第18話 金色ウィークの幕開け
そして"Innocent Vision"、ヴァルキリー、謎の敵、それらすべてに関して何も事件が起こらないまま黄金週間が到来した。
叶が待ち合わせ場所である壱葉駅に着くとパンツスタイルにちょっと不釣り合いな麦わら帽子を被った明夜が待っていた。
「おはよう、明夜ちゃん。楽しみだね。」
「うん。楽しみ。」
表情はほとんど変わらないがウキウキしているのが雰囲気から窺えた。
それを微笑ましく思いながら道の方に目を向けると旅支度をした"Innocent Vision"のメンバーが壱葉駅に集まって来ていた。
「カナと明夜が先だったか。」
由良はジーパンにシャツにジージャンで肩に荷物を提げている。
「相変わらずお姉さんはかっこいいですね。」
目付きの鋭さを凛々しさと置き換えれば由良はモデルのようなスタイルを持っていた。
長い足、細い腰、大きな胸、どれを取っても叶に勝ち目があるパーツがない。
「…はぁ。」
小さくため息をついた叶の心を何となく悟った由良はポンポンと叶の頭を叩いた。
「その辺りは温泉でじっくり確認してやるからな。」
「い、いいいえ、遠慮します!」
逃げ出そうとする叶だが頭を押さえられているから動けない。
由良の口の端がニヤリと笑ったように叶には見えた。
「姉としてはカナの成長を確認する必要がある。そもそも女同士のスキンシップだ。気にするな。」
実に男らしい考え方の由良に叶は反論を押さえ込まれて渋々頷いた。
「また叶を苛めてるのね?」
そこに割り込んでくる声に振り返ると黒いワンピースに黒く唾の広い帽子を被った八重花が腰に手を当てて立っていた。
その後ろには杖を手にした真奈美もいる。
「いじめるわけがないだろう?俺はただ温泉でカナの成長を確認しようって話をしただけだ。八重花だって気になるだろ?」
そこは即座に反論してくれることを期待していた叶だったが八重花はジロッと叶の全身を無言で見つめていた。
「…確かに、私の中の叶のデータを更新する必要がありそうね。」
ニヤリと笑う2人目は明らかに面白がっていた。
「えーん、真奈美ちゃーん。」
「裸の付き合いは友情を育む基本だよ。」
泣きついた真奈美は元ソフトボール部の体育会系だった。
孤立無援になった叶はべそをかきながらガクリと項垂れるのであった。
「げ、あんたら。」
突然かけられた嫌そうな声に顔をあげるとヴァルキリーの"RGB"、等々力良子、神峰美保、下沢悠莉がいた。
尤も嫌そうな態度を示したのは美保だけで
「八重花、元気そうだね。」
「おかげさまで。」
「皆さんは相変わらず仲が良いですね。」
「そうだね。」
割と他の2人は和やかだったりする。
「そこ、和むな!」
いつもカリカリしている美保はこんな時でもキレやすい。
「まあまあ、せっかくの旅行ですから落ち着いてください。」
「あたしはこの面子と行き先が一緒じゃないってわかるまで落ち着けない!」
「何を繊細な女の子みたいなことを言っているのですか。」
「あたしは繊細な女の子だ!」
美保が噛みつき悠莉が受け流す構図は健在ですっかり見世物だ。
叶が救いを求める視線を八重花に送るとため息をつきながらも2人に近づいていった。
「悠莉、煽って遊ばない。」
「美保さんの打てば響く反応を見ているとつい歯止めが聞かなくなるんですよ。」
困りましたねと他人事のように苦笑する悠莉にもう一度盛大なため息をつくと今度は美保を見、
「はぁ。」
何も言わずため息をついた。
美保の額に青筋が浮かぶ。
「何よ、そのため息は!?やるなら相手になるわよ!」
美保の左目に朱色の輝きが満ち始める。
八重花は掌打をその眼前スレスレに打ち込んだ。
完全な不意打ち、倒すつもりで放たれていたら間違いなく昏倒していただろう死角からの一撃に美保がタラリと冷や汗を流す。
「こんな大勢の前でジュエルを使うつもり?こっちはやる気が無いんだから落ち着きなさい。」
「…チッ。わかったわよ。」
美保はふて腐れてそっぽを向くと八重花から離れていった。
代わりに悠莉が寄ってくる。
「皆さんはどちらに行かれるつもりですか?」
「由芽浜に行ってから小旅行よ。」
「由芽浜…観光地ではありませんよね?」
八重花はスッと視線を叶に向けるがそちらは話をしていて気付いていなかった。
「聖人様のお導きよ。何があるのかはりくでもない限り予想もつかないわ。」
お手上げとばかりに首を横に振ると悠莉はクスクス笑った。
「旅が楽しくなるスパイスは用意されているようですね。私たちは山と海と温泉をコンセプトにした旅行です。」
「悠莉、そろそろ時間よ!」
どこか尋ねる前に美保と良子が悠莉を呼んだ。
「急ぎませんと乗り遅れてしまいますね。それではよい旅を。」
「ありがとう。そっちもね。」
悠莉はニコリと微笑むと会釈をして2人のもとに去っていった。
「ヴァルキリーと馴れ合う日が来るとは思わなかったな。」
八重花に近づいた由良は複雑な顔をしていた。
今でこそ"Innocent Vision"の八重花だが元はヴァルキリーにいたからこそ先ほどのように話ができるわけで、明夜や由良、真奈美はやはり敵という認識が強いので戸惑っていた。
叶はどちらとも言えないがとりあえず美保の怒りは怖いのであまり関わりたがらない。
「今の"Innocent Vision"は戦いを極力避けないといけないのよ。力が無いまま戦うくらいなら馴れ合うくらいなんてことないわ。」
八重花は遠くを見ていて表情を見せなかった。
痛いところを突く正論に暗くなりかけた空気を
「あたしたちもそろそろ電車の時間だよ。」
真奈美が声をかけて払拭した。
「折角の旅行だ。楽しまなきゃな。」
「壱葉でのしがらみを温泉で流したいわね。」
「それじゃあ、"Innocent Vision"慰安旅行に出発です!」
叶の元気な声を合図に"Innocent Vision"の旅がスタートした。
ガタンゴトン
ゆっくりと走るローカル電車に客の姿はほとんどない。
「貸し切り電車?」
「違うわ。電車を貸し切るにはかなりの金額が必要になるもの。」
車両を見回ってきた明夜の疑問に八重花がある意味正しく答える。
叶は窓の外をぼんやりと見つめていた。
流れていく風景は徐々に畑や森のような自然色豊かなものに変わってきており、目に映る家屋も昔ながらの風体を見せるものばかりになってきた。
「まるでタイムスリップしたみたい。」
昭和の時代を知らず、豊かな物質社会で生きてきた叶たちですら皆が寄り添い一生懸命に生きてきた古き時代を懐かしいと感じた。
窓枠に肘を置いて同じように景色を眺めていた由良は叶の言葉にフッと笑みを溢した。
「この光景を見て不便だとかぼろくさいと言わない辺りにカナの善性が見えるな。」
「お姉さんは古くさいと思いますか?」
「まあな。だが、悪くはない。現代人は恐ろしいくらいに他者に無関心だ。隣人の顔を知らず、何か事件が起こっても自分には関係ないと関わろうとしない。」
実感のこもった声で怖い顔をした由良はまた表情を和らげた。
「だが、古き良き時代には物の豊かさはなくても人情という心の豊かさがあった。はたして今と昔、どっちが幸せなんだろうな?」
その答えはそのどちらの時代にも生きてきた者にしか出せず、叶たちにその解答権はない。
「なかなか難しい話をしてるみたいだね。」
「真奈美ちゃんは今と昔、どっちがよかったと思う?」
「どうだろうね。少なくともあたしがこれだけの怪我をして生きてるのは発展した医療技術のお陰だから一概に昔が良かったとは言えないよ。」
それも視点の一面。
技術の進歩は目覚ましくたった十数年で情報通信は世界すべてと繋がるほどに広がり、物質の豊かさは技術力の向上を表している。
知識と技術が多くの人を救っている現実は変わらない。
「…やっぱり今がいいんです。」
叶はしっかり悩んだ結果そう答えた。
「何でだ?」
「技術はもう世界が滅ばない限り後戻りはしませんよね?でも人の心は変えていこうという意思があればきっと昔のように人情味に溢れたものにすることができるはずです。だから今、じゃなくて未来の方がいいに決まってます。だって未来はまだ定まっていないんですから。」
陸や琴と出会ったからこそ叶は未来の不確定さと無限の可能性を信じることができた。
キョトンとしている2人を見て叶の顔が赤くなる。
「…って、私は、その、考えているわけです。」
と自信無げに付け加えて俯いた。
「なるほどな。カナは未来への希望を持っているわけだ。」
「未来が良くなっていくと信じられるのも叶らしいよね。」
「うーん。そういう訳じゃないよ。ただ琴先輩と陸君ならみんなが幸せな未来を知ってるんじゃないかなって。」
叶の言っていることは他力本願だが人間1人の意思で世界を変えるのは難しい。
だが琴の先見や陸のInnocent Vision、Akashic Visionは未来を導く力を持っている。
「でもその力に頼るんじゃなくて一緒に未来を築いていきたいと思ってます。」
それはヴァルキリーとはまた違う高い理想。
ジュエルによる統率に根付くヴァルキリーの理想とは真逆の各自の意思で平和へ導くもの。
それは従えるよりも難しい。
「…まあ、新しい"Innocent Vision"の掲げる理想としちゃ悪くないな。」
「力に頼らず皆が平和でありたいと願う世界。壮大だね。」
「戦わない世界がいい。」
「その机上の空論みたいな夢物語をどこまで現実に出来るか、なかなか面白そうな話ね。」
明夜と八重花もいつの間にか聞いていてみんなで円を作っていた。
「日常を守る"Innocent Vision"が日常を変えるものになるわけだな。ま、気長にやるか。」
由良が真ん中に手を差し出す。
「困難は多いと思うけど、あたしは叶についていくよ。」
真奈美がその上に手を添える。
「頑張る。」
明夜も続く。
「ヴァルキリーにもあの化け物にも邪魔はさせないわ。りくが目覚めるときまでになんとかしたいものね。」
八重花はすでに先の問題について考え始めていた。
最後に叶が手を乗せる。
オリビンの光が5人の乙女を祝福するように淡い光を放った。
「この旅行を終わったら"Innocent Vision"、活動開始です。」
「「おー!」」
掛け声と共に振り上げられた手にはまだ淡い光が点っていた。
ガタンゴトン
ローカル電車はゆっくりと走る。
「そう言えばカナ。太宮院は誘わなかったのか?あいつはカナの誘いならホイホイついてくると思ったんだが。」
「あはは、実はですね…」
「…と言うわけで"Innocent Vision"のみんなと泊まり掛けで旅行に行くことになったんです。琴お姉ちゃんも一緒にどうですか?」
普段ならここで琴お姉ちゃんに対するツッコミが入るのだが今日は動かないで俯いている。
「琴先輩?」
呼び方で気分を悪くさせてしまったのではないかと心配になって呼び方を改めると顔を上げた琴はブワッと漫画みたいに泣き出した。
「え、え!?そんなに琴お姉ちゃんが嫌だったんですか!」
「違います。ぐすっ、どちらかと言えば琴お姉ちゃんじゃないともっと泣きます。」
「ええと、それじゃあ、琴お姉ちゃん、どうしたんですか?」
泣きながらもちゃっかり要望を出す琴に戸惑いつつ叶が改めて尋ねると琴は鼻を啜りながらヨヨヨと袖で口許を隠しながら横座りに体勢を崩した。
「ああ、わたくしはどれほど不幸なのでしょう。ゴールデン・ウィークと呼ばれる大型連休には各界のお偉方が"太宮様"の先見の予定を無理矢理願い出てきて帳簿がいっぱいになるほどです。あと一月早ければどんなことになろうと予定を空けたというのに。ああ、口惜しい。懐が潤っても心が寒い。」
「…って泣いてました。」
話を聞き終わった由良は反応に困って頬を掻いた。
「それは沢山仕事が入ってガッポリ儲かるっていう自慢か?」
「…多分、違うと思いますよ?」
叶もそう聞こえなくもなかったので反論も弱々しい。
「でもやっぱり"太宮様"は凄いんですね。前にはこの間選挙で負けて辞任した総理大臣さんも来ていましたし。」
叶はその時偶然居合わせて春頃に失脚すると聞いていた。
それが現実になり改めて"太宮様"の先見のすごさを実感したものだった。
「俺たちがいない間に悪さをされなきゃいいんだが。まあ、太宮院なら心配ないか。」
「はい。」
電車は目的地にゆっくりと向かっていた。