第19話 彼女を呼んだモノ
電車がホームに停車した。
最後にガタンと大きく揺れてふらついた叶は
「おっと。」
ポヨンという効果音が聞こえそうな感じに由良の胸に受け止められた。
何となく空しい気持ちになりながら礼を言って荷物を手に電車を降りた。
固いコンクリートのホームに踏み出した一行はそこから見える景色を見て思った。
「「…何もない。」」
思わず口に出てしまうくらいホームから見える景色は何もなかった。
あるのは海と木々の山と畑と点在する家。
もう少し海の方に行けば家も増えているが都会や壱葉とは比べるべくもなく何もなかった。
八重花は鞄からミニノートタイプのパソコンを取り出して起動させる。
「…無線LANがこんなところにあるわけないわよね。」
一応携帯電波でネットが接続できるようなアプリケーションを持っているが今は必要ないのでパソコンを閉じる。
「叶、ここに何か用があるの?」
普段は叶の味方の真奈美ですら何もめぼしいものがない場所を前にして叶の選択に疑問を抱いてしまう。
「うん。そんな気がする。」
それでも叶は何かを確信したようにしっかりと頷いた。
空を見つめて風の声に耳を傾けるように立っている。
その姿はどこか神に祈りを捧げる聖女のようで真奈美たちは声をかけることもできず呆然とその姿を見つめていた。
くー
突然聞こえてきた音はその神秘的な光景を台無しにした。
張本人である明夜は悪びれた様子もなく
「とりあえずご飯。」
お腹を押さえた。
「そうだね。街道の方に出ればきっと食べ物屋さんもあるよ。」
叶から感じられた神秘性もすっかり消えてしまい、由良と真奈美、八重花は先立って歩き出した叶の背中を見て首をかしげるのだった。
無人駅をあとにしてしばらく歩くと海沿いの街道に出た。
街道付近は確かに家が増えていたが…飲食店は皆無だった。
「ごはん…」
明夜がジッと由良を見ている。
厳密に言えば胸を。
「これは肉まんじゃないぞ。」
「うう。」
「明夜が空腹のあまり幻覚を見始めたわ。早くなんとかしないとカニバリズム明夜になるわ。」
「カニバリ…カーニバル?」
「カニバリズム。人食よ。」
「!?」
八重花の冗談もその後ろでギラギラとしているように見える明夜の目を見ると本気のような気がして叶は真奈美に抱きついた。
「仕方がないね。ちょっと手分けしてこの辺りの店を探しに行こう。携帯は通じるはずだから見つけたら連絡。見つからなくても30分後には一度集合するように。」
てきぱきと指示を出す真奈美に全員即座に頷き、明夜から逃げ出すように散開したのだった。
叶と真奈美は同じ方向に移動したのだがすぐに道が二股に分かれていた。
1つは海側に進む道、もう1つが山側の道である。
真奈美は海側の道に足を向けた。
「一緒に動いても効率が悪いし叶はそっちを見てきて。」
「でも真奈美ちゃん、歩くの大変じゃないの?」
義足こそ服と靴で隠れているが眼帯をしていて杖をついて歩いている女の子などどこか悪いのは一目瞭然だ。
叶の心配を真奈美は軽く笑って答える。
「もう義足で歩くのも問題ないよ。杖は万が一の時のためだし。それに本当に大変な時はスピネルを使うから大丈夫だよ。」
「…うん。わかった。気を付けてね。」
「叶もね。それじゃあ、また後で。」
手を振って普通に歩いていく真奈美の背中を見送ってから叶は逆方向の山側の道へと進んだ。
4月下旬にしては暑い日差しの中、叶は食べ物屋を探して歩くが道を成す壁はどれも木造の家屋ばかりで中には無人になって朽ちかけているものもあり、その中に店らしいものはない。
道はなだらかだが確実に傾いており視線を先に向けると青々とした木々の生えた山が見えた。
「さすがにあっちにはないよね?」
それでなくても集合場所から大分離れてしまっていた。
そろそろ戻らないと時間に間に合わなくなる。
「見つからなかったけど、明夜ちゃんに食べられちゃわないかな?」
ブルルと身震いしながら振り返った叶は
「あ…」
小さく驚きの声を漏らした。
集合時間になったので元いた場所に由良が戻ると真奈美と八重花が話し合っていた。
その後ろで明夜がお菓子を食べている。
「コンビニでも見つかったか?」
真面目な会話をしている風の2人には声をかけづらかったので明夜に尋ねると首を横に振った。
「持ってきたお菓子。」
「…それなら最初からそれを食っとけばわざわざ探しに行く必要なかったんじゃないのか?」
すると明夜は不思議そうに小首を傾げた。
「?これはお菓子。ご飯はご飯。」
「あー、そうかい。」
別腹理論を地で行く明夜に呆れつつまだ話し合っている2人に目を向けた。
「あいつら、何を話してるんだ?」
「モグモグ、叶が戻ってこない。」
「一大事じゃねえか!何暢気に菓子食ってるんだ!?」
いつも通りの口調で重大な事件を告白する明夜に由良が激しくツッコむ。
明夜は食べ終えた菓子の袋を鞄に詰め込むと立ち上がり
「お腹が減ってたら動けない。」
割と真面目な顔になっていた。
由良は頭を掻いて呆れると気持ちを入れ換える。
「カナが帰ってこないんだってな?」
「はい。叶は時間を守る子ですから。」
「一番考えられるのは迷子だけど、それほど複雑な道とは思えないわ。」
叶の友人たちの証言はある可能性を示している。
由良もそれに行き着いて表情を固くした。
「…誘拐か。」
「そこまでじゃなくても近くの家に引きずり込まれたって可能性はあるわ。土地勘のない私たちでは対処できない点では同じよ。」
誘拐あるいは監禁の先にある事態に由良たちは戦慄する。
「電話は?」
「何度もしてますが繋がりません。」
「すぐに捜索に…」
「闇雲に探しても家の中に入られたら見つけられないわ。」
気ばかり焦るが案はことごとく却下される。
ジリジリと照りつける太陽が不快で由良は舌打ちした。
「だが、ここで全員で待ってても仕方がない。マナはここに残って連絡待ち、俺たちは探しに行くぞ。」
「それが妥当ね。」
「エネルギー充填完了。」
八重花も冷静に努めていたがすぐにでも探しにいくつもりだったのだ。
「叶とはこの道の突き当たりで分かれました。山の方に向かったと思います。」
真奈美を残して3人は叶を探すために駆け出した。
走りながら周囲を警戒するがそもそも迷い込むような道はなくすぐに突き当たりに到着した。
「ここで分かれたのか。」
「拐ったのが山に住む化け物じゃないことを願うわ。」
八重花が物騒なことを呟くので由良は緊張を高めた。
ソルシエールという魔剣があり、それを生み出した魔女がいる以上日本の怪物を信じない道理はない。
何が出てきてもいいよう心構えをする必要があった。
「化け物と言えば始業式以来姿を見せない人型の闇もいる。奴等が壱葉にしか出ないかどうかなんて分からない以上警戒が必要だな。」
「見知らぬ悪意ある他人も正体不明の敵も等しく私たちの敵。世知辛い世の中ね。」
山に向かってなだらかに登っていく坂は途中から急になり民家もその辺りから無くなっていた。
「食い物屋を探してたカナがこれ以上進んだとは思えないな。引き返すか?」
「そうね。とりあえず叶が通ったと思われる道にはいなかった。本気で誘拐の可能性を検討した方が良いわね。」
いよいよ切迫してきた事態に由良はバシンと拳を手のひらに打ち付ける。
「あー、くそ!ソルシエールみたいにある程度カナの気配が拾えれば探せるってのに。」
「できる。」
スッと上がった手を由良と八重花がキョトンとした表情で見る。
明夜は表情を変えず
「できる。」
もう一度告げた。
「できるなら最初からしろ!」
「最初は遠かった。けど近くに来たから…」
明夜は鼻をクンクンと動かす。
「って匂いかよ!」
「それで見つかるなら何でもいいわ。」
八重花の許諾を得て明夜探知機が動き出す。
今来た道をゆっくりと戻っていく。
由良と八重花はどういう結果になるか予想もつかないので固唾を飲んで見守るだけだった。
「クンクン。ん…」
左右に鼻を利かせながら歩いていた明夜が足を止めた。
視線の先は行きには気付かなかった横道があった。
「こっち。」
「だが何でカナはこんなところに行ったんだ?」
「それは本人のみぞ知るよ。行けば分かるわ。」
八重花は素早く真奈美にメールを送ると先立って進んでいく明夜を追いかけ出した。
「ったく、とんだ慰安旅行だな。」
由良も苦笑しながら後に続いていった。
路地を進み、山の斜面に作られた階段を登っていくと比較的整えられた道に出た。
轍があることから車が来れる場所のようだった。
高いところに出たせいか潮の香りのする風が吹いている。
そこに混ざる花の匂い。
「近い。」
明夜が早足になってさらに坂を上っていった。
「あ、やっと追い付いた。」
後ろから真奈美も合流して3人は明夜の後を追った。
木々の立ち並ぶ道を進んでいき、光の指す広い場所へ到着した一行が見たものは
雄大な海を一望できる高台に作られた墓地だった。
叶はその一番奥にある墓の前に立っていた。
「叶!」
「カナ、無事か!?」
「あれ?どうしてみんなここに?」
叶の無事を確認してほっとしつつ駆け寄っていく。
「どうしてはこっちの台詞よ。連絡も寄越さないでこんな場所に1人で来るなんて。…まさか、偽者?」
「叶の匂いで間違いない。」
「え!?私、臭う?」
八重花の疑念を取り去る明夜の言葉は叶の心にダメージを与えた。
「それはさておきだ…」
「さておかれました!」
「ゴホン。約束を無視してここにいた理由があるんだろ?」
由良は頭ごなしに怒りはしない。
理由を聞いた上で怒る必要があれば体罰込みで怒る懐の広い姉御…もといお姉さんである。
叶はどこか大人っぽい笑みを溢すと立ち位置をずらした。
「この人が私を呼んだみたいです。」
叶の前にあった墓石には半場家之墓と彫られていた。
驚愕の現実に理解が追い付かない由良たちの前で叶は手に止めていた蝶々を掲げた。
「私を呼んだのは海さん、陸君の妹さんです。」
叶の言っている意味が理解できない。
それでも叶が嘘をつく理由がないのでどうにか納得できる答えを探した。
「確か本人の話ではジェムに喰われて肉体はデーモンになったって。ならそこにあるのはなに?」
「家族の想いじゃないかな?」
「海は魔女の奴に殺されてアダマスになっただろ?それにアダマスもカナがオリビンでぶっ壊したじゃないか。」
「うーん。そうなると私を呼んだのは幽霊ですね。」
何を質問しても叶の反応でさらなる謎の深みに嵌まっていく。
(まさか、電波系だったとは。)
由良と八重花がげんなりする。
平和な頭がよくない電波を受信したのではないかと不安を抱いた。
代わりに真奈美が前に出る。
「さっきの蝶々が半場の妹さん?」
「あの子から海さんの気配を感じたからここまで来たんだけど違ったみたいだよ。あの子、この花がお気に入りみたい。」
海の墓の前には墓に添えるには相応しくない色鮮やかなマーガレットが飾られていた。
叶の手を飛び立った蝶はまたその花に止まっていた。
「誰かが花を供えたみたい。…もしかしたらあの写真を撮ったのもその人かもしれないね。」
「それは…半場海が私たちをここに呼んだって言うの?」
叶は首を横に振る。
「わからない。でも、ここに来たのは偶然じゃない気がするよ。」
墓地にまた風が吹いた。
叶は耳をすませるように目を閉じた。
「何が聞こえる?」
明夜に質問に叶は
「変な明夜ちゃん。風の音だよ。」
おかしそうに笑った。
墓地からの戻り道、
「半場海の気配なんてカナが何で知ってるんだ?」
由良はさっき忘れていた疑問を口にした。
魔女との最終決戦に叶が参戦した時には既に海ではなくファブレが相手だったはずで生前に叶と面識があったわけでもない。
つまるところ叶が海の気配を知っていること自体がおかしな話だった。
「そう言えば何ででしょうね?でもあの蝶々を見たときに海さんだって自然に思ったんです。」
叶も不思議そうにしていたのでもはやそれは誰にとっても不思議でしかない。
「案外本物に呼ばれたのかもね。」
真奈美が幽霊の仕草をすると叶はおかしそうに笑った。
「そんなわけないよ。ですよね?」
「…」
叶は同意を求めて振り返ったが誰一人として目を合わせてくれなかった。