第179話 自我の目覚め
魔に生きる者たちとて"人"としての生活がある以上、生活のサイクルは人間のそれと同じである。
だが本当の魔は人の活動しない時間にこそ蠢く。
新宿の大型ロータリー。
昼間は人と車で溢れ返り騒がしい空間も深夜になるとタクシーの運転手がいるか分からない利用者を眠たげな目で探しているくらいに人気がなくなる。
開かれた場所ですらそうなのだから一本裏に入ればそこはもう異界だった。
そこに"在る"のはもはや人ではない。
ある物は半身が失せて非対称になっており、またある物は肩から上に在るべき物がない。
ゴリ、ゴリと固い何かを砕く音がビルに反響する。
餓鬼のように卑しくも貪るのは少女の姿をしたものたちだった。
全身を真っ赤に染め、野性味溢れる様子で肉を食み、骨の髄を啜り、脳を飲み下す。
その姿は人よりも獣に近かった。
"それ"らは数人分の人だったものを喰らい尽くした。
4つの姿は血の池に浮かぶ小島のように動かない。
だが、突然魔石のような無機質だった瞳に意思の輝きが宿った。
「…これが、自我。」
血よりも鮮やかな赤い髪のカーバンクル、アルマンダインは自らの体を眺め、手を開け閉めして体の調子を確かめた。
「なにこれー?髪ベトベトじゃん、さいあくー。」
紫色のカーバンクル、パイロープは自分が喰らった過程を全て無視して自分が汚れたという結果だけ見て不満を漏らした。
「んー、どうせならもっと美味しいものを食べたかったね。」
橙のカーバンクル、スペッサルティンはんーと伸びをしたり屈伸したりと"自分"の体を動かして楽しんでいる。
「…自我の確立、確認。」
緑のカーバンクル、グロッシュラーは瞑想するように瞳を閉じたまま"自分"の中の自我の目覚めを確認して報告するように呟いた。
4人のカーバンクルは血溜まりの中から外に出るとバラけながらも同じ方向に歩き出した。
「ちょっとー。裸足とかありえない。靴はー?」
「餌が着ていた物を使え。」
「えー、まじー?あんな汚いの、似合わないしー。」
「……」
「きいてるのー?」
「……」
アルマンダインが無言になるとパイロープは唇を尖られて小石を蹴飛ばした。
パリン
適当に蹴った小石が弾丸のようにウインドウの1つを貫き粉々に砕いた。
ジリリリリリ
無人であろうと警報装置は正常に作動して鳴り始めた。
静寂に支配されていた深夜の町には耳障りな音だった。
「うわっ、うるさいな。」
「…停止要求。」
スペッサルティンとグロッシュラーがそれぞれに不快を露にした。
「鎮める。」
アルマンダインが虚空より顕現した魔剣を掴むと駆け出して一閃。
警報装置を店の建物ごと両断した。
「おー、静かになったー。」
「お先に。」
「…移動。」
アルマンダインが騒音を消したことを誰も感謝したりはしない。
そんな感情は備わっていない。
自我が生まれたのは獣以上の力を扱うため、ただそれだけだった。
「あれがオリビアの秘蔵っ子、カーバンクルね。」
深夜の町に人の声がした。
先頭を歩いていたスペッサルティンが足を止めて周囲を見回す。
「あれは、異質。」
その声は1つではない。
アルマンダインとグロッシュラーも気付いて魔剣を手にした。
「どれくらい強いのかな?オラ、ワクワクするぞ。」
声はすれども姿は見えず。
「あー、もー!いるならさっさと出てきなさいよー!」
パイロープが魔剣を振り回して暴れるとカーバンクルたちを見下ろす2階建ての建物の上に朱色の輝きが見えた。
アルマンダインが、スペッサルティンが、グロッシュラーが釣られるように上へと視線を向ける。
そこには月を背にした4人の姿。
「こんばんは、カーバンクル。僕たちの事は知ってるかな?」
その中央に立つ男の言葉にカーバンクルはグッと魔剣を握り締めた。
グロッシュラーが淡々と知識を口にする。
「…"Akashic Vision"。我が主の敵。」
陸たち"Akashic Vision"はカーバンクルの行動を早い段階から観察していた。
深夜にたむろしていた若者たちがカーバンクルの無慈悲な攻撃で絶命し、その生命の全てを喰い尽くされる様を見届けていた。
「…。」
明夜は無関係な人間が被害に会う姿を見ていられず何度も飛び出していこうとしたがどうにか思い止まった。
「"日常"を守るべき僕たちが取る行動としては矛盾しているんだよね。」
陸がそれを理解した上で、悲しげな顔をして提案してきた事だったから。
人の脳を喰らうことでカーバンクルは獣のような、機械のような存在から"自我"を持つカーバンクルという存在になった。
「さあ、顔合わせと行こうか。」
こうして"Akashic Vision"は動き出した。
「魔剣に操られる肉体であるカーバンクルね。」
「なんで少女なんだろうね?魔剣が作ったならもっとマッチョな男とかでもいいと思う。魔剣マッチョ…ププ。」
「ソーサリスの情報を元に作ったんじゃないかな?」
カーバンクルを前に"Akashic Vision"はいつものように雑談するほど緊張感がない。
だというのにカーバンクルたちは攻撃を仕掛けられずにいた。
「…なんだ、こいつらは?」
アルマンダインは気付けば足が後ろに動いていた。
"自我"が目覚めたとはいえ不要だと切り捨てたため、それが恐怖という感情だと理解できない。
"Akashic Vision"から感じる力は人とは根本的に異なる存在にすら本能的な警戒を抱かせた。
「あーあ、怯えられちゃった。りっくんがいやらしい目で見るからだよ。…りっくん、いやらしい目で見たの!?」
「蘭さん、さすがにその1人ノリツッコミは強引だよ。」
「あんまり遊んでると相手が待ちくたびれるよ。」
言いながら海は身軽な動きで屋上から道路に降りていく。
「あれは存在したら駄目。」
明夜もいつになく真面目な様子で飛び降りた。
相手にされず置いていかれた蘭は
「もしかしてりっくんを独り占めするチャンス!?」
まったくめげてないどころか喜んでいた。
バシュッと飛んできたブリリアントをヒョイとかわす。
殺人クラスのツッコミにも誰ひとりとして動じない。
「人数的に余裕もないから行くよ、蘭さん。」
「はいはーい。」
行くと言っても陸は身体強化がないので屋上から飛び降りるわけにもいかない。
それなら登らなければいいのだが…そこは演出である。
陸は一回り以上小さい蘭に抱きつく。
「はわー。このままずっとこうしていたい。」
蕩けるような顔をしている蘭はとても幸せそうだが場所を間違えている。
「蘭ちゃん、早く降りて。」
「来ないと、酷いよ?」
明夜と海のプレッシャーに負けた蘭は陸を抱いたまま店先の入り口の屋根を踏み台に地面に降り立った。
「なにー?こいつらバカ?」
パイロープが不審げに目を細める。
「変なのは間違いないね。」
スペッサルティンは同意し
「要、警戒。」
グロッシュラーは淡々と対応した。
一応言葉で応じているもののカーバンクルたちのやり取りはどこか独り善がりだ。
相手を意識してしゃべっていない。
陸は少女の姿をした魔剣たちをその朱色に輝く左目で見つめた。
「カーバンクル。明夜の言うようにこの存在は世界の在り方から外れてる。」
陸の言葉をカーバンクルたちは理解できない。
陸がいつの未来を見て、どの結果を知った上で、何を考えているのかなど、一番近くにいる海たちですら計り知れない。
「倒させてもらうよ。」
だが、彼女たちは陸の言葉に全幅の信頼を寄せている。
陸が戦いの意志を示した瞬間、カーバンクルの前にはすでにソルシエールを振り被って攻撃体勢に入ったソーサリスたちの姿があった。
「速い!?」
「うそー!?」
「はっ、凄!」
アルマンダインに、パイロープに、スペッサルティンにそれぞれ明夜、海、蘭が攻撃を仕掛けていた。
「全力で倒す。」
明夜の右手の刃、オニキスがアルマンダインの首を狙う。
アルマンダインは咄嗟に魔剣を立てて首刈りの斬撃を防いだ。
ザシュッ
だがその時には既に反対側からさらに速い斬撃が放たれていた。
後ろに飛び退いたが首に切っ先がめり込み頸動脈から盛大に血が吹き出した。
「…。」
アルマンダインは首を左手で押さえながら明夜に魔剣を構える。
普通の人ならば失血で動きが鈍るところだが、今のところアルマンダインの動きに乱れはない。
「やっぱり危険。」
明夜は殺すために両の刃を振り上げて地面を蹴った。
「私ね、あなたみたいなしゃべり方する相手嫌いなの。」
海はものすごく個人的な理由でパイロープに斬りかかった。
「なにそれー?わけわかんない。」
レイピア型の魔剣でアダマスの剣撃を受け流しながら馬鹿にしたような口調で話すパイロープだが、その動きは海の攻撃を捌くので手一杯だった。
「それなら教える前に消えるといいよ。」
「!!」
アダマスの美麗な刀身が光を放ち、パイロープへの攻撃が増す。
無意識に使っていた身体強化がブリリアントの光に触れたことで消えたのである。
「せっかくだからじわじわ削っていくよ。」
「うわー、感じ悪ー。」
パイロープの一言で海の攻撃の苛烈さが増した。
「大きい包丁だね。何を切るのかな?くじら?」
スペッサルティンは蘭が言うように刀身だけで1.5メートルほどもある包丁のような片刃の刀だった。
「それは…お前だー!」
スペッサルティンが巨大な魔剣の遠心力を上乗せした横薙ぎを打つ。
ゴウと風を切り裂く一刀は
ガギン
「なに!?」
「残念無念。」
蘭の左手に装備されたオブシディアンによって受け止められた。
小柄な体型の蘭は直撃を受け止めたにも拘わらず不動のままだった。
「この小さいののどこにこんな力が?」
「カチン。それはランに言っちゃいけない108のNGワードの1つだよ。」
魔剣を受け止めていた蘭の姿が揺らいだ。
「ッ!」
直感で首を横に逸らしたスペッサルティンの頬が薄く切れる。
「あれ、外れた。」
後ろから飛び込んできたのも蘭だった。
2人の蘭は顔を見合わせて
「「ねー。」」
と笑い合う。
すると最初にいた方は消えていった。
種も仕掛けも分からないトリッカー江戸川蘭のグラマリー。
「イッツアイリュージョン!」
イマジンショータイムは今宵も絶好調だった。
「…危険、危険。」
グロッシュラーは両刃の鎌・ハーケンを構えて陸の前で構えている。
「この中じゃ一番人畜無害なはずなんだけど。」
その姿はどこか気弱さのある普通の少年で困ったような微笑みを浮かべている。
「…危険。」
グロッシュラー自身、なぜ目の前の相手が危険だと思うのかさえ理解していない。
それでも"自我"よりも深い魔剣の"本能"が目の前の相手を殺せと震え、同時に恐れている。
グロッシュラーは魔剣を振り被ると脳天から真っ二つにするために全力で振り下ろした。
ズガン
一瞬後には地面がつるはしで叩いたように穴が穿たれていた。
「…。」
だが
「危ない。頭に穴が空くところだったよ。」
陸はその攻撃を避けた。
別にグロッシュラーが目を見張るほどの速度で回避したわけでも、特殊な力で防いだわけでもない。
ただ、まるでどこが安全か分かっているように迷いなく動いただけだった。
「…敵行動力修正。」
すぐさまグロッシュラーは陸の動きに対応した攻撃を繰り出した。
ガガガガ
打ち付けられる魔剣で地面が爆ぜる。
「…理解不能。」
それでも粉塵の向こうでは無傷の陸が立っていた。
「ふう。そろそろこっちからも行こうか。」
戦況は圧倒的に"Akashic Vision"が有利だった。
カーバンクルは強い力を持っているが戦い慣れていない。
陸たちの勝利は時間の問題と言えた。
「覚悟。」
その時が訪れようとしていた。
アルマンダインの魔剣を弾いた明夜がオニキスを突き出して突撃する。
「やってくれるのう。」
それを止めたのはオリビアのジェードだった。
「邪魔しないで。」
「それは妾の言じゃ。時を要して造り上げた妾の兵、やらせるわけには行かぬわ。」
見えないジェードの糸を明夜は両の刃で捌いていく。
「グラマリー・ネフロス。」
魔女眼・ヘックスオーブの金色の輝きが左目から放たれ空間一帯に微細な糸が発生した。
見えざる糸に絡めとられて動きが抑制される。
…普通の相手なら。
金色の魔眼に対抗するように煌々と朱色の輝きが灯る。
陸がInnocent Visionを発動させていた。
「海、3時方向、仰角45度、撃てぇ!」
「ブリリアント!」
絡まった未来を知る陸がその元凶を絶つ。
ネフロスが消滅し、明夜が再びアルマンダインに襲いかかろうとする。
オリビアはオニキスに糸を絡ませると力任せに放り投げた。
「きゃー!明夜ちゃん、邪魔ー!」
「絡まって取れない。」
「ブリリアント使う?魔剣も消えちゃうかもしれないけど。」
隙だらけに見えるが未だに陸が朱色の目を光らせている。
オリビアは周囲を見回して踏み込むのを躊躇った。
「汝らにはまだ荷が勝ちすぎる相手じゃ。退くぞ。」
"Akashic Vision"が糸の対処をしているうちにカーバンクルとオリビアは撤退した。
「逃げられたか。」
陸はため息をついてInnocent Visionを解除した。
少し離れた場所では3人が明夜のオニキスに絡まった糸の対処に四苦八苦していた。
それを見て陸は微笑みを浮かべる。
「カーバンクルか。早いうちに何とかしないとね。」
遠くからサイレンの音がする。
カーバンクルが破壊した店の警備だろう。
この場に留まっていてもいいことなんて一つもない。
「まだ間に合うかもしれないから追いかけるよ。」
「「はーい。」」
"Akashic Vision"は遠足にでも繰り出すようにオリビアたちの後を追い始めた。