第67話 パーティー準備
いよいよテストが始まった。
余裕ある者、抗う者、諦めた者、皆が夏休みという大事の前の決して小さくはない小事に挑んでいた。
手に汗握るのは気候のせいかはたまた緊張のためか。
隣人のペンを走らせる音に焦りを感じ、時計の針が止まることを願うように顔を上げる。
だけど時計の針が止まることはなく、救済と判決の鐘は鳴る。
終わりの安堵が、終わった絶望が各々の生徒から漏れ出していく。
戦いはまだ始まったばかり。
学生という名の戦士は長く苦しい戦いに身を投じていく。
テスト1日目の昼休み、今日も屋上で昼食を摂っていた"Innocent Vision"の面々は屋上に続く重厚なドアが開く音を聞いて視線を向けた。
「テスト中だって言うのに余裕そうだね。」
「"Innocent Vision"の皆様は基本的に成績は優秀です。」
入ってきたのは等々力良子と海原葵衣だった。
突然の登場に由良、明夜、真奈美が警戒を示すが八重花がそれを手で制した。
「お2人もお昼ですか?」
叶は気負った様子もなく、むしろこの後に
「それならご一緒にどうですか?」
と続きそうな気軽さだったものだから"Innocent Vision"の仲間たちは別の意味で戦慄する。
同じような結論に達した良子は苦笑を浮かべていた。
「残念ながらご飯は別のところに用意されているからね。ここに来たのは別件だよ。」
「私たちをパーティーにでも招待して頂けるのかしら、等々力先輩?」
「八重花…。」
重要な用件を先んじて口にしたのが八重花だったので良子は複雑な顔をしたが過去の妄執は一応の決着を見ている。
すぐに落ち着きを取り戻して頷いた。
「クリスマスに続いて今度はサマーパーティーだ。君たちには是非とも参加してもらいたいんだけど、どうだろう?」
隣に控えていた葵衣が正式な招待状を八重花に渡す。
目の前で危険がないか確認し、中を開けると挨拶の文と日時、戦いの舞台となる会場が書いてあった。
「軍演習場?随分な場所ね?」
「クリスマスパーティーではゴルフ場でしたがその後の整備が大変でしたので。」
確かにそうだろうが被害の大半は撫子のコロナだったりジュエルの大軍が走り回ったりとヴァルキリー側の引き起こしたものだったので同情の余地はない。
「東條様の燃やした芝の修復に難航しました。」
「…そんな昔のことは忘れたわ。」
"Innocent Vision"が逃げた後、腹いせも兼ねてジェムと派手にやり合った自覚はあったので八重花は視線を外してはぐらかした。
「戦い、ですよね?招待されなくてもいいですか?」
身も蓋もない提案だが招待であるならそこには不参加という選択肢があって然るべきだ。
良子は困惑気味に笑って葵衣に目を向けた。
「招待状は様式美だとお考えください。本日は日時の不都合をご確認するためにお邪魔致しました。万が一ご参加されませんと…」
「されませんと?」
「当日召集したジュエルが各自のお宅へ訪問することになるかと考えられます。」
訪問という言葉を使っているが実際はそんな生易しい話ではない。
葵衣は参加しないなら家族や近所を巻き込んででも襲撃すると言っているのだ。
「それならおもてなしの準備をしないといけないですね。ジュエルの方って何人くらいいますか?」
だが叶には言葉の裏に隠された真実は伝わらない。
この場にいた全員が叶の対処に困っていた。
「…100人は一度にお伺いするとお考えください。」
葵衣が冷静に頑張ってみる。
もはや"Innocent Vision"のメンバーすら葵衣にエールを送っているほどだった。
「そんなにですか。うちに入りきりませんね。大変です。」
大変の意味が間違っているがとにかく叶も不参加による被害が大きいという事実は理解した。
八重花が疲れたようなため息をついて話を引き継ぐ。
「初めから断るつもりはなかったけど。それで日程は7月26日、終業式の次の日ね。予定が悪い人は?」
全員が少し予定を思い出して考え込み、同時に首を横に振った。
「同じく予定のない私が言うことじゃないけど何もないの?」
「だって旅行に行くとしたらここにいる皆か裕子たちだしね。」
「うん。」
「俺も特にないな。」
真奈美、叶、由良が憐れむ八重花の意見に肯定する中、明夜の手がスッと上がった。
「行くところがある。」
「へぇ、明夜が旅行なんて珍しいわね。どこ行くの?」
明夜は頷いて由良を指差した。
「由良の家。」
「俺んちか?」
「うん。あそこは涼しいから。」
由良の今住んでいる部屋は一年中室温を適温に保つ仕様とかで布団要らずの快適ルームなのである。
とにかく"Innocent Vision"の皆の予定が寂しいことになっていることを知って項垂れた八重花は振り返って頷いた。
「サマーパーティーの件、"Innocent Vision"は了解したわ。当然、たっぷりおもてなしして貰えるのよね?」
「ご希望とあらば。」
八重花と葵衣の間に見えない火花が散る。
だがここでやり合うようなことはしない。
せっかくの機会を設けたのだからパーティーで全力を出すと決意を高める。
用件が終わって葵衣は出口に向かうが良子は立ち止まって八重花を見ていた。
それに気付いた八重花が振り返ろうとしていた足を止める。
「どうかしました?」
良子は笑っているのか哀しんでいるのかよく分からない顔で曖昧に頷いた。
「八重花は、ヴァルキリーにいたときよりずっと楽しそうだね。」
ヴァルキリーにいた頃の八重花は由良たちを殺して陸を手に入れるために良子たちを利用しようとしていたので仲間意識など持っていなかった。
だが今の八重花は大切だと思える仲間を守るために戦っている。
太極の陰と陽のようなもの、今の八重花は間違いなく陽に当たる。
「楽しいですよ。」
「そうなんだ。よかった。」
何がよかったのか良子にもよく分からなくなり話を打ち切って振り返る。
「私も、今の等々力先輩の方が好感が持てますよ。」
「…ありがとう。」
良子は笑みを浮かべたまま振り返ることなく屋上を後にした。
屋上に続く踊り場で壁に頭をつけてため息をつく。
「やっぱりがっつきすぎだったのかな。」
久々に八重花とまともに話して褒められて良子は気分よく教室に戻り…テストで轟沈したのであった。
サマーパーティー日時決定の報は葵衣から各地区の管理者に伝わり、インストラクター、ジュエルと広まっていった。
いきなり1週間後に決戦だと言われても予定が入っていたり覚悟を決められない者もいたが葵衣からの連絡には参加の可否は問わないと記されていた。
だがジュエルは実力階位制の組織。
訓練の成長度と管理能力を買われて昇格するものもあるが、基本的には敵を倒す功績を挙げることで評価が下される。
散発的なオーへの対処で得点を稼いでいるジュエルもいるが今回は"Innocent Vision"との戦い、その首を取ればインストラクターどころか地区管理者、もしかしたらヴァルキリー直衛部隊に配属もありえる。
このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
全国のジュエルが静かに闘志を燃やす。
決戦は26日。
綿貫紗香もサマーパーティーの知らせを受けた。
ただ、それはメールではなく葵衣からの直接の言伝てだった。
「良子様から所属変更願いが出され、受理しましたので作戦参加時は関東ジュエルではなく九州ジュエルの方に集合してください。良子様の指揮に入っていただきます。」
「はい、ありがとうございます!」
紗香は本当に嬉しそうに頭を下げた。
それを見る葵衣の目には少し心配の色が浮かんでいる。
「力量は壱葉ジュエルの中でも随一のあなたなら戦いに関しては問題ないでしょうが、他の所属ジュエルに出向して連携を取れますか?」
葵衣の教えはジュエルの集団戦闘にある。
良子の鍛えたジュエルも体育会系の流れを汲んでいて団結力がある部隊だ。
そこに紗香が入って動けるのかを心配していた。
「そうですね。…」
紗香は暫し悩み
「わたしは良子お姉様に従うだけです。」
結局何の迷いもなく言ってのけた。
「精進してください。」
「はい。頑張ります!失礼します。」
紗香が元気よく去っていくのを見送ってヴァルハラに向かおうと振り返ると
「葵衣様。」
悠莉が軽く手を挙げて葵衣を呼んだ。
「悠莉様、どうかなさいましたか?」
悠莉は少し困ったように微笑みを浮かべてヴァルハラに足を向けたので葵衣も続く。
紅茶を用意して席につくと悠莉の表情はさらに困ったようなものになっていた。
「それで、どのようなご用件でしょうか?」
「…東北ジュエルから連絡はありましたか?」
それを聞いて葵衣は納得した。
悠莉がジュエルのグラマリーを発現させるために自らを敵としていることは聞いている。
つまり東北ジュエルがサマーパーティーに参加してもヴァルキリーの、悠莉の味方にはならないと言うことだ。
「岩手インストラクターには連絡が届いているはずですが全体としての返答は今日送信したばかりですのでまだではないでしょうか?」
悠莉は安堵とも落胆とも取れるため息を漏らして弱々しく微笑んだ。
「そうですか。これはもう一度私が出向く必要がありますね?」
「確かに、そうかもしれません。」
ジュエルの参加の可否は問わないとは言ってあるがそれは一地域から数人抜けても問題ないというだけで基本的には大半が参加するという前提で作戦を立てている。
もしここで東北ジュエルが全員来ないとなると大幅な作戦変更が必要となってくる。
「大変な時期ですみませんがよろしくお願い致します。」
「大変な時期だからこそ憂いは断っておかなければなりません。」
そう強く返した悠莉は、やっぱり困り顔になる。
「しかしもしかしたら私の指示を聞かないジュエルばかりかもしれませんが、その時は上手く岩手さんを使って運用してください。」
自分で育てたジュエルに慕われないのはやはり辛いのかわずかに肩を落として悠莉はヴァルハラから去っていった。
「憎悪を増幅させたジュエルですか。」
葵衣はパソコンを開いて定期的に更新される各ジュエルクラブからの成果報告を見た。
他の地域のジュエルは徐々に数を増しつつ練度を高めていっているが、東北の仙台ジュエルだけは数の増加がほとんどない。
新規入会者が数日で他の支部へと異動、あるいは退会を希望してくるからである。
異動が受け入れられたジュエルは安堵のため息と共にこう呟くという。
「あそこは人ではなく修羅のいる場所だ。」
と。
「人員は確かに少ない。ですが報告されている数値は他を凌駕しています。」
ジュエルには一定のカリキュラムが課せられている。
仙台ジュエルはその課程を倍近い早さでこなしているのだ。
能力的には既にインストラクタークラスに到達しているものも多い。
「集団戦闘には不向き。ですが個としては優秀、やはり別動隊として動かすべきでしょうか。」
しかしそれも参加しての話。
そこは悠莉に任せるしかなかった。
葵衣はパソコンの終了処理を眺めながら
「この労苦。はたして"Innocent Vision"に届くでしょうか?」
ポツリと不安を口にしていた。
「あ、葵衣。ここにいたんだ。」
帰り支度を済ませて席を立ったところで緑里がヴァルハラにやって来た。
「姉さん。試験はどうでしたか?」
開口一番葵衣はテストの出来を心配する。
それは緑里に花鳳に仕える者として相応しくあってほしいという願いからくる言動だったが緑里は戸に手をかけたまま後ろに下がりそのままドアを閉めようとした。
だがいつの間にかドアの前に移動していた葵衣の手によって差し止められた。
「ひぃ!」
「姉さん?どうして逃げようとするんですか?」
(それは葵衣が怖いオーラを出してるから!)
とは勇気が足りなくて言えない緑里は後退るがすぐに背が廊下の壁にぶつかった。
「卒業後は花鳳の使用人になることが決まっているからこそ、妥協は許しません。これから明日のテストに向けて勉強しましょう。」
近付いてくる葵衣がまるで鬼か修羅かと見迷う気迫を放っていて緑里はすっかりすくんでしまった。
ガシッと掴まれた肩がミシリと音を立てた気がして声無き悲鳴をあげる。
「大丈夫です。姉さんはやればできる子です。」
(やらないと、殺られる!)
別に緑里の成績が悪いわけではない。
ただし葵衣と比べると惨めになるからあまり言いたくなかっただけなのだが今さら言える雰囲気ではない。
「…姉さんはいずれお嬢様のお付きになるのですから。」
葵衣の呟きは緑里には聞こえなかった。




