第180話 人造ソルシエール計画
深夜、撫子と葵衣と緑里はテーブルを囲んでいた。
"Innocent Vision"の東條八重花によって提出を余儀無くされたヴァルキリーの理想と実現のための明確な選定基準の文書化をしているのであった。
別に八重花は1日で出せとは言っていなかったが先延ばしにするのは撫子や葵衣の望むところではなく、考え始めたら止めるにやめられなくなっていた。
ただ自分の理想を書いていくだけならばそれほど問題にはならないのだが、これが元で"Innocent Vision"との関係性が決まるとなると不用意なことは書けなくなる。
「選定条件は補導歴かしら?」
「更生して善人になった方はどうなのかとの質問が予想されます。男性の基準はいかがされますか?」
このように守るべき者と切り捨てる者を決めようとするとどこかに問題が生じる。
これならば正義の味方をやった方が楽なんじゃないかと思うほどに線引きは困難だった。
「…んー…」
初めは協力しようとしていた緑里も座りながら舟を漕いでいる。
尤も、緑里が加わっても混迷したのは変わらないが。
「東條さんも大きな宿題を出されたものですね。先延ばしにしていたわたくしに非がありますが。」
「しかし大事の前の小事。ヴァルキリーの障害の排除が優先であったことは事実です。」
「大事の前の小事、ね。」
撫子はそう呟いて力なく笑う。
かつてその言葉で琴との交渉が決裂したことがあった。
それ以降は気を付けるようにしていたが、葵衣も同じ考えとなるとそういう教育を受けてきたと諦めるしかない。
「わたくしたちは履き違えているのかもしれません。本当に大切なのは作り上げる世界の平和。ならばそちらこそが大事なのではないかと。」
「…。」
葵衣は答えられない。
確かに大局的に見れば、そして"Innocent Vision"から見れば平和を望み実現する手段こそが大事なのだから。
「しかし…」
不意に軽い調子の声が聞こえて葵衣が目を向けると撫子がおかしそうに微笑んでいた。
「何を書いたところで東條さんはわたくしたちのなす事を知っているのです。適当に見映えの良いものにしてしまって構わないわ。」
晴れ晴れとした顔で原案を手に取ると小気味良い音を立てて破った。
自棄になった感もあるがそれ以上に撫子自身の大事が揺るがないことがわかったからこその行動だった。
「了解致しました。お嬢様、悠莉様から承った件はいかが致しましょう?」
「東條さんからのヴァルハラ改装の理由の追求。…別に構わないのではないかしら?」
構わないの意味が分からず葵衣が首を傾げた。
「事実をありのままに書いて構わないわ。"オミニポテンス"の戦力を隠して"Innocent Vision"の意表をつき壊滅に追い込むことも出来ますが、やはり優先して倒すべきは"オミニポテンス"であり"Akashic Vision"です。…こうして考えると"Innocent Vision"は本当に対処に困る組織ね。」
「まったくです。」
珍しく葵衣が感情のこもった返事をした。
「ふあ。…後はお願いね、葵衣。」
さすがの撫子も眠気には抗えずジュエルの築く社会を思いながらベッドに吸い込まれるように倒れた。
あっという間に寝息を立て始めた。
「お休みなさいませ、お嬢様。」
葵衣は眠る緑里を抱き上げながらそっと退室していった。
"Akashic Vision"はオリビアたちの後を追っていた。
「オリビアが出てくるとは予想外だったね。」
「りっくんのInnocent Visionでも魔女はなかなか引っ掛からないんだよね?」
陸の運命視Innocent Visionはある程度まで望む未来を見られるようになったもののすべてを見通せるわけではない。
特に魔女などの特殊な存在についてはなかなか思うような情報は見られずにいた。
「そうだね。理由は最近なんとなく推察できるけど。」
「…。」
明夜が興味を示したのか睨んだのか陸の背中を見ていたがそれを気にするよりも早く"Akashic Vision"の前に黒き異形が姿を現した。
「またオーがたくさん出てきたよ。これはやっぱり私たちの妨害のためだろうね?」
「奥にいるのは、違う。」
明夜がわらわらと溢れているオーには目もくれず、漆黒の騎士に刃を向けていた。
「一回り大きい個体。あれがヘリオトロープだね。この場の指揮官ってところかな?」
新型のオーを見ても"Akashic Vision"の面々に驚きはない。
陸にとって初対面は必ずしも初見とは限らないのだから。
「オー!」
「ヘリオトロープでも叫び声はオーなんだ。」
蘭は細かいところに感心しながらオブシディアンに右手を添えた。
「新型のお手並み拝見ね。」
海も戦闘体勢でアダマスがブリリアントの輝きを放っている。
「オリビアたちはすでに見失ってるし、追いかけ出した直後じゃなくてこのタイミングで妨害してきたってことはここから先は複雑なのかもしれない。今日はヘリオトロープとの交戦が出来るって辺りで手を打とうか。」
陸がわずかな情報から真実を推察していく。
言葉を理解しているのかソーサリスたちの力に反応したのかヘリオトロープが長剣と盾を構えた。
同時に結界が形成していく。
「オオーー!」
ヘリオトロープの咆哮と共にオーが敵意を持って進撃してきた。
キン
瞬間、世界が凍りつく音がした。
「今日の"Akashic Vision"の相手はヘリオトロープよ。だから、邪魔しないで。」
グラマリー・ディアマンテで世界が色を失い、オーがすべての動きを止められる。
「行くよ、明夜ちゃん。」
「やる。」
蘭と明夜が飛び上がって空中で交差する。
2人の体がカッと光り、無限の蘭と明夜が飛び出した。
「グラマリー・シャドーミラーだよ。にんにん。」
ミラーハウスとは違う、実体と見迷う分身は乱立するオーの間を駆け抜けてその手の刃で切り裂いていく。
「タイムアウト。」
海の言葉が空間に広がり色を取り戻した時、すべてのオーが全身を切り刻まれて声を上げることもなく消滅していった。
蘭と明夜の分身も一緒に消えていく。
一瞬。
ヘリオトロープにとってはまばたきをした次の瞬間には景色が変わっていたように感じた。
「オオーッ!」
ヘリオトロープが振り上げた剣が震える。
そのまま振り下ろされた刃から黒い風の太刀が飛ぶ。
「てい!」
蘭がそれを弾くがヘリオトロープは剣を振り回して次々に飛ばしてくる。
黒き風刃の怒涛は激しさを増し
「海ちゃん、明夜ちゃん、ランの後ろに入って。アイギス!」
蘭はスペリオルグラマリーで全員を防御した。
エネルギー状の盾の表面で風刃がほどけて消えていく。
「音震波みたいなものだね。グラマリーを使うオーか。」
蘭に守られながら陸は相手の戦力を分析する。
陸の口の端がわずかに上がった。
「この程度、僕たちの敵じゃない。」
「「「当然(。、!、だよ!)」」」
陸の呟きに3人が力強く頷くと蘭はアイギスを解除し、ソーサリス3人が風刃の嵐の中に飛び込んでいく。
守りを失った陸にも風刃の猛威が襲い掛かる。
「Akashic Vision。」
陸の左目が朱色に輝きを放つ。
まばたきした時には風刃は陸を避けて飛び去っていった。
「倒す。」
明夜が両手の刃を羽根のように広げながら地面を滑るように駆ける。
「オー!」
左手に備えられた大型の盾の表面が黒く淀み、そこから漆黒の球体が滲み出してきた。
それが弾丸だと認識したときにはすでに明夜に向けて散弾のように撃ち出されていた。
ドウ
その球体が目映い輝きの中に消えていく。
ブリリアントが明夜に迫っていた弾丸をすべて消滅させたのだ。
「オオッ!」
隠し玉の弾丸を防がれたヘリオトロープは明夜の斬撃に耐えるために盾を強化する。
それはさながら蘭のアイギスのようだった。
バチッ
右の刃が盾とぶつかりエネルギーの火花を散らす。
明夜の攻撃は完全に食い止められていた。
「油断大敵だよ?」
「オッ!?」
それはヘリオトロープの懐から。
視線を下に向けた先でふわりと黄色い髪が揺れ、
ザン
左腕が胴体から分断された。
「オ…」
「これで終わり。」
悲鳴を上げるヘリオトロープが縦に分断された。
明夜の左の刃が縦一文字に振り抜かれる。
消えていくヘリオトロープを見ながら陸は真面目な顔で悩んでいた。
「確かにこれが増えたら少し面倒なことになりそうだね。他の組織が。」
"Akashic Vision"の襲撃から逃れたオリビアとカーバンクルはアジトに引き上げた。
オリビアは玉座とも言える安楽椅子に腰かける。
「カーバンクルを動かすにはまだ尚早じゃったかの。否、恐ろしきはAkashic Visionの魔眼じゃな。」
オリビアの造り上げたカーバンクルは人造ソルシエール計画の産物である。
人造ソルシエールというとジュエルも同様の名称の計画だが、目指すものが異なってくる。
ジュエル計画があくまで人の手で作り出されたジュエルで魔剣使いを増やしていき、ヴァルキリーの掲げる恒久平和を実現する人員とするものである。
対するオリビアの人造ソルシエール計画とは、魔石適合者を介さずに魔石から直接ソルシエールを操る兵を造り上げるものである。
ソルシエール発現に見合う適合者は世界中にもそれほど多いわけではなく、魔石との相性も存在する。
アズライトなどが良い例で存在が認識されて以来、陸を除いて適合者は存在しなかった。
「苦節…もう指折り数えるのも忘れたのう。ようやく完成したのじゃ。邪魔はさせぬ。」
オリビアは自らの忠実な駒を造り上げるために研究を続けた。
初めはソルシエールを発現した人間を操る方法を試していた。
しかし人の心を完全に掌握することは出来なかった。
どんなに強い縛りを施しても親や恋人、自分の子供など縁ある相手と関わり合うことで術に綻びが生まれ、最終的には自壊した。
…ちょうど茜や飛鳥がそうであったように。
そうしてオリビアは人の意思の介在しない兵を作る研究を本格的に開始した。
まずは研究に必要な魔石を手に入れるためあるものは貰い、あるものは探し、そして自分で作った。
オリビアが量産に成功した魔石がヘリオトロープであり、その製造行程で生まれた失敗作がオーと呼ばれた雑兵である。
しかし、その雑兵すらも意のままに動く存在にまでするのは困難を極めた。
一時は本質をかなぐり捨てて人の意識を与えてみたこともある。
…やたらと素振りや投球フォームを繰り返すオーが出来上がったが。
「そう言えばあやつはおらぬな。いつの間にか倒されたか。」
人の意識を与えたオーはその後も何体か製造したが、結局借り物の意識では制御しきれないし能力も低いので戦闘向きではなかった。
戦闘力は低いが異常に足の速いオーは手紙や物品の輸送に重宝しているのは否めないが、オリビアが求めたのは主の意のままに戦う最強の兵団である。
どうにか戦闘に耐えうるオーが出来上がったもののヘリオトロープを完成させる方法で手詰まりしていたオリビアはファブレの消滅を知った。
そして日本の壱葉にファブレの生み出した多くのソルシエールが集まっていると。
オリビアは他の魔女の制止の制止を振り切って壱葉へとやって来たのであった。
「この地は良いのう。理由は分からぬが高い魔力を持つ者が多く、魔石の精製も精度が高い。ここは妾の理想郷かのう?」
壱葉にやって来たことでオリビアの研究は飛躍的に発展することになる。
オーの動作条件は向上して量産出来るようになった。
新たなソルシエールを誕生させるために飛鳥の家族を襲ったりもして戦力の下地を整えていった。
その中でオリビアは見つけた。
魔女ですら滅多に遭遇することのないセイントを。
「聖なる力を手に入れることで妾はオミニポテンスへと至り、魔女を超越する。じゃが、まずは邪魔者を消し去らねばならぬのう。」
オリビアは視線を部屋の中へと向けた。
「…。」
アルマンダインは赤い魔剣を無言で振り続けている。
「なんなのよー?」
パイロープは何に対する不満かを口にもせずただ文句を言いながら魔剣を振り回している。
「zzz」
スペッサルティンは魔剣に寄りかかるようにして眠っている。
「…状態確認。」
グロッシュラーは静かに座って膝の上に魔剣を乗せながら自分の様子を呟いている。
「魔剣を振るうにたる"自我"の成長には今暫しかかりそうじゃな。」
オリビアの望む兵に余計な感情や意識は必要ない。
しかし魔剣が武器である以上、それを扱う者は戦う力を成長させなければ強くなることはない。
"自我"はそのためにカーバンクルに与えられた。
「糧を与えるにも"Akashic Vision"が邪魔をしてこよう。まだ時間を稼ぐ必要があるようじゃな。」
オリビアが呟いたとき、アジトの扉が開いてコツンと足音が響いた。