第163話 燻る火種
クリスマスパーティーは最後にサプライズの混乱はあったものの大盛況で幕を閉じた。
ヴァルキリーの花鳳撫子は
「楽しいパーティーにお招きいただいてありがとうございました。このお礼は"Innocent Vision"の皆さんにさせていただきますので。」
とお礼参りを宣言するように言っていた。
クリスマスが終われば1週間で年末、新年を迎えることになる。
師走は師に限らず忙しい。
それは叶たちも例外ではないのである。
叶はクリスマスパーティーの翌日、太宮神社に呼ばれていた。
(何の用かな?やっぱり"Innocent Vision"に誘ったのが迷惑だったとか?)
別に昨日今日で誘ったわけではないが実際にオリビアやヴァルキリー、"Akashic Vision"と対峙し、命が危ぶまれる状況にまで陥ったあと冷静に考えて参加を取り消すことだってあり得る。
そう思うと叶の足は自然と重くなり太宮神社が遠く感じられた。
ヒュー
「…うう、急ごう。」
とはいえ行かないわけにもいかず、年末の冷たい風は身を苛むので諦めて早足で太宮神社を目指した。
沿道の木々もすっかり葉を落として一層閑散とした印象の強い太宮神社には
「ようこそいらっしゃいました。」
巫女装束の琴が境内で掃き掃除をしていた。
叶はその姿を見てまた身を震わせる。
叶はシャツが2枚に上着にマフラー、女の子らしさはさすがに捨てきれずスカートだが厚手のストッキングに毛糸の靴下と手袋の防寒具を身に纏っている。
一方、琴は夏場と変わらないように見える巫女装束。
袖の下とか袴の緩やかな裾はとても通気性が良さそうだった。
「琴お姉ちゃん、寒くないんですか?」
叶は肘を抱くように身を縮こまらせながら琴に質問した。
琴はふふと上品に笑う。
「叶さん、寒いに決まってるでしょう。今は冬なのですから。」
少なくとも琴の口調も態度も冬の外に立っている人間のソレではない。
「これも精神修行の一環ですね。冬場の水凝りに比べればこの状態でも十分マシと言えましょう。」
「ブルブルブル。琴お姉ちゃん、早く中に入りましょう。」
滝に打たれる姿を想像した叶は本格的に震えた。
水凝りと言っても井戸水を被る程度だが、訂正しても同じ反応をされるだけだろう。
「そうですね。それでは箒を片付けてきますので先に社務所でお待ちになっていてください。」
「は、はいぃ。」
言質を得ると叶はそそくさと社務所に向かっていった。
「ふふ。わたくしも急ぎますか。」
叶の去る姿を微笑んで見送った琴もすぐに箒を片付けに行った。
「はぁ~、ここは天国です~。」
琴が社務所に到着すると叶は冬の魔性のアイテム・こたつに手足を押し込んでちゃぶ台に顎を乗せてほんわかしていた。
(ああ、可愛らしいですよ、叶さん。)
ゆるキャラ化した叶を見て琴も満足そうにほっこりしている。
試しに頭の上にミカンを置いてみたが叶は全然動じない。
すっかりこたつに魅入られていた。
琴はお茶とお茶請けを用意して叶と自分の前に置き、自分もこたつに入った。
じわじわと赤外線で暖められる刺激に体がむずむずした。
「今日のおやつは氷菓子です。寒い日に暖かい部屋で冷たいお菓子を食べるのは随分と贅沢なことですね。」
氷あんみつは冷たそうだが大変美味しそうだ。
「まだ寒いけど、でも溶けちゃう前に食べたい。どうしよう!?」
叶は嬉しそうな顔をしながら狼狽えている。
態度からも答えは決まっているようなものなのに時に人間は分かりきったことを素直に決められない。
「さあ、遠慮せずに召し上がってください。溶けてしまっては風情がありません。」
「それじゃあ、いただきます。」
許可が出るとすぐに叶はかき氷にスプーンを突き刺した。
パクッと一口して口に広がる美味しさと頭に響く冷たさを味わう。
「んー、美味しいです。」
叶は季節外れの甘味をパクパクと堪能した。
それを見つめていた琴がニヤリと口の端に笑みを張り付けた。
「時に叶さん。今日お呼びした用件ですがよろしいですか?」
「は、はい!」
甘味の魔力ですっかり不安感を忘れ去っていた叶は慌てて表情を引き締めた。
「畏まらなくて平気です。少しお願いしたいことがあるだけですので。」
琴の様子に叶が考えていたような緊迫感が含まれていないことを察した叶はホッと肩の力を抜いた。
「よかったぁ。琴お姉ちゃんが"Innocent Vision"を辞めたいって言うんじゃないか心配でした。」
「ふふ、自らの意志で選んだ結果です。覆したりはしませんよ。叶さんにはお正月にまた巫女のアルバイトをしていただきたいとお願いしたかっただけです。」
「なんだ、そうだったんです、か…」
笑顔で頷きかけた叶が表情をそのままに静止する。
別に巫女のバイトは夏祭りの時にもやっているので勝手は分かっている。
お給料も割と高めなのでお財布にも嬉しい。
しかし叶は気付いてしまった。
さっき太宮神社の境内に入ったときに感じたことを。
「もしかして、巫女の格好ですか?」
「巫女装束を着用しなければ巫女のアルバイトにはなりませんよ。」
そう、つまり寒そうだと感じた琴と同じ格好を、大晦日の夜から元日にかけてしなければならないということだ。
叶はそれを想像して身震いする。
「上着を羽織ったりは?」
「少なくとも接客の間は無理ですね。あの格好を楽しみにされている方もいらっしゃいます。」
カラフルなマフラーにジャケットを羽織った新世代巫女が受けるかもしれないが、少なくとも太宮神社は先駆者になるつもりはない。
「…今日のお菓子は前金ですか?」
琴はにっこりと微笑むだけだったが叶はがっくりと首を落として
「やらせていただきます…。」
と答えるのだった。
ここは"Akashic Vision"が潜伏しているアジト。
外の寒風が吹き込むような構造はしていないが今の室内の空気はとても冷たかった。
「つーん。」
「ツーン。」
海と蘭はクリスマスパーティーでの陸の八重花に対する態度に不満があってツーンとしていた。
さすがの陸も3人にツーンとされると立ち直れないので明夜には肉まんを買い与えて懐柔してある。
「せっかく八重花ちゃんを退場させられるところだったのに、りっくん甘すぎ!」
「そうよ。そのせいで"Innocent Vision"が結成しちゃったんだから。」
「…」
2人は文句を言っているが八重花はどちらの解答を聞いても"Innocent Vision"を決起しただろうと陸は考えていた。
2人がプンスカ怒っているのはむしろ八重花への返事の仕方だ。
「あそこは『ランちゃんが大好きなんだー!』だよ!」
「何言ってるのよ。『僕は妹を愛してしまったんだー!』に決まってるじゃない。」
まあ、つまりは八重花に気を持たせるような返しがまずかったと言いたいのだ。
一部本音が漏れたが言いたいところは間違っていない。
「そうは言っても、僕は不用意な発言をするわけにはいかないんだよ。」
「…。」
それを言われてしまうと"Akashic Vision"の皆は何も言えなくなってしまう。
陸が故意に暗躍して戦いの火種を撒き、各組織を挑発することで今の状況が成り立っている。
手が弱ければ意味がなく、かといってやり過ぎれば総力戦になるためそのバランスを考えて動いているのである。
未来を見、運命を改変させられる陸だからこそ出来るまさに神業。
「ハグハグ。…陸がそう言って誤魔化そうとしてる。」
「あー、やっぱり!」
「お兄ちゃん!」
だけど明夜の指摘で陸の虚言があっさり暴かれてしまった。
先程考えていたように八重花への応対で未来は変わらなかったのだから突っぱねた方が後々楽だった。
それをしなかったのは陸の甘さであり優しさだ。
陸は腕に抱きついて抗議してくる海と蘭に引っ張られてグラグラ揺れながら苦笑を浮かべる。
「相変わらず明夜は鋭いね。」
「うん。」
「オリビアに警戒されてたもんね。」
「うん。」
「それで明夜ちゃんは何者なのかな?」
「…。」
実はここにいるメンバーも明夜の正体を本人の口から聞いたことはなかった。
陸は未来視でその真実の断片を知っているにすぎない。
明夜は5個目の肉まんに伸ばした手を止めて動かなくなった。
何となくその目に躊躇いが見て取れて陸はパンと手を叩く。
「人には言えない秘密もあるんだから無理矢理追求しないように。」
うん良いこと言ったと思った陸は海と蘭にジト目で睨まれた。
「だったら八重花ちゃんのことをどう思ってるかは言えるよね?」
「この際だから全員分の好感度も聞いておこうよ。」
「しまった、藪蛇だった!」
後悔した時にはすでに遅く、瞬く間に椅子に縛り付けられた陸は御輿のように担ぎ上げられて部屋の奥に消えていった。
「わーーー!」
「…陸、南無。」
明夜は助けてくれた陸に感謝しつつ手を合わせるのだった。
またひとつ肉まんを口に放り込んでモグモグさせながら。
紗香は冬休み初日の昼間になってもベッドの上に寝転がっていた。
前日に体力を使いすぎたのは否めないが、やわな鍛え方はしていないので筋肉痛はない。
ただクリスマスを機に自分の周囲の状況が大きく変わったことを現実として受け止めきれていなかった。
「ソルシエール…トパジオス。」
何となくその名を呼びながら左手を上に向けて伸ばすと右手に黄色の長槍が顕現した。
握っているだけでもジュエルとは桁違いの力を感じてつい振り回したくなってしまった。
「いけない。これがソルシエールの衝動ですか。」
紗香は慌ててソルシエールを消して手を振り回した。
ジュエルにも戦闘衝動はあったがソルシエールのそれはもはや殺人衝動に近かった。
「わたしも早くお姉様方のように自在にソルシエールを使えるようにならないと。そうすれば…」
ホワホワホワと思い浮かべるのは美保を完膚無きまでに叩き伏せて白旗を上げさせた上に立つ自分の姿。
美保を打倒し"RGB"を解散させることで悠莉の青、紗香の黄色、良子の赤で"シグナル"を結成できると考えていた。
「…えへ。そのためには修行あるのみですね!良子お姉様直伝のトレーニングで心身ともにパワーアップです!」
割と良子並みに竹を割ったようなところがある紗香は気分を切り替えると運動着に着替えて家を飛び出していくのだった。
カツ、カツ、カツ
暗い廊下をゆっくりとした足取りで進む靴の音が響く。
オリビアのアジトは昼間だと言うのに日の光も入らず薄暗い。
廊下を照らす蝋燭の火はオリビアが歩く度にゆらゆらと頼りなく揺れた。
オリビアはアジトでも最も奥まった場所にある部屋のドアの前に立った。
取っ手に手をかけてドアを引く。
ズドン
その瞬間、大砲でも放ったような轟音が鳴り響いた。
だがそのすべてがオリビアの前に展開した糸の壁に阻まれた。
強襲した巨大な触手は部屋の中央に戻っていく。
部屋の真ん中には糸でがんじがらめにされた飛鳥の姿があった。
部屋の中にはジェードの糸が張り巡らされており防音と対衝撃に備えてあった。
「オリビアー!どうして飛鳥をこんなところに閉じ込めるんだ!?」
オリビアを睨み付けた飛鳥が吼える。
火葬場での戦いの後に戻ってきて暫く後、突然糸に絡め取られてここに放り込まれれば反抗もしよう。
「そうせねばすぐにでも飛び出していくじゃろう?」
「当たり前だ!あいつらは茜を殺したんだ。だったら飛鳥があいつらを殺してやる!」
「…。」
オリビアは飛鳥が多少なりと茜に対して仲間意識を持っていたことにわずかに目を見開いたが、さすがに口には出さなかった。
「仇討ちならばその感情をたぎらせるが良い。とっておきの舞台を準備してやろう。」
「いいから、飛鳥をここから出…」
バタン
飛鳥がまた暴れだす前にオリビアはドアを閉めた。
ネフロスにより封じられた部屋の中からは何の音もせず再び静寂が訪れた。
「ヒュドラを発動したことで揺らぎが生じたかのう?あまり長くは持たぬかもしれぬな。」
その呟きは静寂の中で空気を震わせ、しかし誰の耳に届くこともなく消えた。
オリビアは歩き出す。
カツ、カツ、カツ
蝋燭の明かりが照らす暗い廊下をゆっくりとした足取りで進む。
「そうじゃ。妾に屈辱を与えた奴らに死以上の苦しみを与える。その舞台はもうすぐに整うからのう。」
クックッとオリビアが笑いながら金色の魔女眼で闇に沈む廊下の先に目を向けた。
そこに敵を想像する。
「まずは妾の駒を奪いおったヴァルキリー、汝らに滅びを。」