第161話 泡沫、消ゆ
オリビアたちを逃がし、殿として残った茜は逃げる素振りも見せずにダイアスポアを構えた。
「忠実な臣下の鑑ね。」
八重花が前に出る。
その顔はどこか寂しげだった。
「八重花さんを倒してあたしは、あたしは…!」
茜の全身からポアズが津波のように溢れ出す。
触れれば爆発する波がすごい勢いで広がっていく。
すでに後方では八重花の指示で悠莉のコランダムと叶の聖なる障壁を展開し、爆発に対する防御は完了していた。
逆に言えば茜と八重花の一騎討ちを邪魔する者はいない。
「それが本心でも植え付けられた感情でも、もうそろそろ休みなさい。」
八重花がジオードを振るうと赤い炎が生み出されて八重花にまとわりついた。
「うるさい!八重花さんに捨てられたあたしにはオリビア様しかいないんだから!」
茜がポアズを纏いながら八重花に向かって突進する。
自らが爆弾となって突撃する攻撃は自分にもダメージを及ぼす諸刃の剣だが、移動速度の遅いポアズを直撃させられる利点があった。
「とりあえずその邪魔なものはどけさせてもらうわよ、ドルーズ!」
八重花は軽くバックステップで距離を取りながら左手を前に突き出した。
手のひらに青い炎が生まれ、火炎放射器のように茜に向けて放たれた。
「くっ!」
茜は腕を交差させて防御しながら炎に向かって突っ込む。
もはや回避できる状態ではないならば最も被害の少ない回避方法だ。
パンパンッ
茜の体に張り付いていた泡が膨れ上がって破裂していく。
炎を押し返す爆発の力を借りて茜は炎の向こうにいる八重花にまで到達した。
まさか突破されると思っていなかったのか驚愕の表情を浮かべる八重花へと光を放つダイアスポアを振りかぶった。
「覚悟ー!」
ザンッ
光の軌跡が間違いなく八重花を捉えた。
…はずだった。
「手応えがない!?」
切り裂かれたはずの八重花がニヤリと笑い、その体を突き破るように青い炎が唸りを上げて襲い掛かってきた。
「ポアズ!」
茜は咄嗟に一抱えもありそうなほどの泡を生み出して炎にぶつけた。
パァン!
ポアズは炎に触れた瞬間爆発し、茜は爆風に吹き飛ばされるのを利用して炎を回避した。
「はあ、はあ。」
「ふっ。なかなかやるようになったわね。」
たった一度の攻撃で茜は肉体的、精神的の両面から緊張を強いられて息を荒らげているが八重花は呼吸一つ乱さず余裕の笑みを浮かべていた。
「…。」
茜は呼吸を整えて八重花を警戒するようにダイアスポアを構え直した。
「さっきの技を警戒しているみたいね?あれはグラマリー・ファントム。一種の蜃気楼よ。」
「……。」
茜が疑問を口にするよりも先に八重花は質問の内容がわかっていたように答え、わざわざグラマリーの説明までした。
茜はますます警戒を強めて魔剣を握り締める。
「だからこういう使い方も…」
ユラリと八重花の姿がぶれたと思った瞬間
「出来るのよ。」
茜の本当に目と鼻の先で八重花がジオードを振り上げていた。
「っ!?」
幻覚だと知っていながらもそれがブラフであるという疑念、そして間違えば命の危機に直面しているという危機感が否応なしに茜を反応させる。
「アルファルミナ、ポアズ!!」
発生の遅れをポアズの爆風の推進力で補い八重花よりも速く斬りかかる。
ザンッ
やはり雲を斬ったように手応えがない。
「油断大敵よ。」
「うっ!」
幻覚が消えたすぐ後ろから同じ構えを取った八重花が飛び込んでくる。
振り抜いた格好の茜では絶対に切り返しが間に合わないタイミングを狙った一撃。
「ポアズゥ!」
だが、茜はその不可能を爆風で強引にねじ伏せて八重花に刃を届かせた。
ザンッ
「え?」
限界すらも超えた奇跡とも言うべき一撃が捉えたのはまたも幻覚だった。
無理な斬撃に振り回される体を押さえ込んだ茜が見たのは立っていた場所から一歩も動いていない八重花の姿だった。
「馬鹿に、してぇ。」
「これが戦術というものよ。どうする、まだやるかしら?」
圧倒的な力の差を見せつけ、茜を精神的に追い詰めていく八重花だった。
「八重花ちゃん、強い。」
いざという時の盾として働くべく前に立つ叶は八重花の強さに呆然としていた。
茜を全く寄せ付けずに戦う姿は圧倒的という言葉しか浮かばない。
「まあ、確かにね。」
「そうですね。」
だが叶の後ろにいる真奈美と琴の反応は曖昧だった。
2人の様子に疑問を抱く叶が首を傾げると琴が肩に手を添えた。
「八重花さんはかなり手を抜いています。死闘においてそれが欠点にならないか心配しているのです。」
「そっか。八重花ちゃんは桐沢さんを…」
叶は納得した様子で微笑み、頑張る親友に心でエールを送った。
当然、茜が降伏勧告を受け入れるはずもなくキッと眉をつり上げた。
「馬鹿にするなぁ!フェムトポアズー!」
光り輝くダイアスポアから放たれた光の泡が周囲に展開していく。
ダイアスポーラスで生み出された無数の泡と混ざり合い周囲は泡の海と化していた。
「このポアズの波で幻覚だろうとなんだろうと全部押し流す!グラマリー、ファンデール!」
泡の津波が大軍のように茜を避けて進行を開始した。
地形をなぞるように押し寄せる波は逃げ場など与えぬよう広がりを見せる。
「前は当然無理として横は…」
とりあえず見える範囲に逃げられる余地はない。
それより向こうへと行く手段がない以上逃げ場はない。
最後に後ろだが、八重花が振り返るとそこには防御をしている叶と悠莉の姿があった。
叶は来る脅威に備えて既に力んでいるが悠莉は暢気に手を振っている。
「読まれてるわね、悠莉にも、茜にも。まあ、叶たちが後ろにいる時点で私が逃げるなんて選択をするわけがないけどね。」
じわじわと這い寄ってくるファンデールを前に八重花は両手を斜め下に下ろす自然な立ち姿で茜に向き合った。
右手には赤き炎を宿す魔剣ジオード、左手には青き炎のドルーズを持っている。
「逃げ場はない。なら…」
八重花はゆっくりとした動作で腰を落とし、ジオードを左腰に携えるような構えを取った。
それはさながらドルーズにジオードを納刀した姿。
破壊の波が目前に迫る中で八重花は瞳を閉じる。
暗闇の世界の中で熱源だけを感じ
「ヒートシーカー!」
火線が八重花の思い描いた軌跡を漆黒の闇に刻んだ。
「がはっ!」
それはどんな手品か。
離れた距離にいたはずの茜が血を吐いて蹲った。
「げはっ。だけど、あたしが倒れてもポアズは消えない!」
術者の精神が乱れれば止まるかと八重花が可能性の一つに上げていたことは事実。
「飲み込め、ファンデール!」
「そんなこと、させるわけがないでしょう?」
だが、八重花がたった一つの解しか用意していないわけがない。
八重花は地面にジオードを突き立てると炎を放った。
「グラマリー・パイロクラスティック。」
コールタールで整備された地面が瞬く間に溶融し、染み込んでいた水分が一気に水蒸気へと変化した。
「ジオード、ドルーズ!」
さらに八重花は赤と青の炎を振り回して地面を熱していく。
激しく熱せられた大地は土や木にある水分もすべて蒸気へと変えていく。
瞬く間に八重花を中心にものすごい速度で靄が立ち上った。
ポアズの泡が噴き上がる蒸気に巻きあげられて次々に浮かんでいく。
「こんな方法であたしのグラマリーが!?」
「確かになかなか強力なグラマリーね。ただ、相手が悪かったわね。」
八重花がジオードを手放してドルーズで担うとカペーラの刃で上空に浮かぶポアズを切り裂いた。
ドドドドドド
連鎖的に爆発する泡は直撃していれば肉体が吹き飛ぶほどの威力があっただろうが爆風が八重花の髪をはためかせるだけで終わった。
「これで分かったでしょう?あなたでは私に勝てないわ。」
「うるさーい!」
茜は激昂してダイアスポアで斬りかかる。
ガキン
八重花はカペーラでその刃を受け止める。
「あたしを捨てた八重花さんには、絶対に勝たなきゃいけないの!」
「…。」
八重花は表情を変えず無言で茜と斬り結ぶ。
茜の激しい斬撃に対して八重花の剣は流れるように静かだ。
その流れが茜の激情をいなしていく。
「うわあああ!」
振り上げたダイアスポアからポアズが生み出されようとする。
「ドルーズ。」
八重花はその行動を読んでいたかのように茜の周囲に炎の籠を作り上げる。
発生したポアズは飛び出した瞬間に爆発して茜に襲いかかる。
ほとんどダメージがないとは言っても完全に封殺された茜の心は折れかかっていた。
倒れかけた茜の目にじっと立って見ている八重花が映る。
「ま、だよっ!」
茜は倒れなかった。
踏ん張った茜の背中から泡が1つ出てきた。
それは茜が何もしていないのに次々に溢れ出し始めた。
「…そろそろ、終わりにしましょうか。」
その意味に気づいた八重花は悲しげに目を細めてジオードを構えた。
「あたしが勝って!それで…」
「もし勝てたなら煮るなり焼くなり私を好きにすればいいわ。」
話すたびに泡を吐き出す茜を遮るように八重花は挑発する。
「おおおおお!」
天を突くように掲げたダイアスポア、そして茜自身から生じる泡が吹き上がり、1つの巨大な光の泡へと収束していく。
脈動するその輝きはまるで茜の命の鼓動のようだった。
「全部纏めて吹き飛んじゃえ!スペリオルグラマリー・ダイナストブレス!」
龍の咆哮のごとき爆音が世界を震わせた。
爆炎は世界を焼き、すべてを土へと還していく。
「八重花ちゃん!」
叶が叫んで前に出ようとする。
「ダメだ、叶!」
真奈美が叶の腕をつかんで止める。
「あたしたちは八重花を信じて守りを固めるんだ。」
「う、うん。そうだね!」
叶も八重花を気にしながらも仲間を守るためにオリビンを握る手に力を込めた。
「八重花ちゃん、頑張って!」
その声すらも爆音でかき消される。
だが、声は届かなくても思いは届く。
爆炎の向こうでゴウと紫色の炎が立ち上った。
火柱となって燃え上がる紫の炎は暴風に揺らぐ暇さえなくすべてを消滅させていく。
激しくはためく八重花の髪は炎のようだった。
「温い炎ね。こんなんじゃ熱くなれないわ。」
「あ、そんな…」
全力、魂すらも賭けた本当の全力すらも八重花には届かなかった。
泡が、茜の力が煉獄の業火をもって天に消えていく。
茜は恐怖で後ずさった。
「終わったみたいね。今度は私のターンよ!」
八重花が手を横に振るうとカペーラは勢い良く飛んだ。
「ッ!…外れた?」
ガードして衝撃に耐えようとしていた茜は何もないことを訝り目を開ける。
八重花はカペーラを左手で握って元の位置に立っている。
「その目に焼き付けなさい。これが東條八重花の本気よ!」
八重花がカペーラを右手に持ち代える。
その瞬間、茜を取り囲む巨大な炎の円が描き出された。
それはさながら炎で作られた魔法陣だった。
「魔女に侵されたあなたの魂を浄化してあげるわ。グラマリー・ブラストファーナス!」
発動と同時に火線が天を貫くように高く燃え盛る。
「あああああ!」
灼熱の溶鉱炉の中で崩れ落ちた茜の顔はどこか憑き物が落ちたように晴れ晴れとしているように見えた。
茜が地面に倒れていた。
限界まで力を使ったせいかダイアスポアはひび割れ、パキンと乾いた音を立てて折れた。
八重花はゆっくりと近づくとしゃがみこんで茜を抱き上げた。
茜がゆっくりと目を開ける。
「八重花…さん?」
「まったく、寝過ぎよ。私のジュエルの癖にだらしないわね。」
「ッ!」
八重花の言葉に茜は目を見開き、涙を流した。
これはあのファブレとの戦いの後の続き。
八重花が自分を捨てたんじゃなかったのだと知った。
そして思い出した。
社務所で眠っていた茜に八重花が自分を捨てた悪夢を繰り返し見せつけ、心に偽りの真実を植え付けた魔女、オリビアの本当の姿を。
茜はその事実を口にしようとして…止めた。
オリビアを庇っての事ではない。
八重花に余計なものを背負わせたくなかったから。
「八重花さんに、似たんですよ。」
だから茜は冗談を言って儚く微笑んだ。
手足から段々と泡になって茜という存在が消えていく。
口を開こうとした八重花に首を振って止めた茜は
「ありが、とう。八重花、さ…」
礼を述べながら、泡となって世界から消滅した。
「…馬鹿な子。私なんかを慕ったりするから…」
八重花は泡と消えて何もなくなった空間を抱き締め、押し殺すように泣いた。
"Innocent Vision"とヴァルキリーの面々はかける言葉が見つからず、ただ魔女が命を弄ぶ危険な存在であると強く認識するのだった。