第25話 今と未来の駆け引き
「事業は拡大の兆しあり。傲らず慢心せず事に挑むべし。」
撫子は書き連ねられた文字を読んだ。
今日は先日発表して大反響を呼んでいるジュエリアプロジェクトの先行きを"太宮様"に占ってもらうために訪問していた。
文面を見る限り順調な拡大が見込めてホッとする。
書簡に目を通しているとお茶を淹れ直した琴が入ってきた。
ただしその表情は若干不機嫌だ。
「高校の先輩であった事実を使って予定を無理矢理捩じ込むのは感心しませんよ。」
本来、今日は"太宮様"の先見の予定は入っていなかった。
しかし朝に撫子から連絡があり、その後放課後には葵衣が菓子折りを持参してお願いしてきたため仕方なく夜に卜占を行った。
それがなければ叶を呼んでお茶にしようと考えていた琴は私的な理由でとても不機嫌だった。
対する撫子もお茶を受け取って申し訳なさそうな顔をした。
「わが社の命運をかけたジュエリアプロジェクトですので是非とも"太宮様"の示す未来をお聞きしたかったのです。」
「何度もご説明しましたが…」
「"太宮様"の占いは結果ではなく過程を見るもの。今回出た占いの内容を過信しないよう注意するように。よく覚えています。」
台詞を取られてますます機嫌を損ねた琴はお茶を啜る。
撫子はお茶を置くと居住まいを正して真正面から琴の顔を見た。
「実は本日はもう1つ占っていただきたい案件があります。」
「図々しいにもほどがあります。皆が常に1つ、それも数ヵ月に一度占いを受けている規則を破るなど無礼です。」
どこまでも自分勝手な撫子に琴は心底呆れたような冷たい目を向け席を立とうとした。
撫子はそれでも悠然とした態度を崩さず瞳を閉じてお茶を口許に運びながら
「良いでは無いですか、"太宮様"?」
そう、声をかけた。
ピタリと琴の動きが止まる。
撫子が目蓋を開くと琴は慌てた様子もなく腰を下ろした。
「もう少し驚いていただけると思っていました。」
撫子は少し残念そうに告げる。
「驚くほどの事ではありません。わたくしを"太宮様"だと誤認し、引き込もうとした方が過去に何人もいらっしゃいましたので。」
琴から放たれていた不機嫌な雰囲気は鳴りを潜め、撫子のどんな些細な言動も聞き逃すまいというように真剣さを宿していた。
「誤認、ですか?」
撫子は確信があるのか余裕の表情を崩さない。
琴は頷いた。
「誤認です。わたくしは太宮院琴であって"太宮様"ではないのですから。」
琴も確固たる意思をもって撫子から目を逸らさない。
数分の間、互いに睨み合いに近い視線をぶつけ合っていたが不意に撫子がため息を漏らした。
「予定通りには行かないものですね。正体を見破られた太宮院さんに秘密をばらさない代わりにヴァルキリーへの協力していただけるよう申し出るつもりでしたが。」
「それは世間一般では"脅迫"と呼ぶのですよ?」
「いいえ、"お願い"ですよ。」
フフフと2人で不気味な笑いを浮かべ合う。
今度は琴がため息をつく番だった。
「それでは"太宮様"だと言われたのもわたくしを動揺させる虚言だったということですか。ふぅ、あまり気を揉まさないでください。」
「いいえ、わたくしは貴女が"太宮様"だと確信しています。」
弛緩しかけた雰囲気が再び張り詰める。
「…理由を、聞かせていただけますか?」
琴は居住まいを正してしっかりと聞く体勢に入った。
「それで納得していただけるのなら。まず背格好が太宮院さんが腰を折って歩く姿と同じです。これでも服飾関係の職業ですので体型の見極めには自信があるのです。」
「根拠としては弱いですね。背格好は家族なら似てきてもおかしな事はありません。」
根拠と呼ぶにはあまりにもお粗末な見た目の判断基準に琴は苦笑を浮かべてお茶を飲んだ。
「もちろんこれは疑念を抱いたきっかけの1つに過ぎません。次に筆跡が同じであることが挙げられます。」
撫子は続けて証拠を提示する。
琴がこめかみに指を添えて首を傾げた。
「花鳳さんの前でわたくしが何か書いたことはなかったはずですが?」
「はい。ですが書き物なら毎日されているでしょう?」
撫子の言葉に琴の体がわずかに強ばる。
確かに琴はほぼ毎日数時間書き物をしている。
琴が学生である以上それは必然的に行われる行為であった。
「何度も確認させていただきましたし都合の良いことに一度書道の現場も撮影できました。」
確かにクラスメイトに頼まれて文字を書いたことがある。
それが撫子の手の者だと知った琴は軽く人間不審に陥った。
「盗撮とはまたずいぶんと犯罪的になりましたね。」
「それに関しては謝罪します。ですが書体も癖も確認させていただき同一であると確認しました。」
撫子が言い切ると琴は口をつぐんだ。
乾いた口を温くなってきたお茶で湿らせる。
「書を教えてくださったのは家族ですので書き方の癖が似るのも仕方がないと思います。」
「それもありますね。」
撫子はまたも頷いた。
だが同意するということは撫子の示した証拠が証拠の意味を成さないことになる。
怪訝な顔をする琴の前で撫子は深くお辞儀をした。
「これが最後になりますが、先に謝らせていただきます。」
ゴクリと琴は固唾を飲み込んだ。
撫子は顔を上げ
「望遠カメラから赤外線カメラ、その他様々な測定機器を用いて徹底的に屋敷内を調査させていただいた結果、太宮院さんとご両親以外に生体反応は確認されませんでした。」
最後の決定的な証拠を突き付けた。
「…。」
さすがの琴も驚きを隠せない。
だがそれは証拠にではなくその手段を用いた撫子に対してである。
「…呆れました。そこまで手の込んだ犯罪行為を行っていたとは。これが世間に知られれば花鳳さんの信用は落ちますよ。」
琴は大きくため息をついて撫子を睥睨する。
だが脅しも笑みで受け流して撫子は座り直した。
「すべてはヴァルキリーのため、世界の恒久平和のためです。大事の前の小事かと。」
「どんな世界でも人のプライバシーの侵害は大事です。」
琴は譲らず話の主導権を握ろうとするがやはり分が悪い。
「もう認めてしまわれてはいかがです?生体反応は3つしか確認されずご両親は外に出ることが多いご様子。貴女がいる時にだけ"太宮様"の予定が入っている。これでもまだ言い逃れ出来ますか?」
撫子は勝利を確信して琴を追い詰めていく。
もはやチェックにまで追い込んだ。
もうどこに逃げようと最終的には勝ちが確定したと言えた。
「まったく。わたくしのプライベートを明らかにして何が楽しいのでしょう?」
「貴女と親密になることでヴァルキリーの未来を見ていただけるならわたくしはいくらでも動きます。」
「今回の事で貴女方と親密になることだけはないと断言出来ます。」
琴は心底呆れたように吐き捨てた。
それすらも負け犬の遠吠えにしか聞こえないから撫子は笑みをこぼす。
「では仕方がありません。貴女が"太宮様"であると公表し、その力が本物であることを告知させていただきます。」
これでチェックメイト。
秘匿すべき先見の力が公表されればその力を求める人々やマスコミが殺到し、身柄を狙う者も出てくる可能性が高い。
それを保護する名目で協力を取り付けようという魂胆だった。
「…これはもう完全に脅迫ですね?」
「先程も言ったはずです。事を成すためならばこの程度は大事の前の小事であると。」
琴はもう一度深く深くため息をつき
「ならばその小事として取り敢えず刑務所にでも入っていただきましょう。」
袴の袖に手を入れた。
『事を成すためならこの程度は大事の前の小事であると。』
「っ!?」
それは間違いなく撫子の声だった。
何か魔術的な方法を使ったのではない、もっと簡便な方法。
琴が袖の下から取り出したのはICレコーダーだった。
撫子の表情が一気に青ざめた。
お茶碗を持つ手も震えている。
「何故そのようなものが…。まさかわたくしがどのような手段を取るか"太宮様"の力で見てその対処を?」
「何を言っているのですか。この程度の準備、口伝という不確かな物を商売としている以上当然の保険でしょう?占いの結果が違ったと文句を言われる方のためにその時どのような会話をしたのかを常に記録させていただいているだけです。」
琴は常に"太宮様"の卜占は道筋を示すものであり良い結果を導くものではないと説いている。
その場では理解している客もいざ不幸に見舞われると何か理由を探し、"太宮様"の占いに当たってくることがある。
記録はその時に自分が何と言って同意していたかを思い出させるためのものだった。
「疑われるのでしたら本来部外秘ですが記録をお見せしましょうか?」
「…いいえ、結構です。」
撫子が首を横に振ると琴は何事もなかったようにICレコーダーを袖の下にしまった。
「これで互いに秘密を握り合う状態というわけですね。核兵器のボタンと同じように互いが秘密にしていることで抑止力になる。」
撫子はわずかに顔を歪ませて苦々しく口にした。
だが同時にこれは撫子にとっては好条件とも言えた。
秘密を握り合う連帯感を利用してヴァルキリーに引き込めないかと考え始めていた。
琴はお茶を飲み干すと
「わたくしの方は誰かにお話しされても構いませんが。」
事も無げに告げた。
今度こそ撫子の顔に驚愕の表情が浮かぶ。
「何を言っているのです!?本当にわたくしが"太宮様"の話を広めれば貴女は人に狙われて大変なことになりますよ?」
「そうでしょうね。」
今度は琴が余裕の態度を見せる。
この未来を見通して落ち着いていられる姿が陸とかぶって撫子は顔をしかめた。
「ですが花鳳さんの脅しの対象はわたくしの未来、つまりまだ定まっていない時間です。ならば対処などいくらでも可能です。既に犯罪行為に手を染めてしまった花鳳さんとは違うのですよ。」
「くっ。それでも混乱は避けられませんし貴女を狙う者が現れるでしょう。保護が必要ではないですか?」
ここがヴァルキリーの、撫子の最終防衛ライン。
ここで"Innocent Vision"に保護を求めるようなら"Innocent Vision"を潰して琴を奪い取ると考えていた。
だが、琴はそんな撫子の決意を嘲笑うように
「そのようなものは必要ありません。」
前提条件を覆した。
「必要、ない?」
「はい。」
震えそうになる声で尋ねる撫子に琴は平然と頷き返す。
「ではお聞きしますが、煩わしいと感じる有象無象を相手にわざわざ本物の先見を行う必要がどこにあるというのですか?」
「あ…」
そこが撫子の見逃した最大の誤算。
太宮院琴という人間性の見誤りだった。
「作法は同じでも内容を適当にしてしまえば当たることはなくなります。占いなど所詮は個人の考え方で姿を変える曖昧なもの。当たらないと知れば人々の関心は瞬く間に失われていくでしょう。数ヵ月もあればまた今のような平穏が訪れ、嘘の占いで稼いだ金銭で裕福な暮らしもできるようになるはずです。そう考えると悪くない話かもしれませんね。刑罰が確定する花鳳さんとは違って。」
撫子は膝に置いていた手を力なく落とした。
チェックメイトだと思ったら逆に角に王手を掛けられたような心境だった。
そして負けたときの痛手は撫子の方が遥かに大きい。
最後に首まで落として撫子は自分の敗けを悟った。
腹いせに"太宮様"の情報を公開しても琴が脅迫の証拠を警察に持っていくことは止められない。
逆に琴が先に警察に情報を持ち込めば撫子が"太宮様"の情報を広める機会がなくなる。
そして広められたとしても琴の損害は微々たるもの。
対する撫子は部下に盗撮を指示した主犯格であり琴を脅迫した実行犯でもある。
撫子が捕まればWVeの経営に大打撃でありジュエル計画にも支障が出る。
身代わりを立てても花鳳グループの関係者から犯罪者が出ることはマイナスイメージしかない。
今回の敗北は撫子の未来に暗雲を引き込んでしまった。
「…どうしても、ヴァルキリーに協力して下さらないと?」
俯き震える声で尋ねる。
「少なくともわたくしは大事の前の小事として犯罪を容認するような方の片棒を担ぐ気はありません。」
琴は迷いなく断った。
「ならば…」
撫子の左目が朱色に輝き、新型ジュエル・クォーザイトが現れ、そして
それが振るわれるよりも早く、撫子の眉間に瑠璃色の矢が群青の弓を引き絞った形であてがわれた。
青い瞳が撫子を射抜く。
「その、瞳…セイント…」
握ったクォーザイトが畳の上に落ちる。
これで詰み。
この場の支配権は完全に琴のものとなった。
今警察に連絡されれば撫子は抵抗も出来ず逮捕され、転落人生を始めることになる。
未来に対する不安、恐怖が重くのしかかる。
呼吸が苦しくなり、地面についた手が震える。
そんな撫子に琴は矢を引き
「お帰り下さい。」
一言そう告げた。
「見逃すというのですか?」
それは撫子にとって救いだった。
今後の脅迫材料にはなる可能性は高いが今この場で即決されなければいくらでも対処の方法はある。
わずかに表情を緩めた撫子に琴は袖で口元を隠して笑った。
「切り札というのはいざというときに使うものですよ。たっぷり苦しんでください。」
いつ気まぐれに明かされるかもしれない恐怖を味わえという琴に撫子は何も言えなかった。
「…失礼します。」
結局振り返ることもなく撫子は去っていった。




