第192話 それぞれの悩み
八重花と悠莉は第二次オーオーオーおよび神峰美保鎮圧作戦における打ち合わせをするために下沢家に向かっていた。
「フフッ。」
「どうでも良いことだけど妙に上機嫌ね。そんなに鉄壁使用人を凹ませたのが嬉しかったのかしら?」
並んで歩く姿は端から見れば談笑している友人同士に見えなくもない。
だが話の内容は色々と歪んでいた。
「まあ、酷いですね。私がそんな女に見えます?」
「…自分の胸に尋問して聞きなさい。」
「フフッ。冗談です。ですが酷いは撤回しませんよ?こうして八重花さんをお招きするのが楽しみな私の微笑みを邪推したんですから。」
わずかに頬を膨らませて上目遣いで睨む悠莉の姿は女である八重花から見てもとても可愛らしい仕草だった。
それを狙わずにやっているのだから始末に負えない。
「それは悪かったわね。お詫びに大人しく招かれてあげるわ。」
とてつもなく上から目線の八重花の言葉を聞いても悠莉の微笑みは微塵も揺らがない。
「はい。フフッ。こうしてお友達を我が家にお招きするのは久し振りです。」
「神峰美保は来ないの?」
「私の友人にそんな名前の方はいませんよ?」
冗談にしてはちょっと酷い言いぐさだが八重花は肩を竦めただけだった。
これが悠莉と美保の付き合い方なのだろうから横槍を入れる気はない。
「途中でケーキを買っていきましょうね。」
「本当に浮かれてるわね。」
並んで歩く姿はやはり仲の良い友人同士に見えた。
その頃、叶と真奈美は建川に出向いていた。
「ごめんね、久美ちゃん、真奈美ちゃん。お買い物に付き合わせちゃって。」
「別に謝ることないよ。」
「にゃはは、気にしない。」
母の誕生日の品を買いに建川に向かおうと帰り支度をしていた叶に声をかけた真奈美と久美が興味を示してくっついてきただけなので叶は全く悪くない。
それでも謝ってしまう叶を親友たちは優しく諭していた。
「でも折角なら八重花と裕子も誘えばよかったかな?」
最近はあまり5人でいる機会がないので真奈美は口にしたが久美も叶もあまり色好い反応はなかった。
別に2人を呼ぶのが嫌だという意味ではない。
それぞれの事情を鑑みた心遣い故のことだ。
「にゃは、今日も裕ちんは乙女の顔してすぐに帰っちゃったよ。」
「八重花ちゃんも、その、色々と忙しそうだしね?」
裕子が乙女の顔で帰って何をするのか、年頃の女子なので当然興味はあったりする。
叶の方は久美がいるのでぼかしているが確かに八重花は第二次オーオーオーの調整に暗躍して忙しい。
それを知る真奈美は深くは突っ込まず久美に話を向けた。
「あたしたちもそうだし、裕子も最近は芳賀と一緒の機会が増えてるみたいだけど、久美は寂しいのを隠したりしてないよね?そういうところで気を使って我慢したりするのは無しだよ?」
"Innocent Vision"と関わるようになってから間違いなく久美との時間は減っている。
だから以前の家庭教師の件のように気付いたときには久美が悲しんでいる状況になっていないか心配していた。
さすがにソルシエールともジュエルとも関係ない久美を"Innocent Vision"に誘うわけにはいかないため叶は悲しげな目で久美の答えを待つことしかできない。
久美は叶と真奈美の顔を見て笑顔になった。
「にゃはは、だいじょぶだよ。今日みたいに遊べるし裕ちんたちともよく一緒に出掛けるもん。」
久美の様子に隠している様子はなく叶はホッと胸を撫で下ろす。
だが真奈美は怪訝な顔をしていた。
「今、裕子たちって言ったけど、もしかして裕子と芳賀と3人で出掛けてる?」
「!!」
真奈美の質問に叶も目を見開いて驚きを見せた。
それはつまり日に日にバカップルへの道に歩み出している裕子と芳賀と一緒に行動し、その甘々な空間の中にいるということになる。
排他的恋人空間、ラブフィールドは他者に絶大な居心地の悪さを与える恋人限定の魔法のようなもの。
その中に入り込める者などいはしないはずだ。
「にゃはは、うん。よく一緒にお出掛けするよ。」
だが久美は笑いながらあっさりと肯定した。
「も、もも、もしかして久美ちゃんも芳賀くんと…」
叶が顔を真っ赤にしながら尋ねる。
3人で出掛けている構図は端から見れば芳賀が両手に花の状態。
叶の想像は尤もと言える。
「そんなんじゃないよー。3人で出掛ける時は裕ちんと並んで歩いてるし。」
久美は照れもせずあっさりと否定。
少なくとも誤魔化したりしている様子はない。
「ふむ。そうなると芳賀はあたしの予想以上に男気に溢れた男ということかな?」
学内でまでバカップルっぷりを見せ始めているのだから当然2人きりになりたいはず。
それを裕子の友情のためにと久美を誘っているのなら大した献身だ。
「にゃー、確かに芳賀っちはいいやつだよー。惚れないけどね。」
笑顔でズバリと言い切る久美。
この分だと本人にも間違いなく同じ調子で言っている。
それを聞いて芳賀が落ち込んだのか喜んだのかは知らないが。
「それがわかるから逆に裕子ちゃんも気兼ねなく誘えるのかもね。」
「それは言えてるかも。」
「にゃはは。そんなことよりお買い物しよ。」
久し振りの叶たちとの買い物にはしゃいで駆け出す久美。
叶たちは顔を見合わせて苦笑を浮かべると久美を追いかけた。
由良はブラブラと校内を歩いていた。
今日は何となくヴァルハラに行く気分ではなかったためにサボり。
護衛なのに完全にすっぽかすのは良心の呵責を感じたので妥協して校内を見回っていた。
校内パトロールをしてもそもそも"Innocent Vision"の面々はとっくに学外に出てしまっているし、美保も"オミニポテンス"に寝返って以来登校してきていないためヴァルキリーにとっては壱葉高校は平和そのものだ。
不良っぽい生徒に声をかけられた気がしたが気がついたら静かになっていた。
後ろを振り返らなかったので条件反射的に殴って倒した男たちがいることに気づいていなかっただけだが。
「くそ、蘭のやつ。」
由良が気付かなかったのはブラブラ歩きながら考え事をしていたからだった。
現とも幻ともわからない蘭との邂逅とその時に告げられた忠告。
由良は制服の胸ポケットに納めていた黒い宝石を取り出して手のひらに乗せた。
日の光に照らされて手のひらの上に虹が差す。
「拾い物ってのは間違いなくこいつだよな?」
これは時坂飛鳥の形見であるソルシエール・モーリオンの魔石である。
飛鳥との死闘の結果、息も絶え絶えになった由良の手元に転がっていたことや飛鳥の過去に親近感による強い同情を抱いたことから形見として拾ってしまったものだ。
「…。」
飛鳥のことを思い出して由良の表情が沈む。
敵同士で本気で殺し合うしかない間柄だったが、もしかしたら由良の辿ったかもしれない未来の可能性だっただけに憎みきれずにいた。
当然誰にも話すわけにもいかず飛鳥の過去もモーリオンのことも黙ったままだ。
「忠告してきたってことはそれだけ危険なソルシエールってことか?蘭が無意味な忠告をしてくるとは………」
思えないと言い切れないのは蘭の言動が大概面白そうな方に片寄っているからだ。
今回の件も引っ掻き回しているだけである可能性も否めない。
それでも由良は無視するつもりはなかった。
「確かにモーリオンのグラマリーは危険そうだったな。まあ、俺の戦い方とは合いそうにないから使う気はないが。」
その発言は能力さえ合っていれば利用するように聞こえる。
だが明夜が美保に忠告したデュアルソルシエールの危険性を聞いていないのだから仕方がない。
本来なら蘭が演出に拘らずちゃんと説明するところだったのだが、由良が無駄に男前な告白をしたのも原因なので蘭ばかり悪くは言えない。
そういうわけで相性の問題で救われた由良はモーリオンを胸ポケットに戻してブラブラと意味のない校内パトロールを続けた。
八重花はシンプルな造りながら高級感を感じさせるテーブルについて大人しく座っている。
正面には笑顔の悠莉がいて、キッチンの方からは悠莉の母がティーセットとケーキを乗せたトレイを手にやって来た。
「突然のことだったから大したおもてなしもできないでごめんなさいね。」
「お構い無く。突然お訪ねしてしまって申し訳ありません。」
「あら、いいのよ。こんな礼儀正しい子が悠莉のお友だちにいらっしゃったのね。」
以前もお邪魔したがその時は外出していたので初顔合わせだ。
悠莉の母は上品に微笑んでいる。
悠莉の笑みの裏側を無視すればその顔はそっくりだった。
「あとのおもてなしは私がしますからお母様は退場です。ここからは乙女同士の秘密の会話ですよ。」
「まあ、ひどい。それでは東條さん、ごゆっくりしていってくださいね。」
「ありがとうございます。」
悠莉の母はドアのところで会釈をするとリビングから出ていった。
「悠莉とは違って裏の無さそうな笑顔を浮かべるお母さんね。」
「ふふ、そうですね。基本的には善人だと思いますよ。ベッドの上では淫婦のようですが。」
「自分の母親を淫婦って…まあ、いいわ。」
なんでそんな事を知ってるのかとか突っ込んでいるといつまで経っても終わらないので流すことにした。
「残念です。ここから私たちの性癖について赤裸々な乙女談義に発展すると期待していたんですが。」
「誰がそんな猥談をしに来たのよ?」
「うう、八重花さんがいけずです。」
悠莉の泣き真似をスルーして八重花はケーキをフォークで切り、口に放り込んだ。
「それで、何から話す?」
「ですから乙女談義…」
ガタッ
「ではなく"オミニポテンス"への攻撃への段取りです!」
そろそろ八重花が本気で帰りそうだったのでキリッと表情を引き締めて悠莉は本題に戻った。
八重花はため息をつきながら腰を下ろす。
「第二次オーオーオー計画。正式名称オー抹消作戦。その作戦において"Innocent Vision"とヴァルキリーは共闘ではなく互いに利用し合うというスタンスで間違いないわね?」
「オーオーオーですか。ふふっ、また面白い名前を考えますね。」
悠莉は感心しつつケーキと紅茶に舌鼓を打つ。
「私個人としては共闘の方が良いですがジュエルの反発が予想されます。それならば建前だけでも利用しているとした方が無用な混乱を招かずに済みそうですね。」
ふざけているようで要点にはほとんど悩む素振りも見せず返答する悠莉。
八重花は紅茶を口にしながら頷く。
「こちらとしても隙を見てヴァルキリーを襲撃できるからその方がいいわ。」
悠莉が若干頬をひきつらせて目で冗談ですよねと尋ねるが八重花は目をケーキに逸らして答えない。
そもそも"Innocent Vision"は対話の為の組織だと公言しているのだから襲撃というのは冗談だと思いたいが、同時に話を聞かせるためには武力行使も辞さないみたいなことも言っているので安心も出来ない。
「利用し合う立場である以上仕方がありませんがせめて美保さんとの決着がつくまでは協力していただきたいですね。」
悠莉は手を祈るように組んで真剣な表情を八重花に向けた。
八重花はもぐとケーキを口に入れてモグモグと食べながら悠莉を見ている。
その表情は悠莉の真意を図ろうとしているようだった。
「あそこまで分かりやすく裏切った相手を助けようとするなんて"Innocent Vision"に毒されてきたんじゃない?」
「ご自分で言いますか?…そうかもしれませんね。少なくとも半場さんと出会う前の私なら、きっと美保さんをどんな凄惨な姿で殺そうかと笑っていたでしょう。」
悠莉は変わらず笑みを浮かべているがその表情は自嘲するものだ。
本人が自らの異常性を理解している以上、変わったという言葉に信憑性がある。
「被害を極力減らすのは"Innocent Vision"としても望むところだから協力はするわ。でもこっちは人手不足だしオーオーオーが本命である以上、過度の期待はしないのよ?」
「わかっています。ちょっとだけ聖なる力をお貸しいただければそれで。」
八重花は図々しいわねと呟きながら紅茶を傾けた。
文句は言ったが肯定もしていなければ否定もしていない。
八重花のカップの中身が空になったのを確認した悠莉は立ち上がって新しい紅茶を注いだ。
「ふふっ、やはり半場さんや八重花さんとお茶をするのは楽しいですね。こうした何気ない会話がとてもスリリングで胸が踊ります。」
一通りの交渉を終えて悠莉は満足げに微笑んだ。
何しろ"Innocent Vision"の協力が少しでも得られれば美保を打倒する難易度が一気に易しくなるからだ。
もう勝ったも同然と満足していた悠莉は八重花が俯いていることにようやく気がついた。
「どうしました、八重花さん?」
「悠莉…いつりくとお茶なんてしたのかしら?」
その声は地獄の底から響くように低かった。
「そ、それは前に…」
「1年前ではりくと悠莉がそういう場を設ける機会はなかったはずよね?そうなると最近ということになり、それはつまり"Akashic Vision"としてりくが活動を始めてから。」
悠莉のその場しのぎの言い訳を即座に否定しさらにこれまでの状況を考慮に入れた推察をすぐさま展開する八重花。
こういう時ばかりは頭の回転が速い八重花が恨めしい。
悠莉が返答に困っている間に八重花は携帯を取り出すと
「今日は友達のところにいるから遅くなる。」
家族に連絡してさっさと切った。
これが普段なら
「八重花さんのお友達だなんて光栄ですね。」
と笑うところだが今は笑顔が引きつっている。
普段見たこともないような笑顔の八重花に悠莉はたじろぐ。
悠莉は本能的に後ずさるが八重花は退路の無い壁際にゆっくりと追い詰めていく。
「さあ、時間はたっぷりあるからゆっくり話してもらいましょうか?」
「い、いやー!」
悠莉にしては珍しく本気の悲鳴を上げた。
「あらあら、楽しそうね。」
そして悠莉の母は娘の張り裂けんばかりの悲鳴を聞いても楽しげに笑っているだけだった。