第165話 希望と絶望のカウントダウン
年末の除夜の鐘が静まり返った夜の静寂に響く。
今日は今年最後の日、大晦日。
太宮神社は夏祭りほどではないにしろ参道の脇に露店が出ていて食べ物のいい匂いを振り撒いている。
新年を迎えるまで1時間を切っていることもあり新年を迎えるのと同時にお参りをしようと考えている参拝客が徐々に増えてきていた。
そんな神社で叶は巫女装束を来て社務所に詰めていた。
今日は裏ではなく売店の部分にいる。
「うう、酷いですよ、琴お姉ちゃん。」
叶は隣に立つ琴に向けて不満を口にするが琴はすました顔で参拝客を眺めている。
社務所が忙しくなるのは年が明けてからなので今は若干余裕があった。
叶が不満を言っているのは服装についてだった。
外身は普通の巫女装束だが別に修行ではないので内側にはシャツを2枚、スパッツに毛糸のパンツ、靴下とかなりの防寒対策を施していた。
それを前日まで知らされなかった叶は寒空の下で凍え死ぬ覚悟までしていたのだから怒るのも無理はない。
「叶さんの様々なお顔が見られてとても満足です。」
叶にコスプレさせる趣味に目覚めた辺りから兆候はあったが琴の性格もだいぶ極まってきた感がある。
「何を馬鹿なことを言ってるのよ。」
叶でさえ反応に困って放置していた琴に容赦ないツッコミの声が突き刺さる。
「あ、八重花ちゃん。真奈美ちゃんも。」
「ご苦労様、叶。」
訪ねてきたのは八重花と真奈美だった。
"Innocent Vision"結成直後だというのに2人とは一週間近く会っていなかった。
連絡は取っていたが2人とも忙しかったと聞いていた。
「裕子ちゃんと久美ちゃんは一緒じゃないんだ?」
これまでは毎年元日の昼過ぎに仲良し5人組で参拝に来ていた。
今年は叶がバイトになってしまったため新年を神社で迎えると伝えてあった。
そうしたらこの通り叶に会いに八重花たちはやって来た。
「久美はあっちでクラスメイトと一緒だよ。今年はクリスマスパーティーが大盛況だったせいか叶の巫女服姿を見たいってクラスメイトがいっぱい来るらしいよ。」
「え゛。」
叶から変な声が漏れた。
お仕事とはいえ知り合いに見られるのは恥ずかしい。
「琴に脅迫された時点で叶の晒し者は決定よ。諦めなさい。」
八重花は"Innocent Vision"で正式に仲間になったのを機に琴と呼び捨てにするようになった。
本当に物怖じしない豪胆な性格だ。
「脅迫とは人聞きの悪い。わたくしはただ叶さんにお願いしただけですよ。」
琴も口許を隠して笑うので本心が別にあるのは明白だった。
弄られるのも晒し者になるのも避けれらないため叶はしょんぼりするだけで反論することを諦めた。
「うう。それで裕子ちゃんは?」
叶は話題を逸らすように話を振ったが、八重花に目を逸らされた。
「察しなさい。」
「?」
察しろと言うが叶はハテナマークを頭に浮かべて首を傾げるだけだった。
八重花はため息をつくと真奈美に手招きして近くに立たせ、そのまましなだれかかった。
「八重花ちゃん!?」
「『ああ、もうすぐ今年が終わるのね。』」
「『そうだな。今年最後の君を見るのは俺だよ。』」
「『それなら私は来年の最初に貴方を見た人になるわ。』」
八重花はもちろんのこと、即興の割に真奈美もノリノリだ。
社務所の前で繰り広げられる寸劇に参拝客の注目が集まるが当人たちは何事もなかったように身を離した。
「という感じで彼氏と2人きりで年越しするみたいだから誘ってないわ。」
「そ、そうなんだ。」
叶は寒さではない意味で顔を赤くして頷いた。
「すみませーん。」
「あ、いらっしゃいませ。ごめんね、2人とも。」
「お仕事頑張って。」
客が来て叶が忙しくなったため八重花と真奈美は社務所から離れた。
「叶たちにも他の勢力からのちょっかいはかからなかったみたいだね。」
人目につきにくい裏手に回ったあと真奈美は真面目な声で言った。
年末の挨拶が主目的だがこの1週間で叶たちにおかしなことがなかったか様子を見に来たという側面もあった。
「あの2人と真奈美は魔剣使いにとって天敵よ。"Innocent Vision"の戦力を潰す気ならまずは私にくるわ。」
八重花は"Innocent Vision"の中で唯一のソーサリスであり、同時に"Innocent Vision"の優れたブレインでもある。
能力的にも戦略的にも"Innocent Vision"を潰しにかかるとしたら真っ先に八重花を狙うだろう。
八重花は自分の命が危ぶまれるかも知れないというのに薄く笑っている。
「八重花のそういう性格は理解しているつもりだけど、無理したらあたしたちが悲しむってことを忘れないようにね。」
「分かってるわよ。」
八重花はしれっとした顔でたまにとんでもないことをする。
平静な見た目とは裏腹にそのうちに滾る炎の熱さは誰にも理解できないから。
だが疑っても仕方がないので真奈美は納得しておくことにした。
「それで、クリスマスから隠ってたみたいけど"Akashic Vision"の動向は掴めた?」
"Innocent Vision"が追っているのは"Akashic Vision"の陸だ。
他の組織とも対話を進めていく意思はあるものの前身の"Innocent Vision"から続く陸との邂逅を望んでいる。
八重花はそのためにここ1週間部屋に篭って万能検索ツール・エクセスを駆使して"Akashic Vision"の探索を行っていたのであった。
だが八重花はあっさりと首を横に振る。
「駄目ね。尻尾の毛一本引っ掛からなかったわ。冬休みで寒いから部屋に引きこもってるんじゃないかしら?」
「あはは。」
冗談ぽいが陸が半年間引きこもりをしていた事を踏まえると意外と真実味を帯びてくるから不思議である。
「他の組織に動きがあれば"Akashic Vision"も動く可能性があるわ。だから今は待ちの時よ。」
「了解。そろそろ今年も終わりだね。」
「是非とも来年は良いことがあることを願うわ。」
2人が見上げた空には除夜の鐘がボーンと音を響かせていた。
年の瀬、その忙しい日に
「今年最後のお仕事が待っているとは、きっと厄年ね。」
撫子はヴァルハラで会長席に座りながらぼやいた。
人前ではあまり弱みを見せない撫子なのでそれだけ葵衣を信頼しているということだろう。
「今年が厄年ならば来年は良い年になります。」
葵衣の気休めに撫子は儚く笑って頷いた。
今年最後の大仕事としてヴァルキリーは全国各地に急行していた。
それは年内の業務が全て完了し、後は来年を迎えるだけになった12月31日。
妙な気配で目覚めた撫子はバッとベッドの上から飛び起きると着地と同時にアヴェンチュリン・クォーザイトを顕現させた。
体勢を低くしたまま窓の外に目を向けると朝日の射し込む窓の1つが闇に染まっていた。
「オー!?こんなところに!」
それはよく見れば漆黒の人型オーだった。
花鳳の警備部は何をやっているのかと思ったがオリビアの呼び出したオーの出現方法を考えるとどこから現れても不思議ではない。
それこそ突然部屋の中に立っていたとしても。
「ともかくわたくしの命を狙ってくるのならば排除します!」
怖い想像を頭を振って振り払った撫子が声を張り上げると
「オッ!」
窓の外のオーが驚きに目を見開いた。
普段ならここで窓を割って飛び込んで来そうなものだが何故か窓の向こうで狼狽えている。
よく見るとオーの手には手紙らしきものが握られていた。
「なんなのでしょう?」
怪しさは満点だが窓の外に放置しておくのも精神衛生上宜しくない。
というか不法侵入な上に覗きみたいなものなので社会的には既に立派な犯罪者だ。
仕方がないのでアヴェンチュリン・クォーザイトで器用に窓を開けた。
「オー。」
オーはペコリとお辞儀をすると丁寧に両手で手紙を握って撫子に差し出してきた。
「はあ、ありがとうございます。」
ビックリするほど敵意を感じないので撫子は呆気に取られながら手紙を受け取った。
オーはもう一度お辞儀をするとバルコニーから飛び降りて庭を走っていく。
「いたよ、葵衣!」
「見逃したと思っていましたが今度こそ逃がしません。警備部、展開してください!」
起こしにこないと思っていたら葵衣たちはオーを探して駆けまわっていたらしい。
撫子は渡された手紙に目を落としてフッと笑った。
「一応、無事に帰り着くことを願って差し上げましょう。」
「申し訳ございません、お嬢様。よもやあれほどまでに素早いオーがいるとは想定しておりませんでした。」
手紙を運んできたオーは海原姉妹と花鳳警備部を振り切って逃げ仰せたらしい。
撫子の祈りが通じたわけではないようなので単純に逃げ足が速かったのだろう。
「最後はエアブーツまで使用したというのに逃げられてしまい、誠に…」
「別に構わないわ。」
葵衣のエアブーツを振り切るほどのスピードとなると戦闘では脅威だが今日のところは戦闘する気もなかったようなので問題はない。
実際、葵衣も本気で倒すつもりで動けば結果は変わっていたはずだ。
お屋敷の中でジュエルを大っぴらに使うわけにはいかなかったのだから本当に仕方がない。
「それよりもこれよ。」
「手紙ですね。これをさっきのオーが運んできたんですか?」
緑里はテーブルの上に置いた手紙を見て感心しているようだった。
ひっくり返すと右端には確かにオリビアの署名があった。
「爆発や呪いの類いである可能性もございます。お嬢様はお下がりください。」
撫子を下がらせた葵衣はセレスタイト・サルファーを抜刀、照準をテーブルの上に乗せた手紙に固定した。
左手に風の鞘が生まれ
「はっ!」
裂帛の声と共に刃が風となった。
パァン
手紙の包装が遅れて破裂し、中の手紙は無傷のまま葵衣の手元に戻った。
「曲芸師も真っ青ね。」
「お誉めに預かり光栄です。…特に手紙に細工はされていないようです。」
葵衣は十分に手紙を改めて安全を確認してから撫子に渡した。
オリビアは名前の通り日本人ではなく、文面も英語だったが撫子は何の苦もなく読んでいく。
だが手紙を読み進めていくうちに撫子の表情は徐々に険しさを増していった。
「撫子様、何が書いてあったんですか?」
撫子は答えず葵衣に手紙を渡すと椅子に深く腰かけた。
代わりに葵衣が手渡された手紙を読み上げる。
「ヴァルキリーの長に告ぐ。我々は今年で準備期間を終え、年明けと共に本格的な活動を開始する。まず手始めに紛い物の魔剣で力を得たつもりになっている者たちに本当の魔の力を知らしめる。抗いたくば精々力を振り絞ることだ。なお、"Akashic Vision"や"Innocent Vision"に助力を求めた場合、時を待たずして活動を開始する。」
「ええと、年明けと一緒に全国のジュエルを攻撃するってこと?」
緑里の大雑把な要約に葵衣は頷いて手紙をテーブルに置いた。
撫子は膝の上で組んでいた指を組み替える。
その動きに多少の苛立ちと焦りが感じられた。
「早速仕掛けてきましたか。弱い相手を狙うのは戦いのセオリーとはいえ、名指しで弱者扱いされるのは気持ちの良いものではありませんね。」
別にオリビアの手紙にはそこまで事細かくは記されていない。
しかし他の組織に協力を仰げないように忠告している時点でオリビアがヴァルキリーを見下していることは明白だった。
椅子に腰かけた撫子の瞳にメラメラと炎が燃え上がったように緑里には見えた。
「この挑戦、受けて差し上げましょう!葵衣、ただちに各ジュエルクラブインストラクターに伝達。年末にどんな用事であろうとキャンセルさせて各地区拠点で防衛戦の戦闘準備をさせるようジュエルに指示させなさい!」
「御意。ただちに手配致します。」
「緑里はヴァルキリーメンバーを各地区に派遣する人員の選定を任せるわ。場合によってはヴァルハラに人員を待機させなくてもいいわ。」
「は、はい!」
指示を受けた葵衣と緑里はすぐさま部屋を飛び出していった。
バタリとドアが閉じた音がした後、朱色に左目を輝かせた撫子が手を翳すとアヴェンチュリン・クォーザイトが現れ、振り抜いた余波で風が手紙を舞わせた。
手紙は空中でサンスフィアにより炭も残さず消滅した。
「この決闘、受けましょう。魔女オリビア。」
「お嬢様。各地のジュエルの集合状況は70%程度で、連絡が取れなかった人員の他、インストラクターとも連絡が取れない地域もあるようです。」
「突然の連絡でしたから出掛けている方もいるでしょうが、少々集まりが悪いですね。」
撫子の顔は不満というよりは不審だった。
今回はジュエルを戦力として扱うだけでなく保護の意味がある。
確かに年末は忙しいだろうが命の危険と比べるものではないはずだ。
そうなるとオリビアが約束を違えてあらかじめジュエルを襲撃したとも考えられた。
「仕方がないわ。定期的に打診は続けるけれどジュエルクラブはソーサリスと協力して陣形の維持に努めるよう伝えなさい。」
「承知致しました。」
葵衣がすぐにインストラクター宛にメールを送信する。
その鮮やかな手腕を視界に納めながらその目はパソコンの画面に表示された日本地図に向けられている。
「九州に良子さん、関西に美保さんと悠莉さん、中部に緑里。それと東北の羽佐間さんと関東の紗香さん。緑里は随分と上手く配置したものね。」
「はい。ソルシエールを持つ方を基本的にはそれぞれの地域に分散させ、ソルシエールでの実戦経験の少ない紗香様を私たちがフォロー出来るよう関東に配置したようです。これで姉さんが中部地区の戦力をもう少し考えてお嬢様か私を配置すれば完璧でした。」
辛口の評価をしながらも葵衣は誇らしげに語った。
撫子は微笑み、画面を見る。
まだ何の変化もない。
右下に表示される時計はいよいよ今年があと1分で終わることを示していた。
葵衣が懐中時計を取り出して秒針の動きを見つめている。
撫子もそれに倣い、刻一刻と迫る今年の終わりへのカウントダウンを開始する。
「10…9…8…7…6…5…4…3…2…1…」
「0。」
ウーウーウー
新年を迎えた瞬間、各地のジュエルクラブの警備装置と連動させておいたパソコン画面が赤くなり警報が鳴り響いた。
「きましたか。年の初めに厄を払うと致しましょう。」