第55話 時坂飛鳥
1人の女子生徒が廊下を歩いている。
背は高くもなく低くもなく平均的でスタイルも普通、今時三つ編みに丸眼鏡という格好が逆に珍しく映ることもあるが基本的に地味な少女だった。
その女子生徒が急ぐでもゆっくりでもない歩調で歩く。
そこに不思議はない。
学校の廊下を歩く学生に不自然さがあるはずもない。
その足が止まりかけ、早足になり、直線的だった歩みがわずかに遠回りするように弧を描いた。
「…。」
それも別段特殊な行動ではない。
何故なら彼女に続く別の女子も、また男子でさえも同様の行動を取っていたから。
「…ちっ。」
そこには誰かを待つように壁に背を預けて腕組みをした羽佐間由良が立っていたのだから。
女子生徒をはじめ他の生徒が通りすぎていなくなった後、由良はポケットから携帯を取り出して短くメールを打つとその場を後にした。
女子生徒は屋上にいた。
別に男子に呼び出されて告白されるとか、逆に男子を呼び出して告白するとかではなく、また女子のグループにいじめられて追い詰められて逃げてきたわけでも、女子グループを苛めすぎて大事になりそうだから逃げ出したわけでもない。
そんなしち面倒くさい理由ではなく単純にこの女子生徒が人混みを好まないだけだ。
屋上は羽佐間由良の領土だと言われ、実際何度も見掛けていたが最近はその頻度も減っている。
だが今日は別の先客がいた。
「…。」
柚木明夜は何をするでもなく屋上から空をじっと見つめていた。
女子生徒は邪魔にならないよう反対側を向いて同じように遠くを見つめる。
「…。」
「…。」
互いに不干渉でしばらく時間を過ごした後女子生徒は屋上を去っていった。
明夜は最後まで視線を動かすことなくポツリと呟いた。
「目標、確認。」
女子生徒は昼休みに弁当を手に中庭へと向かった。
昼時は時期にもよるが屋上には人がいることが多いため日当たりが悪くあまり人が寄り付かない中庭へと足を運ぶ事が多かった。
そこにも先客がいた。
義足眼帯少女である芦屋真奈美は大抵初対面では脅えられるか同情される。
女子生徒もまた中庭のベンチに1人で座る真奈美を見て驚き、同情の念を抱きながらも距離のおかれた置かれた位置にあるベンチに腰掛けた。
男子ならズボンで義足を隠すこともできるのだがスカートでは難しく、真奈美はスパッツで固定部分を隠していた。
義足の調子を確かめるように弄っているが食べているのは購買で数量限定販売しているメンチカツサンドだ。
購買を利用する男子が血眼になって買い求める品を真奈美が手にしている事実は見る人が見れば驚くべきことだが女子生徒は入学してこの方購買とは無縁の生活をしてきたのでそんなことは知らない。
余り物を詰めただけのお弁当をモクモクと口に運んでいく。
小さめの弁当箱に入っていた中身は昼休みの半分を使った辺りで空になった。
普段なら昼休みいっぱいここで時間を潰すのだが今日は真奈美の存在が妙に気になって落ち着かないようだった。
真奈美と女子生徒の目がたまたま合う。
真奈美は微笑んで軽く会釈をしたが女子生徒は余計に真奈美を意識してしまい深くお辞儀をするとそのまま立ち上がって中庭を出ていった。
モグともう1つ買っておいたコロッケサンドをかじりながら真奈美は出ていった背中を見送る。
「あの子が、ね。」
女子生徒が仕方なく教室に向かって階段を登っていると
「そこの方、少しお時間よろしいですか?」
2年生の教室が並ぶ3階の踊り場で声をかけられた。
振り返ると3年の太宮院琴が手招きをしていた。
由良と並んで悪い意味で有名なため女子生徒も琴の事は知っていた。
戸惑いつつも一応近づいていくと琴は微笑みを浮かべ
「素直なあなたに1つ占いの結果を教えて差し上げましょう。」
と言った。
太宮院琴の占いと言えば他人の不幸を言い当てるという嫌な噂が流れている。
女子生徒は断ろうとしたがそれよりも先に琴がそれを告げる。
「変革の時です。あなたは生まれ変わるのでしょう。」
聞いていたものよりもずっと普通の占いだが意味が分からず聞き返そうとしたがすでに琴の姿はなかった。
女子生徒はしきりに首を捻りながら教室に戻っていった。
放課後、保険委員の委員会があったため女子生徒は参加した。
委員会には入りたくなかったが立候補者がなく、担任の独断により出席番号で適当に決められたことを断れなかったのだから仕方がないと諦めていた。
何となく女子生徒が視線を向けた先に4組の保険委員である作倉叶が座っていた。
真面目な叶らしくもうすぐ始まる委員会の内容を取るためにノートや筆記用具を準備している。
女子生徒は叶もまた本質的には自分と同じ地味で目立たない子だと思っていた。
1年の時に何度か見掛けたことがあったが友人たちの陰に隠れているだけの印象しかなかった。
だが1年の2学期以降、特に3学期からその存在感は格段に増したように思えた。
怯えた様子は鳴りを潜め、人前でも堂々としている。
男が出来て変わったとちょっとした噂を聞いた。
そこに嫉妬の感情はなく、恋をすると本当に女の子は変わるんだと思った程度だ。
ジッと見ていたためか視線に気付いたらしく振り返った叶と目があった。
叶に会釈されて女子生徒はばつが悪くて目をそらした。
その後すぐに委員会が始まり叶は前を向いてしまったが、女子生徒は結局気になってしまい叶の後ろ姿を見ていた。
委員会も終わり、帰ろうとして昇降口を出た女子生徒は
「ちょっといいかしら?」
校門に向かう途中で声をかけられた。
見れば東條八重花が明らかに女子生徒を呼んでいた。
女子生徒は怯える。
東條八重花といえば羽佐間由良、太宮院琴と並ぶ新たな噂として上ってきた名前だ。
参謀や軍師など体育祭の手腕による通り名と何故か雌豹という名前も与えられた存在で頭の回転が早くどんな些細な秘密でさえも知っていて精神的に相手を追い詰めていくという。
そんな八重花に声をかけられればどんな脅しをされるのか分かったものではなく、女子生徒が怯えるのも当然だった。
「そこまで怖がらなくてもいいわよ。悪いようにはしないわ。」
八重花は苦笑を浮かべて近づいていく。
蛇に睨まれた蛙の如く、女子生徒に逃げ出す術は無かった。
"Innocent Vision"は「時坂飛鳥」という人物がオーを操っている犯人だと睨んでいた。
八重花が絞り込んだという生徒の顔を見た叶が
「保険委員で見たことがある。」
そう声を上げた。
そして
「一番初めに保険委員に出たときにオーの気配を感じたことがあった。」
と再確認した。
そうなればもはや犯人像は見えたようなものだった。
保険委員に入っており、姿形が真奈美の見たものと同程度であり、そして修学旅行で八重花たちの合同クラスにいた生徒。
それは時坂飛鳥しかいない。
"Innocent Vision"は時坂飛鳥を捕縛するために活動を開始した。
八重花と女子生徒が昇降口を出た辺りで何かを話している。
そんな光景を屋上から見ている生徒の姿があった。
長い髪を二つに分けて頭の後ろで結わえたツインテールで目にかかる前髪をピンで止めている。
その下にある目はいつも何かに不満を抱いているようにきつくつり上がっている。
背も由良くらいで女子の中では比較的大きい方に入るため目付きも相まってなかなか威圧感があった。
屋上からでは2人がどんな会話をしているのかはわからない。
だが
「--。」
「ッ!」
下で話していた八重花が視線を女子生徒から外し、屋上にいる女子生徒と目が合い、そしてフッと口の端をつり上げた。
間違いなくここから見ていることに気付いている仕草だった。
慌てて振り返った女子生徒の視線の先にはいつからいたのか八重花を除く"Innocent Vision"のメンバーが立っていた。
先頭に立つ由良がボキリと指を鳴らした。
「さあ、話を聞かせてもらおうか、時坂飛鳥?」
つまりは意図的なミスリードだった。
八重花が声をかけていたのは候補には上がっていたものの5組の生徒だった。
だが相手は"Innocent Vision"がどこまで情報を絞り込んでいるか知らない。
だからわざと違う生徒を目立つ形でマークし、時坂飛鳥に自分は対象外であると認識させた。
そしてあからさまに目立つ場所で接触することで注意を向けさせ、他のメンバーで取り押さえるという計画だった。
「…。」
飛鳥はギリと歯を噛み締めて由良を睨んでいる。
その姿は神峰美保に被るものがある。
「待たせたわね。」
無言での睨み合いの場に八重花が入ってきた。
飛鳥の目がさらにきつくなって八重花に注がれる。
だが八重花は涼しげな表情でそれを受けると由良と並び立った。
「初めましてでいいかしら?東條八重花よ。」
「…。」
「人が名乗ったら自分も名乗るものよ?」
余裕の笑みを崩さない八重花に飛鳥はチッと舌打ちをする。
憎悪が形を成しそうなほどに分かりやすい。
「時坂飛鳥。」
「知っているわ。」
小馬鹿にした発言に飛鳥の目尻がつり上がった。
左手の指が不自然な動きを見せる。
「でも知らないこともあるわ。それを話してもらうわよ。例えばオーの事とかね。」
「…。」
飛鳥はほとんど目線を動かさず周囲を確認するがここは屋上で逃げ場は少ないし明夜がじっと飛鳥の動きを見ているため逃げ出すのは不可能だった。
「逃げられないように追い詰めたのだから無駄よ。」
その視線の動きさえも八重花に見抜かれていた。
もはや退路はない。
「……クッ。」
飛鳥が俯いて肩を震わせる。
それを見ていた叶が身震いした。
「叶、どうしたの?」
「…怖い。」
真奈美に支えられるようにして立つ叶には飛鳥の周りに黒くねばつくオーラのようなものが意思を持って蠢いているように見えた。
「ククク、ハッハッハ!」
呻き声は次第に狂笑へと変じる。
「ようやくたどり着いた?初めて接触してから3ヶ月、飛鳥が直接顔見せしてから一月、ずいぶんと時間がかかったね。」
飛鳥は髪をかきあげて嘲笑を浮かべる。
明らかに見下している様子だった。
その目が叶へと向けられ、吹き出して笑った。
「まあ、リーダーがそれじゃあ仕方がないね。」
「うう。」
叶が真奈美の胸にすがり付く。
叶には飛鳥の周りを取り巻く闇がその手を伸ばしているように見えた。
「俺たちのリーダーをあんま馬鹿にするなよ?怪我するぜ?」
由良が口調よりもずっと険悪な視線を叩きつけるが飛鳥はどこ吹く風と受け流す。
八重花は由良を押し留めて前に出た。
「叶を侮辱した報いはいずれ受けてもらうとして、あなたがオーを動かしてる犯人で間違いないようね。」
八重花は平静な外見の中に燃える感情を宿して飛鳥と対する。それでも飛鳥の余裕の態度は揺らがない。
「黒い兵があなたたちのいうオーならそうね。だったらどうする?」
「こうするんだよ!」
再び割り込んできた由良が一瞬のうちに玻璃を抜刀し音震波を撃つ体勢に入り、そして
「ガッ!?」
反対側のフェンスに叩きつけられた。
闇の手が伸びて由良を突き飛ばしたのだ。
「由良先輩!?」
「いったい何が起こったの!?」
(みんな、気付いて、ない?)
「あぅっ!」
今度は明夜が横薙ぎの腕に弾き飛ばされた。
叶はそこでようやく自分が感じていた恐怖に気付いた。
実際に見えているのにまるで現実感がないのだ。
「クスクス。ねえ、何をやってるの?」
「…。」
八重花が冷や汗を流す。
さすがに何の予兆も見せない攻撃に対応できるわけがなかった。
飛鳥が動かないまま大きく伸びた腕の鞭が八重花に向かって振るわれる。
「真奈美ちゃん、八重花ちゃんの右側に向かってスピネルで斬って!」
「っ!」
叶は体温を奪われるような震えを押し込めて真奈美に願った。
切迫した声に真奈美は返事よりも先にスピネルを装着し
「アルファスピナ!」
真下からの斬撃を打ち放った。
見えないながらも何かを切り裂いた感触を覚えつつ真奈美は八重花を守るように立つ。
飛鳥の顔から笑みが消えて冷たい視線は叶に向けられていた。
「ふぅん、さすがはセイントってところね。うざったい。」
飛鳥が隠そうともしない嫌悪感に叶がまた身を震わせる。
「何はともあれ叶が見えるのなら戦い様はあるわ。いろいろと聞かせてもらうためにもここで倒させてもらうわよ。」
八重花のジオード、そして戻った明夜のオニキスも向けられ形勢は逆転した。
「こっちにも準備があるの。また会いましょう?」
言うが早いか飛鳥は跳躍して軽くフェンスを飛び越えるとそのまま落ちていった。
「しまった!」
八重花が慌ててフェンスに駆け寄って下を見るが覗いてももう飛鳥の姿はなかった。
「あれが時坂飛鳥。あれが、オーを操っていた存在ね。」




