第52話 目覚めし剣
八重花たち1、2組は京都で渡し舟の遊覧を満喫していた。
「旅行に行くのですから普段体験しない事柄をやりましょう。」
という悠莉のコンセプトが基になった企画なので現地での変わり種のおもてなしが多いツアーとなっていた。
そしてもう一つの変わり種は2クラスの班をシャッフルしてくじ引きをしたこと。
その結果は細工したんじゃないかと言うように八重花の班に美保、悠莉の班に由良が属することになった。
京都の渡し舟の上では悠莉が由良に睨まれていた。
他の生徒は由良を恐れて舟のギリギリまで後ろに下がっているので若干バランスがおかしい。
「おい、このくじ引きはわざとか?」
由良の問いに悠莉は小首を傾げる。
「私にそんな力はありませんよ。出来るのは半場さんか蘭様…こほん、江戸川先輩くらいではないでしょうか?」
忘れたことはないが久し振りに聞いた名前に由良が少し感傷的な顔をした。
「確かにな。だが俺たちを分断する目的ならどうだ?一緒になる可能性もあるがバラける方が確率的には高いだろ?」
「その場合、私たちが同じ班になる確率も低いですね。計算しましょうか?」
由良は顔をそらして拒否する。
ヴァルキリーが同じ班にならなくても分断させてジュエルで攻めてくることもできる。
人員不足の"Innocent Vision"には難しい策もヴァルキリーでなら有効な手段となりうるのだから。
「どちらにしろ人の多い場所で"非日常"の力を使うほど愚かではありませんよ。」
「そうであることを願いたいな。」
由良は話は終わりとばかりに体を横に向けて景色に目を移してしまった。
悠莉もそうしようとした所で
ブゥゥゥン
携帯が振動した。
電話ではなくメールだったようで手に取ったときにはもう止まっていた。
「…。」
受信したメールを見た悠莉は極力表情に出さないようにしながら唖然とした。
『報告。関西ジュエルがインストラクター神戸を筆頭に暴走し"Innocent Vision"の襲撃準備を進行中。』
それだけでも驚くべき事態だがさらに続く文が悠莉に複雑な思いを抱かせる。
『ヴァルキリーは周囲への注意を払いつつ助力されたし。』
差出人不明のメールに不安を隠せない悠莉であった。
美保は観光もそこそこに八重花を睨むように観察していた。
「背中に穴が開きそうなのだけど、何か用?」
案内人からの名所の説明が一段落したところで八重花は振り返って怖い顔をしている美保に尋ねた。
それだけで美保の不機嫌指数がさらに向上する。
「東條八重花、あんたがまた何か企んでないか見張ってるのよ。」
「この企画の大筋は悠莉の発案よ。くじ引きだって他のクラスの方とも仲良くなりたいって言っていたからだし。」
八重花は肩を竦めて首を振る。
疑い始めればそのすべてが疑わしく見えてくる。
そんな状態の美保に何を言っても無駄だと悟ったからだ。
八重花は視線を前に向けて小さく嘆息する。
(むしろヴァルキリーが何か仕掛けてきそうなのよね。)
正直他にクラスメイトがいるとはいえ美保に背中を見せている状態は心臓によろしくない。
ふと顔を上げた八重花は学校の時間だというのに制服姿で隠れているように見える生徒を見掛けた。
八重花と目が合うと逃げ出したからジュエルだろう。
(やっぱり。一応保険をかけておいて正解だったようね。)
八重花たちを乗せた舟はゆっくりと進んでいく。
その先に良くないものがあると分かっていても八重花に抜け出す術はなかった。
「んー、おいしい。」
叶たちは試食ツアー真っ最中。
6個入りの蒸したて饅頭を食べてホクホク顔だ。
「1個余るよな。これは俺が…」
と手を伸ばした芳賀の前から饅頭が消えた。
「あれ?」
全員の視線が一瞬で伸びてきた腕の先を見た。
「もぐもぐ。」
「明夜ちゃん!?」
そこにはなぜか饅頭食べている1組の明夜がいた。
「明夜は1組だから八重花たちと一緒のはずだよね?それがどうしてここに?」
真奈美の質問に饅頭を食べ終えた明夜は頷く。
「こっちの方が美味しいもの食べられるって聞いたから。」
これが八重花の仕掛けた保険。
明夜を守り、また叶たちを守る自然な違法。
明夜だからこそ許される手段だった。
「それじゃあ6人に増えたけど気にせずゴー!」
「ごー。」
裕子は次の店で5個入り1セットの醤油風味たこ焼きの前に立った。
5人なら何の問題もなかったが今は6人、1セットでは足りず2セットでは多い。
「ゆうちん。」
「任せなさい。」
裕子は店主の前に立つ。
「らっしゃい!」
「私たち6人で試食して回ってて美味しければ追加で頼むこともあるんだけどなぁ。」
買うものを迷う素振りを見せつつ要求を出す裕子のおばちゃん的交渉術。
店主はうむむと悩んだが。
「よっしゃ、1個おまけでつけたる!」
「おじさんありがと。」
結局明夜が気に入ってもう1セット買ったので2つ買っても変わらなかった。
一行の食べ歩きツアーは続く。
その頃、八重花と由良はそれぞれ危機的状況にあった。
それは舟を降りてすぐの事。
あからさまに待ち構えていた風のジュエルたちに八重花よりもむしろ美保が困惑していた。
他の生徒もいるし周囲には地元民や他の観光客もいる。
こんなところでジュエルを抜くのはあまりにも危険な行為だった。
だが美保は動けない。
仮にジュエルを使われた場合、ヴァルキリーに関わりがあると知られるのは危険だから。
「どうやら私に用があるみたいだから先に行きなさい。」
八重花はそうやって他の班員を遠ざけた。
京都の華々しい町並みから少し外れた裏路地は壱葉と何も変わらない。
「人前でジュエルを使うつもり…」
社会的立場を理解させて矛を納めさせようとした瞬間
「オーーーッ!」
大気を震わせて人ならざるものの咆哮が木霊した。
「なっ!?」
さすがの八重花も驚きを隠せない。
今のはまるでジュエルの作戦にオーが合わせたようなタイミングだった。
結界が周囲に展開していき、"一般人"が消えていく。
「へぇ、どうなることかと思ったけど、なかなか面白いことになってるわね。」
「…。」
背後から聞こえた声に八重花はゆっくりと振り返る。
そこには眼鏡の奥に獰猛な笑みを浮かべる神峰美保の姿があった。
真横に左手を伸ばすとスマラグド・ベリロスが顕現する。
「…最低ね。」
八重花の愚痴に美保はさらに口の端を吊り上げて告げた。
「さあ、狩りの始まりよ。」
「うおおお!」
「きゃー!」
由良が投げた巨大な焼き物が派手な音を立てて砕け散り数人のジュエルが巻き込まれた。
由良たちもまた別の場所でオーの結界に飲み込まれて交戦中だった。
悠莉もいるが今は戦闘に参加する様子はない。
「何よ、あれ!」
「ジュエルもないのに、化け物じゃない!」
由良の荒々しい戦いぶりにジュエルが怯えて距離を取った。
由良はフンと息をついて悠莉を睨み付ける。
「おい、総大将。お前はこないのか?」
「そうですね。少なくとも半場さんも江戸川先輩もいない"Innocent Vision"には興味がありません。」
それが悠莉の"Innocent Vision"と戦わない本心だった。
由良は怪訝な顔をする。
「あの2人が戻ったらヴァルキリーはまた勝てないかもしれないんだぞ?」
「そうですね。ですがあのお2人に手をかけられるのなら、私は…」
ゾクリと悠莉が震え、恍惚とした表情になった。
怪しい雰囲気に由良が面食らった隙をついてジュエルが踏み込んでくる。
「ですからあまり"Innocent Vision"とは戦いたくなかったのですが、仕方がありませんね。サフェイロス・アルミナ。」
ジュエルの攻撃をかわした由良の前で悠莉の左目が朱の輝きを放ち、禍々しくも優しげな笑みを浮かべるヴァルキリーの下沢悠莉が一歩を踏み出した。
由良の背中を嫌な汗が流れる。
「今日、この場に私が居合わせた不幸を呪ってください。」
「急にみんなが変な壁ん中に閉じ込められたよ!」
「どうします、神戸さん!?」
そして叶たちを狙うべく別行動を取っていた神戸の下に知らせが届いた。
だが神戸は気にする様子もなくエルバイトの刀身を見つめている。
「…大丈夫よ。今は私たちの敵に集中しなさい。」
「は、はい。」
雰囲気の違う神戸に戸惑いつつもジュエルは従い叶たちが来るのを待っていた。
「みんなは来ない。」
突然の背後から声に驚いたジュエルが構えると土産物屋で売っている木刀を両手に持った明夜がいた。
神戸がぎょろりと目玉を動かして明夜を見る。
「相手は私。」
どんなに策を労しても、どんなに勇ましくても、"人"の身でジュエルに抗い続けることは不可能だ。
「はあ、はあ。」
「どうやらここまでのようね。スタンガン1つでよく戦ったわ。」
膝をついた八重花の周りにはやられたジュエルが数人転がっている。
それでもジュエルはまだ残っており、ヴァルキリーの美保は無傷で健在という最悪の状況だった。
八重花は痛めた右腕を押さえながら顔をあげる。
その目はまだ死んでいない。
「…嫌な目をするわね。レイズハート!」
美保が顔を歪めて翠の光刃を呼び出した。
三方位に陣取った刃は指示があれば八重花を切り裂く。
それでも八重花はまっすぐに敵を、前だけを見る。
「鬱陶しいわね。何がそこまでさせるのよ?」
由良も屋根の上にまで登って大立ち回りを演じたがいよいよ追い詰められた。
屋根の端に立たされながらも由良は相手を射殺しかねない目をしている。
「強い目です。よほど強い信念がおありのようですね?」
その時、2人は同時に笑った。
恐怖でも気が触れたわけでもなく、何の迷いもない綺麗な瞳で笑みを浮かべた。
「当たり前の事よ。」
「決まってんだろ。」
八重花は足に力を込めて立ち上がり、由良はまっすぐに敵と対する。
何かに引かれるように、2人が同じ動きで、左手を前に突き出した。
心の奥に熱くたぎる思いが、今、爆発した。
「「"Innocent Vision"を、りくの帰る場所を守るため!戻れ、ソルシエール!」」
叶は熱い風を感じて立ち止まった。
振り返ってももう吹いていなかったが真奈美もおかしな顔をしていた。
「今、空気の震えを感じた。」
「私は熱い風だった。」
2人は顔を見合わせ、
「ごめんね、裕子ちゃん。やっぱり明夜ちゃんを探しに行ってくる!」
「あたしも!」
2人は異変の原因を探すべく走り出した。
封じられた空間の中、大地が燃えていた。
美保はジュエルを取り落としそうなほど愕然とし
「な、何よ、それ…」
その中心で左目を煌々と朱色に輝かせ、左手に炎を纏う魔剣・ジオードを担う八重花を睨み付けた。
「レイズハート!」
怒りの光刃が殺到するが
「はっ!」
八重花はたった一太刀ですべてを粉砕した。
手にしたジオードを見ていた八重花が動揺する美保を見て笑う。
「お礼は弾むわよ。」
同時刻、別の結界では内包する大気が震えていた。
その中心は屋根の上、由良の左手に握られた削り出した水晶のような槍とも剣とも取れる魔剣・玻璃だった。
悠莉は振動が起こす風に髪を揺らしながら目を見開く。
「ソルシエール…どうしてその力が。」
「知るかよ、そんなの。」
ぶっきらぼうな物言いながらも由良は旧友に再会したように笑う。
「さあ、玻璃。久々に暴れようぜ!」
数人のジュエルを1人で捌いていた明夜は空を見上げると大きく後ろに跳躍して神戸の攻撃をかわしつつ距離を取った。
「…目覚めた。」
そう呟いて手に持っていた木刀を地面に落とす。
「今さら命乞いをしても許しませんよ。」
神戸はジュエルを手に大上段に振りかぶりながら駆け寄った。
「死ねぇ!」
振り下ろされた凶刃は
「そんな曇った刃で、私は殺せない。」
漆黒の背に鈍く輝く刃を持つ二振りの魔剣に切り裂かれた。
「がっ!」
神戸が白目を剥いて地面に倒れると
「きゃー!化け物ぉ!」
ジュエルたちは悲鳴をあげながら逃げ出していった。
「…。」
明夜は空を見上げたまま立ち尽くす。
その手にはソルシエール・オニキスがあり、陽光を浴びて輝いている。
「明夜ちゃん!」
「…叶、真奈美。」
駆け寄ってきた2人に手を上げると腕と連動する刃も上がる。
「それ!?」
「ソルシエール、戻ったんだ!」
「うん。これから2人を助けに行く。力を貸して。」
叶たちは駆け出した。




