第187話 錯綜する情報
それは定期連絡で伝えられた情報だった。
「"Innocent Vision"が"オミニポテンス"への反抗作戦を計画している?」
「はい。本日壱葉高校に在籍するジュエルのグループが食堂で"Innocent Vision"がそのような会話をしているのを聞いたと報告がありました。」
撫子はベッドにバスタオルを巻いただけの格好で横になり、葵衣にマッサージをされながら報告を受けていた。
葵衣はマッサージ技術も一流で下手なプロより上手い。
特製のオイルを馴染ませるように撫子の全身を揉みほぐしていく。
「んっ…」
撫子が僅かでも痛がる素振りを見せると力を弱めつつ重点的にその部位を攻める。
「!…!」
そうならないように撫子は極力声を抑えているのだがスーパー使用人はわずかな変化すら見抜くので一度も誤魔化せていない。
「それは…信用できる情報なのかしら?」
「"Innocent Vision"の流した偽情報という可能性はございます。しかし先日の美保様の襲撃が"オミニポテンス"によるものだと知って脅威に感じ、行動を起こすことは十分に考えられます。」
「学校の食堂で偶然にジュエルが重要情報を耳にした。普通に考えれば"Innocent Vision"がそのような失策をするとは思えないわね。でも情報は故意に流した可能性はあっても内容に関してはあり得ると言うのね。…そうなると"Innocent Vision"の思惑は反抗作戦の戦力を集めることかしら?」
八重花の考えは見事に看過された。
そうなることすらわかっていそうなのが八重花の恐ろしいところだ。
「どうなさいますか、お嬢様?」
撫子は考えを纏めるように押し黙る。
その間葵衣は黙々とマッサージを続けていた。
「……すぅ。」
「お嬢様?」
「な、何かしら?」
撫子は平静を装おうとして失敗した声で答えた。
出来た使用人である葵衣は撫子が考えないで眠っていたことを追及したりしない。
「いえ、"Innocent Vision"の思惑に対してヴァルキリーはどのように動きましょう?」
葵衣は何事もなかったように質問を繰り返した。
撫子はコホンと小さく咳払いをして真面目に考える。
「"Innocent Vision"の思惑、しかしそれはわたくしたちヴァルキリーにとってむしろ有益なものとも言えましょう。"Innocent Vision"と"オミニポテンス"が消耗したところで漁夫の利を得るのです。」
思惑があるとはわかっていても明らかな好条件を逃せるはずもない。
双方共倒れ、さらに言えば"Akashic Vision"も参戦して潰しあってくれるに越したことはないが、現状では"Innocent Vision"と共闘、あるいは利用することがヴァルキリー勝利への近道と言えた。
「それでは"Innocent Vision"にその旨を打診致しますか?」
「それはまだいいわ。ヴァルキリーの皆さんにも了解をとらなければならないし、美保さんの件とも競合する話になる。今日明日に戦いを挑むような事はないでしょうから焦る必要はないわ。」
「了解致しました。」
「ん…んふぅ…」
止めの一押しで撫子は陥落して真面目モードは終了した。
後はされるがままになった主を気持ち良くさせながら葵衣は今後の算段を立てていくのであった。
それは未来からの情報だった。
「倉谷モール炎上。再建はせずに売却。二度も事故が起これば仕方がありませんね。」
巫女の勤めで早起きの琴は毎朝の新聞閲覧を欠かさない。
別にそれほど世事に興味があるわけではないが株価の浮き沈みで"太宮様"の卜占がどのように作用したのかが見えたりするからだ。
もちろん他の記事にも一通り目を通す。
その地方欄のトップに倉谷にあるショッピングモールが昨年に続いて再度事故で炎上したと載っていた。
近場での比較的大きな事故に学校では話題になるであろうが琴はズズッとお茶を啜って流す程度の事だった。
「…ふぅ、いよいよ悪夢が現実を侵食し始めたようですね。」
新聞を閉じた琴はそう呟いた。
倉谷モール炎上の情報は以前"太宮様"の卜占で得た"結果"と合致した。
つまり"過程"を見るはずの卜占が"結果"を示してしまうという由々しき事態であった。
「"過程"を省みない"結果"の示す未来など、人の尊厳を踏みにじる悪魔の所業です。これは暫くの間"太宮様"の業務は控えるべきですね。」
訪れた客に不用意に"結果"を教えてしまえばどの因果がねじ曲がってしまうか分かったものではない。
「この現象については…やはり陸さんに話を聞かなければなりませんね。面倒な事になったものです。」
言葉ほど琴は面倒そうには見えなかった。
既に推察はついているからだ。
「しかし、わたくしが陸さんと話をする機会が存在する未来が果たしてあるのかどうか。この世界を統べる者のご機嫌でも窺うと致しましょう。」
妙な言い回しをした琴は立ち上がると居間を出て本殿の奥へと消えていった。
それは親友の口から伝えられた情報だった。
「知ってる?倉谷のモールが全焼だって!」
叶が登校すると席に着くより早く裕子に声をかけられた。
「朝のニュースで見たよ。怖いね。」
朝のニュースでは大なり小なり各テレビ局も報道していて中継や炎上している映像も放映された。
そして二の句に挙げられたのが1年少し前に同じように起こった不可解な崩落事故との関連性だった。
「当時の客は鬼を見たとか化け物を見たとか錯乱してたっていうし、噂ではあのショッピングモールの建った土地は元々合戦場だったっていうし呪われてたんじゃないかって。」
合戦場の噂など普通は信じる者も多くはないだろうがこうも立て続けに大規模な被害が出たとなると嫌でも信憑性が出てくる。
叶は倉谷モールで八重花がソーサリスになった事件を知らないので信じかけている。
「にゃはは、最近壱葉とか建川にはいろいろ変な噂が多いんだよ?」
「へー、どんな噂?」
いつの間にか聞いていた久美と真奈美が話に入ってきた。
「1つは狼男だって。アオーッて雄叫びが夜中に聞こえて外を見てみると黒い影が見えたって。」
「…」
叶と真奈美の頬がピクッと動いた。
どう考えてもオオカミじゃなくてオーだ。
結界のシステムは不明だがいつも張っている訳じゃないので普段見つかることはあり得る。
「狼男ねえ?他には?」
裕子はあまり興味がないらしく次を促した。
久美は頷いて全員を見回す。
「にゃは、次は過去から来たレディースだよ。」
「!?」
「何そのよく分からないタイトル?」
「建川に突然、昭和の暴走族が出たの。特攻服で歩いてたけどすぐに消えちゃったんだって。」
叶と真奈美がビクビクしている。
それは時代が廻り廻ってブームが来ているのでなければ"Innocent Vision"が建川ジュエルを襲撃したときの事だ。
もしもそれが叶や真奈美だと知られれば木造だろうがコンクリートだろうが剣でこじ開けて穴掘って埋まるだろう。
それほどまでの黒歴史。
「き、きっと秋葉原と間違えたコスプレだよ!」
「そ、そうだよ、うん!」
「まあ、普通に考えてそうよね。」
「にゃは、他の人もそう言ってた。」
常識的な解答に話が落ち着いて2人はこっそり魂を絞り出すようなため息をついた。
「他にはね、WVeの下には実は秘密基地があるとかー、…」
「「!」」
今度はクラスのそこかしこで反応をする女子がいた。
当然ジュエルクラブの存在は秘密なのだからバレたら所属ジュエルから犯人調査で責任追及されかねない。
「夜に戦国時代の亡霊が合戦してるとか、変な噂が多いよね。」
「あはは、そうだね。」
叶たちやジュエルたちには心当たりありすぎた。
関係のある全員が早くこの話題が終わるようにと願いながら引きつった笑いを浮かべ続けていた。
それはすでに知っていた情報だった。
「"Innocent Vision"が"オミニポテンス"への攻撃を計画し始めたようだね。」
「倉谷モールも燃えたし。全部お兄ちゃんの予言通りだね。」
"Akashic Vision"は壱葉を見下ろせるビルの屋上から町並みを見下ろしていた。
視線を少し先に向ければ燃え落ちた倉谷モールも少し見える。
「ランたちの行動は前にりっくんが言ってた通りで変わりなし?」
蘭は細い手すりに座って体を揺らしている。
風も吹いているので落ちないか陸はハラハラしていた。
ついでに短いスカートなので見えそうで見えない秘密領域についてもちょっとドキドキしている。
「そうだね。」
その返事に明夜がほんの少しだけ目を伏せたのを陸はしっかりと見ていた。
「明夜。気が進まないなら休んでいても構わないよ?僕たちだけでもなんとかなるから。」
海と蘭も気遣うように頷いて見せたが明夜は首を横に振った。
「行く。」
「…助かるよ。」
陸は明夜の頭をポンと撫でた。
"Akashic Vision"が辿ろうとしているのは彼らの力を持ってしても厳しい戦いを強いられる茨の道。
最初、陸は自分だけで対処しようと考えていたが双子のシンパシーか海に作戦を感付かれ、神出鬼没な蘭が壁に耳ありな感じで聞き耳を立てていたため知られてしまい、明夜の無言の重圧に耐えきれなくなって結局全員に説明したのであった。
「これからが僕たちの本当の戦いになる。」
陸はどこか遠くを見つめる。
それは望むべく未来の姿か、戦乱の幻視か。
朱色に変わった魔眼は今はまだ平穏な壱葉を映している。
海が陸の背中に寄りかかった。
兄妹は背中合わせに世界を見つめる。
「仕方がないよ。これが私たちの選んだ道だから。」
海の言葉には一欠片の後悔も含まれてはいない。
「…そうだね。」
無条件に背中を支えてくれる人がいるから陸は前に進める。
断崖絶壁の谷を茨のロープで渡るような壮絶な道を。
「ランはランらしい働きをするよ。」
「蘭ちゃん、裏切りはダメ。」
「明夜ちゃんにランの存在価値が裏切りって断定された!?」
そして標となり、剣となって道を作ってくれる人たちがいる。
だから陸は進む。
「風が出てきた。荒れるかもしれないな。」
平和な世界を築くために。
それは想定通りの情報だった。
「今日の会議で"Innocent Vision"が"オミニポテンス"へと攻撃を仕掛ける計画を立てていると聞きました。そしてヴァルキリーはその作戦に参加または横槍を入れると。」
悠莉と八重花は建川のレストランで食事をしていた。
「情報漏洩は問題ね。ジュエルは本当にどこにいるのか分からないわ。」
八重花は不機嫌そうに顔を逸らしたが、悠莉は撫子と同じようにわざと八重花が情報を流したことを疑っていない。
そして悠莉もヴァルキリーの情報を全く秘密にしようとしていない。
「どのような参入をするかは今後改めて話し合いますが、私たちは平行して美保さんを打倒し魔剣ヘリオトロープを排除する作戦を展開する予定です。」
「結局助ける努力はするのね。ご苦労様。」
先に届いたサラダとスープをゆっくりと食べながら話す。
他の席とは間隔が広く、周囲のテーブルにもあまり人がいないのでよほど大きな声でない限り聞こえないはずなので普通にヴァルキリーに関する話をしている。
特に今日の会食の目的が美保打倒における"Innocent Vision"の助力要請である以上こういう話を気分よく聞いてもらう必要があったため悠莉は良さそうな店を探したのだ。
昨日の今日で随分と手回しが良い。
「しかし先日の戦いを見る限り私と等々力先輩、紗香さんの3人では美保さんの扱うレイズハートを潜り抜けつつ攻防一体のディスハートを打ち破るのは困難です。羽佐間由良さんも協力していただけるようですが戦法を考えない限り前回と同じ結末を辿ることになるでしょう。」
「確かに厄介なグラマリーね。それで?」
今日の店の代金は入るときに全額悠莉が持つと告げていた。
つまりその見返りとして何かを要求してくる事を八重花は知っていた。
だから遠回しな表現ではなく単刀直入に尋ねる。
だからこそ悠莉も素直に自分の考えを明かした。
「ヴァルキリーが"Innocent Vision"と"オミニポテンス"の戦闘に介入するように、八重花さんたちも私たちと美保さんの戦いに介入していただきたいんです。乱戦になれば美保さんの負担も増えて私たちへの注意が疎かになりますし、作倉叶さんの聖なる光を使っていただけるなら美保さんは丸裸に出来ます。」
提案としてはとてもシンプルで有効な手段だ。
"Innocent Vision"がヴァルキリーを利用しようとしていることを考えればギブアンドテイクで貸し借りもない。
予想通りの展開に八重花が答えるべく口を開いた。
そしてそれは、決定的な情報となった。
「そのまま動かないで下さい。」
突然テーブル横に現れたのはウェイターではなく葵衣だった。
ポーカーフェイスはそのままに不信感を滲ませた顔に八重花は小さくため息をつき、悠莉は困ったように微笑んだ。
「ジュエルに属する店員からお二人がご一緒しているという情報を受けて参りました。」
暇なのかと茶化そうかと八重花は思ったが現在の微妙な立場を自覚して思うだけに止めた。
葵衣の追及は明らかに悠莉に向けられている。
「以前から東條様との接触が確認されていましたが見逃してきました。しかし今回はヴァルキリーの意向を超越した悠莉様の独断と判断致しました。」
店員のジュエルがテーブルの下に付いた伝票を入れるポケットに通話中の電話を入れたことで2人の会話は葵衣に筒抜けとなった。
「"Innocent Vision"が情報に精通していた理由もヴァルキリー内の内通者によるものであることも明らかとなりました。悠莉様はヴァルキリーの裁判で裁かせていただきます。」
悠莉は大人しく葵衣が引き連れてきたジュエルに連行されて店外へと出ていった。
当事者ながら蚊帳の外だった八重花がそれを見送っていると葵衣は伝票を手に取った。
「お騒がせして申し訳ございません。こちらのお代はお支払しておきます。」
「それは有難いけど、悠莉と同じで何か見返りがあるんでしょう?」
その奢りが手付金だと知りつつパクッと食べる八重花は相当豪胆な性格をしている。
葵衣は頷いて頭を下げた。
「"オミニポテンス"との戦闘における交渉に関しましては日を改めてお願い致します。」
葵衣も去り、1人食事を取る八重花はニヤリと笑った。
「計画通り、かしらね。」