第186話 選ぶ道
神峰美保の襲撃を退けたあと、社務所に戻った叶たちはさすがに歓談する雰囲気ではなく、葵衣から渡された書類について真面目に検討していた。
「今回の神峰美保の襲撃はヴァルキリーではなく"オミニポテンス"のようね。そしてあの黒い魔剣が神峰美保のブラフで無いのならヘリオトロープはソルシエールの力を持つ大集団になるわ。」
ヘリオトロープの力はジュエルやオーとは比べ物にならないスペックを持っていた。
そのヘリオトロープがオーのように無尽蔵に現れるようになれば勢力図は一気に書き換えられる可能性がある。
しかも"オミニポテンス"には魔女オリビアとカーバンクルまでいる。
「つまり"オミニポテンス"を野放しにしておいては他の組織が危険になるということですか?」
琴は意図的に自分達を除外した。
それは敵に襲われるなんてぞっとする事を考えたくないというのもあるが、それ以上に"Innocent Vision"を狙ってくるなら力を十分に蓄えた最後だろうと考えていた。
「対立する組織が減るのはありがたいけど"オミニポテンス"を討伐する力が失われるのは惜しいわ。これは第二次オーオーオーを発動する必要がありそうね。」
「「オーオーオー!?」」
オーオーオーは以前"Innocent Vision"で実施した作戦名である。
正式名称オー・オブザベーショナル・オペレーション、オーの行動を観察・解析する作戦行動だった。
「うう、囮に使われたことを思い出したよ。」
オーを誘き出すために作戦だと知らされず1人で歩き回り、奮闘した叶はげんなりと肩を落とした。
真奈美がポンポンと叶の頭を撫でて慰めながら八重花を見る。
「今回は"オミニポテンス"の観察?」
八重花はすぐには答えず立ち上がると腰に左手を当てて右手を振るう決めポーズを取った。
「今回のオーオーオーは観察じゃないわ。その名もオミニポテンス抹消作戦、Obliterate Operation of Omnipotenceよ!」
バーンと効果音がなりそうな感じに八重花が宣言した。
「オミニポテンス…」
「抹消作戦…」
「オブオぺオミ。」
作戦名を正しく略して読んだ叶は八重花に両頬を引っ張られた。
「全部頭文字がオーだからオーオーオーでいいのよ。」
「ふぁい。」
つねられて叶は涙目になりながらコクコク頷いた。
「まあ、頭文字がオーの言葉を探したんだろうけど抹消作戦は壮大というか、"Innocent Vision"の目的に反するんじゃない?」
「そうですね。対話とはつまり他者との共存ですから、他者を排除する抹消とは正反対ですね。」
真奈美、琴が疑問を口にする。
もちろん八重花がそこのところ気付かないわけもなく、それでもなおこの名前を使ったところに意味がある。
「オリビアが交渉に応じるとは思えないから排除したいっていうのが一点。そこまでいかなくても戦力が乏しくなれば話し合いの席につくようになるかもしれないという期待が一点。それに、第二次オーオーオーは他の組織を巻き込みやすいのよ。」
八重花が不敵な笑みを浮かべた。
八重花がこういう顔をするときは頼もしいがとんでもないことを考えているのを叶たちは知っていた。
「確かに魔女の事を陸君たちもヴァルキリーの人たちも警戒してるもんね。」
「敵の敵は味方。わたくしたちが"オミニポテンス"に対する反抗作戦を計画していると知れば同調あるいは横やりという形で参加してくる可能性はあり得ますね。」
特に聖剣が集まる"Innocent Vision"が参加すれば"オミニポテンス"への勝率はぐっと高まる。
魔女が倒れれば後は最近何かと衝突を避けようと気を使っているヴァルキリー。
"Akashic Vision"も陸の様子を見ている限り聞く耳持たない感じではないことがわかってきた。
この2つの組織なら話が通じない相手ではなくなるのである。
「しばらく学校でそれとなく情報を流してヴァルキリーの動きを探るわよ。」
「おー。」
「おー。」
「おー。」
「ふっ、上出来。」
こうして静かに第二次オーオーオーが始動した。
美保との戦闘と離反、"Akashic Vision"との接触を終えて帰還した悠莉たちはヴァルハラに到着するなり全員椅子に座り込んだ。
悠莉はかろうじて体面を保つお嬢様っぽい座り方を維持したが他の面々はぐったりと椅子に寄りかかったり良子など机に突っ伏している。
「お疲れさまでした。お茶をどうぞお飲みください。」
さすがは花鳳のスーパー使用人、最適なタイミングでお茶を出す。
「お帰り。さっき電話で大体の事は聞いたけど、本当に美保が犯人でしかも"オミニポテンス"に寝返るなんて。」
今日は珍しく緑里が情報処理をこなしていた。
葵衣ほど早くは無いが悠莉から聞いた話を書類に纏めている。
良子は身を起こして紅茶に口をつけると深いため息をついた。
「美保が最近のヴァルキリーのやり方に不満を持っていたのは知っていたけど、あそこまで鬱憤がたまってたなんてね。」
「殺す殺す言っていたのは構って欲しがっているんだと思ってました。」
「…」
本気か冗談か悠莉が失礼な事を言っているがツッコミの美保がいないと締まらない。
「ソルシエール・ヘリオトロープを手に入れて美保様がヴァルキリーに反旗を翻したことは事実です。ヴァルキリーは反逆者に対して相応の処罰を…」
「殺しましょう!」
葵衣が事務的に対処方法を提示しようとするのを遮るように紗香がビッと手を挙げて発言した。
「…。」
邪魔者は魔剣で排除して平和な世界を作るのがヴァルキリーの正しい理念ではあるが、発起者である撫子でさえさすがに何の迷いもなく元仲間を殺すとはなかなか言えない。
紗香は光臨したヴァルキリーの体現者と言えた。
…人としてそれでいいのかとは誰もが思ったが。
紗香も皆の反応が悪いのを感じて
「あ、ははは、…冗談です。」
シオシオと小さくなった。
「殺すのはともかく、美保がいなくなったなら"シグナル"は自動的に成立かな?」
緑里が"シグナル"の結成について情報を打ち込んでいく。
「ダメです!」
紗香がガタンと勢いよく立ち上がって叫んだ。
いちいち騒がしい娘だ。
「いや、ダメって。何で?」
「これじゃあ神峰先輩の勝ち逃げじゃないですか?だから神峰先輩を力で叩きのめしてきっちり"シグナル"を認めさせてみせます!」
手段はどうあれ認めさせるやり方は非常に真っ直ぐで好感が持てるものだった。
とても殺しましょうと声高に宣言した同一人物だとは思えない。
「ヘリオトロープを壊せば美保さんが元に戻る可能性もあります。無理ならば紗香さんの言うように殺すことも覚悟しなければなりませんが、まずは戦って屈伏させる事です。」
悠莉は全員に確認を取るように見回して提案する。
誰も異を唱える者はいなかった。
「了解致しました。美保様に関する対処におきましては悠莉様に一任致します。」
「悠莉に一任っと。」
言葉と書面の両方で認められた悠莉はしっかりと頷いて良子と紗香を見た。
「等々力先輩、紗香さん。協力していただけますか?」
「愚問だね。」
良子はドンと自分の胸を叩く。
「後輩の不手際は先輩の指導不足。美保にはきっちり教え込んであげるよ。」
実に体育会系の理屈で良子は快諾するので悠莉は苦笑した。
「神峰先輩は元に戻っても変わらない気がしますけど認めさせてからです。」
「…確かに。」
緑里がボソッと同意しているが紗香の意見は先の通り。
「羽佐間さんはどうしますか?」
これまでずっと黙っていた由良に声をかけるが
「ん、ああ、なんだ?」
由良は全然聞いていなかったようで反応が薄かった。
「美保さん討伐です。」
救出作戦のはずなのに討伐になっているが由良は気付いていない。
本当に聞いていないようだった。
「その事か。別に手を貸してやっても構わないぞ。」
心ここに非ずだがとりあえず協力は取り付けた。
これで戦力はある程度整った。
(しかし美保さんの見せたあの力を考えるとこれでも心許ないかもしれません。)
美保の使ったカウンターグラマリー・ディスハート。
由良と紗香の攻撃を完全に受け止めたとなるとかなりの防御力を持っている事が予想される。
スペリオルグラマリークラスの大技なら貫けるだろうが無尽蔵に光刃を放てる美保が溜めを待ってくれるとも思えない。
(空気を読まない美保さんですからね。そうなるとやはり…)
対抗するには美保が対処できないほどの多面攻撃を仕掛けるか…あるいはグラマリーを消してしまうか。
前者は人手が必要で、後者は特殊な能力が求められる。
それを満たすためにうってつけの交渉相手がいる。
("Innocent Vision"の力を借りられれば美保さんを無力化出来るはずです。八重花さんに交渉してみましょうか。)
悠莉は誰にも告げずに計画を練り、美保への対抗手段を検討していくのであった。
美保への対応が決まり、会議が終了すると悠莉は早々にヴァルハラを後にし、良子と紗香も美保に勝つための特訓だと気合いを入れて出ていった。
残ったのは海原姉妹と由良。
緑里はカタカタと書類を作っていき、葵衣は改めて緑里と由良のために紅茶を淹れる。
由良は腕組みをして軽く俯いたまま背もたれに体を預けていた。
「何かあったの、由良?」
一通り文書を作り終えた緑里は温かい紅茶を口にしながら由良に尋ねた。
纏めた報告書の内容から考えれば美保に負けたことを悔しがっているとも考えられた。
「江戸川蘭に何か言われた?」
だが緑里はズバリ真実を言い当てた。
「なっ!?」
由良が目を見開いて驚くと緑里はおかしそうに笑った。
「当たったね。何でかって?悠莉はインヴィ、良子と紗香は半場海と会ったって言ってたし、残り2人なら特に江戸川蘭の方かなと思ったから。」
聞いてみれば報告された結果とわずかな推理で作られたなんて事ない推測だった。
それなのに未来視を知る者たちは言い当てられる事に対して過剰に反応する。
半場陸症候群と言うべき症状だ。
由良はばつが悪そうに視線を逸らした。
「何を言われたのか知らないし何を悩んでるのかも分からないけど、もし困ってるなら話してよね。由良にとっては一時的かもしれないけど今はボクたち仲間なんだから。」
緑里はそう言って微笑んだ。
由良と、そして双子である葵衣も驚いた様子で顔を見合わせた。
「ん?どうして2人とも意外そうな顔をしてるのかな?」
「いえ、別に姉さんがそこまで気配りの出来る人だと思いませんでしたなんて考えていません。」
表情変化はないが実は動揺しているらしく葵衣の口からは本心が駄々漏れている。
「俺にとって緑里は神峰の次にムキーッてテンパって騒いでるキャラだったからな。励まされたのは正直意外だった。」
由良は隠す気なく素直に答えた。
ちなみに由良の意見に対して葵衣もほぼ同じ考えだった。
ここまで正直に言われたら
『何だよ、もー!ボクはそんなんじゃない!』
と反論するだろうと2人は予想していた。
だが、
「あはは。そうだね。」
緑里は素直に認め、その上で笑った。
由良と葵衣はえもいわれぬ怖気に背筋を震わせる。
「タイム!」
由良は腕を使ってTの字を作りタイムを宣言、すぐさま葵衣と角に集まった。
「??」
緑里は首をかしげながら暢気にお茶菓子のクッキーを食べている。
2人は小声で話し合う。
「どうなってんだ?昨日の夜に悪いもの食ったか?」
「私にも不明です。昨晩も私と同じものを食べていますから食事による要因は考えにくいかと。寝起きに床に頭をぶつけた、あるいは階段で誤って転倒したなどの外的要因が有力ではないかと。」
本人の心変わり、あるいは成長と認識しない辺り割と酷い人たちである。
「正直背中が痒くなるんだが。」
「概ね同意させていただきます。姉さんがしっかりしているとどうにも落ち着きません。」
昔から姉を気遣ってきた出来た妹は急に手を離れるのが不安らしかった。
「ねえ、2人でなにやってんの?」
緑里の声がかかるが今は対策会議で忙しい。
由良が適当に手を振ってあしらう。
「そうなるとやっぱりショック療法か?後ろからガツンと。」
「民間療法や迷信は危険です。ここは専門医に診察をしていただいた後に正しい処置をすべきです。」
由良の方法もはなはだ疑問だが、葵衣の中で緑里はすでに重篤な精神病患者扱いだった。
姉過保護な妹は暴走するときはとことん暴走するらしい。
既に携帯を取り出して病院に電話しようとしていた。
「待て、早まるな!」
「お離しください。こうしている間にも刻一刻と病状が悪化している可能性もあります。」
2人は携帯を取り合って騒いでいる。
当人たちはどちらも必死なのだが傍目にはじゃれあっているようにも見える。
それを見た緑里の頬は見る間に膨れ
「ムキーッ、ボクを無視するなー!」
拗ねたように叫んだ。
携帯を取り合っていた由良と葵衣はピタリと制止し
「ふー、間違いなく緑里だな。」
「はい。変わりなく姉さんです。」
2人同時に額の汗を拭った。
「何なんだよ、もー!」
想定通りのフレーズも聞けて2人は安心しきった顔で席へと戻っていった。
「まあ、その、なんだ。気遣いは感謝する。」
由良は照れ臭そうに頬を掻きながら感謝を述べた。
ばか騒ぎをしているうちに深みに落ちていた精神もだいぶ元に戻っていた。
「…由良が元気になったならそれでいいけど。」
「悪いな。」
由良はそっと胸ポケットに手をやる。
時坂飛鳥の形見、モーリオンの魔石がそこにはあった。