第247話 忘却の軍勢
(うわー、言い切っちゃった。)
陸の発言を後ろで聞いていた面々はやっちまった感に苦笑を禁じ得なかった。
叶でさえあははと困ったように眉根を下げている。
確かにやることは単純に2つ。
オリビアを倒すことと散らばったヘリオトロープを倒すこと。
これができれば世界は救われる。
だが、それを実現するためには神にも等しい存在を倒すだけの力と世界中でヘリオトロープを倒すための数が必要となる。
仲間たちは数を減らして傷を負っており、日本ですらジュエルでも対応が間に合っておらず世界となれば対抗手段はないに等しい。
明らかに危機的状況だと言うのにそれを面には出さず自信すら窺わせながらハッタリをかませるのだから大した度胸だ。
「ほう、妾を下し、ヘリオトロープをも排するとな?それこそ神の所業じゃな。」
「僕は神様じゃないですよ。でも出来ることもあるんですよ。」
陸は真っ向からオリビアと意見を交わすと振り向いて撫子に目を向けた。
「撫子さん、ちょっと携帯を貸してもらえませんか?ご存じの通り、僕の携帯は解約してるので。」
「え、ええ。それは構いませんが…」
オリビアを前にして背を向けて携帯でどこかに連絡しようなど豪胆を通り越して無防備としか言えず撫子は携帯を渡しながらもチラチラとオリビアを見ていた。
「ありがとうございます。さてと…」
「妾に堂々と隙を見せるとは愚かよのう。」
オリビアが糸を動かそうとするがその根本から光の刃が両断した。
海のブリリアントカッターである。
さらに明夜もいつでも飛び掛かれるように姿勢を落としていた。
オリビアが動けば海と明夜が即座に対応すると信じているからこそ陸は思うがままに行動できている。
陸がボタンを操作しようとした矢先、携帯が鳴り出した。
「おっと、撫子さん、電話みたいです。」
「えっ、ええ…」
こんな状況にと訝しみながら撫子は携帯を受け取るとオリビアの反応を気にしながら会議中に電話に出るように軽く頭を下げて通話ボタンを押した。
『ようやく繋がりましたわ。遅いですわよ、ナデシコ!』
それはひどく懐かしい声がスピーカー越しに割と大音量で響いた。
「ヘレナさんですか!?」
ヴァルキリーのメンバーで昨年の壱葉高校卒業と同時にアメリカへと帰った撫子の友人ヘレナ・ディオン。
そういえば卒業してから連絡を取っていなかったことを今更ながら気付いた撫子の耳にヘレナの怒りがキンキン響く。
『そうですわよ!卒業以来全く連絡はくれませんし、こちらから連絡しても捕まらないなんてイジメですの!?っと、今はそれどころではありませんわ!ナデシコ、空から飛んできたダークナイトはテレビで壱葉に出現したと言っているもので間違いありませんわね?』
「!!既にアメリカにヘリオトロープが到達したのですね。はい。それは魔女オリビアの兵、ヘリオトロープです。ヘレナさん、すぐに逃げてください。」
日本の反対側に位置するアメリカにヘリオトロープが到達したのであればもう世界各国に出現したと考えてよい。
今から救援を送る手筈を整えてソーサリスなりジュエルが飛行機で向かおうにも十数時間かかってしまう。
その間、何とかして逃げて生き延びてもらうしかない。
『逃げる必要などありませんわ。ワタクシのソルシエール・セレナイトとジュエル部隊ならば後れを取るわけがないですわよ。』
慌てる撫子の声に返ってきたのは信じられない言葉だった。
ヘレナの後ろでは武骨な魔剣を構えたジュエルたちが気合いを入れている声が電話越しに聞こえていた。
窮地にあってヘレナがたちの悪いいたずら電話をしてくるわけがなく、そうなると後ろの声は本物という事になる。
撫子は混乱する頭をどうにか働かせて冷静に問いかける。
「え?ソルシエールに、ジュエルもいるのですか?」
『何を言っていますの?ワタクシのソルシエールは知っていますでしょう?それにワタクシが壱葉高校にいた頃から展開していたジュエル世界進出も順調に芽吹いていますわよ。』
返ってきたのはいまさら何をといったニュアンスの不思議そうなヘレナの声だった。
「……」
撫子は電話を取り落としそうになるほど呆然としてしまった。
確かにファブレに世界進出の計画を潰された後も再度準備を進め、ジュエリアの出荷をしたはずだった。
だが撫子はその事をまるで忘れていた。
ヘレナに言われて初めて自分がその計画を進めていたことを思い出して納得していた。
その記憶の欠落というにはあまりにもおかしな欠如に撫子は強い違和感を覚えた。
『アメリカだけではありませんわよ。各国で既に日本のジュエル教育のノウハウを使った訓練が進められていますからどんな相手が来ようと簡単には負けはしませんわ。それともこのダークナイトは撫子たちでも危険なのですか?』
撫子が現状を受け止めきれていない間にもヘレナからは当たり前のように新情報が入ってくる。
「ヘリオトロープはグラマリーを使います。それにさえ気を付ければジュエルでも十分に対抗できるはずです。」
撫子は戸惑いながらも必要な情報を伝えるのは忘れない。
今は世界規模での対抗手段が用意されていた事を喜び、実際に戦った者としての助言によって少しでも勝率を上げる事が先決だと気持ちを切り替えた。
『なるほど、それは危険ですわね。こちらの指揮で手一杯になるので助けには行けませんが、ナデシコならば問題ないのでしょう?』
ヘレナの挑発的な言葉に撫子は少し冷静さを取り戻して不敵に微笑んだ。
「もちろん大丈夫ですよ。すぐに片付けて助けに行って差し上げますから。」
『ふふ。それならばお任せしますわ。この件が片付きましたら一度会いに行きますわね。』
「楽しみが一つ増えましたね。それではまた。」
にこやかに電話を切った撫子はその様子を見守っていた陸に目を向けた。
その表情は久しぶりに友人と会話をした後にしては険しい。
陸を訝り睨んでいると言っても過言ではない。
「これはどういう…」
「どういうことじゃ、Innocent Vision!」
撫子の追求よりも先にオリビアの怒号が響き渡った。
叶はあまりの迫力にヒッと竦んだが、怒りを叩きつけられた陸は平然としたまま振り返った。
「ヘリオトロープを送り込んだ先々に紛い物の魔剣使いどもが群を成して抵抗しておる。これは汝の仕業であろう!?」
どうやら撫子の会話とは別にオリビアはヘリオトロープの状況を理解したらしい。
ヘリオトロープの目を通して統率の取れたジュエルに襲撃される様を見せられれば驚きもしよう。
オリビアだけではなく味方からも目を向けられた陸は肩を竦めてみせた。
「僕がジュエルをどうこう出来るわけないじゃないですか。それはヴァルキリーの撫子さんが進めたこと。ですよね、撫子さん?」
「…ええ、それは間違いありません。」
陸の言う通りヴァルキリーがジュエルの世界進出を計画したのは間違いない。
撫子が気にしているのは何故それをヘレナに言われるまで忘れていたのかということだった。
「これで侵攻を止めたつもりならば誤りじゃぞ、Innocent Vision。紛い物の魔剣使いどもなぞ、ヘリオトロープを送り続ければすぐに瓦解しよう。」
確かにジュエルが全世界に存在していようとそれを統制するヴァルキリーの指示は届いていない。
ヘレナのように率いる者がいればともかく、現状では各人の技量と士気に依るところが大きく、このままヘリオトロープの侵攻が続けば壱葉よりもずっと早く抵抗できなくなる可能性が高かった。
「そうでしょうね。やっぱりグラマリーを使う化け物と比べれば現在のジュエルはただ武器を手にして少し強くなっただけですからね。それこそ人類最強の人が十分な武装をして挑んだ方が強いくらいかもしれませんし。」
陸はオリビアの言葉をあっさりと受け入れた。
軍隊でもヘリオトロープに対抗できるかもしれないが、やはり人型の機動力と超常的なグラマリーを兼ね備えたヘリオトロープを相手にするには分が悪い。
さすがに人類最強の戦士でもヘリオトロープとまともに戦えるわけがない。
軍でも強い人でもジュエルでも無理。
それでは世界を守る手段にはなりえない。
その常識を前に陸は笑う。
「でも、それは現状ではの話です。これから先の極近い未来に劇的な変化が起こらないと言えますか?」
「! 何をするつもりか知らぬがこれ以上妾の邪魔はさせぬぞ!」
「みんな、暫く防御よろしく!」
「散々煽るだけ煽って丸投げしないでほしいね、まったく!」
激昂するオリビアに叶と撫子の手を引いて逃げ出す陸、そして愚痴りながらも仕事を果たそうと前に出る真奈美たち。
さっきよりもさらに苛烈な攻撃を始めたオリビアを仲間たちに任せて陸は迷わずに駆けた。
着いた先は壱葉にあるローカルテレビの放送局。
その前には巨大なパラボラアンテナを備えた車が横付けされていた。
ドアは壊れれて外れているのでそのまま駆け込むと目の前に無表情の緑里が立っていた。
無表情なのに何故か怒っているのが伝わってきて陸は急ブレーキをかけて後退る。
「インヴィ?両手に花なのも気に食わないけど誰の許可を得てお嬢様の手を握ってるのかな?」
「あ、いや、その…」
特に意識して繋いだわけではなかったがここまでずっと叶と撫子の手を握っていたことになる。
振り向くと二人とも頬を赤らめて微妙に視線を逸らしていた。
呼吸が荒いのは走ったからだろうが顔が赤いのはそれだけではあるまい。
背後からは般若の殺気が伝わってきた。
(僕、死んだ?)
思わぬところでバッドエンド、かと思いきや緑里のため息と共にプレッシャーは霧散した。
陸はホッと胸を撫で下ろして振り返る。
「それで、進捗はどんな感じですか?」
「見た方が早いよ。」
促されて奥の放送室に向かう。
そこには
ガガガガガガッ
マシンガンのような鍵打音を響かせ、画面を食い入るように見つめながらいくつものウィンドウを処理する八重花がいた。
鬼気迫る雰囲気に正直室内に足を踏み入れるのを躊躇うほどだった。
結局八重花に声をかける勇気はなく、陸は廊下に戻って緑里に話し掛けた。
緑里もあの部屋に居続けられず廊下に逃げ出した口なので視線を交わすだけで何となく意思は伝わった。
「難航してるんですか?」
「機材が足りないからね。むしろあれだけの機材しかない状況で進めてる東條八重花は何者なのって感じよ。でもさすがに最後のセキュリティは簡単には抜けないみたいよ?」
「担当の職員がいればここまで手間取ることもなかったのでしょうけど、今は非常時で出動しているそうです。八重花さんに期待するしかありません。」
「八重花ちゃん、頑張って。」
八重花はいくつものウインドウが現れては消えていく画面を凝視しながら的確に情報を捌いていく。
緑里の力を借りて超特急で回収してきたエクセスを使ったハッキングを駆使して軍のシステムを利用しようと言うのだから無謀にすぎる。
緑里は花鳳の名を使って正規のルートで許可を得ることを提案したが、陸は時間がないことを理由に却下した。
事実、今は既に全世界にヘリオトロープの猛威が広まっており逆転の手立てを打つには時間との戦いと言える。
「魔力は空っぽだけど体力はある程度回復したわ。こっちは任せてもらうわよ。」
そんな無茶無謀に八重花は自ら名乗り出て挑む。
あるいは、陸は最初から八重花の存在さえも想定に入れていたのかもしれない。
「流石は軍のシステム。街中のカメラ映像をちょっと拝借するのとは訳が違うわね。」
そのプロテクトはまさに鉄壁で八重花の力を持ってしても突破することはできない。
それでも八重花は諦めない。
論理的に考えすぎたがために陸を失いかけたように、時にはただ自分の思うままに動いた方が良いときもあると学んだからだ。
「法則性は掴めてきたけど速度が足りない。カペーラ使ったらさすがにパソコンが一発で壊れるけど私の腕じゃこの速度が限界。」
陸たちには残像すら見える手捌きでも速度が足りない。
「このまま時間切れなんて自分が許せないわよ。腕が千切れても絶対に突破する!」
『システム稼働率95%、処理速度限界。』
「わかってるわよ!それでもやるしかないじゃない!」
画面に浮かぶエクセスからのエラーメッセージと会話するように八重花が叫ぶ。
指の先が切れて血が滲み、キーボードが赤く滲んでいく。
『処理情報力飽和。速度限界到達。システム稼働率100%。』
「エクセスを使ってもここまでなの?それなら本当にこの腕が壊れてでも…」
『処理能力向上のためリミットコード、パージ。サクラ、再起動。』
「サクラ?」
バグが発生したように画面を桜吹雪が通り過ぎていった。
画面が正常に戻ったとき、八重花が苦戦していたプロテクトは解除されてその先に進めるようになっていた。
「まさか、エクセスが…サクラがやったの?」
エクセスは喋るはずもなくアクセスランプを点滅させているだけだ。
だが八重花にはそれが返事をしているように見えた。
八重花の口許に笑みが浮かぶ。
「オーケー。サクラが何者かは平和になってからじっくり解析させてもらうわ。今はその能力、活用させてもらうわよ!」
八重花の猛進が再開され、いくつもの電脳の壁が砕かれていく。
そして八重花がエンターキーを叩きつけると画面にはとある映像が映し出された。
八重花は椅子の背もたれに清々しい表情で倒れ込んだ。
「通したわよ、私の意地。」




