第183話 裏切りの傷
太宮神社の境内では神峰美保を中心に"Innocent Vision"とヴァルキリーのソーサリスが向かい合う形になっていた。
美保は黒い魔剣をダラリと下げて悠莉たちの方に振り返る。
「何、悠莉?一緒に"Innocent Vision"を潰しに来たの?それなら手伝わせてあげるわよ?」
美保はクックッと喉を震わせる気味の悪い笑い声を漏らした。
言動はほとんどいつもと変わらないが普段はここまで無謀に走ったりはしない。
キレやすくて特攻するイメージの強い美保だが本来は絶対的な優位に立った状態で相手をいびり殺すようなタイプである。
実に陰湿で嫌な性格だ。
「何をやってるのか分かってるんですか、美保さん?下手をすればこのまま"Innocent Vision"とヴァルキリーの戦争になっていたんですよ?」
美保の言動から無駄だと知りつつも悠莉は友人として説得を試みる。
だがその答えは蔑むような美保の表情だった。
「戦争?上等じゃない。戦争になれば気兼ねなく人殺しが出来るわ。"Innocent Vision"も"Akashic Vision"も、ウザい奴らは皆殺してやるわ!」
美保の様子は時坂飛鳥と同じだった。
元々の性格からして危険ではあったが今はそれが極まっている。
「これからうちは"Innocent Vision"を殺すのよ。邪魔をするんなら悠莉だって容赦しないわよ?」
そう言って美保は悠莉に背を向けた。
"Innocent Vision"はとりあえず様子見をしていて攻撃の手は止めているが美保が本格的に戦闘行為に及べば容赦なく動く心積もりだった。
(さすがにあんなのでも悠莉にとっては友人だから迷っているようね。さあ、ヴァルキリーはどう動くかしら?)
ここで美保を止めるようなら"Innocent Vision"は静観あるいは共闘となるが、万が一美保に同調して攻撃してきたなら悠莉が危惧する戦争の可能性だってある。
"Innocent Vision"はただ静かに動きを待っていた。
バチッ
背を向けた美保の顔の脇を電撃が通過していった。
危うく当たる所だった美保がギロリと振り返る。
「綿貫紗香ぁ。」
美保への対処に困っていた悠莉の隣で紗香がトパジオスを真っ直ぐ美保に向けて構えていた。
「しっかりしてください、悠莉お姉様。アレが神峰先輩でも偽物でも叩きのめしてヴァルハラに連れて帰らなければならないのは同じです!」
「紗香さん。」
「確かに美保の一存でヴァルキリーがかき回されるのは勘弁だね。」
「等々力先輩。」
良子もラトナラジュを肩に担いで紗香の隣に並んだ。
それを見た美保の額の青筋が増えていく。
「なんで邪魔をしようとするんですか、良子先輩?邪魔者は消す、それでいいじゃないですか?」
「確かにあたしはそういうシンプルなのは好きだよ。だけど今の美保は意見に関係なく止めなきゃならない。先輩としてね。」
良子は美保の意見への否定はせずに別の意思で美保に立ち塞がった。
ギリッと奥歯を噛み砕くように美保の顔が歪む。
「どいつもこいつもソルシエールを使ってうちの邪魔をする。これはもう殺すしかないわ。」
グンと美保の左目から放たれる殺気が膨れ上がる。
その対象は"Innocent Vision"だけでなくヴァルキリーも含まれていた。
その殺気の中を由良が玻璃を手に前に出る。
「なんだ?1人だけソルシエールが復活しないから拗ねて魔女に寝返りか?随分と小さい奴だな?」
「煩いわよ、余所者が!」
美保の殺気立った罵倒を由良は苦笑で受け流す。
美保の言っていることは一面では正しい。
ヴァルキリーとは違う思想を持って護衛として同伴しているが、"Innocent Vision"には戻らない今の立場はどっちつかずだ。
余所者という言葉は"Innocent Vision"やヴァルキリーのメンバーから見れば当然とも言えた。
「余所者だろうが今はヴァルキリーの手伝いだ。大人しくすれば一撃で楽にしてやるぞ?」
「やれるものならやってみなさいよ!」
激昂した美保の魔剣からレイズハートが飛び出して由良に迫る。
パァン
しかし翠の光刃は青い壁に阻まれて消失した。
「…悠莉。」
「まさか私が美保さんの暴挙に付き合うと思っていましたか?もともと私は"Innocent Vision"と戦うのは消極的な方です。認めるわけがありませんよ。」
悠莉の否定の言葉を受けて美保は俯いた。
「…所詮は誰もうちの事を受け入れてなんてくれないってことね。だったら、全部壊してやろうじゃないの!」
だが美保はそれを聞いてむしろ吹っ切れたように獰猛な笑みを顔に張り付けて吼えた。
「ジュエルなんておもちゃは要らないわ。このソルシエール・ヘリオトロープがあればうちは最強よ!」
美保の周りにレイズハートが浮かび上がる。
だがその色は鮮やかな翠色から黒い輝きへと滲むように変化してしまった。
「ヘリオ…」
「…トロープ!?」
それとは別の意味で真奈美と悠莉が驚きの声を上げた。
「魔女は魔石から兵を作り出す研究をしてヘリオトロープを完成させた。それなら魔石を適合者に与えて魔剣にする事も出来るって訳ね。」
「そう言うことか。オリビアの術がかかった魔石なら服従するようにされる。これまでの暴走したジュエルもオーの魔剣を与えられたジュエルだったってわけか。」
八重花と由良が美保の一言を解釈して理解した。
「ごちゃごちゃ煩いわね。うちの敵はみんな…」
美保が魔剣ヘリオトロープを振るうと漆黒の光刃が5つからその数を増していく。
瞬く間にそれは空を夜空のように黒く塗り潰した。
「死になよ!!」
まるで空が押し潰そうとして来たように黒い光の刃が降り注ぐ。
「みんな、私の後ろに!」
叶は迫る攻撃への恐怖を押し込めて前へ出ると"Innocent Vision"の皆を自分の後ろに退避させた。
右手に握るオリビンを掲げて身構える。
叶を中心に若草色の輝きが球状の光が"Innocent Vision"を包み込んだ。
「こちらも防御しましょう。コランダム!」
ヴァルキリーもまた悠莉のコランダムがメンバーを囲って多面体のドームを形成した。
直後、
ガガガガガガ
上空から破壊の黒い雨が降り注ぎ障壁に打ち付けられた。
「うっ、大、丈夫。」
「威力が増していますね。」
聖なる輝きも青き障壁もびくともしない。
ガイン
「くっ!」
だがその攻撃の最中コランダムが揺れた。
「守ってばかりじゃうちは殺せないわよ!」
レイズハートを撃ちながら美保が魔剣でコランダムに斬りつけてきたのだ。
障壁の表面が欠けて破片が散らばる。
黒い光を纏った魔剣がぶつかる度にコランダムから破片が飛び散っていく。
「知ってるわよ、悠莉。この欠片も後でコランダムを作るのに使えるのよね?なら!」
美保がヘリオトロープを掲げると一旦黒光の雨が止んだ。
美保がニヤリと笑って魔剣を振り下ろすと
バババババババリン
地面に散っていたコランダムの欠片目掛けてレイズハートは殺到し1つの取り零しもなく砕いた。
「あれだけの数を全部命中させた…。あれは本当に美保?」
コランダムの内側で良子は関心と呆れを同時にしていた。
「酷いですね、良子先輩。うちが他のなんだって言うんです?」
「んー、やっぱりヘリオトロープじゃないかな?」
良子は安直に美保の持つ魔剣の別の姿を考えた。
「カチン。」
美保の怒りスイッチが1つ入り額に青筋が浮かんだ。
「うちをあんな真っ黒黒助と一緒にするなぁ!」
レイズハートと美保の魔剣による同時攻撃がコランダムにぶつかり一枚が砕けた。
「悠莉お姉様!…完全に敵対行動ですね。神峰先輩…いえ、敢えてその名は呼びますまい。悪に魂を売り渡した極悪非道の女幹部カミーネ。戦乙女の名の下に消滅させてあげます!」
「ははっ!カミーネか。悪役っぽいな。俺も乗せてもらおうか。」
コランダムの破片の中を掻い潜るように紗香と由良が障壁の中から飛び出した。
「誰が悪役よ!?」
紗香のトパジオスの斬撃を後ろに跳んでかわした美保は空中にいる間にレイズハートを自身の周囲に展開、着地と同時に一斉掃射した。
上と前からの多元攻撃。
「当たるかよ!」
由良は自分の前に超音壁を発生させ、尖形に変化させて高速で突っ込んでいく。
空気抵抗を超音壁で低減させてスピードを上げたのである。
「ぶつかるよりも早く潜り抜けます。グラマリー・インペリアル!」
紗香は全身に電雷を纏うと地を奔る雷になったように駆けた。
電撃による身体強化と反応速度の向上は降りしきるレイズハートの動きをスローモーションのように見せる。
互いに逆の弧を描き、斜め左右から美保へと迫る由良と紗香。
「当たれ!当たれぇ!」
叫ぶ美保の願望とは裏腹に2人は黒のレイズハートを弾き、避けながら接近する。
そして2つのソルシエールが美保に向けて突き出された。
戦場の動きが止まった。
由良も紗香も美保も動かない。
「なっ…」
「何ですか!?」
由良と紗香の驚愕に美保が口の端をつり上げた。
「グラマリー・ディスハート。」
2つの刃はレイズハートが形成した障壁によって食い止められた。
「コランダムみたいな光の盾か!」
「残念、ちょっと違うわね。これは…攻撃のための溜めよ!」
グッと突撃を食い止めていたエネルギーが臨界に到達した瞬間、レイズハートが弾けるように光の弾丸を吐き出した。
「ぐあっ!」
「うわっ!」
攻撃の最中という最も無防備なタイミングを狙われた由良と紗香はまともに光の弾丸に曝されて弾き飛ばされた。
「どう、カウンターグラマリー・ディスハートは?攻防一体の無敵のグラマリーよ。」
美保は2人に追撃することもなく得意気にヘリオトロープを振ってみせた。
「紗香!」
「初見とはいえ羽佐間さんがやられるとは。コランダム。」
悠莉は由良たちを守るようにコランダムの範囲を広げて展開し直す。
良子は紗香に駆け寄って抱き起こした。
軽く咳き込んで目を開いたので命の心配はなさそうだった。
「本当に悠莉のグラマリーはつまらないわね。引きこもってないで攻撃してきたら?」
美保は苛立たしげに肩を魔剣で叩いている。
"Innocent Vision"にも横目で視線を送るが美保が攻撃しない限り動く様子はない。
チッと舌打ちして美保は視線をヴァルキリーに戻した。
「綿貫。良子先輩と悠莉とチーム組むとか言ってたわね?」
「"シグナル"の事ですか?」
紗香がまだふらつきながら立ち上がる。
美保はその紗香を見下したように笑った。
「名前なんて知らないわ。だけどうちにはもう"RGB"なんて必要ないから2人は譲ってあげるわ。"シグナル"でも何でも作るのね。」
"RGB"は要らない。
その言葉は紗香以上に良子と悠莉の心に突き刺さった。
前からヴァルキリーのメンバーとして一緒に戦ってきて、時には意見の食い違いもあったけど仲間として艱難辛苦を共に乗り越えてきた。
だが美保は魔剣ヘリオトロープの効果があるとしてもその仲間の存在をあっさりと切り捨てた。
「あたしらは美保にとってその程度だったってこと?」
「昔の良子先輩と悠莉はまだよかったわよ?でも今は全然駄目ね。ヴァルキリーの将来のためだかで人を殺さなくなって"Innocent Vision"とか"Akashic Vision"ともなあなあの関係でいようとする。それが虫酸が走るほど我慢ならないのよ!うちは邪魔者を殺すために魔剣を手に入れたのよ!」
美保の怒りに呼応して美保の全身からレイズハートが溢れ出して膨れ上がる。
それは巨大な球体となって美保の上に現れた。
「うちの邪魔をする奴は皆殺してあげるわ!」
「美保さん…。」
悠莉は悲しげに目を伏せた。
そしてキッと顔をあげて美保を睨み付ける。
「ならば私はその心根の捩れが戻るまで美保さんの精神を叩き直してあげます。」
「やってみなさいよ!レイズ…」
「それほどの大技が放たれれば太宮神社の被害は甚大です。見過ごせません。」
美保が漆黒の球体を放とうとした瞬間、琴の私的な理由で"Innocent Vision"が介入してきた。
「とりあえずあの危険物を排除しないと。行くよ、スターダストスピナ!」
真奈美が飛び上がり流星となってレイズハートの真上から突き刺さった。
「神様の前で喧嘩は駄目です!聖なる光!」
さらに神域の力で増幅した清い光が全てのグラマリーを消滅させた。
「"Innocent Vision"!」
戦いを邪魔されて叫んだ美保だったが思い直したのかふんと不機嫌そうに鼻を鳴らすだけだった。
「興が削がれたわ。それじゃあこれからも楽しい殺し合いをしましょうね?ヴァルキリーに"Innocent Vision"。」
邪悪な笑みを浮かべた美保は背を向けると一度も振り返ることなく去っていった。