第50話 悪魔の騎士
叶たちが修学旅行へ行ったその日、例え琴が連絡を入れてもすぐには帰ってこられないタイミングを見計らってヴァルキリーは琴を襲撃する計画を立てていた。
ホームルーム前にヴァルハラに集まった葵衣、緑里、良子は悠莉からの連絡を受けていた。
『"Innocent Vision"のみなさんは全員参加されています。私たちの襲撃を警戒して休んだ方はいませんでしたね。』
ヴァルキリーでも"Innocent Vision"の妨害は一応懸念していたがそれは杞憂に終わった。
尤もそれが由良の可愛らしいわがままのせいだとは知る由もないが。
「そうか。ありがとう。」
良子は電話から耳を離した。
「"Innocent Vision"は全員行ったって。そうしたら決行は今日?」
「はい。太宮院様が未来視をお使いになって自らの危機を知り、"Innocent Vision"の助力を求める可能性もあります。事は可能な限り早急に処理しなければなりません。」
太宮神社に攻め入ったことのある葵衣は良子から見て過剰なほどに琴を警戒していた。
「それじゃあ放課後にやる?」
緑里もどこか真剣な様子で提案し、葵衣は頷いた。
「放課後、さらに言えば太宮神社に戻られる前に襲撃を行いたいと考えています。太宮神社には魔剣を封じる聖域があります。」
「いくらなんでも急だね。クラスが違うから上手く捕まえられるかな?」
良子は琴の力を知らないので楽観的で、顎に手を添えて考えている姿もどこかのんきだ。
一方幾度となく琴の底知れなさを実感してきた葵衣は真剣に全力だった。
「各クラスに在席するジュエルに連絡を取り監視を行います。また、私たちが到着するまで太宮院様の足止めも担っていただきます。」
琴1人のために随分と大掛かりだと良子は苦笑したが、よく考えれば"Innocent Vision"相手では4対100の戦いを仕掛け、実質的には敗北している。
未来視が相手では人数が多ければ勝てるわけではないことを思い出した良子は気を引き締めた。
「よーし、今度こそボクたちの力を思い知らせてあげないとね。」
「これで取り逃がすような事があればヴァルキリーの名折れだからね。」
「それでは放課後に作戦を開始します。」
こうして朝の集会で作戦を立てたヴァルキリーだったが…それは朝のホームルームが終わった後に届いたメールにより頓挫した。
葵衣はすぐに人気の少ない階段の踊り場に緑里と良子を召集した。
「今さっき別れたところで呼び出しなんて、何かあったみたいだね?」
「はい。先程太宮院様の在席する1組のジュエルから連絡を受けました。本日、太宮院様は実家の業務のため欠席されるとのことです。」
葵衣の報告を聞いて緑里と良子は顔を見合わせ、眉を寄せた。
「なんか、タイミング良すぎるね。」
「これって…」
「恐らく太宮院様は私たちが襲撃することを未来視の力でご存知です。そして聖域から自らを出さないために登校されていないのでしょう。」
それは推論でしかなかったが葵衣の口から語られると真実のように聞こえて良子たちは顔を俯かせた。
「やっぱりインヴィといい太宮院といい、未来を知ってる相手と戦うのは厄介だね。」
「すっごいヤな気分。」
作戦の中断で琴に対して不平を漏らす2人とは違い、先に情報を得ていた葵衣はすでに次の作戦を考えていた。
「我々はこのまま太宮神社に襲撃をかけます。」
「え!?」
「へぇ。」
理詰めの葵衣には似つかわしくない良子や美保のような特攻案に緑里は驚きの声を上げ、良子は感心した声を出した。
「襲撃が察知されているならば"Innocent Vision"を呼び戻すことも考えられます。今から放課後まで半日、急げばギリギリですが戻ってこられる時間です。」
「葵衣、時刻表まで覚えてるの?」
良子は別のところで驚いていたがこうしてヴァルキリー特攻隊は一時限目から早退して太宮神社へと向かった。
琴は本殿の祭壇の前で瞑想をしていた。
静謐という言葉が相応しい空間には外界の音は届かない。
背筋を伸ばして正座をしていた琴の目元がピクリと震える。
「やはりいらっしゃいましたか。」
琴の未来視は分岐の観測。
だから多少道を誘導することは出来ても陸のInnocent Visionのように相手の行動を縛る力はない。
「"太宮様"、琴は参ります。」
祭壇に向けて瞳を閉じたまま声をかけるが返事は何もない。
当然の事だ。
今、太宮神社には琴しかいないのだから。
瞳を開いて袖を襷で縛り、倉から引っ張り出してきた矢筒を腰に、弓を手にする。
ハチマキがなかったので高校受験の際に父からもらった菅原道真を祀る北野天満宮で願掛けをして貰ったという由緒正しい「絶対合格」ハチマキを額に巻いた。
巫女の戦装束という様相だった。
琴はもう一度瞳を閉ざす。
思い浮かぶのは叶、そして陸の姿。
「陸さん、叶さんをよろしくお願いします。」
琴は言霊を残し、戦場となる境内へと歩み出ていった。
ヴァルキリーが鳥居から足を踏み入れた瞬間
「神社の参道の中心は神様がお通りになる場所、人は左右を歩くものですよ。」
本殿から出てきた琴に声をかけられた。
葵衣と緑里は知っていたので左右を歩いており、良子だけがど真ん中にいた。
琴がクスクスと笑う。
「ああ、自分は神だとのたまう奇特な方でしたか?」
「違う!」
良子は慌てて横に飛び退く。
「石段はゆっくり登るものです。」
「ぐぅ。」
良子が弄られながらも境内に入ったヴァルキリーは玉砂利を踏み締めながら琴を包囲する。
全員「絶対合格」ハチマキが気になったが切迫した状況なので疑問は押し込めた。
「太宮院様、データを渡し、ヴァルキリーへの協力を誓約してくださいませ。さもなくばヴァルキリーは太宮院様を危険分子として排除させていただきます。」
「脅迫、不法侵入に続き、遂には実力行使ですか。」
嘲るように琴は笑うが葵衣たちは動じない。
「ちょっとやりすぎちゃったね。」
「ヴァルキリーの存続に関わる危険じゃなりふり構っていられないからね。」
良子たちの左目が輝き、ゆっくりとジュエルが現れる。
聖域の本領は夜に蔓延る魔を祓うもの。
人の訪れる昼にはその効果は弱かった。
「ジュエルも使える。そんなあたしたちに勝てるかな?」
ラトナラジュ・アルミナを肩に担いで良子が余裕を見せる。
琴は右手に弓、左手に矢を持ちつがえた。
「それは神のみぞ知ることです。」
戦うことを否定せず、良子の眉間に向けて矢を放ったのを合図に戦闘が開始された。
ドガン
凄まじい衝撃が地面に打ち付けられ玉砂利が散弾のように周囲に爆ぜる。
琴は身を低くして良子の一撃をかわした。
眉間を狙われた良子はとんでもない動体視力で矢を掴んで見せた。
それだけで琴の攻撃は止まり、後は防戦一方だった。
避けた先で待ち構えていた葵衣に向けて琴は手で矢を投げつける。
攻撃動作に入ろうとしていた葵衣は咄嗟にエルバイトで弾き、矢をもう一本放った琴は体勢を立て直して距離を取る。
「おっと、こっちは行き止まりだよ。」
突然飛んできた人形の紙に道を阻まれ、背後から緑里が迫る。
振り返りざまに弓を振るったが魔剣の前には竹だろうがグラスファイバーだろうが関係なく弦と弓をまとめて斬られた。
そのまま振り下ろされた斬撃を鏃で受け流す荒業を見せ、飛び退る琴だったがすでに武器は無くなっていた。
「はあ、はあ。」
肩で息をしており、さっきの攻撃で痛めた指を押さえている。
ヴァルキリーの3人が正面左右の三方から詰め寄っていく。
「お嬢様のお話では太宮院様はシンボルをお使いになられると聞いております。」
「すみませんが、ただいま品切れです。」
笑おうとして失敗した琴が膝を折った。
「ジュエルと普通の相手が戦えばこうなるよね。やっぱり"Innocent Vision"はどこか異常だ。」
良子が一歩前に出る。
肩に担いだ鉾槍が琴には断頭台のギロチンに見えた。
「降伏宣言か遺言、好きな方を聞いてあげるよ?」
もはや目の前には負けか死しかないらしく琴は自嘲気味に笑った。
「わたくしが破れても第2、第3の…」
「残念だよ、未来視の巫女さん!」
良子が琴の冗談を受け取ってラトナラジュ・アルミナを振りかぶった。
これで詰みだ。
こうならないよう"太宮様"の先見で細く険しい救いの道を目指したがやはり大いなる流れには抗えなかった。
最後の冗談ももうどちらにしても結果は変わらない諦めから出たものだった。
(すみません、叶さん。)
良子の振り上げたラトナラジュ・アルミナが迫る。
(これで、わたくしは死にます。)
それは以前から分かっていたこと。
大局を見る太宮の巫女は生き死にに干渉しないことを宿命としている。
輪廻の有り様を変化させないためだ。
それは自身の事でも同じ。
だから琴は諦め、瞳を閉じた。
浮かぶのは叶の顔。
そして…瞼の裏に未来への道筋が切り開かれる光景を見た。
「え?」
瞳を開いた琴は運命の変化を受け止めきれなかった。
ラトナラジュ・アルミナは琴に当たっていない。
真紅の刃が止められていた。
見えるは漆黒の背中。
手から漆黒の刃を突き出した異形。
「オー!?」
「違います、これは…」
その瞳の色は紅ではなく朱色だった。
全員がその存在をよく知っていた。
「デーモン!?」
あり得ないその名に戦慄が走る。
「なぜ太宮院様をデーモンが守っているのですか?」
「それよりもファブレを倒したときにデーモンも消えたはずなのに!?」
ヴァルキリーが困惑して手が止まった瞬間、デーモンが良子を武器ごと押し返した。
その力はこれまでのデーモンやオーの比ではない。
良子は足の裏を滑らせてどうにか体勢を維持する。
「なんて力だ。あたしが競り負けるなんて。」
「…。」
デーモンは何も語らないが明らかに琴を守るようにヴァルキリーに立ち塞がっていた。
「旧式の化け物が!」
緑里が式を飛ばしながら突っ込んでいく。
戸惑っていた葵衣と良子もジュエルを手にデーモンへと攻撃を仕掛けた。
すべての攻撃がデーモンに殺到し
その全てが空を切った。
(速い!)
辛うじて視認できた良子が振り返るより早く緑里が回し蹴りで蹴り飛ばされて自分の式に激突した。
「ぐあっ!」
さらに回転の勢いを殺さず葵衣に斬りかかる黒の刃を良子が咄嗟にラトナラジュ・アルミナの長柄で防御に入った。
ガリガリと削られるような音がした直後に良子の足が大地から離れる。
「うわああ!」
良子は2度地面でバウンドし玉砂利を巻き込みながら地面に転がった。
たったの一瞬でヴァルキリーのジュエルが2人も倒された。
ウインドロードがないためスピードでついていけず、パワーも良子以上のデーモンが相手ではエルバイトを構えつつも圧倒的な戦力差を前に葵衣は踏み込めずにいた。
「なぜこのタイミングでデーモンが…。"Innocent Vision"はデーモンまでも仲間に引き込んだというのですか?」
デーモンが笑ったような気がした。
葵衣はエルバイトから風を生み出し自分の周りに纏う。
察知と防御の効力を持つ補助グラマリー・エアコートはデーモンが消えた瞬間、背後に動きの乱れを察知した。
(同じ手は受けま…)
応対しようと振り返った葵衣の目の前、左の眼球の前には鋭利な切っ先が紙一重の距離で止まっていた。
あまりの恐怖に眼球が震え、全身の熱が奪われたような錯覚を覚える。
「ぁ…」
葵衣は全身を支配する恐怖感に既視感を覚えた。
それがなんだったか加速する心音に邪魔されて思い出すことができず
「葵衣から離れろ!」
横合いから飛んできた式によってデーモンが飛びのいたことで窮地を脱した。
「…っ、はあ、はあ。」
ようやく呼吸の存在を思い出した葵衣が珍しく息を乱し、そこに起き上がったもののあちこち傷だらけの良子と同じく蹴りの衝撃で膝が震えている緑里が集まった。
さっきまで優勢だったとは思えないほどヴァルキリーは満身創痍だった。
デーモンは琴を背にしたまま動かない。
それが良子たちには巨大な漆黒の壁に見えた。
「はは、ソーサリスは本当に化け物だったんだ。」
「本当に、あり得ない。」
「…私たちだけでは太刀打ちできそうにありません。撤退します。」
またも琴を仕留められなかったことに運命めいたものを感じながら葵衣は2人を伴って太宮神社から逃げていった。
それを呆然と見送った琴はようやく目の前に立っているのがデーモンだと思い出した。
「あの、ありがとうございました。」
琴の謝罪に答えることもなくデーモンは飛び上がって屋根伝いに消えていった。




