第3話 もう一人の予言者
叶が"Innocent Vision"のリーダーに半ば押しきられる形で就任し、ささやかなお祝いをした騒ぎもようやく終わり、琴は1人になってお茶を飲んでいた。
「"Innocent Vision"が再び動き始めましたね。皆さんが力を合わせれば様々な方々の行く末に見られる暗雲を打ち払うものとなることでしょう。」
ズズズとお茶を啜る琴が時計に目を向けるともうすぐ9時を迎えようとしていた。
「そうでした。今日はお客様が"太宮様"の予言を求めに来るのでした。」
琴は立ち上がり本殿へと向かう。
普段の客はどんなに偉い地位の人でも、それこそ総理大臣ですら時間を作って昼間に予約を取って訪ねてくる。
だが今日の客はこのような時間にしか空き時間を作ることができないほど多忙なのだと言う。
普通なら一昨日来やがれではないが丁重にお断りしているところだが今回の相手は知らないわけではなかったので特別に取り次ぐことにした。
奥の間で準備をし、境内に足を運ぶとちょうど鳥居の前に1台の黒塗りの高級車が横付けされ、運転手によって開けられたドアの向こうからスーツ姿の女性が降りてきた。
直接の面識はなくとも琴には聞き慣れた名前の人物を丁寧なお辞儀で迎える。
「ようこそお出でくださいました。花鳳撫子様ですね?」
スーツ姿の女性、花鳳撫子は微笑みを浮かべて頷いた。
「本日は夜分遅くに申し訳ありません。業務の関係上、会社を抜ける機会がないもので。」
車を送り出し、奥の間に向かう途中で撫子は琴に謝罪した。
「確かに遅い時間ですね。」
ちょっとした嫌味に撫子は顔を俯かせるが琴はすぐに優しく微笑みかける。
「ですが入社されたばかりで大きな事業を成功に導いたと噂で聞き及んでいます。ご多忙なのは存じておりますのでお気になさらずに。」
「貴女は壱葉高校の方ですか?」
目をぱちくりさせた撫子の問いに琴は頷く。
「本日3年生に進級しました太宮院琴と申します。今後ともご贔屓によろしくお願いします。」
「これはご丁寧にありがとうございます。」
返礼をした後、撫子は困ったように笑う。
「しかし、父に聞かされても半信半疑なのですが、本当に未来を見通されるのですか?」
(未来視が実在することをご存知でしょうに。)
「"太宮様"の指し示すものは定められた"結果"ではなく、そこに至るまでの"過程"の標です。未来は木の枝のように分岐していくものですのでくれぐれも過信されませんようお願いします。」
琴は内心の素直な感想は口に出さず事務的な説明をする。
Innocent Visionとは異なる選ばれやすい未来への道を見る力、それが"太宮様"の卜占だった。
「そう、なのですか?」
「ご自身の目で確かめられるのがよろしいでしょう。」
琴は足を止めると振り返った。
そこは奥の間だった。
「それでは"太宮様"がいらっしゃいますが卜占の最中は言葉を発することないようにお願いします。」
いつも通りの注意事項を述べて琴は退室していく。
残された撫子は室内を見回す。
(この部屋自体に魔術的な仕掛けが施されているわけではないようですね。未来視はこれから来られるという"太宮様"の力ということでしょうか?)
撫子は花鳳グループの代表として、将来的にそのトップの座を継ぐ者として政界財界でも一目置かれる知る人ぞ知る占い師の存在を知り、その力を見せてもらうためにやって来た。
聞けば撫子の父も撫子にアクセサリー部門を任せる時に直々に出向いて"太宮様"の意見を聞きに来たという。
今日は今後の撫子の向かう指針を与えてもらうことになっている。
「…。」
撫子は人が近付いてくる気配に意識を襖の外に向けた。
ほとんど音もなく開かれた襖の向こうからは全身を白一色の装束に身を纏った"太宮様"が現れた。
「…。」
わずかに驚きの声を漏らしそうになるのを撫子は押さえ込んだ。
"太宮様"は目の前に座ると硯で墨を擦り、筆を取って上質な和紙に文字を書き連ねていく。
それはまるで予め定められた事柄を書いていくように淀みなく筆は進み、程なくしてその動きが止まった。
撫子の前にひだ折りにされた占いの結果が置かれ、"太宮様"は礼をすると一言も発することなく部屋を後にした。
残された撫子は目の前に置かれた結果に手を伸ばす。
「己が力を過信するなかれ。適所に人を使え。
新しき事を始めるならば準備は過剰なほどが良い。…」
かなりの達筆で古文体だが撫子は部屋の明かりを頼りに読み進めていく。
確かに今は春の新規テーマに着手する準備を進めているのだが、やはり葵衣のような有能という言葉にお釣りがくるほどの人材がいるわけもなくつい自分で仕事を片付けていまいがちだった。
空き時間が作れないのもその辺りに起因する。
「よい結果は得られましたか?」
撫子が熱心に読んでいるとお茶を淹れた琴が入ってきた。
「何も説明していないというのに的確な指摘です。肝に命じさせていただきました。」
琴はお茶を撫子の前に置いて向かいに座る。
「それは何よりです。しかし先ほども申し上げましたが"太宮様"の卜占はあくまで可能性でしかありません。最終的な判断はご自身でなさってください。」
撫子はもう一度占いの結果に目を通して紙を懐にしまった。
出されたお茶を飲んで一息つく。
「未来視ですか。このような力があれば社会での成功など容易いでしょう。なぜ一部の方々しか"太宮様"の存在をご存知ないのですか?」
撫子は"太宮様"に聞けないから琴に尋ねた。
琴はお茶を一口飲んで湯飲みを置く。
「未来視を悪用すれば高い確率でギャンブルで成功することも可能ですし"太宮様"御自身が社会を陰から操ることも出来るでしょう。ですが、だからこそ"太宮様"は世俗を離れ、個人ではなく世界を導く標としてのみ働く存在となるよう誓約されているのです。」
「なるほど。大変ためになりました。またいずれお邪魔することもあると思いますがよろしくお願いします。」
「いえ。貴女に幸多き未来があることを願っています。」
互いにお辞儀をし、今日の占いは終わりを迎えた。
玄関に向かう間も撫子は結果を反芻しているのか無言で、迎えに来た車に乗り込んで帰っていった。
そのテールランプが見えなくなるまで見送った琴は一つため息を溢した。
「あれが花鳳撫子、ヴァルキリーの実質的な長ですか。仕事とはいえ"Innocent Vision"の敵と話をしているのは複雑な気分ですが、陸さんや叶さんなら受け入れてくださいますよね?」
信頼する2人の友人にして"Innocent Vision"のリーダーを思い浮かべて琴は微笑みながら戻っていった。
撫子は車に乗り込むとすぐに携帯を操作して耳に当てた。
プルル、
「葵衣。」
『お疲れさまです、お嬢様。いかがなさいましたか?』
ワンコール以内に繋がった葵衣はわずかに不思議そうな声をかけてきた。
職についてからは基本的に私用であっても葵衣に連絡を取ることは少なく、家にいる時に直接伝えることが殆んどだったからだ。
それはヴァルキリーやジュエルなど他人に聞かれるとまずい案件が多いからという理由もある。
そんなわけで葵衣の驚きも無理からぬことだった。
『んー、葵衣。どうしたの?』
電話の向こうから気だるげな緑里の声が聞こえてきた。
『姉さん、少し待っていてください。』
『早くしてね。』
もうすぐ10時とはいえこれまでの生活からして就寝には早い。
だというのにあの眠たげと言うか気だるげな声と甘えるような台詞。
(まさか…)
撫子の頭の中では2人が同じベッドで横になり、それはもちろん裸で
『葵衣…』
『姉さん…』
などと甘く囁き合っている光景が広がっていた。
『すみません。お待たせしました。…お嬢様?』
「み、緑里の声が聞こえたみたいだけど今は部屋なのかしら?」
ちょっと上ずった声を平静に留めながら撫子は自然な感じで尋ねる。
自分の想像が当たってほしいのか欲しくないのか。
…自問してみると4対6と割と僅差だった。
『いえ、今は入浴中でした。』
外れてはいたが裸の付き合いの部分は当たっていた。
気だるい声も長風呂すれば湯中りするし背中を洗うなり話をしていたらそれを切り上げてくれば催促もするだろう。
つまり撫子の考えていたような疚しいことは何1つない…とも考えられる。
「今帰りの途中だから後にしましょうか?私も背中を流してもらいたいわ。」
『そちらは構いませんが。お嬢様からご連絡をいただいたほどですから急を要する要件とお見受けします。』
さすがは葵衣と言うべきで撫子の行動からその真意をすぐさま見抜いた。
撫子も今は側にいない優秀な付き人を誇らしく思いながら真面目な顔になる。
「それならお願いするわ。至急、太宮院琴と"太宮様"について調べてほしいの。その調査結果と交渉次第では今後の活動に大幅な進展が期待できそうよ。」
もちろん進展するのは事業ではなくヴァルキリーの動向だ。
かつて少人数編成の"Innocent Vision"が半場陸の持つ未来視によってヴァルキリーの手を逃れ、大軍勢を退けた。
結局はファブレの消滅とともにソルシエールが失われ休戦状態に入っているが、未来の道筋が分かれば裏をついて"Innocent Vision"を壊滅、あるいは統合することも容易くなる。
"Innocent Vision"のソーサリスおよびセイントやジュエリストといったメンバーの強さや有用性はファブレとの決戦で確認していることから撫子としては是非とも仲間に引き入れたいと考えていた。
それが後に陸が目覚めた時にヴァルキリーに引き込む材料になることまで見越して。
『太宮神社の予言者"太宮様"については以前少しばかりご主人様にお話をお伺いしたことがございます。』
撫子が知らなかったトップシークレットを葵衣が知っていることにちょっと納得が行かない撫子だったが文句を言っても仕方がないとすぐに切り替えた。
「それよ。どこまで踏み込めるかはわからないけれど出来るだけ詳細に知りたいわ。お願いね。」
『はい。それでは直ちに…』
電話の向こうで敬礼でもしていそうな葵衣の姿が目に浮かぶ。
撫子の就職を機に学生である緑里と葵衣は直属の任を解かれたがそれでもやはり撫子が真に信頼するのは緑里であり葵衣だけだった。
「急ぎではあるけど、緑里の背中を流すくらいは構わないわよ。」
『…ありがとうございます。』
最後にそう付け加えると葵衣はわずかに照れ臭そうな声でお礼を言って電話を切った。
撫子はそれを微笑ましく思いながら、流れていく窓の外を眺める。
「半場さんが目覚めず、協力が得られない以上ヴァルキリーの悲願の成就には"太宮様"の未来視が必要です。しかし…」
撫子はそれが困難なことを自覚していた。
それは琴自身が語っていた未来視の在り方にその答えが含まれていたからだ。
「自分のために未来視を使わないということは、不特定の誰かのために使うこともしないという事ですからね。」
琴は未来視の力の持つ無限の可能性と危険性を自覚している。
そのような手合いには金銭や栄誉というような即物的な交渉は通用しないだろうと撫子は踏んでいた。
「…まずは葵衣に期待しましょう。」
撫子を乗せた車はゆっくり家へと向かっていく。
撫子が帰宅後すぐに風呂場へ向かうと脱衣所では湯浴み着を着た葵衣が調べた資料を纏めていた。
1時間足らずでどれほどの情報が集まったのかはわからないが驚異的な早さであるのは間違いない。
「おかえりなさいませ、お嬢様。すぐにご用意いたします。」
葵衣は資料をしまうと撫子の服を脱がせていく。
ここまでやってもらう必要はないのだが本人がやり始めた以上撫子は何も言わず身を任せる。
「一緒に入っても構わないのだけれど。」
「従者が主と同じ風呂には入れません。」
職務に忠実な葵衣は時に融通が利かない。
一糸纏わぬ姿になった撫子は葵衣を連れだって浴室に入った。
温泉旅館ほどではないが一般家庭とは比べるべくもない広さの風呂場を歩きシャワーの前に腰かける。
葵衣は慣れた手つきで撫子を丁寧に洗っていく。
「ふぅ。それで?」
「はい。"太宮様"に関する情報は皆無でした。100年以上前から"太宮様"の占いが存在していたことからその名は襲名されるものなのか、あるいは怪異の類である可能性も考えられます。」
「人ではないと?」
「あくまで可能性ですが。」
普通なら鼻で笑うような荒唐無稽な話だが撫子たちはファブレという"化け物"を目の当たりにした。
未来視を操る存在が妖怪変化であっても今は納得できるほどに了見の幅は広がっている。
「ですので本日は太宮院琴様についての報告をさせていただきます。ですが太宮院様も負けず劣らず情報が少ないです。」
「そうでしょうね。目立つ存在なら在学中に噂を耳にしたでしょうから。」
葵衣は2年の時に巫女服で登校してくる琴を何度か見ており、不幸を呼ぶ巫女という噂も耳にしていたがその時はそれほど重要視していなかった。
今更ながら葵衣はその時に撫子に知らせておくべきだったと後悔していた。
「…太宮院様ですが、ご両親は他所の神社に出向くことが多く太宮院様が切り盛りしていると言えます。」
「普段は"太宮様"と太宮院さんだけということね。金銭で困窮しているためにご両親が他所に出ているのならそちらの交渉で引き込めないかしら?」
先ほど琴には即物的な交渉は通用しないと考えたが家庭の事情が関わってくれば切り崩す糸口になる。
しかし葵衣はあっさりと否定した。
「いいえ。金銭面での苦労はないようです。通常の職務に加え"太宮様"の卜占がある分、他所の神社よりも余裕があると考えられます。」
琴がいつも叶のために用意しているお菓子はその辺りから捻出されているのだが、当然撫子たちは知るわけもない。
「過去に何人もの政財界の大物が"太宮様"のお力を独占しようと兆の桁の破格の金額を提示して協力を仰いだそうですがその誰もがすげなく断られたようです。その後、"太宮様"とのつながりが断たれて失脚する方が後を絶たなかったため交渉を持ちかける方はめっきりいなくなったそうです。」
「予想通りではあるけれど。ほかに何か弱みのような情報はないかしら?」
ここまで隙がないと脅迫くらいしか手がなくなってきた。
気乗りしないものの可能性の芽として聞かないわけにはいかない。
「それが、太宮院様は交遊関係がほぼ皆無で。唯一良好な友人関係を築いていると見られるのが…」
葵衣はそこで口を閉ざした。
良くない結果が見つかったのだと知りつつ
「続けなさい。」
撫子は先を促した。
「はい。そのご友人は壱場高校2年、作倉叶様です。」
撫子は思わず天を仰ぎ見た。
よりによって"Innocent Vision"、その人物の中でも一番引き込みづらい相手だった。
「やはり一筋縄ではいかないようね。引き続き情報を収集、何としても"太宮様"の力を手に入れるのよ。」
「御意のままに。」
髪を流す撫子の目は理想の実現に燃えていた。




