第178話 正義のありか
ヴァルキリーとの対話の第一歩を達成した"Innocent Vision"は
「なんでしょうね、この状況は?」
ヴァルハラを出た直後に壱葉女学生ジュエルに包囲された。
廊下から窓から隣の部屋からわらわら出てきたジュエルは50人弱。
「さっさと帰って遊びに行けばいいものを。始業式の日に残っているなんて暇なのね。」
八重花は平然とジュエルたちを挑発する。
睨み付けていた目の奥に殺意が隠る。
「真奈美先輩。」
そのジュエルの中から1人、前に出てきたのは浅沼響だった。
「やあ、今日は何かの集会?」
「あまりふざけると皆さん暴れますよ。」
真奈美としては割とマジな質問だったのだが苛立たしげに怒られて肩を竦めた。
「"Innocent Vision"の皆さんがヴァルハラで何をしていたんですか?」
"Innocent Vision"がジュエルにとっての聖地とも言えるヴァルハラに足を踏み入れた。
中で戦闘があったんじゃないか、
ヴァルキリーの誰かがやられてないか、
正しい情報が回ってこないから警戒するしかない。
ジュエルがこんなにも集まっていたのはその為だ。
「お茶をいただいて少しお話ししただけですよ?」
叶が紅茶の味を思い出したのかほんわかした笑顔で答えた。
だがこの緊迫した状況でそんな態度の人間の言うことを信じる者がどれほどいることか。
少なくとも今のジュエルの中に叶の答えを受け入れる者はいなかった。
「"Innocent Vision"がヴァルキリーと一緒の部屋に入って何もなかったわけがないわ!」
ヴァルキリーや"Akashic Vision"、オリビアなどのトップのメンバーならともかく末端のジュエルは"Innocent Vision"の本質を理解することなくあくまで敵として認識している。
そして敵の倒し方ばかり教えられてきたジュエルたちに相手組織の思惑を考えて行動する思考は備わっていなかった。
「ならヴァルハラにいたヴァルキリーは全員血祭りにあげた、そう言えば満足?」
「ヴァルキリーの方々が"Innocent Vision"になんて負けるわけがないわ!」
八重花も琴も顔を見合わせて肩を竦めた。
狂信者たちには何を言っても無駄だと理解した。
「黙ってないで答えなさいよ!何してたの!」
暴徒と化したジュエルが勝手な罪を口にしては糾弾する。
「わっ、落ち着いて、落ち着いてください!」
響は止めようとしているが言って聞くような輩ならここまで大事にはならない。
しまいには"Innocent Vision"を倒せ、倒せとコールが響き、朱色の左目が輝きを増そうとした。
「ここで魔剣を抜くというなら…ヴァルキリーからの宣戦布告として処理させてもらうわよ?」
八重花がピクピクと頬をひくつかせながら左手をワキワキ動かし始めた。
真奈美も今は義足の左足を踏み締めて調子を確かめているし、琴はブツブツと何か呟いている。
一言で言えばキレかけていた。
謂れのない罵倒に怒るのはもちろんのこと、何かあればヴァルキリーが助けてくれるだろうという虎の威を借る狐の精神が気に食わなかった。
「ひっ!み、皆さん、本当に落ち着いて下さい!」
八重花たちの本気を感じ取った響はビビりながら止めようとするがむしろ流れはやってやろうじゃないとなりつつある。
「…私1人で良いわ。この人数を消し炭にするくらい2秒で十分よ。」
八重花の周囲にまだ顕現すらしていない炎の熱で陽炎が揺らめき出した。
ジュエルは八重花の挑発に怒りを募らせるが、響は本気でこの一帯を文字通り一瞬で消し炭に出来るだろうと察していた。
「誰か、誰か止めて!」
とうとう響が悲鳴のような声を上げた。
「どうかしたんですか、響?」
それは人垣の向こうから聞こえてきた。
響が振り返ると声に気付いたジュエルも振り返り始め、やがて全員が視線を向けた。
そこには不思議そうな顔をした紗香と悠莉が立っていた。
「紗香ちゃん!」
「悠莉様!」
紗香の名を呼ぶ者はごく少数で大半は悠莉の登場に歓喜の声を上げた。
紗香と悠莉は最前列である響のところまで来てようやく中心に"Innocent Vision"がいることに気が付いた。
「…。響、どういう状況ですか?」
響は"Innocent Vision"の様子を気にしながら紗香と悠莉にこうなった経緯を説明した。
話を聞き終わった紗香と悠莉は
「…。」
「…。」
物凄く無表情だった。
不気味な反応にジュエルたちが困惑する。
話を聞けばヴァルキリーの2人が"Innocent Vision"を倒してくれると思っていたようだ。
「悠莉お姉様。」
「そうですね。ここは…」
2人は視線を交わすと"Innocent Vision"に向き直り
「すみません。今回の事は無かったことにしてもらえると有り難いです。」
「私たちの監督不行き届きです。今後は気を付けさせますので。」
2人して頭を下げて謝罪した。
「な、なんで謝ったりなんか!」
「静かにしてください。」
言うが早いか悠莉はサフェイロスを抜くと文句を言おうとしたジュエルを問答無用でコラン-ダムに閉じ込めた。
悠莉の目には失望に似た怒りが宿っていた。
「あと少し私たちの到着が遅かったらどうなっていたことか、後でじっくりと説明します。皆さんは速やかに裏庭に移動して整列してください。」
普段微笑みを浮かべている悠莉の見せた底冷えするほどの怒りにジュエルたちは蜘蛛の子を散らすように中庭に駆けていった。
中には焦りすぎて乙女らしからぬ様子で窓から出ていく者もいた。
悠莉は大きくため息をつくともう一度頭を下げた。
「本当にすみませんでした。まさかジュエルがここまで身の程を知らずに"Innocent Vision"に接触するとは思っていませんでした。」
「"Innocent Vision"がヴァルハラに訪ねたのは驚きですけど、例の対話の件ですね?」
紗香も心中は"Innocent Vision"がヴァルハラに入ったことに対して決して穏やかではないのだが、ここでヴァルキリーの総意とは無関係に"Innocent Vision"との敵対関係が表面化すればヴァルキリーにとっては非常に厳しい状況になる。
現在の四つ巴の状況で唯一直接対決を交渉で回避できるのが"Innocent Vision"だけだからだ。
その為には個人のつまらないこだわりなど気にしていられない。
ヴァルキリーに入ったことで紗香もだいぶ大局を見る目が養われていていた。
「本気でやりあう気は無かったわ。1人2人火傷すれば力の差を思い知ったでしょう?」
それすらも分からないようなら本気で消し炭になった方がマシだけどねと八重花は薄笑いを浮かべた。
その顔に紗香は背筋が凍る思いがした。
「ともかく今回の件は貸しでも構いませんから事を荒立てないでいただけると助かります。」
「八重花ちゃん、いいんじゃないかな?ジュエルの人たちもヴァルキリーが心配だっただけなんだし。」
「叶は甘いわね。まあ、せっかく貸しにしてくれるって言ってるしここは矛を納めておくわ。」
完全に戦意が無くなると悠莉はようやく微笑みを取り戻した。
「今度ヴァルハラを訪ねるときは是非私がいるときにお願いしますね。そちらは楽しそうですがこちらはこりごりです。」
これからジュエルの指導が待っている悠莉は少々憂鬱そうに頬に手を当てて眉を下げた。
「ジュエルは人数が多いから大変そうだね。あたしたちは気楽でいいよ。」
真奈美の自慢げな言葉に悠莉は微笑むだけだった。
悠莉たちと"Innocent Vision"がすれ違い
「ああ、そうだわ。1つ聞きたいことがあったのよ。」
八重花が振り返らずに声をかけた。
「何ですか?」
「ヴァルハラ、改装してあったみたいだけど爆発でもあったのかしら?」
「!!」
「!?」
悠莉と紗香は辛うじて声に出さなかったものの驚きに目を見開いた。
ヴァルハラが襲撃に会い、グラマリーの被害を受けたと聞いたヴァルキリーのメンバーですら改修前後の違いに気付かなかった。
八重花の観察力に悠莉は危機感すら覚えていた。
「ヴァルキリーの特秘事項…では納得していただけませんか?」
悠莉は背中に冷や汗を流しながら尋ねる。
今顔を合わせたら全てを見透かされそうで恐ろしかったのである。
「八重花、それって…」
「恐らくそうよ。」
八重花と真奈美の主語のない会話を背に聞く悠莉は気が気でない。
紗香も口に手を当てて余計なことを言わないようにしていた。
「確かに新学期になって学校に来てから変な力を感じるときがあるよね。」
「わたくしもそれは感じました。残滓のような力ですがこれは恐らく…」
八重花と真奈美ならば演技だった可能性も残っていたがセイントである2人まで違和感を察知しているのならバレているのと同じことだ。
「………相談してからお答えする、それでよろしいですか?」
「助かるわ。別件で書類を頼んであるから一緒にもらえる?なんならたった今の貸しを使ってもいいわよ。」
八重花たちは一度も振り返らずヴァルハラから遠ざかっていき階段を登る辺りで見えなくなった。
「ああ…」
「悠莉お姉様!」
ふらついた悠莉の体を紗香が慌てて支えた。
「大丈夫ですか、お姉様?」
「ありがとう。平気ですよ。」
悠莉が自力で立ち上がっても紗香はまだ心配そうな顔をしていた。
悠莉はその頭を撫でてすでに見えなくなった"Innocent Vision"の方を見る。
「同じ名前でありながら組織の在り方がまるで違いますね。魔に染まった私たちに無垢なる瞳の視線は毒のようですね。」
「"Innocent Vision"といい"Akashic Vision"といい、ヴァルキリーの敵は普通じゃない相手ばかりです。」
悠莉がヴァルハラに向かって歩き出すその隣に並んだ紗香は不満げに漏らした。
ジュエルとして上を目指しているときは力を求め、強さを求め、ヴァルキリーの示す敵をただ倒していればよかった。
その勝利はヴァルキリーの、ひいては世界の未来のためだと思えた。
だが実際に戦う敵の本質を知った今、紗香は自身が絶対的な正義であると言えなくなった。
「魔女は悪です。倒さなければ世界に破滅を呼ぶ分かりやすい敵です。」
これが単純な英雄憚ならば激しい戦いの末に魔女を倒したヴァルキリーは正義の味方として称えられてハッピーエンドとなる。
しかし現実は複雑だ。
「"Akashic Vision"は…あそこも敵です。何を考えているのか分かりませんし持っている力が危険すぎます。ですが"Innocent Vision"は、客観的に見れば正義はあちらです。」
ヴァルキリーや"Akashic Vision"の内輪に限った話ではない。
"Innocent Vision"の理想は世界すべてに向けられて行われようとしている。
魔剣の存在を知らない人たちが叶たちの活動を見れば間違いなく善だと答えるだろう。
「そうですね。しかし"Innocent Vision"の目指すものは一般的には"夢"と呼ばれる実現できない遥か高みにある理想です。私たちヴァルキリーの目指す理想はより現実的に近いもの。実現すれば私たちが正義であることに違いはありませんよ。」
「はい。」
悠莉の言葉をしっかりと胸に刻んで紗香はヴァルキリーの理想を目指す決意を固める。
「遅くなりました!」
その意気込みでヴァルハラの扉を開けた紗香は
「んー、いらっしゃい。」
「どこ行ってたんだよー。」
「…。」
だれた良子と緑里、そして無言の葵衣を見て
「"Innocent Vision"、恐るべし。」
かっこいい先輩たちをここまで追い詰める"敵"に危機感を募らせるのだった。
ヴァルキリーがいろんな意味で大変になっている頃、由良はまだ教室にいた。
なぜこうなったのははっきりと思い出せないが、気が付けばクラスメイト女子数人のお悩み相談をさせられていた。
「友達と喧嘩しちゃって…」
と普通の内容から
「両親が不仲で今にも離婚しそうなんです。」
家庭の重い話、
「彼が最近冷たいんです。」
よくある自慢っぽい幸せな愚痴、
「最近ある人が気になって夜も眠れないんです。」
果ては熱い視線で遠回しに告白してくる者まで現れる始末。
「なんで俺に相談を持ってくるんだ?」
別に由良は占い師でも弁護士でもなく、恋愛経験もほとんどない。
一応気になる異性くらいはいるが恋と言う意味での進展はほとんどない。
面倒見がいいので一応相談に乗っているが正直役に立つとは思えなかった。
「それはもちろん乙女会にいかせな…」
「頼りになるからですよ!ね?」
「うん!」
なにか言おうとした1人が口を封じられて引きずられていった。
女子たちは連携してそれを隠して作り笑いを浮かべている。
「何を企んでるのか知らないが、まあ、今日は付き合ってやるよ。」
クラスメイトの熱意に押され、由良は降参とばかりに背もたれに寄りかかった。
(よっし!)
クラスメイトたちは心の中でガッツポーズをした。
クリスマス前辺りから由良が乙女会に顔を出すようになったのはよかったがそのせいでクラスにいる機会が減っていた。
それを憂いた1組女子はこうして引き留めていたのであった。
「それじゃあみんなで遊びに行きましょう!」
「相談じゃなかったのか?」
「い、いいじゃないですか。遊びに行った先で相談します。」
「まあ、いいけどな。」
由良はきゃいきゃいと騒ぐ娘たちに苦笑を見せながら街の方へと連れられていった。