第176話 カーバンクルの本能
オリビアは工房の安楽椅子に座りながら手にした魔石を弄んでいた。
その意識は手元にあらず、深遠の知恵の泉を揺蕩っている。
(妾の研究の集大成、カーバンクルは成った。しかし…)
オリビアの目が焦点を定めず外界に向く。
薄暗い部屋の中には4人、否、4体の姿がある。
手にはそれぞれの本体である魔剣を握る少女の姿をしたカーバンクルたちはそれぞれが明後日の方向を向いて無言だった。
仲違いをしたわけではない。
そもそもカーバンクルは他者への関心などという感情は意識は持ち合わせてはいない。
現在のカーバンクルはオリビアの想定した通り「魔剣が自身を振るうための体」に他ならない。
オリビアは再び意識を内側に向ける。
(妾の目的通りに造り得た駒。じゃが、こやつらがかの"Akashic Vision"に対抗しうるかのう?)
オリビアは眉根を寄せる。
魔剣のポテンシャルを最大限に引き出すことのできる器たちには何かが欠けている気がしてならない。
だが初の成功例であるカーバンクルの問題点が何もせずにわかるはずもない。
「…」
ふと視線を感じてオリビアが顔をあげると思い思いの方向を向いて座っていたカーバンクルたちが感情の宿らない魔石のような目で見ていた。
「ふむ、言葉を発さぬ手合いはこのような時に不便じゃな。何用じゃ?」
オリビアは億劫そうに近づいてきたパイロープの頭に手を添える。
言葉は話さなくてもオリビアを見ていた以上何らかの要求を抱いていた。
オリビアはその思念を魔術によって吸い出した。
「…空腹か。そこまで人に似せて作る必要もなかったのう。」
実際は人より遥かに強靭な肉体ではあるが、燃料が切れれば動きが鈍り果ては動かなくなる点は何も変わらない。
もちろんこれまで利用していた飛鳥や茜も食事をしていたが、こちらは金さえ与えておけば勝手に食べていたのでそういった手間を感じたことはなかった。
「まるで赤子じゃな。さて、どうしたものか。」
ふとオリビアは何かを思い至り口角を吊り上げた。
「ならばこの世の摂理を赤子らに教えてやらねばなるまい。弱肉強食、強者こそが弱者を貪るという真理をのう。」
オリビアが安楽椅子から立ち上がるとカーバンクルものそりと立ち上がった。
言葉を理解しているのかどうかは表情からでは窺えない。
「ついてくるがよい。狩り場に行くぞえ。」
オリビアが手を振るうと足元に魔法円が描き出された。
ついてこいとは言葉だけでオリビアはカーバンクルを伴って薄暗い部屋から転移した。
外は既にオリビアのアジトの中と同じような闇が訪れていた。
ただし天には星が瞬き、地には人の作り出した電灯の明かりや自動車のライトが照っていて闇を払っている。
東京よりも星の輝きが明るいのは空気が澄んでいるからだろう。
その光と闇の狭間を数人の女子が歩いていた。
「今日もいい訓練だったわね。」
「ジュエルクラブが休みの今、自主練で他の人たちとの差をつけなきゃね。」
「"Akashic Vision"だか"Innocent Vision"だか知らないけどそんなに怖い相手なのかね?」
「怖いんじゃないのかな?ヴァルキリーの皆さんが警戒しているくらいなんだもん。」
里山から続く道を歩くのは4人のジュエルを担う少女たちだった。
ジュエルクラブが"Akashic Vision"などの襲撃を警戒して土日のみの訓練を実施しているため、彼女らは人目に付きにくい山の中で独自の練習を続けていた。
「でもこれだけ特訓してるうちらならどんな奴が相手でも勝てるわよ。」
本当の敵の力量を知らないからこそジュエルという神秘の力を手に入れた者たちは得てして優越感から気持ちが大きくなる。
少なくとも自分達が戦う相手を一度で目の当たりにしていたならばそんな言葉は口にできない。
「ならばその相手、妾が用意しようかの。」
「!?」
突然、一切の前触れもなく背後から聞こえてきた声に4人は熱が根こそぎ奪われたような悪寒を覚えて振り返った。
そこにはあからさまに怪しい女が1人、闇に溶けるように立っていた。
幽霊か、それに近いよくないものだと言葉を交わさなくても全員が同じ認識を抱いた。
「この変な感じ…まさか、魔女?」
「さよう。妾はオリビア。汝らにあだなす魔女じゃ。」
「!?」
魔女と名乗る人物の登場にジュエルたちの緊張が一気に増し、手に魔剣を出現させた。
4本の魔剣を突きつけられてもオリビアの表情には全く変化はなく気味の悪い薄笑いを浮かべている。
「そのような紛い物ではなく本当の魔剣が欲しくはないかえ?」
魔女は戦意がないことを示すように両手を広げるとそう提案した。
「本当の、魔剣?」
ジュエルの1人が手元の剣を見る。
話に聞くのはこんな武骨な武器ではなくヴァルキリーの乙女たちが持つような力強く美しい魔剣。
「そうやって私たちを騙すつもりでしょ!」
また1人のジュエルは魔女の甘言に聞く耳持たず吠えた。
だがオリビアは態度を変えない。
「妾の用意した駒を打ち倒せれば汝らの方が優れておることが明かされる。されば強き魔剣を与えるは必定。」
強い者が強い武器を持つのは当然と言われてジュエルたちは反応に窮する。
本音を言えば本当の魔剣が得られるならば是が非でも手に入れたい。
地味な特訓などしなくても強くなれるならそれに勝るものはない。
「…あたしは、やらせてもらうよ。」
遂に1人のジュエルが決断した。
「う、裏切り者。私だって!」
1人が受け入れてしまえばあとは全員が受け入れるのは一瞬だった。
オリビアは口の端を吊り上げ
「ならば、狩りの始まりじゃ。」
手を上に伸ばしてパチンと指を鳴らした。
するとオリビアをの指先からまるで夜になっていくように闇が広がりジュエルたちを飲み込んでいった。
「なに!?やっぱり魔女の罠だったの?」
どちらを向いても先が見えず、すぐ近くに立っていたはずの仲間たちも消えた。
手にしたジュエルを握りしめて気を張っていると視線の先にぼんやりと人影が現れた。
黒い人型の闇は話に聞いたオーに違いない。
「それが汝の超えるべき敵じゃ。其奴を貪れば力を得られるぞえ。」
闇に響くオリビアの声にジュエルは気を引き締める。
よく見るとオーの手には禍々しくも美しい魔剣が握られていた。
「つまり勝って奪えってことね。やってやろうじゃない。」
ジュエルの少女がニヤリと笑い魔剣を構え直す。
これまではゴールの見えない漫然とした訓練しか行ってこなかったが、この戦いは勝利すれば力が手に入るという至極シンプルなもの。
やる気に大きな違いがある。
「私のサクセスストーリーのためにその魔剣を渡してもらうわよ!」
ジュエルは両者の為に形成された闇のバトルフィールドの地面を蹴ると真正面からオーに斬りかかった。
ガキン
魔剣同士のぶつかり合う音が響き、衝撃で弾かれて距離が開く。
「こいつ…」
ジュエルはクッと口を引き締めると構えを取る。
正面に立つオーはまるで鏡写しにしたようにジュエルと同じ構えをしていた。
「真似っこしようってわけ?面白いじゃない。真似られるもんならやってみなさいよ!」
ジュエルが駆け出すとオーもほぼ同時に距離を詰めてきた。
一瞬驚くが模倣されると分かっていれば動揺は少ない。
そのままさらに加速しつつ魔剣を肩に担ぐように振りかぶる。
ジュエルにより強化された膂力とスピードを合わせた強力な一撃を
ガキィン
オーは全く同じ技巧で迎い撃った。
ギリギリとつばぜり合いを繰り広げるジュエルとオー。
片や能面のように紅色の目を開くだけ、片や得意とする技を真似られた怒りと悔しさに表情を歪ませている。
「4人の特訓の時でもこの技は止められないのに。このぉ!」
怒りに任せてジュエルを振り回す乱撃。
オーはそれにすら相殺する軌道の斬撃を放ってくる。
それはまるで演武のように完全に噛み合って一度として有効打にはならない。
「はあ、はあ。やっと、分かってきた。」
ジュエルの少女は息を整えながら笑みを浮かべた。
あまり得意ではないため普段は使わない突きの構えを取る。
するとオーもやはり同じように突きの構えを取った。
だがその構えは明らかに拙い。
「やっぱり。こいつは私の鏡なんだ。だから全くおんなじ戦い方が出来る。」
それ以外にも読心術などの可能性も考慮して戦闘中にフェイントを入れたりわざと大きな隙を作ってみたがそのどれもをオーは模倣してきた。
もはや疑いようもなくオーはジュエル自身の鏡像と言えた。
「新しい力を手に入れるために今の自分を打ち倒す。成長を実感するにはこれ以上無いくらい良い演出ね。」
気の持ち様か魔女の術なのか、ジュエルの向かいに立つオーの姿が自分の姿に見えてきた。
違うのは手にする魔剣のみ。
今敵対している相手は望んだ未来の自分に他ならない。
「それを手に入れるために、私は今の私を超える!」
両手で握りしめたジュエルを垂直に立てて全神経を刃に向ける。
戦闘中であり、目の前の敵にだけ専念できる極限の集中状態は普段感じられたことのなかった力の流れを感じた。
「はあーっ!」
その力を自らの意思で刀身に流していくとジュエルが魔力を帯びて輝きを放ち始めた。
不完全ながらそれは覚醒したジュエルの扱うグラマリー・アルファルミナに似た力の顕現だった。
「新しい私になるために、死ね、今までの私!」
魔力を込めた輝く刃を担ぐように加速する。
相手もまた加速するがその刃に輝きはない。
「やあーっ!!!」
闇の空間に少女の烈帛の声が響いた。
立ち位置を入れ換えた両者。
だが美しき魔剣を携えた者は脳天から股間までを真っ二つに斬られて血と臓腑を撒き散らしながら地面に倒れた。
ジュエルは事切れた自分自身の姿を前に薄笑いを浮かべ、血の海に浮かぶ真紅の魔剣を拾い上げた。
「ふふ、やった…。これが本当の魔剣。これで私は!ふふふ、あはははは!」
少女は内側から沸き上がる歓喜という名の衝動に全身を震わせて笑い声を闇の中に響かせた。
ズルッ
その視界が突然左右で上下にずれた。
「はは、は…?」
笑っていたはずなのに、笑いたいのにヒューヒューと風切り音がするばかり。
視界のズレはさらに広がり、目の前を白くてぶよぶよした塊が落ちた。
「ガボッ!」
呼吸をしていたはずの喉は既に言葉を発することもできず、混乱する少女は視線をさ迷わせる。
その目玉が飛び出さんばかりに見開かれる。
それは反対方向へと倒れていこうとする自分の文字通り半身の姿だった。
「あああー!!?!」
少女は発狂した。
少女が相対した者に自らの手で与えた結末を彼女自身が体感していた。
脳髄と臓物をぶちまけ、肉体が避けてなお意識を保っていることの異常になど頭が回るはずもない。
もはやどこにジュエルの少女たる核があるのかもわからないが少女の前にオリビアが立った。
「期待しておらなんだが良き餌に巡り合うたのう。のう、アルマンダイン?」
オリビアは少女を見てはいない。
視線の先にあるのは真紅の魔剣。
その魔剣がカタカタと震え
ガリッ
少女の指を喰らった。
「~~!!」
もはや言葉を発せない少女が初めて痛みを覚えた。
「魔剣にとって食事とは魔力。それは娘らから十分に得られたのう。ならばあとは肉にも餌をくれてやるがよい。」
「ううう。」
喰い破られた手の先にいつの間にか人に似た何かが居た。
いや、少女が魔剣を握った瞬間からそれはそこにいたはずだった。
少女はそれを知らなかっただけ。
アギトを開いた猛獣の口に不用意に手を伸ばした報いを受けたのだ。
人に似た何かは獣のように四つん這いになりながらも手には魔剣を握っている。
「あー!」
歓喜とも雄叫びとも言えない叫びと共に人に似た何かが手を少女の臓物に伸ばした。
グチュグチュと生きたまま腹の中をかき混ぜられるような感覚に少女の理性が擦りきれていく。
そしてその手が少女の命の源へと伸び
「があー!」
グシャリ
いとも簡単に握りつぶして抜き取っていった。
少女の意識はそこで消滅した。
4人のジュエルを糧にするカーバンクルの所業を見るオリビアの表情は悩ましげだった。
その食事風景は獣と形容する以外思い浮かばない。
「これでは妾の品格が疑われるのう。やはり刃担う肉の"自我"は必要なようじゃ。」
オリビアは笑う。
それは母というよりも研究者の笑みだった。