第173話 年始の誓い
「いや、カナのお陰で助かったぞ、マジで。」
由良は病室のベッドの上に病人服のままドッカリと胡座をかいて手を合わせた。
「そうですよ。あのままじゃ由良お姉ちゃん死んじゃうところでしたよ。」
叶が目にいっぱい涙を浮かべて非難する言葉を由良は甘んじて受けるしかない。
一時は死んだ家族に呼ばれたような気がしたくらいになったのだから叶の祖父の家が運良く東北になければ最悪死亡、よくて障害が残るほどの損傷だった。
撫子からの依頼が八重花経由で伝わり、東北に到着するや否や病院に直行したのである。
そのおかげで全く後遺症も無く由良は完治する運びとなった。
今は消耗した体力を回復する名目で病院のベッドを占拠している。
「だから由良お姉ちゃんはもうスペリオルグラマリー禁止です。」
叶は立てた指を振ってメッと叱るように告げた。
「いや、相手次第じゃあれを使わないと…」
「き・ん・し・ですっ!」
「お、おう。」
叶の迫力に押されて頷いてしまった由良だが戦いになれば禁止されていようが使ってしまうだろう。
それが分かってるから叶はしょうがないと言いたげにため息をついた。
「もう。…せめて私が近くにいるときにしてくださいね?」
「そいつはありがたいが、今は敵だぞ?」
叶なら組織間の事に関係なく助けに来るだろう。
しかし、それぞれにメンツがあるため今回のことも『ヴァルキリー協力者である羽佐間由良を助けるために"Innocent Vision"の作倉叶さんの力をお借りしたい』と正式な申し出が、貸しとして八重花に出されている。
「誰かが死んじゃうよりもずっといいです。」
だけどやっぱり叶は叶で
「…サンキュー。」
由良はベソをかく叶の頭をポンと撫でるのだった。
その後、瀕死レベルの重傷から完全復活した由良を見た看護師や医師がバタバタと倒れ、大惨事になったがその時にはすでに叶は祖父の家で新年の挨拶をしていた。
『そんなわけで完全回復した。医者がカナに興味持ってたが広まらないよう手は打っておいてくれよ?』
「そうですか。ご無事で何よりでした。無理はしないで療養されてから戻ってきてください。情報規制は抜かりなく。」
東北の病院からの連絡を受けて撫子は明るい声色で応対した。
一晩由良の安否を心配していたのでようやく安心出来たのである。
撫子は携帯を閉じると椅子の背もたれに寄りかかって息をついた。
不安を紛らす為に仕事を片付けていたがいい感じに気が抜けてしまったので休憩することにした。
トントン
盗聴してるんじゃないかというタイミングでドアがノックされ、紅茶セットの乗ったトレイを手にした葵衣が入ってきた。
「お嬢様、お茶はいかがですか?」
「いただくわ。」
撫子は葵衣に微笑みを向けた。
機嫌が良い理由を聞き出すまでもなく東北ジュエルのインストラクターからあらましは聞いている。
"Innocent Vision"の、東條八重花への貸しは大きいが由良を失うよりは格段に好条件と言える。
「お嬢様。」
紅茶のカップを机に置くと撫子は会釈して手に取りゆっくりと口をつけた。
このまま穏やかにしていてもらいたくもあるが、葵衣は鳳の如く羽ばたく撫子の手伝いをするために側にいる。
案件を先延ばしにするのは主の成長のためにはならない。
「今後ジュエルの運用を検討する必要がございます。」
「ええ、分かっているわ。」
紅茶を飲んで緩んでいた撫子の意識がピンと張り詰めた。
「今回の戦績を見るに、やはり現状のジュエルではグラマリーを使う相手とは戦えないわ。」
そして"オミニポテンス"の兵がヘリオトロープになる、それは今後の戦場にはグラマリーが存在することを意味する。
「はい。このままでは出てきても的になるだけです。」
辛辣だが事実だ。
既に現在の戦闘でもその感は否めない。
「紗香さんの事例からジュエルのグラマリー取得のためのデータはどうかしら?」
「そちらは参照致しました。良子様の下についた後の能力向上が目覚ましい点は東條様付であった桐沢茜様の事例と整合します。しかし具体的な能力発現は戦時ですので怒りが爆発した、などの感情論や根性論になってしまいます。」
実践に勝る訓練はないという。
訓練ではない本当の命のやり取りの中でこそ普段は手の届かない何かに至ることが出来るのかもしれない。
だがそれは理論的に計算できない不確定要素になってしまう。
結局効率的にグラマリーを取得させる方法は分からないということだった。
「難しいものね。ジュエルをヴァルキリーの下につければ覚えるというのならいくらでも時間を割くというのに。」
(紗香様…ああ、そう言えば、昨晩の連絡を受けていませんでした。)
撫子が考え込み、出来た空白の時間に葵衣は紗香の名前で昨晩のことを思い出した。
最後の通信の際には敵襲なしと言っていたのでオーが現れず、ヴァルハラとは連絡がつかなかったのでそのまま帰ったのかもしれない。
(しかしインストラクター村山が付いていながら連絡なしと言うのも解せません。)
村山は葵衣の携帯の番号を知っているから遅くなっても連絡できるはずだ。
「お嬢様、申し訳ございませんが少々席を外させていただきます。」
「ええ、わかったわ。」
急に不安になった葵衣は撫子に断って退室し、部屋から少し離れた廊下で携帯をかけた。
プルルルルル、プルルルルル
呼び出し音は鳴るのだが村山は一向に出ない。
やがて留守番電話サービスに接続されたので伝言を残して切った。
続いて紗香に電話をかける。
チャララー
ヴァルキリー専用着信音が訓練所に響く。
紗香は日付が変わった後からずっと壱葉の訓練所にいた。
「携帯、鳴ってるわよ?」
監視されているジュエルたちは一様に元気がない。
まさか紗香がここまで頑固だとは思わなかったのだ。
「もー、ふざけたのは本気で謝るから帰らせてよー。」
本気で泣きが入っているジュエル。
ジュエルたちをじっと監視していた紗香だが電話を取らないわけにもいかないので液晶画面を見た。
「葵衣様からです。あなたたちの処遇を聞いてみますから、許可が出れば帰します。」
「やった!お願い、上手くやって!」
お祈りまでされて紗香は葵衣からの電話に出る。
『紗香様ですか?海原葵衣です。』
「明けましておめでとうございます。結局壱葉ジュエルはオーに襲われませんでした。」
『そうでしたか。オーと暴走した盛岡ジュエル、そして魔女オリビアが昨晩ヴァルハラを襲撃してきました。』
「ヴァルハラを魔女が襲撃!?大丈夫だったんですか?」
紗香の声にジュエルたちも驚き、ヴァルハラが襲われたこともあって不安げだった。
『お嬢様と私のソルシエールが復活して退けることには成功しました。』
「そうですか。よかったです。村山さんたちは間に合いましたか?」
紗香にとってはもはや事後の確認の意味合いしかない問い掛け。
だが、それこそが壱葉ジュエルから連絡がなかった事実の鍵だった。
『こちらでは確認していません。』
「入れ違いですか?わたしは反逆の疑いがあるジュエルをジュエルクラブの訓練所で監視していて、村山さんたちにはヴァルハラに行って状況を確認してほしいって向かってもらったんです。」
『…。』
「…。」
無言の時が訪れる。
壱葉ジュエルから壱葉高校まではゆっくり歩いても30分とかからない。
状況的に急いでいただろうしジュエルの力を使えば10分で到着できたはずだった。
電話越しの2人は互いに嫌な予感を胸に抱いていた。
『紗香様は現在壱葉ジュエルクラブですね?それならば壱葉高校までの道筋の探索をお願い致します。私は所用でお嬢様と同伴しなければなりません。お願いできますか?』
「わたしもヴァルキリーメンバーですから、了解です。」
そのまま電話を切りそうになった紗香にジュエルたちが必死にジェスチャーで自分達の処遇について聞けと訴えかける。
『連絡は受けられるようにしておきますので何か分かり次第、あるいは何も分からなければご連絡を。』
「はいです。それと夜から監視してる反逆者のジュエルはどうしましょう?」
『詳細は後日窺いますが紗香様の対処は暴走ジュエルを警戒したものですね?こちらでは判断できかねる状況ですので紗香様にお任せ致します。』
「了解です。」
紗香が携帯をポケットにしまって目を閉じる。
ジュエルたちは残念だと言いたげな反応にビクビクした。
「皆さんは…死刑です。」
「きゃーー!!」
「…としたいところですがこれからちょっと用が出来ました。わたしへの忠義はともかくジュエルを裏切るつもりがないなら協力してください。」
叫ぶジュエルには取り合わず用件だけ告げると紗香は訓練所ドアを開けて出ていこうとする。
それが紗香なりの冗談なら良いのだが協力しなければ本気で死刑になりそうだった。
「何よ、いきなり?」
死刑宣告されながらもまだ紗香に逆らう気概のあるジュエル。
ここまでくるととてつもない反骨心を持っていると言えた。
「葵衣様から処遇は任せると言われました。ですから奉仕活動で罪を濯いでもらおうと思いまして。」
一晩経って紗香もヴァルキリー初任務で気負いすぎていたと反省した。
その態度が少しは見えたのか、はたまた死刑が怖かったのかジュエルは渋々頷いた。
「わかったわよ。それで何をするのよ?」
「村山さんたちを探します。」
「昨日出てってから随分経ってるじゃない。もう帰ったんじゃないの?」
「どうも行方不明みたいです。」
紗香はあっさり答えて訓練所から出ていった。
パタンとドアが閉まる音がしてから
「「先に言えー!」」
ジュエルたちは慌てて後を追いかけた。
"Akashic Vision"の面々は堂々と無人の壱葉高校に訪問していた。
「蘭さんはOG訪問だね。」
「オリジナルジェネレーション?」
「確かに今の学校は独特な世代だね。」
蘭のボケを受け止めつつ校庭の真ん中に立つ。
乙女会の居室の窓は吹き飛び、校庭も荒れている。
目を閉じれば昨晩のオリビアと撫子たちの戦いが再現されるようだった。
「オリビアが動き出した。」
明夜の言葉で意識を戻す。
「ヘリオトロープにカーバンクルに"オミニポテンス"。大盤振る舞いだね。」
海が呆れたようにそれらが着地した地面を見つめながら呟いた。
暗い間は気付かなかっただろうが地面が渦巻くように陥没していた。
一足での爆発力の高さが窺える。
それは個体としての強さが高いことに繋がるため海は戦士の笑みを浮かべていた。
「暴走ジュエルを生み出すのを手伝ってヘリオトロープやカーバンクルの製造を遅らせたけど限界だったか。」
陸が各地のジュエルクラブを襲撃していたのは危険なヘリオトロープを作らなくても平気だと思わせる状況を作り出すためだった。
しかし結局オリビアは陸の予想以上に周到な性格をしていた。
ジュエルの心の闇をついて暴走ジュエルを生み出しつつも、それを信用せずヘリオトロープの研究を続けていたのだ。
「運命は変えられなかった。強固な意志は運命を定めてしまうからね。」
運命改変の力を持つAkashic Visionでも全て思いのままに出来るわけではない。
人の強い意志は時に運命をねじ伏せる。
特に戦いの際に人の思いは強く発現するため、陸の力は相変わらず戦闘には不向きだった。
「今後は"オミニポテンス"の活動も活発になってくるだろう。特に明夜はオリビアに目をつけられたみたいだけど大丈夫?」
クリスマスに明夜は力の一端を見せてオリビアにその正体を看過された。
因縁めいた事を言っていたので戦いを仕掛けてくる可能性は高かった。
「ん、平気。でも陸たちが危なくなる。」
明夜は変わらない。
誰かが傷付くのが嫌で全てを自分で背負い込もうとする。
(それでも心配をするだけで去っていこうとしないところに絆がある、そう信じたいね。)
陸はわずかに不安げな色を瞳に宿す明夜の頭をポンと叩くように撫でた。
「僕だってお尋ね者だよ。しかも守って貰わないとすぐにやられちゃうか弱い子羊。だから誰かが守ってくれないと…」
随分と胆が据わっていて運命視なんて破格の能力を持った羊がどこにいる、と世界に突っ込まれた気がした陸だが気にしない。
明夜は陸が言わせようとしている言葉に気付いてわずかに頬を赤らめた。
「わ…」
「だったらランがりっくんを守る盾になってあげる!」
明夜の言葉に被さるタイミングで全力体当たりのように飛び付く蘭。
「私がどんな敵でも切り裂く剣になってあげるよ、お兄ちゃん!」
反対側からも海が抱きつき、双方からの衝撃は
「ぐはぁっ!」
中心点の陸に余すところなく叩き込まれた。
捕らえられた宇宙人みたいに両腕を取られたままぐったりする陸に明夜が近づき
「私は…陸と、海と、蘭ちゃんと、みんなを…守る。」
陸の頭をそっと抱き締めながら崇高な願いを言葉にした。
誰も茶化したりはしない。
"Akashic Vision"の結束は誓いの言葉でよりいっそう強まり…陸の好感度も相変わらずビンビンに高かった。
3人の美少女に囲まれている姿を他の人間に見られたら大変だと苦笑して振り返った陸は
「…あ。」
「あ…」
行方不明になった村山率いる壱葉ジュエルを探しに来た紗香たちにばっちり見られた。
「…。」
「…。」
「ははは、さらばだ!」
陸は全速力で逃亡した。
「あ、りっくん待って!」
「あはは、お兄ちゃんが逃げた。」
「追いかける。」
"Akashic Vision"のメンバーもなんだか楽しげに後に続いて去っていった。
「…なんですか、あれは?」
去り際の陸の顔は真っ赤になっていた。