第184話 魔への忠告
魔女オリビアの尖兵となった美保が撤退して数分間、誰も口を開けずにいた。
誰もが魔女に寝返ったソーサリスの存在にショックを受けた。
誰もが慰めの言葉をかける余地はなく場を沈黙だけが満たしていた。
「くちゅん!」
その沈黙を破ったのは叶のくしゃみだった。
突然外に出ることになったので上着を着ていなかった。
「脅威は去ったようだしこの場は解散かな?」
真奈美が叶の肩を抱いて擦りながら提案すると一気に緊張感が抜けていった。
「"Innocent Vision"の皆さんにはご迷惑をお掛けしてすみません。美保さんの件はヴァルキリーが何とかしますから。」
悠莉はそう言って頭を下げた。
確かに今回の件は神峰美保の手綱をしっかりと繋いでおけなかったヴァルキリーに責がある。
「それは構わないけど、また神峰美保が私たちを攻撃してきた場合は本気で撃退していいわよね?」
八重花は当然とばかりに確認するように尋ねた。
ヴァルキリーと"オミニポテンス"が繋がっているとは考えないにしても美保の擁護はその疑いを助長する事になりかねない。
「それは…」
「当然です!あれはもうわたしたち人類の敵になったんですから!」
悠莉が上手く説明して"Innocent Vision"に手を出させないようにしようとした矢先、紗香がグッと拳をきつく握りしめて美保を人類の敵と断言した。
これでは次に出会ったときには躊躇なく殺せと言っているようなものだ。
悠莉は息巻く紗香の後ろで肩を落とした。
「とは言え、美保はヴァルキリーから出た汚点だからね。それを挽回するにはやっぱりあたしらがやるしかないでしょ。そういう訳だから手出し無用とは言わないけど優先権は譲ってもらうよ?」
そこに良子が助け船を出した。
単純にして分かりやすい理由は納得するには十分である。
「彼女は対話の席で剣を突き付けるような方ですしよろしいのではないですか、八重花さん?」
「そうね。私たちが手を煩わせることなく面倒事が片付くならありがたいことね。」
言い回しは少々憎らしいが間違いなくヴァルキリーに任せるという意味に聞こえた。
望む状況に持ち込めて悠莉と良子は視線を交わしてわずかに微笑みを浮かべた。
「ただし、さっきも言ったけど攻撃されたら容赦は出来ないわ。しっかりと神峰美保の標的になることね。」
「心配要りません。私、美保さんの神経を逆撫でするのは得意ですから。」
ふふふと悠莉は楽しげに笑う。
仲間内でそれが得意ってどうなのかと思う"Innocent Vision"の面々だが悠莉と美保のやり取りを知る者は納得も出来た。
「由良お姉ちゃんはやっぱりヴァルキリーと一緒に戦うんですね。」
叶が少し困ったような顔をして由良に声をかけた。
由良も玻璃を肩に担いで視線を逸らしている。
「俺は陸を一発ぶん殴りたいからな。さっきの神峰の話と一緒だ。対話の席で拳を振り上げる訳にもいかないだろ?」
「そうですね。舞台裏なら平気ですけど、由良お姉ちゃんが決めたなら。」
袂を分けた由良に対する叶の態度は変わらない。
由良は
(そうか。対話の後にぶん殴る手があったのか。)
と今更ながら知ったが鞍替えを考えることこそ今更だ。
それにヴァルキリーの方が危なっかしい人が多いため抜けるのは憚られる。
なんだかんだで面倒見のよい姉御肌だ。
「あ、そうです。由良お姉ちゃん、約束はちゃんと守ってくださいね?」
突然叶が思い出したように人差し指を振って小さい子に注意するように険しい顔で言った。
「約束?」
別に全く怖くない。
むしろお姉さんぶりたがる少女のようで微笑ましさすら感じられる。
約束が何だったかを思い出せない由良は首を捻った。
「元日に言ったじゃないですか。玻璃のスペリオルグラマリーは由良お姉ちゃんの命に関わるんですから使わないで下さいって。」
新年を迎えた瞬間にオーの襲撃に会い、由良は時坂飛鳥を救うためにスペリオルグラマリー・Xtalを使った。
それにより生きてるのが不思議なほどのダメージを負い、最終的に叶に救われた。
その時の約束だった。
「あー、あー、アレか。もちろん覚えてたぞ?」
「……」
叶に白い目を向けられるレアな体験をした由良は冷や汗を流しながら横を向いた。
まだ1週間ちょっとしか経っていないのに綺麗さっぱり忘れているのだからどれだけ聞く気がなかったのかよくわかる。
「由良お姉ちゃんにもしもの事があったら私、泣いちゃいますからね。」
「カナに泣かれるのはきついな。善処する。」
すでに泣きそうになっている叶の頭をポンと叩いて由良は背を向けた。
「それでは失礼しますね。」
「風邪引かないように気をつけるんだよ。」
「さようならです。」
続いてヴァルキリーメンバーも太宮神社から去っていった。
「くちゅん!」
見送っていた叶がまたくしゃみをした。
「いつまでもここにいても仕方がないわ。戻ってお茶を仕切り直しましょう。」
八重花がさっさとヴァルキリーから背を向ける。
「そうですね。危機は去りました。主に社務所崩壊という危機は。」
「やっぱりそこが大事だったんだ。」
琴と真奈美も話しながら叶の背中を押して社務所に向かって歩き出した。
「これからどうなっちゃうんだろ?」
叶はドアに入る前に振り返り不安を口にするのだった。
混乱の大元である美保は特に急ぐでもなく部下を引き連れることもなく"オミニポテンス"のアジトに向かっていた。
手を開け閉めしてニヤリと笑っている。
「ヘリオトロープが量産型のソルシエールだってのは気に食わないけどジュエルよりはマシね。スマラグドが復活するまでの繋ぎに使ってあげるわ。」
量産型とはいえさすがは魔女が作った魔剣だけあってジュエルとは比べ物にならない性能を有している。
しかも美保の力を取り込んで黒いレイズハート・ディスハートを使えるようになっていた。
その汎用性はジュエルにはなかったものだ。
「それかスマラグドが復活したら柚木明夜みたいに二刀流になるのもいいかもしれないわね。」
「良くない。」
「!?」
独り言に突然声をかけられた美保は背筋を震わせたがすぐに声のした方にヘリオトロープを取り出して向けた。
二刀流について突っ込む時点で一般人ではあり得ず、そもそも聞き覚えのある声だったからだ。
「真似されるのが嫌なの、柚木明夜?」
美保の睨み付けた先、塀の上にはいつの間にか明夜が立って美保を見下ろしていた。
「とりあえず見下されるのは大っ嫌いなのよ!這いつくばりなさい!」
レイズハートがヘリオトロープから飛び出して明夜に上下左右から迫る。
数の制限を取り払われた黒き光刃に逃げ場はない。
シュラン
だが、明夜は不安定な足場にも拘わらず二刀の一薙ぎで黒の光刃を叩き落とした。
美保はチッと舌打ちして追撃を止めた。
少なくとも現状でどれだけ光刃を撃っても明夜に捌かれるのが分かる程度には冷静だった。
攻撃の手が止まると明夜はヒョイと塀の上から降りて美保から少し距離を取ったところに立ち止まった。
美保の気を沈めるためというよりは自分の話しやすさを優先させただけだ。
「2本のソルシエールを同時に扱うのは危ない。」
「へぇ。それは自分は2本使えて凄いっていう自慢?」
美保は初めから明夜の忠告に聞く耳など持とうとしていない。
そして明夜が2本のソルシエールを使って戦っている時点で危ないという忠告の信憑性は低かった。
「何を知ってるのか知らないけど、2本あった方が強いのは間違いないわよね?」
「うん。」
止めにきたというのに嘘がつけない素直な明夜である。
当然それを聞いて美保が引き下がるわけもない。
「なら使わない手は無いわね。折角他のみんなには無い力を手に入れられるチャンスなんだから。」
ソルシエールが魔女から与えられる以上、現在のソーサリスが2本目を手に入れるためには美保のようにオリビアに貰うか、他にもいるかもしれない魔女に頼むしかない。
強大な力の魅力に取り込まれた者が手放せるはずがない。
「忠告はした。スマラグドが復活したら気を付けた方がいい。」
明夜はもう一度忠告すると話は終わったとばかりに背を向けた。
無防備な背中を美保が見逃すわけもなく
「忘れ物よ!」
美保はノーモーションで刀身からレイズハートを放った。
ガシャン
地を這うように飛んだ光刃は突然現れた女性型の騎士甲冑が真っ二つに切り裂いた。
「後ろも見ずに正確に迎撃。やっぱり2本のソルシエールの力はすごいわね。」
防がれたのにデュアルソルシエールとでもいうべき力を目の当たりにして喜ぶ美保を明夜は振り返ってわずかに目を細めて見た。
「そんなに気に食わないなら力ずくで止めてみせなさいよ。」
美保がヘリオトロープを構えて殺気を叩きつけるが明夜はまるで気にしていないように魔剣を消してしまった。
「やらない。危ないことは伝えたから。」
「待ちなさいよ!」
美保がレイズハートを放つが明夜は飛び上がってそれを回避し、そのまま屋根の上に着地した。
相変わらずとんでもない身体能力だ。
「何が危ないって言うのよ?」
「2つのソルシエールを使えば…人ではいられなくなる。」
「!?」
明夜はそのまま屋根を跳んで見えなくなった。
「魔女になるとでも言うの?…上等じゃない。望むところよ。」
魔剣の力で魔女になる。
美保は明夜の忠告で逆に野望を強めるのだった。
太宮神社を離れたヴァルキリーメンバーはまっすぐにヴァルハラに向かっていた。
「…はずだったのに、どうして私はここにいるのでしょう?」
悠莉は紅茶のカップを手に可愛らしく首を傾げる。
疑問はあるが表情はむしろ楽しげだ。
「それは"Akashic Vision"の狡猾な罠に引っ掛かったからだと思うよ?」
そして向かいの席には同じように紅茶を口にする"Akashic Vision"のリーダー半場陸の姿があった。
「狡猾…そうですね。私たちの心理を巧みに利用したという意味では間違いないですね。」
悠莉は微笑みながらほんの10分ほど前のことを思い出した。
「美保さんが裏切った以上、何か対策を考えなければなりませんね。」
「まずはヴァルハラに戻って葵衣たちに相談してみよう。」
美保の件を報告するため悠莉たちはヴァルハラに帰還しようとしていた。
冬とは言えまだ明るい時間だというのに人通りの少ない道を歩いていると十字路で横切っていく人を見かけた。
「あ、お前は!」
紗香がその相手を指差して叫んだ。
乙女としては行儀が悪いが仕方がない。
「おや、これはこれはヴァルキリーの皆さん。」
それはあんまんを手にした半場海だった。
「"Akashic Vision"の半場海。もしかしてこの近くに潜伏場所があるのかな?」
突然の遭遇に当然驚き、特にサマーパーティーやらで負け越している良子とそれを慕う紗香は強く警戒した。
「さあ、どうだろうね。私を捕まえられたらわかるかもよ。」
海は不敵な笑みを浮かべてあんまんに噛り付いた。
「あふっ、あふ!」
餡が熱かったらしく慌てていてとても緊張感がない。
「今のうちに捕まえさせてもらうよ!」
「覚悟です!」
「おっと、そうはいかないよ。」
伸びてきた2人の手を器用にかわして海はそのままバックステップすると逃げ出した。
「あ、待て!」
「逃がしませんよ!」
せっかく"Akashic Vision"の情報が手に入るかもしれない情報源を逃がすわけには行かない。
良子と紗香が先行し、悠莉と由良がその後を追っていく。
だがさっきまで晴れていたはずなのに気がつけば周囲に霧が増えていき、先を行く良子たちが見えなくなった。
「これは、普通じゃないよな?」
「そう考えるべきですね。そもそもよく考えてみればこの近くにあんまんが売っているようなコンビニはありません。間違いなく罠でしたね。」
既に良子たちは見失っている。
素直に追いかけたとしても遭遇できそうにない。
「こりゃ俺たちだけでも戻った方が…!」
来た道を戻ろうと振り返った由良は十字路の壁の陰から覗く黄色い髪の房を見つけて眉を吊り上げた。
「蘭!」
「見つかった、山姥が追いかけてくるー!」
「誰が山姥だ、ゴラー!」
割と冗談ではなく悪鬼とか夜叉っぽい顔になった由良はさっきまでの冷静な判断はどこへやら、蘭を追いかけて路地の向こうに消えてしまった。
「見事に分断されてしまいました。おや?」
残された悠莉がどうしたものかと立ち尽くしていると立ち込めていた霧が見る間に晴れていった。
「こんにちは。お暇でしたら僕とお茶でもいかがですか、お嬢さん?」
そしてそこには陸が立っていたのであった。
結局悠莉は陸に誘われるままに近くの喫茶店でお茶をしていた。
せっかくの陸の誘いなのでどんな状況であろうとも悠莉が断るはずもなかったが。
「由良さんの動きが気掛かりだったけど上手く蘭さんに釣られてくれたよ。そうじゃなかったら今頃はマウントポジションでたこ殴りだったね。」
大袈裟に震えてみせる陸に悠莉はクスクスと笑う。
「そうならないことを知っていたのでしょう?あなたはInnocent Visionなんですから。」
「さあ、どうだろうね。」
陸はフッと笑うだけだった。
未来を見通す魔眼がどこまで何を見ているのかは陸にしか分からない。
だが深い色をした瞳は全てを知っているように感じられた。
「あの、そんなに見つめられると照れるんだけど。」
「え、あ、失礼しました。」
悠莉は陸に見惚れていたことを自覚して頬を赤らめた。
その可愛らしい反応に周囲の男性客が見惚れ、陸に嫉妬の視線を向けてくるが陸は気にした様子はなかった。
「しかし、半場さんとこうしてお茶が出来るとは思いませんでした。」
悠莉にとって陸と一番近しい思い出はコ-ランダム…ではなくファブレの作り上げた赤い世界での戦いで陸に頼られて共闘したことだ。
あれがヴァルキリーとは関係なく陸と接する事が出来た唯一の出来事だった。
「半場さんとは常に異なる組織に属していますからゆっくりと同じ時を過ごす機会はないと思っていました。」
それが陸とこうしてお茶を飲む機会が得られた。
まるでデートのように。
「それで、ヴァルキリーのメンバーを分断して何を企んでいるんですか?」
だからこそ悠莉は勘繰らずにはいられなかった。
半場陸が"Akashic Vision"の仲間を連れずに接触してきた意味を。
(騙されていれば幸せなのかもしれませんが、私も損な性格ですね。)
苦笑は押し込めて笑顔で尋ねる悠莉に陸は頷いてカップを置くと指を組んだ。
「実は…」
「はい…」
真剣な雰囲気に悠莉はゴクリと生唾を飲み込む。
陸がゆっくりと口を開き
「久々にみんな出払ったからこうしてささやかなデート気分を味わわせて貰おうかと。」
予想外の答えに悠莉はポカンとした。
どう考えても冗談なのだが、妙に疲れた顔をする陸を見ていると一概に否定できない。
あまり多く遭遇しているわけではないがいつも"Akashic Vision"の面々は一緒で、ソーサリスたちはかしましかった。
その仲裁やら何やらを陸が一手に引き受けているのなら疲れるのもわかる気がした。
そしてあくまで悠莉の主観であったデートという単語を陸が使ったことに喜びを感じた。
「デートのお相手に選ばれたのは光栄ですけど、裏はあるんですよね?」
「まあ、ご想像にお任せするよ。」
陸は真実を明かさずカップに口をつけた。
「ふふ、本当に半場さんは素敵な性格をされていますね。」
「それは褒めてるのか貶してるのかどっちなのかな?」
「さあ、どちらでしょう?ふふ。」
お返しとばかりに悠莉もはぐらかす。
さっきの言葉は良い意味であった。
八重花とのやり取りもそうだが悠莉は駆け引きのある会話を好む。
だからこういう会話が楽しくて仕方がなかった。
陸が何をたくらんでいるのか、それを考えるだけで心が躍る。
「暫く付き合ってもらうよ、下沢さん。」
「ふふ、何が待っているんでしょう?」
本音を見せない2人はどこか和やかにお茶を口にした。