第6話 探求する者たち
琴の用事。
それは…
「こんにちは、琴先輩。」
「いらっしゃいませ、叶さん。」
叶とのお茶だった。
相変わらずお茶菓子の用意を万全にして美味しいお茶を用意して叶を迎える。
「わぁ、羊羮ですか。今日も美味しそうですね。いつもすみません。」
「いえいえ、叶さんのその笑顔が見られるのならこれくらいなんでもありませんよ。」
輝くような叶の笑顔を琴はうっとりと見つめる。
それを告げるとすぐに叶は恥ずかしがるがそれもまた琴のお気に入りだった。
「さあ、座ってくださいな。」
「はい。」
叶に席を促し、自分も向かいに座る。
初めは身近な出来事の話だったがやがて先日の人型の闇の話、そして結界の話になった。
「結界というのは本来仏教で用いられる言語で一定区域を限ることを表します。神道での聖域に当たるものですね。」
「聖域っていうと悪い人たちは入れない場所ってことですか?」
専門的な話で引かれないか心配していた琴だったが自分に関わりがあるためか叶は思いの外興味があるようだったので安心して続ける。
「完全に排することは難しいでしょう。これは陰陽道になりますが善中の悪、悪中の善のように完全なる善人はなく、完全なる悪人もいません。その中で基準となる程度を定めることは簡単ではありません。」
「それじゃあどうして悪い人が入れない聖域になるんですか?」
「入る者は拒みません。ですが入った者の心にある悪の大きさに合わせた障害を与えるのです。悪に心を蝕まれた存在は聖域の中では満足に活動できませんので結果的に善なる者の領域となるのです。」
フフフと不気味な笑みを浮かべる琴に叶はちょっと引きつつ話を続ける。
「でも神社でそんな風に悪い人が苦しんでいるところ見たことないですよ?」
「さすがに境内にそこまで強力な聖域を作ると大変ですから。聖域は本殿よりさらに奥に行くほど強くなるようになっているのですよ。そして"太宮様"の占いを行う奥の間は神域との境となる空間になります。」
「はぁ、"太宮様"は神様なんですか。」
段々難しくなってきて理解が追い付かなくなってきた叶は言葉尻を掴まえて適当に納得した。
だが琴はポンと手を打つ。
「さすがセイントの叶さん。なかなか鋭いですね。未来視の力は人の身にはあまる力。ですから占いの時にのみ"太宮様"を降ろして未来を書き記して頂くのです。そして"太宮様"は人前に姿をお見せ下さるため生き神とされているのです。」
「???」
後半は叶にはちんぷんかんぷんだった。
琴は理解されないのを承知で語ったのだから真意は伝わったことになる。
「あまり口伝してよい内容でもありませんので今聞いたことは内密にお願いしますね。」
「は、はい。説明してと言われても上手く出来ません。」
琴は満足げに頷くと後ろの棚から取って置きの栗蒸し羊羮を取り出した。
よく分からない話で難しい顔をしていた叶の表情がパッと明るくなる。
「変な話を聞かせてしまいましたし口止めをしましたのでこちらはお詫びと口止め料です。今新しくお茶を淹れ直しますね。」
琴は席を立ってお茶を用意しながら先ほどの事を思い出す。
(海原葵衣さん。普段は冷静な方だと聞き及んでいましたがあの慌て様。神域に踏み込んで暴かれましたか。あるいは暗闇の中で怪異にでも遭遇しましたか。なんにせよヴァルキリーの方々がこれを期に手を引いていただけると助かるのですが。)
琴はお茶を淹れて戻る。
撫子や葵衣の今後の行動はそれこそ神のみぞ知る未来の事、琴には分かり得ぬ先の話。
今考えたところで答えが出るわけもなく、その時にならなければ分かるはずのないこと。
だから琴は余計な事に気を回すのを止め
「んー、おいしーですー!」
愛らしい叶を目一杯楽しむのだった。
八重花は家に帰り着くとすぐさま部屋に引っ込んでパソコンを起動させる。
そして黄金色のフラッシュメモリをコネクタに接続する。
「『エクセス』、起動。」
まるで音声認証のようにパソコン画面が瞬時にサイバネティックに変化した。
画面中央に入力するバーが現れ、急かすようにカーソルが点滅する。
「まず検証しなければならないのは私たちがあの場にいたのかどうか。」
それがわかれば結界を作り出したのか幻影を作り上げたのか判別出来、相手の力を見極める指標となる。
「顔認識機能をオン、商店街すべての監視カメラの映像から事件当日私または叶の姿を探せ。」
実際の入力は八重花の手打ちだが口とほぼ同速度で打ち込んでいた。
パソコンに保存されていた写真データをツールに放り込み顔の特徴を認識させる。
その後映像データを再生してヒットする人物を探す。
だが時間を遡っても商店街内の他の場所のカメラを見ても2人の姿も怪しい人影も映っていなかった。
八重花は苛立たしげにマウスをトントンと指で叩く。
「これだと本当に幻覚か異次元空間になるけど…」
八重花としては信じたくはない。
自分達を狙う相手がどれほど強大で強力なのかを知らなければ勝つことはできない。
相手の全力だと思っていた力が実はほんの一部だったなどという状況、あるいは全力で当たった相手が実は弱く、疲弊したところを第三勢力によって倒されるといった状況は避けたい。
特に現状は戦力が乏しいので情報の手違いはそのまま"Innocent Vision"壊滅の可能性に繋がってしまう。
正しい情報の確保が望まれる。
「商店街の入り口付近のカメラで最後。これで見つからなかったら相手は私たちの認識をねじ曲げるような存在ってことになるわね。」
それが正しい情報なら相手がどれほど強大であろうと受け入れるしかない。
八重花はそういう相手なのだと半ば諦めていた。
マウスをトントン叩きながら早回しの映像を眺めるが2人が歩いている様子はない。
「万事休す、ね。」
カチッ
ピコン
叩いていた指がマウスを動かしてクリックしてしまった瞬間、これまで無反応だった識別ツールが一瞬だけ応答した。
萎れかけていた八重花がガバッと起き上がり目を皿のようにして画面を睨み付ける。
だがもう映像は止まっていて反応も消えている。
「……フッ、ククッ。」
だが八重花は笑っていた。
それはもう嬉しくて堪らないといった様子でしまいには声をあげて笑い出した。
「なんの偶然が起こったのかは知らないけど反応したってことは対象物は必ず映っているってことよ。ならあとはトライ&エラーで映った条件を探すまでよ。フフフ、楽しくなってきたわ。」
知識の探求者・東條八重花は目をギンギラギンに血走らせて作業に没頭していった。
美保と悠莉は撫子の名義で貸しきられた簡易地下シェルターに来ていた。
長期生活をするには設備の面で乏しいために厳しいが余所からの邪魔が入らない、頑丈に出来ているという点においては近くの広場や森、体育館とは比べ物にならないほど優良な場所だった。
特に人に言えない秘密を持つ2人ならなおさらである。
「準備はいい、悠莉?」
「構いません。美保さんのお好きなようにしてください。」
それだけ聞くと怪しい会話をした2人は
「「ジュエル!」」
その手に量産型の魔剣を呼んだ。
左目が朱色に輝きを放つ。
現れたのは両者共に光を纏う武骨な両刃の剣・アルミナだった。
ただしデザインは美保が細身のロングソードに対し悠莉の方は肉厚で頑強なクレイモアである。
「完全に武器での戦闘を捨てたわけね。」
「もともと剣で打ち合うのは苦手ですので。」
ジュエルの身体能力強化の効果で悠莉は重い金属の塊を難なく持ち上げる。
だが重量をキャンセルしているわけではないので美保のロングソードは風を斬るように振るわれた。
「ちょっと勘が鈍ってきたからね。ここらで引き締めておかないと。」
「それにジュエルの特性を正しく把握しておきませんといざというときに使えませんからね。」
悠莉が柄を握りしめると刀身が青白く光を放った。
「アルミナ。」
名を呼ぶとすぐに悠莉の前に青い障壁が出現した。
「コランダムの境界は作成可能ですね。もっとも…」
さらに意識を集中させるが空中には3枚の壁を作るのが限度だった。
「これでは内部に封じるのは難しいでしょう。完全に盾として割りきった方がいいかもしれませんね。」
概ね思い描いた通りの能力を使えて満足げな悠莉だったが
「あー、レイズハートどころか飛ぶ光刃も使えないじゃない!」
美保はアルミナを振り回して怒っていた。
確かに刀身は光っているのだがどんなに振っても飛ぶ様子はない。
「これじゃあスマラグドじゃなくてルビヌスよ!良子さんよ!」
キレかけていて良子さんが罵倒の単語になっているくらい暴れている。
翠色の光を纏った刃の威力は高く、耐衝撃性の防壁を切り裂くほどだが美保の求めるものとは違う。
「…もしかしたら派生の違いかもしれませんね?」
「派生?」
考え込んでいた悠莉がピンと人差し指を立てて言うと美保は暴れるのを止めて興味を示した。
見えないところで躾の効果が続いている。
「ソルシエールの中にはいくつか同じ根源を持つものがありましたよね?」
「そうかもね。」
「その大元を突き詰めた時、スマラグドはアルミナが起源ではなかったのでしょう。だから同じような使い方をしてもグラマリーを扱えないのですよ。」
「それならエルバイトかクォーツに変えてもらえば…」
「あるいはそれら3つ以外を起源に持つのか、ですね。」
美保のささやかな期待も悠莉はあっさり撃ち落とす。
確かにアヴェンチュリンやセレナイトのような特殊な系統のジュエルは聞いたことがないからスマラグドの流れを汲むジュエルもあるかどうか分からなかった。
「ちょっとこれは抗議してこないと。」
美保は早々にジュエルを引き上げると出口に向かっていく。
別に利用権限が美保にあるわけでもないので悠莉が呼び止める理由はないのだが
「美保さん。」
悠莉は美保を呼び止めた。
「何よ?あたしは今から抗議に…」
「今の責任者は緑里様ですよ。」
「…」
悠莉がそれを告げた瞬間、美保の眼鏡がずり落ちた。
落胆に膝をつくのを目一杯堪えているのに気付きつつ、悠莉はさも残念そうに目を伏せて頬に手を添える。
「今もお1人でヴァルキリーのためにヴァルハラに待機してくださっている緑里様に美保さんは鬼の形相で乗り込んで不良品なんじゃボケとヤクザのようにいちゃもんをつけに行くというのですね。ああ、おいたわしや、緑里様。」
「ぐ…くっ…」
大仰に言っていると知りつつも本質を捉えた言葉にプスプスと良心という名の針が美保の胸に突き刺さっていく。
まち針クラスの細い針だって数が刺されば痛い。
「だぁーもぉー、あたしが悪ぅございましたぁ!」
美保はふてくされたように近くにあった椅子に乱暴に飛び込んで手足をバタつかせた。
物事が思い通りに行かなくてちょっと拗ねている。
「そもそも緑里様に詰め寄ったところでジュエリアに関する事はすべて花鳳様と葵衣様が執り行っているのですから無駄なんですけどね。」
そして最後のトドメを忘れない悠莉によって美保がガックリと首を落とすのだった。
「この分だと緑里先輩のベリルも怪しいね。ジュエルにあんな細かい遠隔操作が出来るとは思えないもの。」
結局今日のところは諦めた美保は当初の予定通り悠莉と2人で実戦形式の戦闘訓練を行っていた。
実際の戦闘の形を取ることでグラマリーの反応性や強度などのデータを感覚として覚えていく。
美保は翠の光を纏った刃を振り回して悠莉を攻め立てる。
対する悠莉は器用に3枚の障壁を駆使して防御していく。
「とりあえずはこれも悪くないか、なっ!」
美保が力を込めると光が爆発的に高まり障壁を揺さぶる。
「しかし私たちが力をつけたとしてもこの力を振るう相手がいませんが。」
「"Innocent Vision"がいるでしょ?あいつらをぶっ倒さないとあたしの気は収まらないよ!」
激しいラッシュに悠莉の防御がぶれる。
障壁の強度、展開速度ともにサフェイロスには遠く及ばない。
早いうちにアルミナの感覚になれておかないといざというときに命に関わりかねなかった。
(今まさに命の危機のようですが。)
いつ砕かれるかもわからない青の障壁を駆り、悠莉は1歩も引かずに戦い続ける。
壁と刃が光の火花を散らす。
特訓は誰に知られることもなくまだ続いていた。




