第171話 現の如き悪夢の初夢
「うー…ん。」
妙に寝心地の悪い感覚に叶の意識が覚醒していく。
(あれ、琴お姉ちゃんのところのアルバイトの最中に寝ちゃ…!!?)
バイト中に居眠りという失態に背筋が凍り、一気に目が覚めた。
「あ、あれ?」
しかし目を開けた先に見えたのは自分の部屋だった。
カーテン越しに外からの朝日が感じられる。
太宮神社の社務所で居眠りをした、という状況とはすべてがミスマッチだった。
「ええと、そう言えば眠そうにしてたら帰っていいって琴お姉ちゃんが言ってくれたような。」
まだ寝ぼけているのか記憶が曖昧だが現実ここにいる以上そういうことなのだろう。
「今日はお祖父ちゃん家に新年の挨拶に行くんだっけ?お年玉貰えるかな?」
妙に頭が重く感じるが睡眠不足のせいだと納得してベッドから起き出し、新年を迎えて初めての朝日を拝もうとカーテンを開けた。
「………」
そこは、荒廃した世界だった。
シャッ
叶は開けたカーテンを逆回しの動作で閉めた。
ついでにベッドに戻るところまでやってしまう辺りに叶の気の動転具合が窺える。
「あれ?ええと、これってよく漫画とかにある、朝目覚めたら異世界だったってお話?」
ベッドに横になってみたが心臓がドキドキと脈打つ鼓動が早くて全く眠くもならない。
漫画や小説にあるような設定を口にするのはイタイ娘っぽいが、自身がセイントなんて普通とは違う存在であるため"非日常"の事件に多少の順応性があった。
「大変だ。」
言葉以上に悲観していないのは叶が強くなったからだ。
陸に出会う前の叶だったら取り乱してベッドで布団を被って震えていたことだろう。
「ここは普通じゃないんだよね。うん、そのつもりでいこう。」
うんと頷いて心を武装する。
これでおかしな事が起こっても慌てずに対処できる。
「まずは、もう一度外を見てみなくちゃ。」
叶は窓の前に移動すると両手を左右に広げてカーテンを開けた。
やはり見間違いではなく町が荒廃した世界だったが今度は目を逸らさなかった。
「…あれ?」
目を逸らさずに見た叶はその光景に既視感を覚えた。
だが頭が重たいせいか上手く記憶のピースと組み合わない。
「でも、この風景は毎日見てるような…ああ!これ、私の部屋から見えるのと同じだ!」
驚かないように気合いを入れて早々叶は驚いた。
それは叶の部屋で目覚めたのだから見える光景が同じなのも当然だが、外の建物の大半が半壊したり全壊したり抉りとられていたり、アスファルトの地面もひび割れていれば違うものと認識してしまってもおかしくない。
叶が気付いたのはむしろ遠くの山々の形が同じだった点だ。
それほどまでに外の姿はいつもの風景とはかけ離れていた。
「これが家から見た姿なら、ここは世界が滅んだ後の世界?」
ノストラダムスはとうの昔にブームが過ぎ去った昨今、世界の破滅が現実に騒がれたことはない。
ならばこれは何らかの破滅が起こった未来ということになる。
だが叶はその考えに首を傾げた。
「うーん。」
より正確に言えばこの荒廃した世界自体に見覚えがある気がした。
「…とにかくここにいても分からないよね。」
叶は安楽椅子に座ったまま事件を解決できる探偵ではないので知りたいことは足で稼ぐしかない。
着替えをして階段を降りていく。
あまり期待はしていなかったがやはり両親の姿はなかった。
母のカップがテーブルの上に置いてあったが中身の緑茶はすっかり酸化して茶色くなっており、ちょっと家の外に出掛けた訳ではなさそうだ。
「探偵みたい。」
自分の洞察力にちょっぴり自慢気な叶は他の部屋も回ってみたがやはり目ぼしいものは見つからなかった。
「それじゃあ外を回ってみるけど。オリビン。」
叶が胸の前で拳を握って呼ぶと若草色の淡い輝きと共に短剣型のシンボル・オリビンが顕現した。
「よかった、出てくれた。危なくなったらお願いね。」
オリビンが使えることを確認した叶はドアノブを掴んだ格好で一度深呼吸をしてからドアを開けた。
「建物はボロボロだけど、やっぱりうちの回りだ。」
足場に気を付けながら家の周囲を歩いてみると壊れたなりに特徴は残っていて、ここが自分の家だと改めて実感した。
「ここがうちだとしたら…ううん、他も回ってみよう。」
家の周辺が似通っているからと言ってここが滅んだ世界だと決めつけるのは早計だと叶はかぶりを振って歩き出した。
「あ、そうだ。携帯は…」
現代の文明の利器があれば他者との連絡は容易につく。
「あ、圏外だ。」
まあ、町の崩壊した様子を見れば携帯電波の基地局が無事なわけもないのだが。
「あれ?曜日が違う?」
携帯の画面を覗いたときに気付いたが日付と曜日が変わっていた。
「壊れちゃったかな?」
電話とメールの機能くらいにしか使えない叶はよく分からないので諦めた。
そんなわけで足で情報を稼ぐことになった叶はまず壱葉高校に向かうことにした。
災害時には学校に避難するのはよくあることだし、何より学校までの道のりが1つの証明になるからだ。
「学校に誰か知ってる人がいますように。」
叶は指を組んで祈ってから慎重に学校に向かって歩き出した。
「そんな…」
確かに叶の記憶の通りの場所に壱葉高校は存在していた。
だがその姿は想像とは大きくかけ離れていた。
校舎の半分が爆発したように崩れ落ち、窓という窓が砕け散り、校庭も所々抉れ、焦げたような臭いまでしていた。
(なんだろう。まるで学校で戦いが起こったみたい。)
残された惨状を目の当たりにして叶が感じたのは爆弾のような科学兵器ではなくソルシエールによる戦闘だった。
「あ…これ…見覚えがある。」
良く良く見てみるとその壱葉高校の有り様には覚えがあった。
それは1年前に陸を犠牲にして辛くも勝利を手にすることが出来たファブレとの戦いの直後の壱葉高校にそっくりだった。
「どうして今まで忘れてたんだろう?」
記憶に関しては頭を捻ったところで何も出てこない。
それよりも気付いた事実を確認するために携帯を取り出しカレンダーを開いた。
「やっぱり、この日付は去年のだったんだ。だったらここはファブレとの戦いが終わった後なのかな?」
実は実際に過ごしたその辺りの記憶が微妙に曖昧だった。
戦いで傷ついた町の復興に協力して忙しかった覚えはあるが詳しくはあまり思い出せない。
「もしもあの頃なら駅前に行けば人がいたはず。」
未来ではなく過去なら叶も当時の事が分かるのでプチInnocent Visionの気分だった。
商店街もひどい有り様だったが人の姿が見受けられた。
叶は何故か町の人たちに注目されているような気がしていた。
「あああ!作倉叶さんだ!?」
突然前に現れた大学生くらいの男が突然叶を指差して盛大に驚きの声を上げた。
「え?」
見ず知らずの人に名指しで呼ばれて叶は目を白黒させる。
さらには
「やっぱりそうだったのか!」
「こりゃ一大事だ!」
と周囲で見ていた人たちも大慌てで動き出す。
「え、ええ?」
叶が戸惑っているといつの間にか周囲には人だかりが出来ていた。
「あ、あの、私に何かご用でしょうか?」
興奮した様子で詰め寄ってくる人たちに身の危険を感じた叶は早めに用件を聞き出すことにした。
昔だったら怯えて蹲っていただろう。
真っ先に声をかけてきた男は叶に話しかけられただけで満面の笑みを浮かべた。
「セイントの作倉叶さん、一目見たときからファンになりました!」
「俺もだ。」
「わたしも。こっちむいてー!」
周囲が騒がしくなる中で叶は呆然としていた。
それは男性の一言。
(なんでセイントってバレてるのー!?)
「ここのコーヒー美味しいんですよ。さ、飲んでください。」
「は、はあ。ありがとうございます。」
叶のファンを名乗る人たちに近くの辛うじて無事だった喫茶店に誘われた叶は情報収集のために付き合った。
マスターの奢りというコーヒーを貰って一息つく。
「それで、私がセイントだってどうして知ってるんですか?」
「ははは、実に奥ゆかしい人ですね。あの赤い日の戦いはテレビで放送されたんですから世界中の人が知ってますよ。」
「悪の魔女ファブレに勇敢に立ち向かうセイント作倉叶。傷付きながらも止めを刺したときは世界中が泣いて喜んだわ。」
確かにあの赤い世界でもまだ携帯が使えていたし人も逃げ回っていた。
無謀なレポーターやカメラマンが頑張って撮影をしていた可能性はある。
「だから作倉叶は今や時の人。新時代のヒーロー、いや、ヒロインと言うわけだよ。」
人々が口々に褒め称えるので叶は恥ずかしくて俯いた。
自分の頑張りがこの人たちの笑顔を作れたのだとすればそれほど嬉しいことはなかった。
「戦いの後に行方を眩ましていたみたいですがどちらに?」
「ええと…」
「それはもちろん正義の為に飛び回ってたんだろうさ。」
叶が答える前にマスターが喋って皆が納得して笑う。
崩壊した町にも笑顔が溢れていて叶はホッと胸を撫で下ろした。
「せっかく作倉叶がいるんだからパーティーしましょ!」
話は叶の預かり知らない所で勝手に進んで喫茶店でのパーティーの準備が進められていく。
叶は主賓だから座っててと言われたが手持ち無沙汰だったので散歩に出た。
「私がヒロイン。それならやっぱりヒーローは…えへ。」
陸の姿を夢想してだらしない顔になっていた叶は路地裏から飛び出してきた人にぶつかってしまった。
「うう、大丈夫です…」
「か、叶!」
それはなんと裕子だった。
初めて知り合いと遭遇して叶は嬉しくなったが裕子の様子がおかしい。
叶の肩を掴んで激しく揺する。
「久美が、久美が大変なのよ!」
「久美ちゃんが!?」
裕子に手を引かれて路地裏を走る。
やがて見覚えのある高架下が見えてきたとき
ボクッ
妙に重く鈍い打撃音が叶の耳にも届いた。
「わああーー!」
裕子が泣き叫びながらガクリと膝をつく。
叶は地面に張り付くように重い足を前に進めて高架下に入った。
そこにいたのはうろ覚えだが赤い世界の時にこの場にいたおじさんだった。
「この悪魔の娘が!」
ボグッ
当時は怯えて悲鳴をあげて歪んでいた顔が今は悪鬼の形相をしている。
手にした角材が地面に横たわり動かないものを何度も殴る。
倒れた人の顔は見えないが誰だか分かる…わかってしまった。
「久美ー!!」
裕子が泣き崩れた。
「どうして…こんな酷いことを…」
叶が口元を押さえながらよろよろと後ずさる。
おじさんは顔を上げて叫んだ。
「こいつは悪魔だったんだ!いつまた襲われるか分からない。だから殺した!」
確かに久美は一度デーモンになり芳賀やこのおじさんを攻撃した。
だけどそれは叶によって救われたはずだった。
久美は普通の女の子に戻っていたはずだったのだ。
それを無視して狂気に走ったおじさんを見て叶は恐怖のあまり裕子を置いて逃げ出した。
「はっ、はっ!」
震える手でアドレスにある連絡先に片っ端からかけるがどれも不通の音がするだけ。
「みんな、みんな!何処にいるの?」
何かに追われているような焦燥感に駆り立てられて走り続け、仲間を探すために駆けずり回ったが見つからず、最終的に到着したのは偶然にも喫茶店だった。
「そうだ。ここは、暖かい。」
叶はみんなの笑顔が見たくて店内に入った。
『中継です。これよりジュエルなどという危険極まりない道具の存在を秘匿して世界中に向けて販売しようとした世界的な犯罪者、花鳳撫子容疑者およびその関係者、ソーサリスと呼ばれる邪教集団の公開処刑が始まります。』
「…………え?」
だが、店内にパーティーの為の楽しげな声はなく、聞こえたのはアナウンサーの平坦な声だった。
古いテレビの画面には磔にされたヴァルキリーのメンバー、そして明夜や由良、八重花、真奈美の姿が映し出される。
「なんで…なんで、みんなが…」
叶が呟きながら後退り、よろけて椅子をひっくり返してしまった。
その音に気付いた大学生の男が振り返る。
その顔は、不気味に思えるほどに笑顔だった。
「当たり前じゃないですか。あいつらは魔女の力を手に入れた"化け物"なんですから。あんな人の顔をした悪魔と一緒になんて暮らせるわけがないじゃないですか。だから処刑されるんです。これで、この世界は平和になる。すべて作倉叶さん、あなたのおかげです。さあ、処刑が始まりますよ。」
画面の向こうでキュラキュラとおかしな音がしてきた。
画面に映し出されたものは人を1人殺すのに持ち出された大型戦車だった。
大砲の照準が撫子に向けられる。
撫子はすべてを諦めたように俯き、抵抗を見せなかった。
テレビの前の人たちは
「魔女を殺せ!」
「世界に平和を!」
撫子の死を嘆くどころか殺せとコールしている。
「い、いや…」
叶はパーティーの準備をしていた人たちも怖くなって喫茶店を飛び出して走った。
いつの間にか外は漆黒の闇の支配する夜の帳の中だったが叶は構わず足を動かし続ける。
真っ暗な闇の中をどこまでもどこまでも。
止まってしまえば悪夢のような光景が追いついてきそうだった。
ビュービューと風の音にまぎれてどこからか声がする。
『これが本当の世界なんだよ。』
「いや、そんなのいや!」
叶は走りながら頭を激しく振り…
「いやーーーー!」
ベッドの上で暴れた。
パッチリと目を開いた先は天井…のはずだったが
「…えと、こんばんは。」
何故か目と鼻の先に陸の顔があった。
それこそ唇が触れそうなほどに近く。
ボッ
一瞬で叶の顔が茹で蛸になる。
「な、なな、なんで陸君が!?こ、これがよ、よよ、夜這い!?」
「違うよ!人聞き悪い。」
陸は動転する叶の前に顔を寄せる。
「あ…くぅ。」
その左目が朱色に輝いた直後、叶はクテッと倒れた。
陸がその体を支えてベッドに寝かす。
叶が手にしていた白紙のおみくじを抜き取って苦笑する。
「ふう、危ない危ない。気付けて良かったけど、本当に能力が破格で怖いなセイントは。」
陸はすやすやと安らかに眠る叶の可愛らしい寝顔に見惚れそうになり、慌てて頭を振った。
さっきAkashic Visionの力の応用で怖い夢は忘れさせた。
もう"怖い夢"を見ることも無いだろう。
陸は窓に足をかけて振り返り、優しく微笑む。
「それじゃあ叶さん、今度こそ良い初夢を。」