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Akashic Vision  作者: MCFL
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第172話 "オミニポテンス"

新年1月1日午前4時、撫子と葵衣は迎えの車の中で向かい合っていた。

葵衣が車で運んできてもらったパソコンでヴァルハラのデータベースの情報を完全移行させていたためこんな時間になってしまった。

「申し訳ございません、お嬢様。やはり先にお帰りいただくべきでした。」

「問題ないわ。それよりもデータが破損していなかったのは僥倖ね。」

「はい。電源の切断により保存前のデータは失われましたがその後すぐに校庭に出たことでヴァルハラの被害を最小限に抑えられました。」

ヴァルハラはドアと窓が吹き飛んだものの損害自体は少ない。

冬休みの間に業者を呼べば3学期までには余裕で修繕できる。

「問題は、魔女オリビアね。」

撫子は窓の外に目を向けた。

窓に映った顔は憂いを帯びていた。




ソルシエールが復活した撫子と葵衣にとってオーや暴走ジュエルは物の数ではなかった。

「ウインドロード。」

葵衣は瞬間移動とほぼ同じグラマリーで文字通り風のように戦場を駆け回りその手の刃を振るう。

そして葵衣の守るべき主もまた頭上に浮かべたコロナで相手を威嚇しながら圧倒的な熱量のサンスフィアで敵を駆逐していく。

「魔女に操られる軟弱な精神を持つ方々を助ける道理はありません。コロナの前に塵芥となり、滅びなさい!」

撫子がアヴェンチュリンを天に掲げるとコロナが一回り大きくなり脈動するように輝きが瞬き始めた。

オーとは違い人としての意識を持つ暴走ジュエルはその光に恐怖し、本能が危険を避けるために体を遠ざけようとする。

オーはただ敵を倒すために前に出ることしかしない。

陣形に乱れが生じた。

「オーが突出するならば手加減しません、コロナ!」

陽光の球体に撫子が魔力を注ぐとコロナは撫子の周囲を焼き払う光を拡散放射した。

剣を取ろうが銃を構えようが太陽に抗うことなどできるわけもなくオーは痕跡さえも焼き消された。

さすがのオーも打ち止めなのか追加で現れる様子はなく、暴走ジュエルは実質的には戦意喪失、残るは屋上に立っているオリビアだけになった。

視線を向けてみるがオリビアに動きは無い。

「この場合、わたくしたちが屋上まで出向くべきかしら?」

「こちらが向かうにせよ向こうからやってくるにせよ、何かしら合図があるものですが。」

オリビアは屋上に立ったまま微動だにしない。

寝ているのかと勘ぐってしまいそうだった。

「こちらから行くしかないようね。」

「いえ、お嬢様に不必要な労力を強いるわけには参りません。グラマリー・ウインドコート。」

葵衣が手を払うとそよ風ほどの空気の動きを感じた。

葵衣の力を伴った風は目に映らずに広がり、学校を覆い尽くしていく。

『…飛鳥は死んだか。最後まで使えぬ駒じゃったのう。』

すると突然数百メートル離れたオリビアの呟きが鮮明に聞き取れた。

知覚領域を拡張するエアコートの上位グラマリーは展開空間内での通信まで可能としていた。

これならば移動せずに会話ができる。

「コホン。聞こえますか、魔女オリビア?オーと暴走したジュエルを無力化しました。まだ何かおありですか?」

撫子が勝利宣言するとオリビアはようやくこちらの戦いが終わったことに気付いたように動きを見せた。

『ようやく終わったようじゃな。しかも紛い物は殺さぬか。今代の魔剣使いは手ぬるいのう。』

言葉にがっかりしたようなニュアンスを混ぜたオリビアは屋上からそのまま虚空に一歩踏み出した。

「!?」

だがオリビアが自然落下することはなかった。

まるで緩やかな斜面をゆっくり滑り降りるように校庭へと向かってくる。

「見えない糸を利用して降りてきているようです。」

「そうね。空を飛ぶなど、そこまで便利な力があるわけ無いもの。」

そうでなければオリビアはグラマリーではない力で空が飛べることになる。

それでは本当に魔女のように思えてしまうため撫子は否定した。

脳内でロープアクションのようにぶら下がりながら滑るオリビアをイメージしてほくそ笑む。

オリビアは地面に降り立つと手を払った。

「先程、時坂飛鳥さんが亡くなったと聞こえましたが?」

「盗み聞きとは感心せぬな。さりとて、すぐに知れることじゃ。東北とやらに飛鳥を向かわせたのじゃが、もう壊れおってのう。折角じゃからソーサリスの1人でも道連れにすればよかったものを。ファブレの作った復讐鬼が勝っておったようじゃな。」

オリビアの言葉に同志と呼んだ者への悼む心は微塵も感じられなかった。

分かっていたこととはいえ、撫子は沸々と怒りが胸に沸くのを感じた。

「それでどうするのですか?駒は全て失い、オーではもはやわたくしたちを止めることは出来ませんよ?」

撫子は油断なくアヴェンチュリンを構えて問う。

言葉にした通り、現在オリビアを守るものは何もない。

だというのに撫子は攻めきれずにいた。

(なんなのでしょう、この嫌な感覚は?)

予感とも言える感覚が否応なしに撫子の警戒を強めさせている。

追い詰めているはずなのにまるで優位に立っている気がしなかった。

「そうさのう。」

オリビアは困ったように首を傾げて上を見上げる素振りをした。

だがすぐにその口がさも愉快だと言わんばかりに歪む。

「やはり魔石の成長を苗床の精神に任せるのは妾の性には合わぬのう。魔石屑から作った人形では気に入らぬようじゃし…」

(人を苗床にした魔石の成長?それが時坂飛鳥さんやわたくしたちを指しているのならば、それ以外に魔剣を造り出す術が存在するというのですか?)

(魔女の言が真実ならば、オーは魔石屑の存在。ではその大元となった魔石から生まれるのは?)

オリビアの呟きを聞いてそれぞれに疑問を抱いた。

2人の心の内を見透かすようにオリビアは笑みを強めて手を振り上げた。

「来たれ、ヘリオトロープ!」

ザッ

オリビアがその名を告げた瞬間、撫子たちを囲むように漆黒の怪物が現れた。

「いつの間に!?」

撫子が瞬間移動のような登場に目を見開いて驚きの声を上げた。

だが葵衣は眉をわずかに寄せて険しい顔になった。

怪物は瞬間移動ではなくエアブーツに近い移動法で現れたことを類似した技を持つ葵衣は気付いたのだ。

その正体に至り、表情を変えないままに戦慄した。

「お嬢様。あれはグラマリーでございます。」

「!…ならば、あれはオーがグラマリーを得た存在ということですか!?」

観客の反応に満足らしいオリビアは見せびらかすように手を広げた。

「紹介しよう。妾の兵、ヘリオトロープじゃ。」

撫子と葵衣はソルシエールを手に警戒しながら周囲を見る。

現れた4体のヘリオトロープは漆黒の体や不気味な紅色の瞳は同じだがオーよりも一回り大きく、剣を持つものは盾、銃を持つものは両手にと武装の強化が図られていた。

頭部も甲冑の兜のようになっている。

まさにその姿は魔女を守る兵、漆黒の騎士と言えた。

そこにいるだけで威圧感が滲み出してきており、撫子の額に冷や汗が流れる。

「これがオーの代わりとなるものなのでしたら、ソーサリスに代わるものもあるのでしょう?」

撫子が内心の不安を隠して口にした問いにオリビアは口を裂いたように笑い、広げていた手を大きく掲げた。

「ならば知るが良い!」

屋上から赤、紫、橙、緑の4色の流星が飛来し

ドーン

もうもうと土煙を上げて校庭に激突した。

撫子と葵衣は口許を手で隠し、目を細めて煙の向こうを見る。

煙の向こうに浮かび上がったのは朱色ではなく流星と同じ4色の輝きだった。

土埃が晴れた先、オリビアの前には魔剣を担う4人の少女たちが並んでいた。

「新たなソーサリス、ですか?」

「ちと違うのう。こやつらは魔剣が自らを振るうための肉体を生み出したものじゃ。」

4人の少女の姿をした何かは無表情に佇んでいた。

その瞳はどこか無機質な鉱石めいていて不気味だ。

「赤の魔剣、アルマンダイン。」

「…」

赤みがかったロングの髪を風になびかせて赤い宝石を伴う両刃剣を担う少女。

「紫の魔剣、パイロープ。」

「…」

右目を隠すように長い前髪、肩の辺りまで無造作に伸ばされた紫の混じる黒髪、手にはレイピア型のソルシエールを担う少女。

「橙の魔剣、スペッサルティン。」

「…」

頭の上でまとめた黄色みがかった髪でおでこが光り、手には刀身1.5メートルで肉厚の片刃の包丁を担う少女。

「緑の魔剣、グロッシュラー。」

「…」

ショートボブの緑味がかった髪に眼鏡、服を押し上げんばかりの胸、手には両側に鎌を備えたハーケンを担う少女。

その誰もが頷きもせずただ佇んでいた。

それはまるで意志を持たない人形のようだった。

「これはカーバンクル。」

「カー…バンクル。」

ヘリオトロープに続いて登場した人の姿をしたカーバンクルに撫子たちは困惑した。

「妾の兵を作り上げるのに時間がかかってしまったがのう。飛鳥と茜は時が来るまでの時間稼ぎとしてはまあまあの働きであった。次に転生した暁にはまた使ってくれよう。」

つまりは初めからオリビアにとって飛鳥たちは捨て駒に過ぎなかったというわけだ。

いくら敵だったとはいえ、オリビアに利用されて死んでいった茜と飛鳥に撫子たちは同情し、オリビアに怒りを覚えた。

「意気がるでない、ヴァルキリー。今の汝らに万に一つも勝ち目はないのじゃ。今日は妾の理想の名を冠する軍"オミニポテンス"の顔見せよ。ソルシエールの復活によって戦いは激化する筈じゃ。良き闘争を期待しておるぞ。」

高笑いしながらオリビアが振り返って去っていくとヘリオトロープ、カーバンクルの人ならざる者たちも消え失せたようにいなくなった。

張り詰めた気配が消え失せてから暫く動かなかった2人は完全に敵意が消滅したのを確認して地面に座り込んだ。

普段の撫子と葵衣には考えにくい行動だが、腰が抜けてしまってはどうしようもない。

「…っ、はあ、はあ。」

「ご無事、ですか?お嬢様。」

呼吸さえまともに出来なかった反動で荒い息を繰り返す2人はどうにか自分達の頭と体がまだ繋がっていることを認識した。

「あれは、危険すぎます。ヴァルキリーのメンバーが戻り次第、対策を…」

言い終わる前に撫子が倒れた。

葵衣は呼吸を確認するとすぐさま携帯を取り出して車を呼ぼうとしたが

「…まだ震えが止まりません。」

携帯を持つ手も、ボタンを押そうとした指も震えていた。

どうにか電話で車の手配をした葵衣は撫子に寄り添いながら目を閉じた。




「グラマリーを扱うオーの上位種、ヘリオトロープ。そして魔剣が自らを扱うために生み出した肉体、カーバンクル。」

新しい年を迎えてまだ4時間と経っていないのに眼前に立ち塞がるように現れた強大すぎる壁にさすがの撫子も唸らずにはいられなかった。

どちらかと言えば拗ねているのだが、どちらにしろ普段から冷静沈着で落ち着いている撫子からすればかなり珍しい。

「新年になったばかりだというのに幸先の悪い話ね。」

「…」

葵衣は上手く撫子をフォローしたかったが葵衣自身も最悪の状況を打開する方法は思いつかなかった。

「…各地のジュエルクラブと連絡が取れました。やはりオーによる襲撃を受けたようです。」

「停電は連絡を絶つためだったのだから当然ね。」

一括で状況報告せよとメールした返信が届き始めた。

九州や関西はソーサリスの活躍で快勝との書かれていた。

続いて来たのはパソコンではなく葵衣の携帯へのメールだった。

「お嬢様。戦いの中で姉さんがソルシエール・ベリルを復活させたとの事です。」

「緑里までがこのタイミングで。やはりソルシエールの復活は起こるべくして起こったようね。」

悠莉たちのソルシエール復活から間を置かず撫子に葵衣、緑里も取り戻した。

もはや偶然という言葉では納得できず必然や運命と考えた方が割り切れる。

「一大事です。東北ジュエルは羽佐間様の活躍でオーと時坂飛鳥様に勝利を納めたようです。」

「魔女オリビアもそう言っていましたね。それで一大事とは?」

葵衣は顔を伏せて目をそらしながら告げた。

「羽佐間様が、瀕死の重傷で病院に運び込まれたそうです。」

「!!…お一人で時坂飛鳥さんを倒した代償ですか。状況は?」

ジュエルクラブで怪我が生じた場合には信頼のおける医師のいる専用の病院を指定してある。

葵衣は既にそこに連絡を取っていた。

「はい、花鳳撫子お嬢様の…はい、ご無沙汰しております…先程搬入された羽佐間由良さんですが…」

本来、電話応対はしていないがジュエル関連の特例だ。

状態を聞いていく葵衣の表情がみるみる青ざめていく。

「は、はい。よろしくお願い致します。」

葵衣は電話を切ると魂が抜けたように脱力した。

「いったいどうしたというのです?」

「羽佐間様は全身の筋繊維の断裂および各種臓器の重篤な損傷で断続的に血を吐き続けているそうです。」

実際にはより詳細な状態を聞いた葵衣は敢えて簡潔に伝えるにとどめる。

それでも十分に酷い内容に撫子も言葉が出ずに視線をさ迷わせた。

「それは…治ると仰っていたのよね?」

撫子が恐る恐る尋ねた。

葵衣は目を逸らし

「…生きているのが奇跡だと。」

言葉を吐き出すことすら苦しそうに呟いた。

撫子は目元を手で覆い隠してシートに深く座り込んだ。

「羽佐間さんはヴァルキリーメンバーではなく護衛。ただ東北のジュエルを守って逃げ出すことも出来たはずです。」

「はい。東北ジュエルからの報告によれば羽佐間様のご活躍により被害はほぼ皆無とのことでした。」

「羽佐間さんは期待以上の仕事をしてくださいました。なのに、わたくしたちは何もして差し上げられないの?」

これからすぐに東北に向かうことは出来る。

だが向かった先で撫子たちが出来ることは何もない。

ただ苦しむ由良を見て自らの判断と無力を悔いることしか出来ない。

花鳳の名を使って世界最高の名医を用意したとしてもおそらく由良は助けられない。

現代の医学ではもはや由良を助けられる手立ては残されていない。

そう、科学の力では。

「…葵衣、東條さんに連絡を。」

「お嬢様、それは。」

葵衣は携帯をすぐに用意しアドレスから八重花を選択するものの通話ボタンを押すのを躊躇った。

八重花はすでに"ただの人"ではなく"Innocent Vision"の一員だ。

何かしらの見返りを求められるのは当然と考えられる。

「作倉様のお力をお借りするのでしたら直接ご連絡した方がよろしいのではないでしょうか?」

叶のオリビンの力で助けてもらおうというのだから葵衣の案の方が妥当であり、叶なら見返りもなく由良を救うことに同意してくれるだろう。

だからこそ撫子は首を縦に振らなかった。

「すでにどちらも組織として動いているのに人の良さに付け込むわけにはいかないわ。それに連絡先を知らないもの。」

もちろん連絡先の事など建前だ。

葵衣が少し調べればすぐにでも判明する。

だが葵衣は主の考えを理解して八重花に電話をかけた。

プルルルルル

『はい、こちら"Innocent Vision"事務所です。』

一瞬どこかにかけ間違えたかと思った葵衣だったが声は間違いなく八重花であり"Innocent Vision"と名乗っているので間違いなかった。

「東條八重花様ですね?」

『そうよ。こんな朝っぱらから何か用かしら?』

その朝っぱらだというのに電話に出るのが早かった。

声にも眠気が感じられないことから葵衣は八重花がすでに起きていた、または寝ていないと判断した。

「早朝に申し訳ございません。お話がございますのでお嬢様に取り次がせていただきます。」

葵衣が携帯を手渡すと撫子は頷いて受け取った。

一度深呼吸してから電話を耳に当てる。

「あけましておめでとうございます。」

『あけましておめでとう。今年はいい年になることを願うわ。』

「同感です。…ヴァルキリーの長として"Innocent Vision"にお願いがあるのですがよろしいですか?」

略式の挨拶を交わして撫子は声のトーンを落として申し出た。

電話の向こうで八重花の雰囲気が変わったように思えた。

きっと足でも組み替えているのだろう。

『さっそく対話の場でも用意してもらえるのかしら?…いや、違うわね。それならお願いにはならない。なら何かしら?』

八重花は少ない撫子の言葉からさっさと話を進めていく。

撫子は心臓に手を当てて声が震えないように気を使いながら口を開いた。

「羽佐間由良さんがオーとの戦闘で瀕死の重傷を負いました。作倉叶さんのお力で羽佐間さんを助けていただきたいのです。」

『…へぇ。』

八重花の返答には間があった。

それは由良の怪我に驚いたのか、別の理由かは声の調子からはわからない。

『由良はただの護衛でしょ?それを私たちに借りまで作って助けようとするなんてね。』

「わたくしたちは魔女とは違い血も涙もない"化け物"になり下がるつもりはありません。羽佐間さんに恩義ある以上、見殺しには出来ません。」

八重花の挑発に撫子は語気をわずかに荒げて反論した。

"化け物"として力で世界を支配するのではなく"人"としての理性を持ったまま力を持つ者として世界を率いていく、それがヴァルキリーの思想の一つ。

だからここで由良を見捨てることはその"人"を捨てることに等しい。

『わかったわ。これは貸しにして由良は助けてあげる。』

「ありがとうございます。」

恩着せがましい八重花の言い方だが反応はほぼ即答だったので初めから助けてくれる気だったことが窺えた。

『それで由良は壱葉にいるの?』

「いえ、それが遠征先で傷を負いまして…」

そこまで言って電話の先で八重花の沈黙が重いことに気付いた。

「どうされました?」

『この電話が来る少し前に叶から連絡があったわ。家族で祖父のところに新年の挨拶に行ってくるってね。近場ならすぐに呼び戻せたけど遠出となるとうまく説得できるか。』

「そんな…」

撫子は絶望のあまり電話を取り落としそうになった。

時間がかかればそれだけ由良の容態は危なくなっていく。

うまく交渉できたとしてももし叶が九州などの遠くに行っていたら最悪叶の到着が間に合わない可能性もある。

『絶望している暇があるなら由良のいる病院の情報を教えなさい。それがないと叶と交渉のしようもないわ。』

電話越しだというのに撫子の状態をしっかり把握している八重花に驚きつつ慌てて意識をもち直す。

「そうでしたね。羽佐間さんは東北ジュエルでの遠征先の病院に搬送されたので住所は…」

『くくっ、これは偶然?それともこれも運命かしら?』

撫子が住所を伝え出した辺りから八重花は笑いを堪えているようだった。

切羽詰まっている状況で不謹慎な態度に撫子は眉を顰める。

「何が運命だとおっしゃるのですか?」

『気を悪くしたなら謝るわ。くっ、でもこれは出来すぎよ。』

未だに八重花は笑っている。

それが何か分からない撫子だったが、それでも八重花の悲壮感が消えているのには気がついた。

『これが偶然でも運命でも、由良は間違いなく助かるから安心しなさい。』

「それはどういう意味です?」

『叶の祖父の住所を前に聞いてたんだけど、その由良が運び込まれた病院と目の先らしいわよ?』

「……ふふっ、なるほど。それは確かに誰かの仕組んだ運命かもしれませんね。」

撫子もこらえきれず笑ってしまった。

葵衣が不思議そうにしているが今は説明できない。

でももしもこれが"誰か"の仕組んだ運命なら由良は間違いなく助かるだろう。

もしも偶然だとしてもほとんど直行するのと変わらないためやはり助けられる。

『それじゃあ私は叶に連絡しておくわ。結果報告はこっちからする必要はないわね?』

「はい。それではよろしくお願いします。」

撫子は微笑みを浮かべたまま電話を切った。

「上手くいかれましたか?」

「そうね。笑ってしまうほどに上手くいったわ。」

ピルルル

電話を切るとすぐにまた葵衣の携帯はジュエルクラブからのメールを受信し始めた。

「確認しながらで構わないわ。さっきの内容を説明するわ。」

「よろしくお願い致します。」

葵衣は撫子の楽しげに話す八重花とのやり取りとジュエルクラブから上がってくる情報をまとめながら帰っていった。


こうして衝撃的な戦いの事後処理に追われ、葵衣は壱葉ジュエルからの連絡が無かった事に気付かなかった。

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