怖いと知っている。
明るい場所は暖かいと知っている。
だから手を伸ばすのに、届かない。
だから、届かない自分が悪いのではなく、届かない位置にある光が悪いのだと思うようになっていった。
新学期というものは決めるべき事柄がたくさんある。
クラス委員を決めたり、近々催されるレクリエーションの実行委員を選出したり、クラスの中での自分の役割を決める機会が多い。
叶は去年のクラス委員代理の実績からクラス委員に推薦されたが
「他にやりたいことがあるのでクラス委員は辞退させていただきます。」
きっぱりと断った。
去年までの叶なら間違いなく周囲の期待に押し切られて仕事を引き受けていただろうからかなり自分の意思を伝えられるような強さを手に入れていた。
クラスメイトも担任ですら驚いていたのだから相当だ。
結局クラス委員長は加藤という真面目そうな生徒になり、副委員長は久住裕子という不真面目そうな生徒に落ち着いた。
叶は保険委員になり、一部の生徒が納得していた。
ロングホームルームで大体の役職が埋まり
「にゃはは、頑張るよ。」
最終的に久美が放送委員に収まって授業時間が終わりを迎えた。
「みんなご苦労だね。」
さっそく真奈美が労を労う。
「1人だけうまく仕事から逃げたな。このニート!」
裕子に人差し指で額をグリグリ押される真奈美は苦笑している。
「まあ、何にしてもこの目とこの足じゃいろんな人に迷惑かけるからね。そこは自粛したと言って貰いたいな。」
明るい雰囲気に忘れがちになるが真奈美は左足を事故で切断しその後左目をも失うというかなり悲惨な体験をしている。
そのため左目は眼帯をしているし左足は義足を付けている。
今でもよく知らないクラスメイトが真奈美と接するときはおっかなびっくりだし距離を置かれている感じはあった。
真奈美はその距離を無理に詰めようとしたりはせず皆が受け入れてくれる時をゆっくり受け入れるつもりでいた。
「そういうことなら仕方がない。」
「本音は仕事が面倒くさいだけだけどね。」
「ニート!」
じゃれ合う4人を見つめるクラスメイトの目は温かく好意的な雰囲気だった。
「あれ、八重花ちゃんいない。」
休み時間、ちょっとした用事で1組を訪ねた叶だったがお目当ての八重花の席には誰もいなかった。
「やっぱりいない。お手洗いかな?」
クラスの中や廊下を見てみるがやはり八重花の姿はない。
それほど急ぎの用事でも無かったのでまた後でいいかと諦めをつけて教室に戻ろうとすると
「叶。」
明夜が近づいてきた。
「明夜ちゃん、おはよう。」
「おっはー…」
無表情無感情でギャグっぽい挨拶をする明夜に1組クラスメイトが戦慄する。
(あの柚木さんがフランク(?)な会話を!?いったい何者?)
1組の暗黒のスリートップの1人、沈黙の明夜が普通に話しかける叶に、そしてその反応にクラス全員の目と耳が集中する。
「うん、それでね…」
(華麗にスルーした!!??)
知人の奇抜な挨拶に苦笑いの欠片も浮かべることなく普通に会話を始めた叶にクラスメイトが戦慄する。
「ん、作倉。」
「おはようございます、羽佐間さん。」
(ボスキター!!!!)
スリートップの1人、実質的な頂点に君臨すると噂される夜叉姫由良ですら気さくに声をかける存在にクラスメイトは尊敬と畏怖の念すら抱き始めていた。
(彼女はいったい何者なんだ?)
1組クラスメイトは叶がいなくなるまで苦悩し続けることになり、後日スリートップの最後の1人である雌豹の八重花と仲が良い姿が目撃されたことで叶は神格化されたのだがそれはまた別の話である。
いつの間にか叶はいなくなっていた。
「八重花ちゃん、今日は学校来てないんだ。病気かな?」
叶は携帯を取り出してアドレスを読み出す。
病気なら見舞いに行くが八重花の場合休む理由がそれだけではないことを知っていた。
「八重花ちゃん、何かに没頭すると他の事忘れちゃうから。」
廊下の端に移動して電話をかける。
プルルルルル
コールはしているがなかなか繋がらない。
10回鳴らして出なければメールしておいてそれでも返信がなければ様子を見に行こうと考えていると呼び出し音が消えた。
『…叶?』
「あ、やっと出た。今日は学校の日だよ?」
『人間に与えられた時間は無限ではないの。だから今やらなければならないことが出来たとき学校に向かう行為のすべてが無駄になるのよ。』
全く悪びれた様子もないがいつもの事なので諦めている。
「それはいいんだけどね、…」
叶が要件を伝えると
『そう言えばそんな約束してたわね。悪いわね、今日はちょっと手が離せそうにないわ。』
すまなそうに謝った。
独特の価値観を持つ八重花だが決して唯我独尊ではない。
悪いことをしたと思えば謝る普通の感性も当然持っている。
「別にいいよ。八重花ちゃんが病気とかじゃないならそれで。何をやってるのか分からないけど頑張ってね。」
『ええ、了解よ、リーダー。』
ガチャ、プープープー
「…リーダー?」
最近そんな名前で呼ばれるようなことがあったけど現実逃避でわからない振りをする叶は携帯をしまった。
「八重花ちゃんも結局ダメなんだ。それなら予定変更かな?」
叶は視線を壱葉の町並みに向ける。
高層ビルのほとんどないこの一帯は遠くまで見通せる。
叶の視線の先には壱葉総合病院があった。
由良は授業中大人しく席に着いていた。
去年の素行を知る教師たちは目を丸くしているようだが自分ではそれほど重大な事とは思っていない。
去年の夏頃からはやるべきことが出来、もしかしたらクラスメイトや学校の関係者が魔女なのではないかと考えると衝動を起こしそうだったため授業に出る気がなくなっただけだったのだから。
今はソルシエールが失われ、復讐という目的がなくなりやっと平和な日常に戻ってきたと言える。
「であるからして…ええとだな、は、羽佐間…ここを…」
「…」
尤も、元からあった悪いイメージと去年の素行ですっかり教師生徒に恐れられている事実は変わらないが。
由良は指定された問題を解いていく。
去年の授業の記憶は曖昧だが今やってる内容なので難しくもない。
「…」
「…正解。」
由良は解き終えると席に戻る。
由良が動いている間クラスメイトが異常に静かだったが仕方がないことだ。
「…フンッ。」
仕方がないことだが…ちょっと拗ねてしまう由良だった。
特に事件もなくつつがなく放課を終えた学生たちは遊びに部活に勉強にと思い思いに散っていく。
叶もまたその1人だったが今日はその連れ合い(儷、逑)の姿はなかった。
裕子はクラス委員会に引っ張られていき、久美は家の用事だと言ってすぐに帰っていった。
昼の電話のように八重花は家に隠っているし、真奈美はちょっとソフトボール部に顔を出してみると言って出ていった。
あの体ではソフトボールを続けるのは難しいだろうけどそこから逃げず話をしに行った真奈美の強さを叶は凄いと思っていた。
真奈美に言わせれば叶を見て決心したそうだが自分の事というのは得てして分からないものである。
「あ、明夜ちゃんと羽佐間さんを誘った方がいいのかな?」
叶の向かう先は2人にも少なからず関わりがある。
思い立ったので誘ってみようと1組に顔を出してみたがクラスの生徒に恐る恐る接されるだけで明夜と由良はいなかった。
「いつもいないような気がするけど2人ともどこに行ってるんだろう?」
詮索するのも気が引けるので疑問に思うだけにして叶は学校を後にする。
家からも学校からも半年くらい前から何度も通っていたから道はすっかり覚えてしまっていた。
ちょっと抜け道も使って到着したのは清潔感のある真っ白な建物、壱葉総合病院。
「こんにちは。」
病室の位置は分かっているが受付の看護師に挨拶をする。
もはや顔馴染みと化した看護師は叶を見て破顔した。
「いらっしゃい。今日もお見舞いかしら?クスクス、熱心ね。」
ナースステーションでも話題の悲劇のカップル扱いを受けている叶はお辞儀をして部屋へと向かう。
病院内の進み方も覚えたままに。
病院の奥まった場所に位置するちょっと暗い病室。
部屋の前に立って小さく深呼吸。
トントン
ノックをしても返事はない。
それを分かっていても少しだけ寂しく感じながら叶はスライド式のドアを静かに開いた。
「…」
部屋の主は中央にあるベッドの上にいた。
叶の到着にも気付く様子もない。
ベッドサイドには点滴と心電図のモニターがあり
ピッ、ピッ
と規則的な機械音を奏でている。
ただそれだけ。
物々しい生命維持装置もなければ医師が張り付いているわけでもない。
「すぅ…すぅ…」
「こんにちは、陸君。」
部屋の主、半場陸はただ眠り続けているだけだった。
陸の症例は医師にとっては全く未知の奇病だった。
一部では現代の眠り姫と揶揄されるこの症状は糸巻きのような分かりやすい原因がないため有効な手立てがなく経過を観察し続けるしかないのが現状だった。
「顔色も良いし、うん、いつも通りだね。」
看護師の真似事をして確認をした叶は複雑な思いを抱いている。
叶たちは陸を眠らせた糸巻きを知っていた。
"運命視"Innocent Vision、そして"運命改変"Akashic Visionの異能を与えた魔石アズライト。
人が持つには大きすぎる力の行使の反動が陸をいつ覚めるかもわからない眠りへと連れていってしまったのだ。
そして唯一陸を救い出せる可能性のあるアズライトと共鳴できるソルシエールは失われた。
だから叶たちには運命すらも超越する奇跡が起こるのをただ待つことしか出来なかった。
「新学期が始まったんです。…」
叶は最近あった出来事を何も答えない陸に語っていく。
「ジェムみたいな怪物に襲われたんですけどオリビンでズバッて…」
若干思い出を美化しつつ楽しそうに語る叶。
不意に返事がかかるのを期待するようにみんなで話したことや琴の出してくれた栗蒸し羊羮が美味しかったことなど些細な事でも語っていく。
そうしているうちに日は傾いて白い部屋を橙色に染めていく。
冬に比べればだいぶ遅くなってきた夕日も見慣れた光景。
「私たちはみんな元気ですよ。だから陸君も早く元気になってくださいね。」
叶の瞳に涙はない。
陸は間違いなく生きているのだから。
また明日ここに来れば同じように会えるのだから。
そう思えるようになるまで少し時間はかかったけれど今はもう悲しみはない。
むしろいつ目覚めるのか楽しみにすら感じるようになっていた。
「また来ますね。」
椅子から立ち上がり出口に向かう。
ドアを閉める直前、扉のスライドする音に紛れて
『…気をつけて…』
「え!?」
陸の声が聞こえた気がして慌てて病室に戻るが当然のように陸は眠ったままだった。
「今のは陸君、ですよね?」
「すぅ…すぅ…」
寝た振りの可能性も考慮して頬をつついてみるが意外とプニプニの感触が返ってきただけで返事はない。
「眠っていても心配してくれてるんですね。」
結局陸が目覚めた様子はなく幻聴である可能性も否めない。
それでも叶は陸の言葉だと信じることにした。
「うふふ。」
幻でも声をかけてもらって叶は浮かれたように病室を出ていく。
「さようなら。また来ます。」
「はい、さようなら。…?」
「今日はご機嫌だったわね、あの子?」
「奥手な彼女もとうとう眠り姫の目を覚まさせるために口づけをしちゃったとか?」
「あー、あり得るかも。うーん、初々しいわ。」
看護師たちが叶の機嫌の良さを見て様々な憶測を口にした。
現実は物語のようには行かず、陸の目覚めは今はまだ雲を掴むような儚い可能性でしかない。
それでも雲のない空に手を伸ばし続けるよりは叶の心はずっと楽になった。
また明日を、そしていつか陸が目を覚ます未来を信じて強く生きていこうと思う。
そして強く成長した自分の姿を見てもらうのが叶のささやかで大切な夢だった。
「よし、頑張ろう。」
叶は気持ちも新たに赤く染まった町を帰っていく。
『…気をつけて…』
その言葉が示す意味をまだ知らぬままに。




