第28話 特訓開始
クラス副委員長である久住裕子は普段副委員長として全く自覚がないと言われても反論できない。
だがイベント・祭好きの彼女は興味があることには妥協しない。
だから
「さあ、体育祭、絶対に勝つわよ!」
体育祭実行委員を押し退けてクラスを仕切っていた。
「何であいつ体育祭実行委員やらなかったんだ?」
と全員が首を傾げたがそんなものを裕子は気にしない。
「体育の徒競走のタイム順をリストアップして。人によっては何種類か出てもらうわよ。」
足の早い生徒は大抵運動部であり、体力と速力には自信があるので大して不平の声は上がらない。
「身体測定のデータも出して。ただし男子、それを口実にスリーサイズを聞こうとしたら蹴るわよ。」
握力や瞬発力のデータも加味して他の種目に出る生徒を割り振っていく。
そのどれもが納得のいくものだから反対意見が出ることもなくトントン拍子で決まっていった。
「さて、残るは…」
ここまで順調だった選出が止まった。
これが去年なら迷いなく決まっていたのだが今年は少し事情があった。
「真奈美と叶、どっちにリレーに出てもらうべきか?」
去年なら真奈美をリレーに据えていただろうが今の真奈美は義足に眼帯姿だ。
多少同情は受けるだろうが明らかに不利の要素となる。
それならば真奈美を動きの少ない競技に割り当てて叶を起用した方が得策かもしれない。
「でも、実際問題義足の真奈美と叶、足の速さ同じなのよね。」
「ちょっとだけ私の方が速いよ?」
そのちょっとはコンマ03秒、本当にちょっとだった。
叶の足が遅いのか義足を着けていても真奈美が速いのかは判断が難しいところだった。
「うーん。皆はどう思う?」
胸が揺れるから真奈美という意見は即時却下。
慎ましい叶が泣きそうな顔をしたため言葉を発した男子は有志によりボコボコにされた。
それ以外もどちらにも決めかねるといった状況だった。
行き詰まったかに見えた瞬間
「はい。私がリレーに出ます。」
叶がしっかりと手を上げて宣言した。
叶をよく知らない生徒はそれで納得したが中学からの友人や1年の時のクラスメイトは目を見開いて驚いた。
「あの引っ込み思案な作倉さんが立候補した。」
「最近ちゃんと意見を言うようになった。」
「明るく綺麗になった。」
そんな意見が出て叶は照れ臭そうに頬を染め
「やっぱり陸(男・半場くん)の影響(だな・よね)。」
満場一致で陸の影響だと言われて茹で蛸になりながら縮こまっていくのだった。
かくして叶をリレーに登録して体育祭の準備が静かに始まった。
放課後、部活動以外にもちらほらクラスの練習が見られるようになる中、"Innocent Vision"のメンバーもまた体操着姿で校庭の隅に集合していた。
グラウンドを利用する部活の部員たちが好奇の目を向けていたが由良がその中心にいると声をかけてくるようなことはなかった。
ジャージの上を羽織った八重花が首から下げたホイッスルをピーッと吹いた。
「それじゃあ私たちは体育祭の練習の振りをしながらソーサリス復活計画を始めるわよ。」
「どんとこい!」
「頑張る。」
「あたしのスピネルも復活させるよ。」
「やるよぉ。」
少女たちが校庭の隅でやる気を出している微笑ましい姿に男むさい野球部やサッカー部は興味津々だ。
あの羽佐間由良だって遠くから見ている分には美人なのだから。
「それで八重花、具体的には?」
「叶がカナ、真奈美がマナで私は八重花?」
意気込んでいる由良に八重花ははぐらかすように尋ねた。
「それならエカだ。」
「…。」
非常に微妙なあだ名に八重花は思わず謝りそうになってしまった。
「冗談だ、ヤエ。だから泣きそうになるな。」
「…泣きそうになんて、なってないわよ。ぐす。」
八重花はジャージの袖で目元を拭うと腰に手を当てた。
「まずは走り込みよ!健全な精神は健全な肉体に宿る。」
「健全な…」
「肉体。」
「カナ、マナ。どうしてそこで俺を見る?」
2人の視線は制服よりも薄い体操着を着た由良に向けられていた。
正確には普段の制服よりもはっきりとメリハリの出る格好だからわかるプロポーションだ。
視線の理由は異なるが周囲の男子とたいして変わらない理由なため由良は苦笑して頭を掻いた。
「話を戻すわよ。ソルシエールは肉体に作用しながらも力の根源は精神に依存しているわ。つまりどちらも底上げすることでソルシエールの発現を促すのよ。」
それで本当に取り戻せるかという質問はない。
明確な答えが分かっているならとっくに八重花はジオードを取り戻しているはずだから。
八重花の考えた案を元にして全員で条件を探していくという話になっていた。
「とりあえず学校の外周ランニングよ。ピッ、ピッ。」
ホイッスルでリズムを刻みながら八重花が先導して走り出すと"Innocent Vision"のメンバーもそれに続く。
ピッ、ピッ、ピッ
比較的遅いペースを保ちながら校庭を出て校舎脇を走り校門から外周コースに入る。
校門から外は学校の敷地ではないが運動部がランニングで使用するコースがある。
すでにウォームアップは終わっている部活ばかりなので外周コースを走っているのは陸上部くらいのものだ。
そのペースの速さを目の当たりにして急ぎたくなる気持ちを押し込めて一定のペースで走り続ける。
さすがにホイッスルを銜えたまま走れるわけもなく音はしないが八重花がペースメーカーとして働いていた。
そのただの走り込みが1周終わる頃
「はあ、はあ。みんな、待ってぇ。 」
叶はすでにばてて遅れていた。
義足の真奈美はまだ余裕そうで軽く額に汗をかいている程度。
これを裕子が見たら間違いなく自分の判断を悔やんでいただろう。
叶の体力はかなり駄目な子のレベルだった。
「叶、無理しても仕方がないわ。少しずつ走れる距離を伸ばして走る速さを上げられるようにするの。だから今は休みなさい。」
「うん、わかった。」
息も絶え絶えに返事をして叶は1周して戻ってきた校門に不時着した。
「カナのやつ、本気で体力ないな。」
「普段はあそこまで酷くはなかったと思います。調子が悪かったのかな?」
「叶は付き合いで参加しているだけだもの。私たちは限界まで走り続けるのよ。」
ウォームアップと思わせておいて実は本命だった限界ギリギリマラソン。
「当然、ちゃんとした理由があるんだろうな?」
そうでなければただの嫌がらせの拷問だ。
尤も同じメニューを八重花もこなすわけだからよほどMな性癖持ちでない限りそれはあり得ない。
「火事場の馬鹿力。人間は追い詰められたときに潜在能力を発揮できると言うわ。だからとりあえず限界まで自分を追い詰めてみるのよ。」
かなり無謀な策だが走っていて思考能力が低下している上に体は温まってハイになっている由良は乗り気だった。
「インヴィ、ファイ!」
「オー!」
叶を除く"Innocent Vision"のメンバーは日が沈む頃まで本当にぶっ続けで走り続けたが、結局左目が輝くことはなかった。
限界マラソンを早々に離脱した叶はしばらく声援を送っていたが体力が回復した辺りで抜け出した。
体操着のままジャージを着て帰り支度を済ませ、向かった先は太宮神社だった。
いつものようにいつの間にか帰ってきて境内の掃除をしていた琴は叶が来たのを見て微笑むと箒を動かす手を止めた。
「あ、お掃除の邪魔でしたか?」
「いえ。時間を潰していただけですので。"Innocent Vision"の皆さんは学校の回りを走っていたようですが叶さんはいいのですか?」
本当にいつ帰ってきてるのか謎な琴だが叶はもうそういうものと認識しているので驚かない。
「無理しない程度に走って少しずつ速く長くしていけばいいって八重花ちゃんが言ってくれたので。」
「無理しない、ですか。」
琴の目が若干冷ややかさを帯びる。
叶はそれに気付きながらも気にしない。
そういった強さは去年の叶にはなかったものだ。
琴が知っているのは変わり始めた頃からの叶なのでそれほどの驚きはない。
「それでは準備をしてから参りますので先に上がっていて下さい。」
「はい。」
真剣な表情になった2人は短く会話をするとすぐに別れた。
叶は本殿に上がり大広間に向かった。
二十畳ほどの広い部屋の真ん中に入ってジャージを脱いだ。
学校で走る前にも準備運動はしたがもう一度柔軟を念入りにしておく。
「お待たせしました。」
部屋に入ってきた琴は袖を絞り帯で縛った格好をしていた。
その姿を見ると巫女というよりは合気道の先生のようだった。
そしてその認識は正しい。
「琴お姉ちゃん、今日もご指導よろしくお願いします。」
押忍というように拳を腰のところでグッと握り叶は頭を下げた。
叶の姿はどこか微笑ましく、琴は頬が緩みそうになるのを無理矢理抑え込んだ。
「特訓の間は師匠と呼ぶようにと言っておいたはずです。」
「すみません、師匠。」
素直な叶の態度に満足そうに頷いた琴。
「それではまず受け身の練習からです。先日教えた型を頭ではなく体に覚え込ませるのです。」
「はい!」
バンッ、バンッ
起き上がっては受け身を取って転がり、叶はそれをただひたすらに繰り返す。
それを見守りながら琴は先日の事を思い出していた。
「私に格闘技を教えてください!」
夕方に駆け込んできた叶が開口一番に叫んだ言葉に琴は目をぱちくりとしばたかせた。
「あの、そういうのは道場に申し込むものですよ?」
思わず正論で諭してしまうくらい叶の様子が異常とも言えた。
「それはわかってます。でも短期間で戦い方を身に付けたいんです。だから何かいい方法はありませんか?」
琴としても叶が頼ってくれるのは嬉しかった。
だが叶の運動能力はちゃんと知らなくても高くないことは分かるし、剣道や薙刀、空手などの格闘技をやっていたとは聞いていない。
(叶さんに格闘技は難しいでしょうね。)
何であれ叶が人を傷つける技術を体得できるとは思えない。
結局のところ格闘技は強い意思があるからこそ辛いトレーニングに耐えて技術を磨いていけるので傷つけることを躊躇ってしまったら会得できない。
「私、足手まといにはなりたくないんです。だからみんなを守る力が欲しいんです。」
戦う力と守る力。
見方の側面の違いでありながら根底に根差す思いは真逆のもの。
そして守る力は戦う力を手に入れるよりも厳しい。
守る力は加減を間違えれば容易に破壊の力に変わってしまうから。
(残念ですが叶さんには…)
「お願いします、琴お姉ちゃん。」
「お任せください!」
その前の理知的な考察も叶のうるうるした瞳での懇願の前には全くの無意味だった。
自分の浅ましさに自己嫌悪しつつも叶が晴れやかな表情になったならそれでいいかと思った。
引き受けてしまったからには妥協はしない。
「まず叶さんが身に付けるべきは守る力ではなく誰かに守ってもらわなくても平気な力です。叶さんが1人で戦えれば"Innocent Vision"の皆さんは自分の戦いに集中できるようになりチームの総合力の向上に繋がります。」
「はい!」
的確な指示に叶が感銘を受けて意気込む。
熱心に師事されて琴もやる気になってきた。
「特訓です。私から教えを乞う間、師匠と呼ぶのですよ。」
「はい、師匠!」
こうして叶もまた力を得るための秘密の特訓を始めたのであった。
「えいっ、えいっ!」
「そこまで。」
「はい!」
琴の一声に叶は従いすぐに立ち上がる。
呼吸は荒いし受け身を取るために打ち付けていた手は赤くなっているが泣き言をいうこともない。
「格闘技にせよ戦闘にせよ体勢を崩し相手に隙を見せては敗北は必定です。どんなに攻められてもがっちりと守りを固め、崩されてもすぐに体勢を整えることができれば相手に警戒心を抱かせることができるのです。」
特に叶のオリビンは守りの力。
少しでも体系的な守りの技術を叶が体得すれば1人で戦場の中心に立っても捌けるようになる可能性は高かった。
「そうすればみんなは私を守る必要がなくなって戦いに集中できる、ですよね?」
「その通りです。そして叶さんが守りと癒しの拠点となることで"Innocent Vision"の戦力は飛躍的に増大するでしょう。」
自分が"Innocent Vision"の要になれると言われて俄然叶のやる気が高まる。
「頑張ります!」
「はい、頑張ってください。」
特訓は遅くまで続けられた。




