第196話 エンカウント
「ふぅ。勝手に始めたみたいね。まあいいわ。こっちもやるわよ、経験値稼ぎ。」
美保は難なく閉じる前のコランダムから抜け出し、魔剣ヘリオトロープの刀身を撫でながらゆっくりと悠莉に近づいていく。
悠莉は逆にゆっくりと後退っていく。
「これはテレビゲームのエンカウントというものですか。ならば残念ですがここでゲームオーバーですね。」
「逃げようとしてる割には強気ね?」
美保が一歩前に出る度に悠莉が一歩下がる。
構えてはいるものの攻撃を仕掛けてこようとしないのは確かに逃げる隙を待っているようだ。
「逃げる、ですか?美保さんこそ逃げた方がいいんじゃないですか?」
「なんでうちが逃げる必要があるのよ?これからずっと勝ち進んでいくっていうのに。」
悠莉の言葉に美保が顔を歪めてザリッと地面を強く踏みしめる。
「残念ですが、その道は早速行き止まりになりそうですね。」
悠莉がにっこりと笑い、サフェイロスが輝きを放つ。
すると美保の足元が、正確には地面に散ったガラスのような破片がサフェイロスと同じ青い輝きを放っていた。
「これは、コランダム!?」
「コランダムが一枚壁である必要がないことは知っていましたよね?同時にその破片が壁を砕いて作る必要はないと言うことです。グラマリー・ポリクリスタル。」
無数の微細な青い結晶が浮かび上がり美保を取り囲んでいく。
「くうっ、やってくれるわね!レイズハート!」
美保は顔を歪めるとヘリオトロープから黒い光刃を生み出して全周に放った。
だがどんなに小さくても一つ一つがコランダム。
無数に浮かぶ結晶は頑丈であり、砕けてもその数を増やすだけで消滅しない。
「何度も美保さんを守ってきたコランダムの強度はよくわかっていますよね?」
「よくわかってるわよ!」
周囲の結晶が徐々にぶつかりながら大きくなっていく。
普段のコランダムのように透明ではなく濁った乱反射の輝きを持つ不格好な障壁が美保を囲む檻となっていく。
「こういう大技はもうちょっと戦ってから出すもんじゃないの!?」
「嫌ですよ、美保さんと戦うなんて面倒ですから。」
美保の文句にも悠莉は取り合う様子もなく包囲は着実に進んでいく。
「うちをなめるんじゃないわ…!」
美保が最後に叫んだ声も完全に閉じられた世界から外へは届かない。
白く濁った青い宝石の内側は見えない。
その中に美保が封じられた。
「さて、こちらは完了ですね。」
悠莉は一仕事終えた感じで額を拭う仕草をして一つ息をついた。
「あれー、ミホもうやられちゃったの?」
スペッサは何合か良子と全力で切り結んでは鍔迫り合いをしていたが一度距離を取ったところで美保の異変に気づいた。
「相変わらず悠莉はえげつないね。美保が心配かな?」
良子は発生したコランダムを見て苦笑を浮かべながらスペッサに尋ねた。
だがスペッサは動揺した素振りは一切見せずすぐに斬りかかってきた。
「心配?別にミホがやられてもご飯が一つ無くなるだけだよ?」
「なるほど、君たちにとって美保はご飯なのか。」
良子は攻撃を受け止めながら聞いた答えに妙に納得してしまった。
飼っていたペットが居なくなれば悲しいかもしれないが、冷蔵庫の肉が無くなっても悲しくはない。
まあ、楽しみにしていればそれなりに悲しむだろうがそれは"残念"という別の感情だ。
つまりカーバンクルは人間を、他者を"物"としか見ていない。
「君たちは人間によく似てるけどやっぱり人とは違うんだな。」
良子がゆっくりと膝を曲げて腰を落としていく。
ラトナラジュを引き、爆発の時を待っている。
スペッサはそれを警戒しつつも良子の言動に首を傾げていた。
「違うのは当たり前だよ。それがどうしたの?」
カーバンクルは人とは違う。
だから気付かない。
人としての機微を知らないから良子の放つ気配が変わったことを。
「つまり、"人"を相手にするような気を使う必要がないってことだよ!」
爆発。
良子の踏み切りはアスファルトの地面を踏み砕いて爆破されたようになった。
一足がトップスピードへと至る良子は赤い光となってスペッサに迫る。
もはや風すら超えて人では見ることもできない速さで跳ぶ良子にスペッサは驚異的な反応速度でスペッサルティンを盾のように構えた。
ガイィン!
鉄筋がぶつかり合ったような音が鳴る。
「速くなったけどその程度で…!?」
攻撃を防いだ刃の陰から良子を見たスペッサは驚愕に目を見開いた。
魔剣スペッサルティンに激突したのは真紅の鉾槍ではなく、良子の飛び蹴りだった。
良子は垂直に立てられた魔剣を足場として膝を曲げて衝撃を殺す。
グンッ
「くっ!」
否、それは衝撃を吸収する自衛行動ではなく、次なる一手への踏み込みだ。
スペッサルティンを蹴り落とすように踏み切った良子は高く飛び上がると両手でラトナラジュの柄の端を強く握りしめた。
「はあああああ!」
刀身に真紅の輝きが幾重にも折り重なり空間が歪んですら見える。
自由落下を始めた良子はラトナラジュを振りかぶり地面を見る。
目標はただ一つ、スペッサルティンのカーバンクル。
それを人とは認識しない。
赤い隕石と化した良子が全力でラトナラジュを振り下ろす。
それは全ての力を一方向に叩き込む良子の完全全力。
「マルスッ、ハンマーッ!!」
「橙刀一断ッ!」
魔剣を蹴り落とされたスペッサだったがギリギリのタイミングでグラマリーを発動させて迎え撃つ。
橙色の輝きが赤い光を切り裂かんと振り上げられる。
「オオオオオオオ!!」
「たああああああ!!」
赤と橙、2つの光が激突し、
ドガーン
直下型地震のような震動が結界内を揺るがした。
「うわわわ、良子お姉様、さすがにやりすぎです。」
「ソーサリスにこれほどの力があるとは、想像以上だ。」
打ち合っていた紗香とアルマは良子の起こした破壊に思わず手を止めていた。
各々感想を口にする中で紗香は首をかしげた。
「仲間があんなことになったのに心配じゃないんですか?」
「我らカーバンクルは仲間という概念を知らない。並べられた剣が一本失われたとしても他の剣が敵を貫き主に勝利をもたらせばよい。」
魔剣として、道具としてアルマの意見は告げられる。
造られたからには意味がある。
カーバンクルたちは正しくその存在意義を全うするために仮初めの生を生きている。
「わからなくはないですけど、哀しいですね。」
紗香は帯電させたトパジオスを構えながら目を細めた。
アルマは魔剣を見つめる。
刀身に映る目には怒りも悲しみもない。
「哀しい?それもまた必要ない。」
「…なら言い換えます。悪趣味ですね。人の形を作っておきながら中身を入れないなんて。」
一方の紗香は憤りを見せていた。
人の形をしたものを倒すことに躊躇いを見せる相手の油断を誘うためだと考え、それを平然と行う魔女への怒りを抱いた。
紗香ならどんな姿であっても敵ならば斬り伏せると割りきれるが、戦いに参加するジュエルたちには強さも含めて荷が重い。
紗香も響や美由紀たちと関わるうちに他者を気遣うようになっていた。
バチッ
紗香の感情に呼応して電光が弾ける。
それは今にもアルマに噛みつこうと唸る獣のようだ。
「どちらにしろあなたを排除することに代わりはありません。」
「主の宿願を果たすためにはまだ砕かれるわけにはいかない。」
アルマも魔剣を担ぐように構えを取る。
刀身から赤い光がユラユラと立ち上ぼり、やがて炎のように猛りだした。
「赤剣一閃…」
黄色い電光と赤い光がぶつかり合って火花を散らす。
紗香は全てを貫く一点集中の突きの構え、アルマは全てを切り裂く攻撃一辺倒の構え。
それらが今
「グラマリー・一穿!」
「クリムゾンスラッシュ!」
激突した。
悠莉は不透明な青い宝石の前に立ちながら2人の戦いを見ていた。
「ソルシエールを持つ魔剣使いと同等ですか。」
カーバンクルの力をその目に納めた悠莉は内心驚いていた。
まだ不完全な状態でソーサリスと互角に戦えるカーバンクル。
そしてそれが作られた存在だということ。
「ホムンクルスとかそういう錬金術的なものなのでしょうか?」
材質が何であれヴァルキリーの前に強敵として立ちはだかるのは間違いない。
悠莉は"オミニポテンス"への警戒のレベルを上げることにした。
そして、それを決めた理由は他にもある。
「まったくオリビアの最高傑作とか言う割には大したことないわね、カーバンクルも。」
ガキン
突然背後から聞こえてきた声、そして背中めがけて繰り出された攻撃を悠莉は慌てた様子もなくコランダムで防いだ。
声の主…美保は舌打ちして悠莉を睨む。
「何よ、驚いてないみたいね?」
悠莉がポリクリスタルを解除すると中には誰もいなかった。
「忘れているみたいですがコランダムに取り込めば内部は手に取るようにわかるんですよ。」
最近は専ら障壁として用いられているが本来のコランダムは内部に閉じ込めた相手を心理的に追い詰めるためのグラマリーだ。
内部を操作したり様子を確認できて当然である。
「ですから美保さんが封鎖する直前に来るときにも使っていた黒い闇で出たのには気づいていましたよ。」
「ちっ、つまらないわね。」
美保はあっさりとヘリオトロープを引いて後ろに下がった。
悠莉は振り返って美保と対峙する。
完全に美保の奇襲を見破ったと言うのに悠莉の表情は険しい。
「その瞬間移動がどういう原理なのかは知りませんが、随分と"化け物"らしい力ですね。」
明らかにスマラグドから派生した能力ではない。
魔女の力なのかヘリオトロープの能力なのか、ともかく自由に使えるなら厄介すぎる代物だった。
「これがうちの新しい力…ならよかったんだけど。安心するがいいわ。これは魔女からの借り物よ。」
美保は不機嫌そうにあっさりと手の内を明かした。
相変わらず駆け引きが苦手のようだと考える悠莉に美保はニヤリと笑って見せる。
「いずれ魔女の力を手に入れたらこれくらい簡単に出来るようになるはずよ。だから、その経験値を稼がせなさい!」
ヘリオトロープから黒の光刃が噴き出して飛び回る。
「レイズハート、行くのよ!」
「本当に厄介な。コランダム。」
悠莉は面倒そうにコランダムを展開して光刃の攻撃を防ぐ。
「はははは!相変わらず亀みたいに首を引っ込めてばっかりね!」
コランダムの殻に閉じ籠っていると言えばまさに亀である。
しかし、亀は意外と凶暴だったりする。
「あ、等々力先輩と紗香さんが…」
「加勢に来るっての?でもうちのディスハートならどんな攻撃だって!」
悠莉の指差す方向に律儀に視線を向ける美保。
そしてその先には確かに良子と紗香がいた。
いたのだが
「イタタ、やり過ぎた。」
「まったくですよ。ほら、急いでください、追ってきますよ?」
2人で支え合いながら悠莉と合流しようとしているところだった。
どう見ても美保に攻撃しようとしているようには見えない。
「何よ?全然攻撃なんて…」
「私は一言も攻撃してくるなんて言っていませんよ。」
悠莉が傷ついている2人が狙われる可能性すらも無視して口にしたのは美保の意識を逸らすため。
本質的にレイズハートは術者が制御しなければならないグラマリーだ。
つまり視線を後ろに向けた直後、レイズハートは制御を失ってランダムに飛んだ。
同時に悠莉はコランダムを解除していた。
「この一瞬のための時間を作りたかっただけです。グラマリー・コランダムウォール!」
地面に突き立てたサフェイロスの文字が青く輝き、地面から3枚の巨大な障壁が美保を取り囲むように競り上がっていた。
聳える絶壁に美保の表情が驚愕に染まる。
「また!?あれはそう何度も使えないってのに!」
「それは良いことを聞きました。このままおとなしく捕まって貰えば悪いようにはしませんよ?」
ここでコランダムに封じてしまえばオーオーオーを待たずして美保の救出は完了となる。
後はじっくり洗脳…改心させていけばよい。
「お断りよ!ヘリオトロープ!」
美保が魔剣を振り上げるとレイズハートが飛び出し、その光が刀身に集まって黒光の刃となった。
「!!」
さらに上空から膨れ上がる気配に視線を向けるとアルマとスペッサが魔剣に光を纏って振り下ろさんとしていた。
「赤剣一閃…」
「橙刀一断…」
黒、赤、橙の輝きが膨れ上がり
バキーン
ガラスの砕けるような音が響き渡った。
パラパラと降ってくるコランダムの破片の中、両勢力の3人は戦いの始まりのときのように向かい合って立っていた。
違うのは表情。
どちらの顔にも笑みはない。
美保は舌打ちすると転移してきた闇を出現させた。
「予想外に厄介だったわね。今回は逃げるボタンを押すわ。」
「逃がしませんよ、神峰先輩!」
紗香が逃がすまいと飛び出して襲い掛かるが
「ディスハート。」
紗香の槍は黒い光刃によってあっさりと阻まれてしまった。
「焦らなくてもまた相手してあげるわよ。うちの成長の踏み台としてね。はっはっは!」
美保は高笑いしながらカーバンクルたちとともに闇に消えていった。
結界が消えていき、残されたのは呆然とする悠莉たちだけだった。
「美保さん、そしてカーバンクルの力。これは想像以上に面倒そうですね。」