第20話 狙われたアイドル?
叶の不思議ちゃん属性が開花した事件はあったものの旅の蛇足である謎スポットだった半場家之墓への寄り道を済ませた"Innocent Vision"一行はそこから海岸沿いを走るローカル線に乗った。
「これからが本当の慰安旅行ですね。皆さん、温泉に浸かって普段の疲れを取ってください。」
「旅行の始まりから異常に疲れたわ。」
八重花の愚痴に叶は冷や汗を流しながら笑う。
その疲れた原因の大半は叶にあるのだから仕方がない。
「そ、その疲れを取るのが温泉だからちょうどいいよ。うん。」
八重花は慌てる叶を流し見ると黙り込んでしまった。
だが今の叶に八重花の反応に注意を払う暇はない。
「カナ。」
「…はい。」
"Innocent Vision"のお姉さん、羽佐間由良が椅子の背もたれに寄りかかったまま腕を組んで叶を呼んだ。
叶は思わず床に正座しそうになったが由良が腕を解いて自分の隣を叩いたので従って腰かけた。
「何を言われるかは分かってるな?」
「はい。勝手に1人で行動してみんなに迷惑をかけてしまいました。」
反省した様子で俯く叶の頭に由良は手を置く。
「今回のカナの失踪じゃヴァルキリーや謎の敵以外に普通の人間に誘拐されたことまで考えた。俺たちソーサリスにソルシエールは無いし真奈美のスピネルも調子が悪い。カナのオリビンも戦う武器じゃない。それが今の"Innocent Vision"だ。だから何かあったときに助けてやれるとは限らない。だから、あんまり無茶するなよ。」
グリグリと頭を押さえ込んでいた手で最後にポンと頭を軽く叩いて由良の話は終わった。
「怒らないんですか?」
てっきり
「何やってんだお前は!!」
と雷を落としたように怒鳴られると思っていた叶は第2波を危惧して恐る恐る尋ねた。
「私もあなたは怒鳴って殴って理解させるタイプの人間だと思っていたわ。」
八重花も楽しそうに眠れる獅子にちょっかいを出す。
その被害を被りかねない叶は涙目で八重花に刺激しないでと訴えかけた。
「でも由良先輩は戦闘中以外であんまり怒鳴ってる印象ないですよ。どちらかと言えば聞き手と言うかご意見番って感じでしたよね。」
ここで真奈美の由良擁護。
明夜も頷いているから信憑性は高い。
由良のためにも叶のためにも救いの言葉に叶は緊張を緩めたが何故か由良は腕を組んで目をつぶり青筋を浮かべて震えていた。
そして
「俺は兄貴でも姉御でもご意見番でもなーい!」
「「きゃー!」」
由良は爆発した。
その後由良を除く"Innocent Vision"の取り決めであんまり年上扱いしないことが決定されたのであった。
ここは湯の町温泉郷。
硫黄泉があるらしく独特の臭いに満ちた温泉街はゴールデン・ウィークのため人で賑わっていた。
サンダルに浴衣姿で出歩く人たちの間を進んで目的の宿に到着する。
「玉楼館、ここね。」
「わー。」
叶は思わず感嘆の声を上げた。
それは老舗旅館と呼ぶに相応しい佇まいの純和風の温泉宿だった。
「おいおい、本当にここか?払った金額間違えてないか?」
八重花が組み上げたプランは想像していたよりもだいぶ低価格だった。
金は前払いで八重花に渡していて移動費と土産代は財布に入っているが追加料金を請求されると足が出そうだった。
「問題ないわ。何時までも立っていても仕方がないから入りましょう。」
八重花が1人入っていってしまったので叶たちも慌てて後に続いた。
「いらっしゃいませ。」
中も外観に負けない老舗ならではの風格が見えた。
冗談で一泊5万円と言われても払ってしまいそうだった。
「予約した東條です。」
「東條八重花様ですね。承っております。ようこそいらっしゃいました。」
和服の仲居さんに恭しくお辞儀されて慌ててお辞儀を返す叶。
八重花は堂々としていて他の3人も大人しくはしているが慌てた様子はない。
「お部屋までご案内致します。」
仲居さんに微笑ましげに見られて真っ赤になった叶を引き連れて仲居さんに続く。
通されたのは珊瑚の間という部屋で落ち着いた高級感が滲み出していた。
「それではごゆっくりお寛ぎ下さい。」
折り目正しい礼をして退室していく仲居さんを見送り、ホッと一息ついた叶たちはとりあえず
八重花を包囲した。
「さあ、吐け。どんな裏取引をした?」
「この宿の労働力としてこき使われるとか?」
「お金払えないで私たちが売られちゃうのかな?」
「温泉饅頭おいしい。」
明夜以外の必死な剣幕に対して八重花は涼しい顔を崩さない。
むしろ冷笑を浮かべているようにすら見えた。
「フフフ、とりあえずはアイドルになってがっぽり儲けさせて貰うわよ。勿論、裏のね。」
「裏のアイドルって?」
「えーと、半場が目を覚ましたら聞いてみな。」
子供の作り方を聞かれた母親のように困った真奈美が陸に丸投げした。
尤もそれまでに叶がこの話を忘れているだろうという腹積もりあってのことだが…陸哀れ。
「それで稼げなくなったら次は腎臓ね。大丈夫よ、1つ取っても死ぬことはないわ。」
「えーん、八重花ちゃんが怖いよぉ。」
怯えて泣きつく叶を抱き止めた真奈美は苦笑を由良に向けた。
由良は頭を掻いて呆れたようなため息をついた。
「カナが面白いように引っ掛かってるがそのネタは失敗だ。」
「あら、残念。」
八重花はさして残念そうでもなく手をヒラヒラ振った。
「え、嘘なの?」
「当然よ。私は何の不正も働いてないわよ。ただちょっとモニターをするだけ。」
「モニター?」
叶の頭の中にサンドイッチマンみたいに前後にディスプレイをぶら下げた八重花の姿が浮かび上がる。
「…多分叶の考えてるものとは大分違うわ。雑誌の記事にお客さんの本音みたいなのがあるじゃない。つまりこの玉楼館を繁盛するように宣伝するから安く泊まらせて貰うのよ。」
まさかの裏技に全員舌を巻くがふと気付く。
「あたしたちそんな記事になるようなこと書けないよ?」
「そこは私がやるから大丈夫よ。だだ、写真とか撮られることがあると思うけどその時は愛想良くしてね。」
「そのくらいなら身売りに比べれば苦にもならない。」
何はともあれようやく安堵した一行は
「温泉だ!」
早速部屋に置いてあった浴衣とタオルを持って温泉に向かった。
周辺にも有名な温泉があるわけだがまずは手始めに玉楼館の温泉から。
ポンポン服を脱いでいく明夜や由良とは対称的に叶は恥ずかしがって着替えようとしない。
「お、遅れて入ります。」
と言われては悪戯心が刺激されるわけで由良は明夜と目配せする。
「ひん剥くぞ、明夜!」
「覚悟。」
「きゃー!」
こうして叶は文字通り丸裸にひん剥かれてしくしくと嘆き、その間にちゃっかり真奈美と八重花は風呂に入っていた。
タオルで体を隠しながら洗い場にいる2人に泣きつく叶。
「置いていくなんてひどいよぉ。」
「ご苦労様。」
「お陰で真奈美の準備がスムーズに進んだわ。」
そこでようやく真奈美が義足を外していることに気が付いた。
普段は太股に固定するための留め具を服で隠しているが脱げば目立ってしまう。
由良や明夜がそれを見て態度を変えるとは思わなかったが見ないですむに越したことはない。
「一応耐水らしいけど温泉で錆びたりしたら面倒だからね。八重花も助かるよ。」
「叶にはこれからもあの2人の関心を引いてもらうつもりだから役割分担よ。」
「えー、そんなぁ。」
アワアワでもつれ合う乙女たちを由良は頭にタオルを乗せて縁に肘を引っ掛けながら眺めていた。
「平和だな。」
「ブクブク。」
明夜は肩を通り越して口まで浸かって温泉を堪能しているようだった。
「うー、くらくらする~。」
その後湯船に入った叶を由良が見逃すわけもなくちょっとおじさんくさいスキンシップを受けてくたくたになっていた。
先に上がって飲み物を買うために廊下を歩いていた。
少しふらつく足で歩いているとあまり目立たないように自動販売機があった。
外観を極力昔ながらにしつつ現代のニーズに対応させた形になっているらしい。
ただし狭い場所に無理やり押し込めたせいか叶はその自販機スペースに入るときに出てくる人とぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい。」
「いえ、こちらこそ不注意でした。」
互いにとりあえず頭を下げて謝って顔を上げ
「「あ。」」
驚きの声がハモった。
「下沢、さん?」
「と言うことは他人の空似ではなく作倉叶さんですか?」
それは壱葉で旅行に行くと言っていた悠莉だった。
「あー!」
そんな驚きの叫びが聞こえてきたのはすぐ後だった。
「美保さん。あれほど騒がないよう言っておいたというのに。」
「多分みんなと会ったんですね。行きましょう。」
「はい。」
叶と悠莉が連れ立って声のした方に行くと肩を怒らせた美保と不機嫌そうに腕組みをしている由良が睨み合っていた。
それぞれの連れは一応宥めようとしているが抑止力としては働いていない。
「なんであんたらがここにいるのよ?なんとか浜に行ったんじゃないの?」
「それはこっちの台詞だ。海と山がどうのって言ってただろ?」
互いに一歩も引かず火花を散らし合う2人。
美保は由良の胸元に目を向ける。
緩い浴衣を押し上げ、合わせ目から覗く谷間と自分を見比べて勝手に怒りのボルテージを上げていく。
左目に朱色の輝きが灯り始める。
由良が警戒して構えを取った直後
「等々力先輩、拘束してください。」
「はいよ。」
美保は後ろから良子に羽交い締めにされた。
「良子先輩!?悠莉!」
ジタバタと暴れる美保の前に立った悠莉はクスクスと笑う。
「騒ぎを起こさないようお願いしましたよね?ここは温泉の熱で暖かいですから外で一夜を過ごしても大丈夫でしょうか?」
「ヒッ!?」
その笑顔の後ろに般若が見えた美保は小さく悲鳴を上げると大人しくなった。
悠莉は申し訳なさそうに振り向いた。
「すみません。美保さんがお騒がせしてしまいました。」
「いや、こっちも悪かった。」
「ふふ、そうですね。」
「そこは否定しておけ。」
ムッとする由良だが悠莉は取り合わない。
「多少無理を言って部屋を用意していただいたので面倒を起こされると困るんです。」
「一般人ではちょっと手を出しづらい高級旅館を狙う点は同じだったようね。その手段がそっちは財力みたいだけど。」
八重花はわざと割高で部屋が埋まるかどうかわからない宿を選んでいた。
宿としては客が増えるのはいいことだし宣伝されれば将来的な集客が見込めるからモニターの八重花に安値で部屋を確保したのであった。
一方、悠莉の親は年に数回程度玉楼館を利用する。
そのお得意様の娘である悠莉の願いとあって宿は悠莉たちの部屋も確保したのであった。
「せっかくの旅行です。喧嘩しないようにしましょうね。」
悠莉のお願いだったがその後町を回っているときに再びかち合い射的やゲームでのバトルとなった。
うら若き乙女たちの勝負は観客を呼び、一時的に温泉街の活気が増したのは別の話である。
そしてあっという間に帰りの日が訪れた。
"RGB"は"Innocent Vision"よりも一足早くチェックアウトして電車で壱葉に向かっていた。
帰ったら久々に撫子がヴァルキリーの今後についての会合を開くことになっている。
車窓から外の景色を眺めて微笑みを浮かべる少女、外から見た姿を写真や絵にすればとても決まっていそうな悠莉の後ろでは始終不機嫌な美保と駅弁を食べている良子がいた。
「悠莉、どうして"Innocent Vision"を殺るのを止めたのよ?あんなチャンスそうそうないのに。」
「宿で殺人なんて起こればすぐにバレますよ。ヴァルキリーの活動は現段階では隠さないといけません。」
「もぐもぐ。それだけじゃないんじゃないかな?」
食べながらもしっかり聞いている良子の鋭い目に悠莉は頷いた。
「"Innocent Vision"が目の届くところで戦う姿勢を見せないでいただければ計画の障害になることはありません。下手につついて反抗作戦を裏で練られてしまうなら友好的な態度をとっておいた方が得策というものです。…ヴァルキリーの敵は"Innocent Vision"だけではないのですから。」
悠莉がわずかに遠い目をした。
それはゴールデン・ウィーク前。
悠莉は偶然に路地の陰に紛れるように立つジェムに似て非なる存在を確認していた。
その人型の闇は悠莉に気付かなかったらしく影に溶けるように消えてしまったが叶の話が現実味を帯びた瞬間だった。
「ジュエルが動き始めますよ。」
窓に映る悠莉の左目は朱色の輝きを放っていた。




