第2話 そんなバカな
道の先に立つ人型の闇。
空の向こうから迫る夜の色とは混ざり合わない漆黒の色をした存在は道を塞ぐように佇んでいた。
叶と八重花は身を寄せて小声で話す。
「どうしてジェムがここにいるのかな?魔女はもう倒したのに。」
「倒したのは間違いないわ。でも私たちの目の前に"非日常"の存在が現れたことは事実よ。」
八重花の冷静さを見習うべく叶は深呼吸をする。
叶が落ち着いたのを見計らって八重花が話を進めた。
「選択肢としては2つ。私が戦力にならない以上気付かれないように逃げるか、叶が戦うか…」
「逃げよう、八重花ちゃん。」
即答だった。
強くなったと思っていた認識を改めさせられる行いに八重花が呆れた目を向け、叶が涙目になる。
「叶…」
「だってぇ、オリビンは戦い向きじゃないもん。」
叶は純粋な癒しの加護を持つセイントであり、そのシンボル・オリビンは治癒や蘇生の奇蹟を扱える。
ただし叶の優しい性格を反映しているため魔を絶つ力はあっても戦闘には向かないのである。
「真奈美に応援を頼もうかしら?スピネルは戦闘型よね。」
一方叶の力をジュエルを器として宿すことで聖なる剣となったスピネルはジュエル・アルミナの影響を受けて補助ではなく戦闘特化型だった。
こと戦闘に関して言えば叶より頼りになる。
(尤も、隔絶された現状で外部と連絡が取れるのかわからないけど。)
「でもソルシエールが消えてからスピネルが重くなったって言ってたよ。」
内心の否定要素に加えて真奈美の戦力減退のお知らせ。
義足を刃に持つ真奈美は蹴りがメインとなるため必然的にアクロバティックな動きが要求される。
これまではジュエルの身体能力向上でとんでもない脚力を誇っていたが不具合が出たらしい。
もしくは戦闘から離れたせいで順応性と真奈美の基礎体力が落ちただけか。
「仕方がないわね。興味はあるけど好奇心で猫みたいに死ぬわけにはいかないもの。」
「猫?シュレディンガー?」
「…。」
好奇心は猫をも殺すに思い至らなかったらしいが猫からシュレディンガーを連想するのはいかがなものかと八重花は思う。
尤も悪いのは叶ではなく作倉家の飼い猫にその名前を付けた作倉父だ。
あまり面識はないがちょっと歪んだ人物なんじゃなかろうかと八重花は疑っている。
「まあ、いいから。逃げるわよ。」
「うん。」
2人は看板に隠れるように路地裏に歩み出た。
普段は通らない道ではあるが地元なので少し裏に入ったくらいでは迷わない。
飲み屋などが並ぶ通りにも人の姿はなく夜を告げるカラスの鳴き声もないため町は死んだように静まりかえっていた。
「…これは、普通じゃないわね。」
叶の手を引くようにして歩いていた八重花が小さく舌打ちした。
さっき見た人型の影が見間違いで町のみんなもイベントで出払っていて留守だったなどと間抜けな楽観はしていなかったが相手の狙いはあくまで不特定な誰かであり、自分達は気付かれないまま範囲外に逃げられればいいと願ってはいた。
だが実際は叶と八重花以外の人影が無く、この裏路地にしたって八重花の脳内地図では50メートル程度で次の十字路に到着するはずだった。
それが無限に続いているように見える。
「八重花ちゃん?」
「どうやらイベント戦闘に逃げるコマンドは使えないみたいね。よくよく考えれば結構歩いてるけど一向に空の色が変わってないわ。前にデーモンが使っていた結界のようね。」
「それじゃあ、戦うしかないの?」
叶の表情が曇る。
今、八重花はソルシエールを失っていて戦えるのは叶だけ。
逃げ道を塞がれた以上八重花を守るために戦えるのは叶だけだった。
「シンボルは魔女の力にアドバンテージがある。うまく戦えば勝機はあるはずよ。りくほどじゃないけど私が指示を出すわ。」
八重花も逃げるのではなく一緒に戦ってくれると聞いて叶の表情も少し和らいだ。
「わかったよ。八重花ちゃんを守るために戦うね。」
繋いだ手をもう一度強く握り合って2人は人型の闇が待つ商店街に戻っていった。
人型の闇は初めて見たときと同じように道の中央に佇んでいた。
瞳を閉ざしているのか顔は能面のようにのっぺりしていてどんな感情も読み取れない。
そもそも感情があるのかもわからない。
「どのくらいの距離でエンカウントするかわからないわ。武器を準備して。」
「う、うん。オリビン、お願い。」
叶が祈るように胸の前で両手を握ると手の間から灯火の光が盛れ出し、それが短剣の姿を形作った。
叶が右手にオリビンを握った瞬間、それまで真っ黒だった人型の顔にカッと紅色の目が開いた。
「ヒッ!」
ソルシエールよりも禍々しく赤い紅色に叶が小さく悲鳴をあげた。
(ジェムでも、デーモンでもない?)
ファブレからソルシエールを与えられ、ジェムやデーモンと戦ってきた八重花は目の前の存在がそのどちらとも違う存在のように感じた。
具体的にどこが違うかと聞かれると目の色としか言えないが漠然とした雰囲気に違和感を覚えていた。
「オーッ!」
「喋った!?」
「雄叫びくらいジェムもあげたわ。オリビンはリーチが短いから間合いに気を付けなさい。入り込みすぎると反撃を受けるわ。」
「うん。」
そして叶は構えを取る。
そして、八重花より後ろに下がった。
「やる気あるの?」
「ごめんなさいぃ!グリグリはやめてぇ。」
お仕置きで八重花が叶の頭にウメボシを食らわせる。
涙目になりながらようやく叶は敵の前に立った。
「…。」
しかし実際に敵と対した叶は臆することなく構えを取った。
後がないのが理由の1つだが黒原や久美といった知り合いがデーモン化するという割とヘビーな相手やラスボスである魔女ファブレとの戦いを生き抜いてきたため度胸はついていた。
「オーッ!」
「きゃあ!」
…尤も力の浄化と回復しかしていなかったため戦闘技能は素人だったが。
物凄く隙だらけな大振りの攻撃を叶は悲鳴を上げながら避けるだけで反撃しない。
「違うわ!そこは横に避けて反撃…ああ、それは後ろに下がって。ほら、今、前。ああ…」
八重花の指示は適切だったが叶にそれをこなせるだけの技量がなかった。
「そんなこと言われたって、そんな、色々言われ、ても、無理だよ。」
何だかんだできっちり避けてはいるがドッヂボールでボールから逃げ惑っているようなものだから反撃に転じられるわけもない。
(私に武器があればあんな奴に遅れを取ることはないのに。…ジオード。)
心の中で共に戦った剣を呼ぶが応答はない。
結局指示もうまく行かず、八重花はすべてを叶に任せなければならなくて歯痒い思いを抱いた。
「ふぅ、ふぅ。そろそろ本気出しちゃうよ。」
低レベルな泥仕合を見せられた八重花としてはそれなら最初から出せと言いたいところだったが我慢した。
叶は右手のオリビンをギュッと握りしめると
「たあーっ!」
真っ正面から突撃した。
「…間合いに気を付ける気ないわね。」
もはや怒りを通り越して呆れる八重花の前で腕を振り上げた人型に向かって叶が突っ込んでいく。
このままではオリビンが刺さるよりも早く叶が挽き肉になるのが先だ。
「本当に世話の焼ける。」
八重花は足元に転がっていた小石を掴み、投げつけた。
「アタッ!」
「よし。」
狙い通り、叶の後頭部にぶつけることに成功、これで足が止まれば危機は脱する。
だが展開は思わぬ方向に転がった。
突然頭を小突かれた叶はこれまでの疲れもあって踏ん張れず前に倒れていく。
それに抗おうと手を振った結果オリビンがすっぽ抜けて、攻撃のタイミングを外された人型の闇は知能が低いのか倒れた叶に詰め寄ろうとし、そして
サクッ
オリビンが人型の額に突き刺さった。
「オオオーッ!」
オリビンの光は魔を払う力を持つ。
それを直接体内に差し込まれた人型の闇は断末魔の叫びを上げて消滅していった。
八重花にはそれがこう聞こえたという。
「そんなバカな。」
と。
ペタリと地面に座り込んだ叶に八重花が寄り添うと一瞬の違和感の後、人の活気に溢れた商店街が戻ってきた。
「…終わった?」
「そうみたいね。」
若干人の目を集め始めたので八重花が手を引き上げて叶を立たせる。
「どうやら他の人が消えたんじゃなく私たちが別の空間に飛ばされたようね。」
それは人型の闇が叶たちだと知った上で引き込んだことを暗に示していたが
「他の人たちがなんともなくてよかった。」
叶はそんな思惑には気付く様子もなくただ他人の無事を喜んでいた。
これが慈愛の心を持つ"セイント"、そしてただの恋する女の子の作倉叶だった。
「いっぱい動いたから疲れたし汗かいちゃった。早く帰ってお風呂入りたい。」
ぐったりとしながら帰途に着こうとする叶を八重花が襟首を掴んで止めた。
「ええと、八重花ちゃん?」
疲れているからこそ叶は鋭敏に面倒なことを察知した。
だけど掴まれていて逃げられない。
八重花は左手で叶を捕まえながら右手でメールを打っていた。
「"Innocent Vision"集合せよ。」
そして太宮神社に合流した"Innocent Vision"と半場陸友の会のメンバーは社務所で八重花の報告を聞いた。
「ジェムやデーモンではない新しい魔の者ですか。」
太宮院琴は急遽会議場所として指名されたのにちゃんと全員分の茶菓子を用意して待っていた。
この辺りの未来予知は陸で慣れている面々はそういうものとして受け入れていた。
「琴先輩は何か知りませんか?」
ファブレとの戦いが終わっても叶と琴の関係は良好でちょくちょく遊びに来ている。
気軽に尋ねる叶だが琴は困ったように首を傾げるだけだった。
「近い将来に波乱ありといった内容は見受けられますがそれが此度の怪物と合致するかはなんとも。」
「俺たちのソルシエールが使えないってのに新しい敵が現れるなんてついてないな。」
「あたしのスピネルも調子悪いから前みたいに大群で襲ってこられたら厄介ですね。」
真奈美は今は義足の左足を撫でて力なく笑う。
「そもそもファブレが消えたのにジェムが出てくることがおかしい。」
明夜も今回の襲撃に疑問を抱いているようだった。
ジェム、あるいは別の何かがファブレ以外の誰かによって使役されたのだとしたら新たな敵が出現した可能性が出てくる。
「ヴァルキリーが何か良からぬことを企んでいる可能性もあるがな。」
由良が片膝を立てて座りながら顔をしかめる。
「あれがジュエルだったっていうの?」
八重花は同学年になったことを機に由良への敬語をやめた。
八重花も"Innocent Vision"の仲間になった訳だし何より"ライバル"とは対等であろうという意気込みのためだ。
由良も仲間の間での遠慮を嫌う質なので諍いはなかった。
「お前たちが見たことを疑ってるわけじゃない。ただヴァルキリーの奴らが恒久平和とかいう大層な野望を諦めたとは思えないからな。また良からぬことを企んでるに決まってる。」
もともと由良はヴァルキリーの掲げる理想に懐疑的なので余計に意見がきつくなる。
ファブレとの戦いのときは率先して共闘していたとは思えない毛嫌いっぷりである。
「ヴァルキリー…乙女会ですか。花鳳撫子様が卒業されて今は等々力良子さんが乙女会の会長になられましたね。」
「あれはただの張りぼてだ。実質的には花鳳と繋がりのある海原妹が仕切ってる。ヴァルキリーは何も変わっちゃいないんだ。」
酷い言われようだが周知の事実なので問題ない。
というか外部である由良ですらその情報を簡単に見抜けるのだから誰が見ても良子が張りぼてだとわかるというものである。
琴は何かを考え込むような顔をしていたが叶が目を向けると何でもないと首を横に振った。
「今のところ作倉と真奈美しか戦力がないのは痛いがヴァルキリーやその新しい敵をのさばらしておくわけにもいかない。俺たちも少し調べてみるか。」
「あんパンで張り込み。」
明夜が変な方向にやる気を出しているのを苦笑はするが誰からも反対意見は出ない。
「だが今後も"Innocent Vision"が活動するなら暫定的にリーダーを決めないとな。」
「りくが戻るまで"Innocent Vision"を守る頭は確かに必要ね。」
この件にも全員異論はなく、叶はやっぱり同学年とはいえ歳上でリーダーシップのある由良が適任だと考えていた。
「そういうわけだ。よろしくな、作倉。」
「……………はい?」
叶は何で肩を叩かれたのか理解できず惚けた声を出した。
誰からも文句は上がらず、むしろ分かりきっていたかのように叶を見つめている。
琴が巫女装束の袖で口許を隠しながらクスクスと笑った。
「おめでとうございます、叶さん。」
「ええーーーー!!」
太宮神社に叶の叫びが木霊した。




