第182話 迫る犯人
"Innocent Vision"は太宮神社に集まっていた。
八重花の事例は若干微妙だが真奈美や琴、叶は一歩間違えば大怪我を負ったり最悪命を落としていた可能性があった。
そしてジュエルではないかという状況証拠は揃ってきているものの犯人の姿は誰も見ていなかった。
「相手が見えない以上、用心する必要がありますね。」
「そういうことよ。集まったのはその方針を決めるためね。」
「ジュエルの人たちに嫌われちゃってるのかな?」
「まあ、"Innocent Vision"はヴァルキリーの敵だって思われてるからね。」
これまでヴァルキリーの付属品や取り巻き、有象無象だと考えていたジュエルがここにきて暴挙に出始めたことは"Innocent Vision"にとって大きな問題だった。
「わたくしたちの対話する相手はヴァルキリー。現在あちらに明確な敵対の意思は感じられません。しかしジュエルという末端が敵意を持って攻撃してくるとなれば統率能力を疑うかヴァルキリーの真意を疑うか、どちらにせよ信頼できなくなるでしょう。」
「攻撃してくるなら応戦して、そうなったらヴァルキリーも戦わざるを得なくなるからね。なんとかそうなる前に止まらないと。」
「そのためにヴァルキリーが犯人を探すと言っているわ。私たちも気を付けてこれ以上被害を増やさないようにするのよ。…誰かが死んだりしたらどう足掻いても止まれるわけがないんだから。」
八重花の一言に全員がしっかりと頷いた。
だがこの時、既に太宮神社に魔の手が伸びようとしていた。
その頃、ヴァルハラは俄に慌ただしくなり始めていた。
「最近ゴタゴタしていて全員が集まる機会はほとんどありませんでしたが、そう言えば美保さんを見掛けませんでしたね。」
ヴァルキリーの意に添わない形でジュエルを使えないとなった時点で犯人がジュエルという線が消えた。
そうなるとヴァルキリーか、あるいは"Akashic Vision"や"オミニポテンス"の陰謀という考えも浮上したが、そこで悠莉が美保がいないことに気が付いたのだ。
認識してしまえばむしろどうして気付かなかったのか疑問に思えた。
「あたしも見てないね。悠莉は美保と同じクラスじゃなかったっけ?」
「教室にはいた…と思います。ただいつもより影が薄いと言いますか、気が付くといなくなっていた印象がありますね。」
一番一緒にいる機会の多かった悠莉でさえ美保がどこに行ったか分かっていない。
それは何かが異常なのだと感じられた。
「確かに神峰は急進派って感じだからな。」
「でもいくら美保だってボクたちに何も言わずに勝手に"Innocent Vision"を殺そうとしたりなんて………」
緑里は最後の否定の一言が言えなかった。
それくらい美保は"Innocent Vision"を潰せ、殺せと言ってきていた。
「美保様を今回の事件の犯人にしてしまうのは早計です。しかし最近美保様がヴァルハラに姿を見せていないのも事実。直ちに身柄を確保しましょう。」
「身柄を確保って、力ずくでいいですか?」
紗香が物騒なことを笑顔で尋ねる。
だが残念なことに笑える状況ではない。
「場合によっては力ずく、ソルシエールの力を使って鎮圧する必要がある可能性があるかもしれません。」
不確定だと言いつつも葵衣はすでに美保がそのような抵抗を見せることまで想定していた。
「美保が有罪にしろ無罪にしろヴァルハラに引っ張ってこないことには始まらないね。美保の居場所は分かるのかな?」
「緊急事態です。プライバシーのため普段は切っていますが双方向通信機の発信を辿りましょう。」
ヴァルキリーが大規模戦闘の際に装着して複数人との会話をリアルタイムに行えるようにする通信装置。
感覚的にはトランシーバーに近い。
そしてこのシステムには発信者の位置情報を親機に伝える機能がついているのである。
戦場で各メンバーおよびジュエルの動きをトレース出来るのはこのためだ。
「システム起動確認。…受信を開始。」
「お、光った。」
ディスプレイにはレーダーの線が一定速度で回転しており、その中心付近にいくつかの光が集まっていた。
「こちらは私たちの発信器からの信号です。美保様は学内にはいらっしゃらないようですね。」
葵衣がキーボードを操作すると受信範囲の表示が広がった。
光の集まったところから離れた場所に一点の光が見つかった。
「お嬢様も発信器はお持ちですがこの距離では近すぎます。この発信源が恐らく美保様です。場所は縮尺と方角から計算して…太宮神社に向かっています。」
「!」
ヴァルキリーの皆が一斉に顔を見合わせた。
八重花は集まって注意を促すと言っていた。
"Innocent Vision"が集まるなら太宮神社。
そこに美保が向かっている意味はあまりにも明白と言えた。
「私と等々力先輩、紗香さんで向かいます。葵衣様と緑里様はここで指示をお願いします。」
珍しく悠莉が慌てた様子で言って飛び出していった。
「俺もたまには護衛らしく働くとするか。付き合ってやる。」
良子、紗香に続いて由良も出ていった。
「美保、どうしちゃったんだろ?」
緑里の心配とは裏腹に美保の信号は確実に太宮神社へと近づいていた。
ヴァルキリーが"Innocent Vision"を守るために動いたなどと知る由もなく、叶たちは太宮神社でお茶をしながら話を続けていた。
「注意もそうだけどもう1つ、楽しくはない面白い話を仕入れたわ。」
「楽しくはないのに面白いの?」
八重花の言い回しに叶は不思議そうな顔をする。
「つまり良くないけど興味深い話ってことかな?」
「ご明察。」
真奈美は八重花のひねくれた言葉を正しく認識していた。
八重花はフッと笑って葵衣から渡された文書をちゃぶ台の上に置いた。
「これは、先日の話し合いでヴァルキリーに提出を求めた選定条件ですね。」
「そっちはどうせセールスみたいに良いことばかり並べられているだけだからどうでもいいわ。」
さすがは八重花というべきか、本気で書かないことは分かっていたようだった。
撫子たちもそう思って適当に書いたのだからそこは腹の探り合いである。
「問題は悠莉が渋ってた情報の方よ。てっきりヴァルキリーのメンバーが暴れてヴァルハラを改装したとか面白い話が書いてあるのかと思ってたんだけどね。」
八重花が促すようにもう一度紙を押し出すので叶たちはそこに書かれている内容を覗き込んだ。
「魔女オリビアの率いる"オミニポテンス"の新戦力についての現状理解…。これって…」
「海老でマグロが釣れたわ。」
驚きで固まっているメンバーを見回した八重花は紙を取り上げてじっくりと見た。
「オミニポテンス、オリビアが神の力と言っていたものを組織名にしたようね。これまでのオーは鉄鋼で言えば屑鉄で、本命の鋼の名前はヘリオトロープ。グラマリーを使うらしいわね。」
八重花は葵衣によって書かれた読むと眠くなる文章をかい摘んで分かりやすく言葉にしていく。
それを聞いた叶は不安げな顔に変わっていく。
「オーがグラマリーを使うようになるなんて危ないよ。」
「確かに。これまでのオーみたいに一斉に出てこられたら厳しい戦いになるかもしれないね。」
真奈美も戦いを念頭に置いた上でオーに変わる新戦力の登場を警戒していた。
グラマリーと一口に言っても様々な技があり、万が一ヘリオトロープが超音振を使えようものなら各組織は全滅する可能性が高くなる。
それはジュエルにも言える事だが現在のところグラマリーの発現が確認されたのは二例だけなので警戒レベルはヘリオトロープの方が上だった。
「さらに悪い知らせよ。オリビアは魔剣を振るうためにその体を造り上げたカーバンクルを4体投入し、その4人をカーバンクルと呼んだようよ。」
「カーバンクル。時坂飛鳥さんや桐沢茜さんに変わる魔女オリビアの戦士と言うわけですね。」
茜に関して八重花は複雑な思いを抱いていたが表面には出さず苦笑で応えた。
「これで魔女の軍団は全員がグラマリーを使えるようになったわけね。」
「大丈夫なの?」
叶の不安は当然のことだ。
その割に八重花も真奈美も琴も慌てた様子はない。
「力を過信するつもりはないけど"Innocent Vision"にはシンボルが2つにセイバーが1つあって相当魔剣に対して優位な状態よ。少なくとも遅れを取ることはないわ。」
何しろ長期戦になったとしても叶の癒しがあるため、八重花と真奈美が限界まで戦ってもその傷と疲れを取り除いてまた戦える。
現実における回復魔法はかなりの反則技と言えた。
「八重花さん。そろそろお客様がお見えになるようですよ。」
突然琴がお茶を飲みながらそんなことを告げた。
八重花はもちろん叶も真奈美も誰かを呼んだり訪問される予定などなく顔を見合わせる。
「ともかくここにいるのはあまりよろしくありません。外に出ましょうか。」
琴は内容には明言しないで立ち上がるとさっさと社務所の外に出ていってしまった。
「"太宮様"の占いかな?」
「そうね。まあ、私たちに不利益になるような事を言っている訳じゃないだろうから出るわよ。」
「お客様ね。なんか嫌な予感がするよ。」
真奈美はぼやきながら続いて外へと出ていった。
そしてその嫌な予感は、外に出た直後に降ってきた翠色の光の雨という形で見事に的中した。
ドォン
太宮神社の境内で粉塵が立ち上る。
「いきなりやってくれるわね。」
叶を真奈美が、琴を八重花が抱えて横に跳んで直撃を避けた"Innocent Vision"は爆心地を見て表情を歪めた。
「あのまま中にいたら社務所が攻撃されてたんだ。」
叶だけは社務所の倒壊を免れてホッとした様子で、確かに"太宮様"のおかげで建物の崩落から免れた。
「襲ってきたのは誰?ヘリオトロープとかカーバンクル?それとも学校で仕掛けてきた犯人?」
真奈美がスピネルをいつでも戦えるように構えながら叶を後ろに庇う。
八重花もすでにカペーラを展開させていた。
「後者の可能性は高いけど、その両方がイコールかもしれない。どちらにしろ答えはすぐに分かるわ。」
八重花が土煙の向こうを睨み付ける。
風が吹いて土煙が払われた先に立っていたのは
「ざーんねん。1人も殺せなかったわね。」
邪悪な笑みを浮かべたヴァルキリーの神峰美保だった。
その表情は明らかに正常ではなく、左目の輝きも異様に朱色が濃い。
「…ああ、神峰美保ね。」
「ある意味いつも通りだね。」
だが"Innocent Vision"にとって神峰美保は好戦的で殺す殺す叫んでいる危ない人物だという印象のためまったく異常に気付いていなかった。
「え?あれ?もっとこう、驚いたりしないの?」
もっと脅えられることを想像していた美保はむしろ"Innocent Vision"の反応を窺ってキョロキョロしている。
「いきなり攻撃してきたってことは犯人決定だね。よくも階段で突き落としてくれたね。」
真奈美が手にアイリスを顕現させる。
「よく見ればわたくしが見たのはあの剣です。」
琴もフェルメールを手に瑠璃色の矢を番えた。
「きっとトレイを割ったのもレイズハートね。鍋の恨みは大きいわよ?」
八重花の両手から赤と青の炎が激しく吹き出す。
「ええと、反省してください!」
叶は攻撃には参加する気はなかったが、叶の掛け声で一斉に美保に向けて"Innocent Vision"の攻撃が叩き込まれた。
「ちょっ!?いきなりクライマックス過ぎるわよ!」
怒濤の攻撃の向こうで美保が文句を叫んでいたが炎や光に包まれて見えなくなった。
正直一撃滅殺クラスの攻撃が直撃したようなものだ。
怪我どころか死んだ可能性も…
「うがーー!」
だが美保は中心でジタバタしながら吠えた。
美保を包んでいた炎と光が弾け、フェルメールの矢が弾かれた。
「神峰美保はジュエルのはず。それなのにこの力はいったい!?」
静かに驚きを露にする八重花がジオードを握り直す。
「あ、見て。手に持ってるのはジュエルじゃないよ!」
叶が指差したのは美保の握る魔剣。
それは無骨な剣ではなく漆黒の闇に塗り固められた禍々しい魔剣だった。
「デュアルジュエルってわけじゃ無さそうだね。嫌な感じがする。」
攻撃を弾き飛ばし、"Innocent Vision"が警戒を強めたのを見てようやく美保は楽しげに不敵な笑みを浮かべた。
「くくく。いい顔になったわね。もっと歪ませてあげるわ!」
美保が黒剣を振り上げ、目を爛々と朱色に輝かせる。
刀身がぼんやりと光を放ち、攻撃態勢に入ろうとしているようだった。
「いました、美保さん!」
そこにヴァルキリーのメンバーが駆け込んできた。
"Innocent Vision"と対峙している事。
手に武器を持っていること。
もはや追求するまでもなく美保が容疑者だ。
由良が美保の手にある魔剣を指差す。
「あの剣は暴走ジュエルが持ってたってやつじゃないか?」
「確かに話に聞いた感じに近いね。それじゃあ美保は…」
「わたしたちの敵になったんですね!」
「「……」」
戦場になろうという太宮神社を沈黙が満たした。
"Innocent Vision"もヴァルキリーも美保でさえ呆然としている。
由良がポリポリと頬を掻いて紗香に尋ねた。
「そうなんだろうが、なんで嬉しそうなんだ?」
全員の視線を向けられて図太さに定評のある紗香も冷や汗を流して視線をそらした。
「そ、そんなことありませんよ。」
口笛まで吹こうとしているがかすれている。
ごまかそうとしているのがバレバレだった。
「分かりやすいくらいに説得力がないね。」
「紗香さんですからね。」
紗香のヴァルキリー内の立ち位置はすでに決まりつつあるようだった。
「うちを無視するなーーーー!!」
そしてどんな状況でも美保の立ち位置は変わらなかった。