第31話 実技指導旅行
体育祭を来週に控えた週末。
"Innocent Vision"の特訓の影響でクラスによっては土日返上で練習するらしいがヴァルキリーの面々はそちらには参加せず放課後になると早々にヴァルハラに集合した。
今日から泊まり掛けで各地のジュエルクラブに実技指導をしに行くのだ。
実質的には一人旅のようなものなので良子や美保は見るからに楽しもうとしていた。
「皆さんお揃いですね。」
最後に入ってきた葵衣の手には封筒が握られていた。
「お荷物は今朝皆様のご自宅で受け取りましたので特にご用がなければこのまま出発していただきます。良子様、美保様、悠莉様は遠方ですので飛行機や新幹線のチケットを用意させていただきました。駅まではお荷物とご一緒に車でお送り致します。」
出発の準備は滞りなく終わっている。
あとは葵衣のゴーサインが出れば旅行に行けるのだが葵衣はまだオーケーを出さない。
「最後にお嬢様からの伝言です。」
その言葉に浮かれていた良子と美保が固まった。
今回の実技指導は葵衣が同意したとはいえ撫子の了解を得ないままにWVeの予算を使用して行うことに決定した。
撫子が納得しなければいろいろと不都合が出かねなかった。
約2名が固唾を飲んで耳を傾ける中、たっぷりと間を作った葵衣はようやく口を開いた。
「あくまでもジュエルへの指導が目的の旅行ですので羽目を外しすぎないよう注意してください、とのことです。」
そこには予算低減という言葉は入っていない。
だが疑り深い美保はまだ油断しない。
「でも結局羽目を外すなってことは予算は低めにしろってことですよね?」
宿代や食事代、土産代などを持ってくれるとはいえ出費は少ないに越したことはない。
「はい。各自に充てられた予算は…」
葵衣はどこからか取り出した電卓に数字を入力して2人に見せた。
「なっ!?」
「おっ!?」
2人の目が飛び出しそうなほどに見開かれる。
6桁前半とはいえ学生が行く旅行、しかも一泊の値段にしてはかなり豪華な予算だ。
宿の選択は自由なので現地で一泊数万円する豪華ホテルに泊まってもよく、それでもまだ余る金額だ。
「お、おお…」
2人の目が$マークに爛々と輝く。
「美保さん。ここに留まっていると出先に到着するのが遅れますよ?」
「ハッ!そうよ。葵衣先輩、もう何もないですよね?」
悠莉の言葉で我に帰った美保は落ち着かない様子で葵衣に訪ね
「はい。お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
見送られるとすぐにヴァルハラを出ていってしまった。
「あ、美保、ずるいぞ!」
良子も追いかけるように出掛けていった。
それを見送る3人は無感情に呆れに笑顔と三者三様だった。
「悠莉も早く出ないと遅くなるんじゃない?盛岡でしょ?」
東北ジュエルの統合支部は盛岡駅近くに建てられたジュエルクラブとなっている。
土曜日は午前授業でまだ昼とはいえここから駅に行き数時間新幹線に乗るとなると到着は夕方になってしまう。
「私はそれほど観光するつもりはありませんから今日は顔見せ程度に済ませて明日本格的に指導するつもりです。」
「あ、そういうこと。」
かく言う緑里も名古屋だが撫子の資金で楽しむのは気が引けるということで指導だけして戻ってくる予定だった。
「姉さん。これを。」
「うん?」
葵衣はチケットの入った封筒とは別にもう一つ封筒を取り出して緑里に差し出した。
緑里は首をかしげながら受け取り
「え?これ、お金だよ?」
1万円札が数枚入っていることに気付いて困惑した。
「姉さんの事ですから安いホテルに宿泊して観光にも行かず、ごく少人数にのみお土産を買うだけの低予算旅行を考えていたのでしょう?」
「う。」
あまりにも的確すぎる指摘に緑里は反論できる要素が見つからず後退る。
普段無表情の葵衣が呆れたようなジト目を向け、ふうとため息までついた。
「ですからこれは…私からの餞別です。お嬢様のお金を使うのが心苦しいのであればそれを使ってください。」
「でも、妹のお金も結構使いづらいよ。」
緑里は葵衣の心遣いに対する嬉しさと申し訳なさの間で揺れていた。
やっぱり返そうと出そうとした手を葵衣が押し戻す。
「遠慮は無用です。しっかりと楽しんだ感想とお土産を期待しています。」
普段滅多に見ることのない葵衣の微笑みに緑里は見惚れてしまう。
「葵衣…」
「姉さん…」
見つめ合う2人の間に何だか百合の花が見える。
「ふふふ。私はお邪魔のようですのでお先に失礼しますね。」
悠莉は微笑ましげに2人の姿を見ながらヴァルハラを後にし海原姉妹だけが残り
「ちゃんと身嗜みを整えて先方に粗相の無いようにしてくださいね。それと無理はしないこと、良いですね?」
「うん。葵衣も気をつけてね。」
「はい。」
誰もいなくなったことにすら気付かないほど互いを想い合っていた。
「やって来ました、九州は福岡。」
福岡空港からタクシー乗り場に降り立った良子は旅行鞄の代わりにスポーツバッグを担いでいるため部活の遠征のような出で立ちだった。
「ええと、ジュエルクラブから迎えが来てくれるはずなんだけど。」
葵衣のくれた予定によればこのままジュエルクラブに向かって挨拶をすることになっている。
「失礼ですが、等々力良子様ですか?」
「ん?そうだけど?」
声をかけられて振り返るとWVeの制服を着た小柄な女性が立っていた。
「お待ちしておりました。私はWVe福岡店の長崎です。よろしくお願いします。」
丁寧な挨拶だったが何故か良子は無反応。
少し不安げに長崎が様子を窺うと良子は
「福岡弁じゃないんだ。」
と真面目に驚いていた。
長崎はあははと苦笑するのであった。
迎えの車に乗った美保は流れていく大阪の町を眺める。
ジュエルクラブインストラクターの神戸はまだ運転免許を持っていないとのことなので助手席に乗っている。
それなら運転手だけが来ればよかったんじゃないかと思う美保だったがさすがに初対面でいうことではないので自重した。
「美保さんは大阪は初めてです?」
フレンドリーなしゃべり方と大阪弁のイントネーションは割とお気に入りだったが神戸はとにかくよくしゃべる。
息をする代わりに喋ってるんじゃないかと思うくらい延々と話しているので美保は車に乗っているだけなのに疲れてきていた。
ふと視線を感じて見てみるとミラー越しに運転手と目があった。
運転手は美保と同じような顔をしていて妙に親近感を抱いた美保であった。
名古屋のWVeに到着した緑里は準備があるから少し待ってほしいとインストラクターの豊田に言われて店内を見て回っていた。
(客の入りは結構いいみたいだけどジュエルはどれくらいいるのかな?)
悠莉がやったという直にジュエルと勝負をする方式に興味があった。
ジュエル・ベリロスは白鶴寄りの特性のグラマリーを持っているため単純な一対多数では苦戦は必至だ。
(だけど白鶴以上の強度と操作性がある。これを使いこなせるようになればかなり使い勝手がよくなるはずだよ。)
「お待たせしました。こちらへどうぞ。」
石川は店員として客を招き入れるようにスタッフルームへと連れていく。
そこからさらに奥、スタッフの多くには在庫品倉庫と伝えてある部屋の地下にジュエルクラブの訓練所がある。
ジュエルは別ルートで外から直接迎えるようになっている。
地下への階段を降りた先には
「おお…」
思わず感嘆の声を漏らしてしまうほどに整然と並び立つジュエルたちがいた。
その総数は少なく見積もっても100人以上、壇上から見れば黒山の人だかりだ。
(これは全員と勝負したらさすがに死ぬよね?)
負けん気の強い緑里でも1対100に挑む気にはなれず無理をしないと約束もしているため断念するのだった。
「それでは壱葉からお越しいただいた下沢悠莉様にご挨拶をいただきます。下沢様、よろしくお願いします。」
盛岡店でインストラクターを務める岩手の紹介を受けて悠莉が前に出た。
「ヴァルキリーの下沢悠莉です。ここにいらっしゃるジュエルの皆さんは恐らくヴァルキリーやソルシエールについてはほとんどご存じないでしょう。自分と同じくらいの歳、あるいは年下なのに何を偉そうにと思っている方もいらっしゃると思います。」
出だしから反応に困る話をされて集まったジュエルがにわかにどよめき出す。
わずかなざわめきは瞬く間に広がっていく。
「まだお話の途中です。静かにしなさい。」
岩手が注意するとどよめきは沈静化していく。
インストラクターである岩手は純乙女会時代のジュエルであるため何をしたのかは知らないが今の悠莉よりも人望を集めているようだった。
静かになったところで岩手が悠莉に話の続きを目で促した。
それだけで前にいたジュエルたちは岩手が悠莉を敬っているのが見て取れた。
「既に聞いているかもしれませんがジュエルの力は本人の心に強く依存します。強くなりたいと願う想いが力になります。ですので私を見下している方は遠慮なく挑んできてください。そしてその力の差に絶望してください。」
さっきよりもざわめきが大きくなる。
悠莉がわざと煽っているのがわかるので岩手は何も言わない。
ジュエルの中から殺気や嫌悪感、敵愾心の感情が立ち上っているように見えた。
「ですが私も全員と戦っているほど時間はありません。本気で私を倒したいという方は明日ゆっくりとお相手しますが、まずはその気概を削いでおきましょう。」
悠莉は舞台正面から横に体を向けまっすぐに岩手を見た。
「悠莉様、まさか?」
「1人目の獲物はあなたです。サフェイロス・アルミナ。」
動揺する岩手に躊躇うことなく悠莉はサフェイロス・アルミナを突きつけた。
ヴァルキリーの面々が出掛け、1人壱葉に残った葵衣はジュエルクラブには向かわずにヴァルハラにいた。
ジュエル関連の雑務に"Innocent Vision"がオーと呼ぶ敵の調査、"Innocent Vision"自体の動向もチェックしなければならない。
様々な仕事を平行して処理している葵衣は建川という近場での実技指導ということもありギリギリまで仕事をこなしてから行くつもりでいた。
コンコン
普段来客など滅多にないヴァルハラの扉が叩かれた。
「どうぞ。」
「失礼します。」
入ってきたのは葵衣のクラスメイトのジュエルだった。
初めて足を踏み入れたヴァルハラに戸惑っているのが態度に表れていた。
「用件は…聞くまでもありませんね。ジュエルクラブからの呼び出しですか。」
「はい。村山さんが海原さんをお連れするようにって。」
建川でインストラクターをしている村山は実利主義で無駄だと思うことは決してやろうとしない。
「私を呼びに行く時間は無駄だからその間は通常訓練をしている、そういうわけですね?」
「はい。」
貧乏くじを引かされてべそをかいている同級生には何の感情も向けず葵衣は作業していたアプリケーションを閉じていく。
約束の時間まではまだあったがその手の決まり事は守る村山が呼び出すのだから予想以上に今回の実技指導に対するジュエルの期待が大きかったのだろう。
「あの、今日の指導、よろしくお願いします。」
ここにもその1人。
葵衣のジュエル・エルバイトは風を操るがその本質はセレスタイトとは異なる。
だから今の葵衣にはソーサリスだった頃の戦い方は出来ない。
なので直接指導せずに村山に任せようと思っていたのだがこの様子だとそれでは済まされそうになかった。
「私が教えられるのはジュエルの基礎だけです。」
葵衣は立ち上がると出口へと向かう。
同級生のジュエルも慌てて後を追った。
鍵を掛けて外に向かうと校門前に花鳳の家の運転手が車を停めていた。
2人が乗り込むと車は静かに発進した。
「先ほど、基礎だけだと言われましたけどそれがしっかりできればジュエルを上手に扱えるようになりますか?」
素朴で真摯な問いに葵衣は答えをわずかに躊躇った。
ジュエルは悠莉の言うように感情を糧に力を得るもの。
ジュエルに選ばれた以上何かを渇望する願いがあるのだろうがただ真面目なだけではジュエルは進歩しない。
だが葵衣の戦術はジュエルに頼らない。
ウインドロードも身体強化も能力の底上げをしただけで本質的な戦闘能力は武術で学んだものだった。
それはたゆまぬ反復練習により培われるもの。
「そうですね。なれますよ。」
葵衣は頷いて答えた。




