第197話 歩み寄り
悠莉たちが襲撃された頃、"Innocent Vision"は太宮神社に集まっていた。
いつもならお茶とお菓子を広げて和気藹々としているところだが今日はお茶だけで場の雰囲気も緊張感に満ちている。
「…」
原因は無言で茶を啜っているヴァルキリーからの使者、羽佐間由良がいるからだ。
第二次オーオーオーに向けた打ち合わせのために勝手知ったる太宮神社の社務所に来たのである。
「…で、なんでこんな雰囲気になってるんだ?」
間が持たなくてお茶を飲み干してしまった由良は琴にお代わりを頼みながら疑問を口にした。
八重花はあからさまにため息をつく。
「自覚しなさい。あなたが打ち合わせの相手として来たってことはもう完全にヴァルキリーの一員ってことでしょう?」
「いや、まだ護衛のはずなんだが。」
「こんな重要な案件をただの護衛に任せるわけがないわ。少なくともヴァルキリーは由良を仲間だと認めてる。そして由良も特に疑問には思わなかったんでしょう?」
由良は頭をかいて視線を逸らすだけで答えなかった。
少なくとも八重花に指摘されるまで自分が重要な役目を受けたという自覚はなかった。
実際、葵衣から頼まれた時もちょっと"Innocent Vision"と打ち合わせしてきて下さいといった感じでお使いを頼む程度のノリだった。
「カナとマナがさっきから黙ってるのは俺がヴァルキリーになったから警戒してるってことか。」
今更ながら元々仲間として戦ってきた相手に避けられるのは堪えるものがある。
泣きはしないが心がやさぐれそうになる。
すると八重花がまたため息をついた。
「この2人がそんなことするわけないでしょう?喋らすと昔と変わらない雰囲気になって話し合いにならなくなるから口チャックさせてるのよ。」
叶と真奈美はコクコクと頷いて口チャックのジェスチャーをした。
なんというか律儀に守っている辺り善人というか八重花に上手く操られている。
「話し合いは基本的に私が対応するわ。他のメンバーは…そうね、埴輪とでも思ってくれれば結構よ。」
「八重花さん、さすがに埴輪は酷いではないですか?」
お茶を淹れてきた琴が由良の前に湯飲みを置きながら弱く非難する。
埴輪2人も強く頭を縦に振っている。
「ならリアルマネキンでもいいわ。とにかくあまり気にしないように。」
「まあ、いいけどな。」
すでに今の"Innocent Vision"に自分の居場所がないと自覚してしまっている由良は特に追求することなく頷いた。
由良が納得したところで八重花はさっそく本題に移る。
「相手のアジトが見つけられない以上誘き出すしかないわ。だから囮を叶と琴にやってもらうわ。」
「随分と豪勢な餌だな。海老で鯛を釣るのか。」
「鯛は食わず嫌いみたいだからよ。私たちは叶たちの後を追跡して遭遇した瞬間に攻撃開始というわけ。」
作戦の大枠を説明して八重花はお茶を口にする。
無言を言い渡された叶と真奈美は黙々とお茶菓子を頬張っている。
というか話そっちのけでお菓子を堪能しているようにしか見えない。
叶は特に重要なポジションにいるのだからもう少し緊張感を持つべきではないかと由良は心配になるがそれだけ仲間を信頼しているとも取れた。
「仕方がないとはいえ博打みたいな作戦だな。それでヴァルキリーはどう動くのがいいんだ?」
もちろんヴァルキリー側からの意向も聞いているがまずは八重花の考えを聞く。
下手に意見を出しすぎて話が纏まらなくなると面倒だからだ。
そして八重花がそこまで考えていないわけがないという信頼もある。
「ヴァルキリーがジュエルを投入するかによっても変わってくるけど、基本的にはこっちと同じで相手が現れるまでは尾行して出てきたら突撃よ。ただし悠莉たちは神峰美保を相手にするそうだから人数の振り分けはそっちに任せるわ。悠莉たちの手伝いは真奈美にやってもらうつもりよ。悠莉からの要望は叶だったけどさすがにオリビアは見逃してくれないでしょう。」
「あまり神峰に構ってると本命であるオリビアの方が手薄になるな。下沢には協力を頼まれたがマナが行くなら俺はオリビアの方に回るか。」
「好きにしなさい。」
オリビアにはカーバンクルがついている。
その力量がどれ程のものか知らないのだから手勢は多いに越したことはない。
「作戦って言っても結局は出たとこ勝負だな。」
「勝率を上げたいなら作戦までに"オミニポテンス"のアジトを見つけてちょうだい。」
無理だとわかっているから八重花は手をヒラヒラ振って丸投げした。
実際にやるとしたらジュエルを使った人海戦術になるのだからある意味問題ない。
それを決めるのが由良ではないだけだ。
「作戦はわかった。後は"Innocent Vision"とヴァルキリーの親密度を上げてくるよう言われたんだが。俺が埴輪相手にやってもな。」
「まあ、そうね。今更由良が私たちの好感度を上げたところで戦局には影響しないでしょうね。それこそやるなら"Innocent Vision"とヴァルキリー合同でバーベキューでもしないと。」
由良も冗談なら八重花も冗談で口にした話。
「あ、それいい。」
だが"Innocent Vision"リーダーがとても楽しげにその言葉を拾った。
「叶、喋ってる喋ってる。」
「あ!」
「真奈美さんもですよ。」
「あ。」
「ふう、もういいわ。」
確信犯というわけではなく本当に気の向くまま口が開いてしまった様子だったので八重花は諦めた。
大事な話の最中にはちゃんと黙っていただけで十分頑張った。
なんだかんだで叶に甘い八重花である。
「それでカナ。なにがいいって?」
微妙に昔に戻ったような感覚と何やら言い知れない不安を抱きながら由良が尋ねる。
会話を許可された叶はにっこりと笑って頷いた。
「バーベキューです。折角一緒に戦うんですから景気付けも兼ねて"Innocent Vision"とヴァルキリーでお食事会をしましょう。」
叶は名案とばかりにニコニコしている。
だが他の人たちは置いてきぼり気味だ。
「この子はまた言うに事欠いて大胆というか無謀なことを。」
普段は叶の意見をフォローする真奈美ですらこの意見だ。
どれだけ無茶を言っているのか知れるというものだ。
「戦争相手と仲良く誕生日会を開くようなものですね。相手の機嫌を損ねたらその場で戦争が始まりそうです。それがパイ投げとかならかわいいものですが…」
叶の味方である琴ですら今回の提案は叶の身を案じるからこそ乗り気ではなかった。
賛同者が得られず見る間に叶の笑顔が萎れていく。
「うう、ダメかな?」
まだ意見を言っていない八重花と由良に尋ねる。
八重花は難しい顔をして腕を組んでいた。
由良も似たような感じではある。
「確かに親密度を上げるにはそれくらいやらないといけないよな。ヴァルキリーのメンバー的には…ん?意外と乗ってきそうな奴が多いのか?」
悠莉は間違いなく乗ってくる。
良子もどちらかといえば楽しそうだと乗り気になるだろう。
紗香は文句を言うだろうがお姉様2人が参加したら同席しないわけがない。
海原姉妹は琴と同じ理由で反対するだろうが、これまた叶と同じように撫子自身が和睦を進めるために参加したがるだろう。
提案すればヴァルキリーメンバーは全員参加になりそうだった。
「徹底抗戦派の神峰美保がいなくなったものね。琴の揶揄した話には注意しないといけないけど、面白いんじゃないかしら?」
意外や意外、一番反対するかと思われた八重花が乗り気だった。
「八重花、本気?」
「対話にはバーベキューみたいに和気藹々とした場はうってつけよ。とりあえず"オミニポテンス"をどうにかするまではズルズルと今回の共闘関係を引っ張っていくことになるだろうし早めに親睦を深めておくのも悪くないわ。」
心配そうな真奈美に八重花は頷いてみせる。
ヴァルキリーも"Innocent Vision"が唯一戦わずにどうにかなる相手と考えているように、八重花も同じように考えていた。
リーダーと参謀が認めたとなれば"Innocent Vision"の意見はまとまったようなものだった。
「まだ本当にやるかはわからないがヴァルキリーの方に話を通していいんだな?」
「その辺りは由良に任せるわ。無駄だと思うならそういう面白い冗談で盛り上がった、くらいにしておきなさい。」
八重花も実現する確信があるわけではなさそうで曖昧に笑っていた。
「了解した。それじゃあ、またな。」
「気をつけて帰ってくださいね、由良お姉ちゃん。」
由良は話が終わると適当に手を振りながら社務所を出た。
暖かな場所から急に出て身を震わせるが表情は笑っていた。
「さて、どうなるかな?」
「ハッ、ハッ、ハッ…」
紗香は1人ランニングしていた。
先日カーバンクルと直接やりあってその力を知ったので少しでも強くなるためのトレーニングだ。
良子は全力マルスハンマーが祟って体の不調を感じたらしく医者に行っている。
子供みたいに病院を拒んで駄々をこねて元気そうだったので逆に心配はしていない。
「ハッ、ハッ、ハッ…ふぅ。」
もはや定番コースとなった壱葉高校から河川敷までのランニング。
その河川敷で軽く休憩を取るのも定番になってきた。
タオルで汗を拭ってベンチに腰掛ける。
「ふぅ。今の時期は寒いから体が温まっていいですけど夏にやったら地獄ですね。」
肌を撫でる冷たい風を気持ちよく浴びながら呟いた紗香は空を見上げたまま表情を曇らせた。
(今の戦いはいつまで続くんでしょうか?)
ヴァルキリーの理想を実現させるためには一生をかけるほどの時間が必要となるだろう。
だが今のヴァルキリー、"Innocent Vision"、"Akashic Vision"、そして"オミニポテンス"の戦いはそう遠くない未来に終結すると紗香は思っている。
どの組織が淘汰され、どの理想が前に進むのかまではわからないが。
その時に自分が生きていられるかも。
「…わたしらしくもないですね。いつもみたいに難しいことは考えずに望む未来に突っ込んでいけばいいんです。結果は後からしか付いてこないんですから。」
その考えは間違っていない。
だが同時に紗香は知ってしまった。
結果を先に知ることが出来る存在を。
「Innocent Vision…未来を知るというのはどんな感覚なんでしょう?」
普通の人ならば未来を知ることができるとなれば血眼になって求めるだろう。
それが自分の望む未来が見られる力を得られるとなればどんな代償を差し出してでも手に入れたいと願うだろう。
しかしそれを羨ましいとは紗香は思わなかった。
むしろ疎ましくすら思えた。
「わたしはやっぱり自分の力で進むことしかできません。どんな敵が相手でも…それこそ運命とかが相手でも。」
紗香は自分の手を見つめる。
今は現していないがそこにトパジオスという強大な力がある。
グラマリーという超常の力を扱うソルシエール。
その力を持ってしてもこれから立ち向かう強大な敵、そして運命を打ち破れるかはわからない。
ならば魔剣を手にしただけのジュエルにはやはりこれから先の戦いは荷が重すぎる。
むざむざ死地に赴かせるだけだ。
紗香はフッと哀しげに微笑んで拳を握った。
「オーオーオーのためにジュエルを1人選んで徹底的に鍛える、ですか。わたしには選べませんよ。」
それはこれから起こるであろう壮絶な命のやり取りが普通となる死と隣り合わせの戦場への片道切符だ。
そんな重大な、選んだ相手の人生を狂わせてしまうほどの選択をするのは紗香には重すぎた。
ソルシエールなんてものを手にしたが精神はまだ高校1年生の未熟な少女なのだ。
人一人の人生を背負うには若すぎる。
だから紗香は誰も選ばず、誰も率いない。
立ち塞がる敵は全て自分の力で倒すと決めた。
ズイッ
「!?」
その紗香の目の前にスポーツドリンクが突き出された。
驚いて顔をあげると目の前にはランニングウェアを着た美由紀が顔を背けながらドリンクを差し出していた。
「…せっかく買ったんだから受け取りなさいよ。」
「あ、そうですね。ありがとうございます。」
紗香がドリンクを受け取ると美由紀はフンと鼻を鳴らしてドカッと紗香の隣に座った。
美由紀も走っていたらしくドリンクのキャップを開けると呷るように飲んだ。
だが紗香は受け取ったドリンクをジッと見つめるだけで飲まない。
それを美由紀はチラチラと横目で気にしていた。
「…もう、わたしに会いに来るとは思いませんでした。」
最後の別れ方を思えば当然だ。
だから響ならともかく美由紀がここにいるのは不思議だった。
「どうしてここにいるんですか?」
紗香が視線を向けると美由紀は顔を赤くしてそっぽを向いた。
「そりゃ、あん時は悔しかったしあんたには失望したわよ。実際、紬とか夏希はジュエルクラブに帰ったしね。」
「それが普通です。」
実際紗香はジュエルを鍛える必要がないと言ったのだ。
つまりは育成放棄。
強くなりたいなら何もしない紗香のところよりもジュエルクラブに戻った方が効果的だろう。
「普通じゃなくて悪かったわね。それにあたしだってあっちに戻ったわよ。…でも、何だか訓練が物足りなかった。しっくり来なかったのよ。」
美由紀はどこか遠くを、自分の内を見詰めながら語る。
「厳しくされて喜ぶ奇特な人種ですか?」
「人を勝手に変な性癖にするな!」
美由紀は怒鳴るが目が合うとすぐに紗香から視線を外してしまう。
「あんたは口が悪くて下の人間のことなんか全然考えないで上ばっかり見てる嫌な奴よ。」
「そうですね。」
まさにその通りだと紗香は自嘲気味に肯定した。
ガッ
次の瞬間、紗香は美由紀に胸ぐらを掴まれた。
「認めないでよ!…でも、でも!どんなに周りから疎まれても自分の信念を貫く強さ、そんなのがかっこよくて…あんたはあたしの憧れなんだからね!自分を卑下しないでよ。」
紗香はキョトンとしてしまいじっと美由紀を見つめた。
美由紀が見る間に真っ赤になっていき
「い、いい、今の無し!忘れなさいよ!」
手を離してバッと背を向けた。
後ろから見ても耳まで真っ赤だ。
だから美由紀の言葉が本心だったことが紗香にも伝わった。
「…美由紀は変わり者ですね。」
「あ、名前…」
振り返った美由紀が見たのは微笑みを浮かべる紗香の顔だった。
美由紀は赤くなりながらも目を離せない。
紗香はドリンクの口を開けると美由紀と同じように呷った。
乙女会の淑女としては問題あるが今この場には似合っている。
「美由紀。少し、お話ししましょうか。」