第159話 無垢なる瞳
魔女オリビアと叶や悠莉たち、そして"Akashic Vision"が対峙する場に上の方からゴロゴロと大岩が転がってきた。
その岩はガンッ、ガンと数回バウンドした後、山肌に激突してようやく止まった。
「いてて、生きてるか?」
「うーん、なんとか。」
ボロボロと崩れた岩の中からは目を回してふらつく由良と緑里が出てきた。
「でも地面を含めたあのボクたちの入った岩をまるごとカボションで動かすのはうまく行ったでしょ?」
「ああ、よくやった。おかげで俺も無事だ。」
「えへ。」
由良が頭を撫でると緑里は得意気に微笑んだ。
「ふふふ。お2人は随分と仲良くなりましたね。」
「「ッ!?」」
悠莉の声にようやく周囲の状況に気付いた由良と緑里はゆっくりと首を巡らせる。
「なるほど。こうやって女子を手込めにしていたのね。」
「頼りになりますからね。」
妙な納得をして頷いている八重花や琴。
「本当にいつの間に仲良しになったんだろ?」
「わ、わわ、禁断の百合の花ですか!?あいたたた。」
しきりに首をかしげる良子や真っ赤になって慌てる紗香。
「…。」
オリビアまでもがジッと見ている。
猛烈な居心地の悪さに後退るがその行動も一緒となると本気で何かあったのかと考えそうになる。
「由良ちゃん、緑里ちゃん。お幸せにー。結婚式には呼んでねー!」
「何言ってんだ!って、あっ!!蘭、陸!お前ら、降りてこい!」
すでに確定事項とする蘭に対して由良はようやく"Akashic Vision"がいることに気がついて拳を振り上げて吼えた。
ついでに怒られた陸は完全にとばっちりである。
「オリビア様!」
「敵がこんなにいる。くそぅ、飛鳥はまだ負けてない!」
降りてきた茜と飛鳥がオリビアと合流する。
その表情は任務を遂行できなかった負い目と力負けした苛立ちで正反対だった。
謝罪を口にしようとする茜を手で制してオリビアは屋根の上を睨み付ける。
「よい。この場がすでに奴らめに用意された舞台となれば無理もないからの。」
続々とオリビアたちの敵が集結していく。
その戦力は万全ではないとはいえファブレを打倒した時に匹敵、あるいは上回っている。
オミニポテンスに至るという目的を達する前にこの人数を相手にするのは危険だった。
「…。」
「オリビア様…」
"Akashic Vision"を警戒するオリビアの横顔を見つめながら茜は拳を握りしめていた。
「ふふっ、正直に話してもらえれば悪いようにはしませんよ?」
「だーかーらー!」
「なにやら楽しそうな声が聞こえますね。」
緑里が真っ赤になりながら弁解しようとしたところで撫子たちが下りてきた。
赤かった緑里の顔が青くなる。
「違うんです、撫子様!ボクは、ボクは…撫子様一筋です!!」
シーン
緑里の大胆告白に場が静まり返る。
「緑里。あなたの気持ちは嬉しいけど、その、わたくしは普通に男性を、ね。」
撫子が恥ずかしがる珍しい反応からようやく自分がとんでもないことを口走ったと気付いた緑里は火を吹きそうなほど真っ赤になった。
「姉さん。海原の者がはしたないですよ。」
「ご、ごめんね、葵衣!ボク、葵衣の事も大好きだからね!」
シーン
再び沈黙。
しかも葵衣も照れてモジモジしているので
「ヒソヒソ…もしかして緑里ちゃんと葵衣ちゃんは…ヒソヒソ…」
「ヒソヒソ…どっちが攻めかな…意外と…ヒソヒソ…」
とよろしくないヒソヒソ話が発生する始末。
海原姉妹は2人して赤くなって縮こまってしまった。
「ううん、騒がしいわね。」
戦闘のドンパチでは気を失ったままだった美保がキャイキャイ騒がしい声に反応して目を覚ました。
悠莉たちは叶や八重花、真奈美と一緒でそこには紗香の姿もある。
その向こうでは何故か海原姉妹が赤くなっており由良と撫子が笑っている。
そんな和やかな雰囲気かと思えばオリビアたちが射殺すような目で見ている。
そして屋根の上には"Akashic Vision"がいた。
「え、何、この状況は!?」
カオス過ぎる状況は美保でなくても理解できるはずがない。
美保の声に気付いた悠莉が緑里弄りを中断して近づいた。
「目を覚ましましたか、美保さん。正直眠っていてくれた方が話が拗れないで済んだと思うので相変わらず間の悪い。」
「それ絶対心配してないわよね!?」
悠莉と美保のいつものやり取りに集まった皆の顔に微笑みが浮かぶ。
だがそれもすぐに消えて全員が警戒するように集合した。
魔女オリビアの率いる軍勢を、そして真意の掴めない"Akashic Vision"を睨む。
「騒々しいのう。Innocent Visionの言葉を借りるなら"非日常"の力を担う者たちよ。3つのソルシエールが目覚め、セイントだけでなく"Akashic Vision"まで現れるとは、随分と豪勢な宴じゃのう、Innocent Vision。」
「本当だ。悠莉と良子の魔剣がソルシエールになってる!紗香のも!」
「なっ!?何でうちじゃなくてこいつの魔剣がソルシエールになるのよ?」
ジュエルとは明らかに違う強い力にヴァルキリーの面々が驚く。
陸はその光景を見下ろしながらフッと笑みを浮かべてオリビアを見た。
「今日はクリスマスパーティーですから。取って置きのプレゼントを用意しました。まあ、実際は僕たちの敵を一堂に介して一網打尽にするためですが。」
陸の言葉はどこまでが真実なのか読み取れない。
悠莉たちのソルシエールの復活や紗香の取得が果たして陸の思惑の内なのか、誰にも理解など出来ない。
「いいわよ。だったらうちらが返り討ちにしてやるわ。」
さっきまで伸びていたのに威勢のいい美保。
確かにオリビアとの戦いで早々に撃沈したから疲れてはいないのだがそれにしても自信満々だ。
「お兄ちゃん。こっからブリリアントで狙い撃つぜーってしていい?」
「戦闘には情緒と言うか、ぶっちゃけ手加減も大事だと思うわよ!」
それも海の一言であっさり手のひらを返した。
アダマスと高所の組み合わせは最高に最悪最強だ。
まともに接近することもできず蜂の巣になりそうだった。
「それは戦局次第だね。」
美保が勝手に啖呵を切ってしまい改めてオリビア打倒の協力を申し出るわけにもいかなくなった撫子はすごすごと引き下がった。
陸の目が叶たちに向く。
「やっぱり琴さんもいるんだね。」
「友と歩むと決めたのはわたくしの意志です。」
陸は少しだけ悲しげに微笑むだけで何も言いはしなかった。
「ようやく会えたわね、りく。」
「八重花がしつこく追いかけてくるからね。」
追いかけられているのは当然知っていた陸たちだったが、思いの外八重花の捜索能力が高くて行動を制限されていた。
それでも十分に翻弄して好き勝手に出かけてはいたが。
「追いかけてほしくないならいい方法を教えてあげるわ。」
「それは是非聞きたいね。」
八重花の提案に陸は興味を示した。
実際に最初の宣誓で言ったように戦わずして降参してくれるに越したことはないからだ。
「この場で"八重花なんて大嫌いだ"って大声で叫ぶのよ。そうしたら私は絶対に立ち直れなくなるわ。」
「っ!」
八重花の大胆で無謀すぎる方法に全員が息を飲んだ。
陸が本心はどうであるかは別にして心を鬼にしてその言葉を口にすれば八重花は戦えなくなるのだ。
参謀がいなくなれば叶や真奈美が陸たちを追いかけるのは実質的に不可能となり、元"Innocent Vision"は完全に撤廃することになる。
(りっくん、男を見せる時だよ。ガツンと言って!)
(お兄ちゃん、私は信じてるよ。)
「…。」
陸の後ろから2人の悪魔が囁いている。
八重花は何も告げず、ただ真摯な瞳をまっすぐに向けて陸の返事を待ち続ける。
不安がないわけがない。
敗けの方が遥かに確率の高い分の悪い賭けだと言うのに八重花は不敵に笑ってみせた。
「…さあ、そろそろ活動開始だよ。」
陸は目を逸らして仲間たちに声をかけた。
この勝負、八重花が勝ったのだ。
「そう…。」
八重花はそれだけ呟くと頬を赤く染めて嬉しそうに微笑んだ。
共闘は出来ないと言われたけれど、やはり陸は自分を嫌ったわけではなかったのだと確信できたから。
いつも陸のそばにいる明夜や蘭、海を選び、それ以外の全てを捨てたわけではないと分かったから。
ゴオォ
八重花の感情を反映してジオードから赤い炎が噴き出した。
「さあ、ウェルダンに焼かれたい相手から前に出てきなさい。私が全力で相手するわよ!」
八重花は高鳴る鼓動に突き動かされるように前に歩み出た。
陸が戻ってこないのが"Akashic Vision"の理想を実現させなければならないのなら、別角度から障害となる存在を消し去ってしまえば陸が帰ってくる。
今の八重花のテンションはヴァルキリーとオリビアたちをまとめて相手に出来そうなほど高まっていた。
「八重花ちゃん、落ち着いて!」
「舞い上がってるのは分かるけど、勝手しないように。」
「む、分かったわ。」
叶たちに諫められて八重花は渋々引き下がった。
「柚木明夜と言ったかの?」
「?」
オリビアが明夜を睨み付けながら声をかけた。
明夜は小首を傾げる。
「妾のグラマリー・ネフロスの中で自由に動けるものなどあり得ぬ。アダマスのソーサリスのブリリアントやシンボルの聖なる輝きをもって消し去るならばわかる。じゃが汝は如何様なからくりを用いおったのじゃ?」
叶を助け出した明夜の動きは確かにあの空間では異質だった。
「…。」
明夜は何も答えず、右手の刃をアフロディーテへと変形させた。
茜が明夜の攻撃を警戒して前に出る。
だが明夜は動かずジッとオリビアを見ていた。
「…その、グラマリーは…」
オリビアが目を見開いた。
右手のソルシエールを女性型の騎士甲冑に変形させる事はオリビアも知っていたがその姿を直接目にしたのは初めてだった。
騎士甲冑の胸に添えられた黒い魔石の存在など誰も気にしない。
それが何かを知る者でなければ。
「まさか、貴様は…!」
「私は柚木明夜。"日常"を守るために戦う"Akashic Vision"のソーサリス。それだけ。」
「くくっ、くははは!」
突然オリビアが声を上げて笑い出した。
楽しげとも馬鹿にしているとも取れる様子に怪訝な目が向けられる。
「よもやこの時代でかつての禍根を晴らす機会を得ようとは。出でよ、妾の駒よ!」
オリビアが手を掲げると影から両手に剣や銃を備えたオーが沸き出してきた。
火葬場に着いたときにもオーが跳梁跋扈していた事を考えるとオリビアが生み出すオーは無尽蔵なのではないかと幾人かは危機感を抱いた。
「柚木明夜さんと魔女オリビアは知り合いなのでしょうか?」
「しかも因縁浅からぬ仲って感じだね。」
明夜はいつも通り何を考えているか分からない表情をしているがオリビアはこれまでのすました顔から喜びと怒りをグチャグチャにかき回したような壮絶な笑みを浮かべていた。
崩壊した火葬場は瞬く間に黒き異形が埋め尽くした。
「分かっていたことだけど、話し合いは無理そうだね。Innocent Vision!」
陸は悲しげに頭を振ると左目を朱色に輝かせた。
海と蘭もそれぞれのソルシエールを構えて臨戦態勢に入る。
「半場さんの用意した本当のクリスマスパーティー。この戦いを制すればわたくしたちヴァルキリーは大きく躍進することが出来るでしょう。皆さん、奮起なさってください!」
撫子もまたヴァルキリーメンバーに発破をかけて自身もアヴェンチュリン・クォーザイトを構えた。
構成メンバー7人の内、3人がソルシエールを得、由良を含めて4人のソーサリスを擁するヴァルキリーの戦力は飛躍的に増大した。
強大な力の三つ巴はわずかなきっかけで動き出そうとしていた。
(八重花さんたちはどうするのでしょう?)
悠莉が戦闘の緊張感の中、中立の立場の八重花たちの行動を気にかけた。
だが、そこにいたはずの八重花たちはいつの間にかいなくなっていた。
「?」
「"Akashic Vision"もオーも皆まとめて潰してあげるわ!」
「それは飛鳥の台詞だ!モルガナ!」
「"Akashic Vision"の、お兄ちゃんの理想のため、邪魔をするなら消えてもらうよ!」
血気に逸る各組織のメンバーが動きを見せ、遂に戦闘の火蓋が…
「待った!」
そこに響く凛とした声に全員が動きを止めた。
結界の黄昏でわずかに残った太陽の輝きを背に叶、真奈美、八重花、そして琴が三角から外れた四角の頂点位置に立っていた。
「…お兄ちゃん。」
「りっくん、これって…」
「……」
"Akashic Vision"は他の勢力を警戒しつつも即座に注意をそちらに向けた。
その表情はこれから起こることを知っているかのように険しい。
「何が始まるのでしょう?」
「どの勢力に協力するかの宣言ではないでしょうか?」
「どこに付くかによって今後の戦いに影響が出そうですね。」
ヴァルキリーは一部聞かずに特攻しようとしたが牽制され、大人しく耳を傾けた。
「…」
オリビアたちもいつでも攻撃が出来るように構えながらも今は動かずにいる。
それを見届けた八重花が頷いた。
「聞きなさい!」
琴は声を張り上げた。
決して大きくはない声だが迫力のある一種の言霊に縛られて皆が動きを止めた。
真奈美がスピネルとアイリス、ビフレストを輝かせて告げる。
「私たちは対話によって争いの根絶を望む者。力ある者の率いる平和ではなく、この世界に生きる者全ての意思による平和を願う者。」
琴がフェルメールを手に語る。
「しかし力ある者は対話ではなく力を行使する。故に我らは対話の席を実現させるために剣を取る。我らはセイントとジュエリストとソーサリスからなる垣根を持たぬ者。」
八重花がカペーラの炎を揺らめかせながら言葉を紡ぐ。
「我らの意思に従う者は剣を納めよ。抗うならば清き刃をもって抑止する。」
その言葉はまるであの日の"Akashic Vision"による宣誓のようだった。
最後に叶がオリビンを胸に抱きしめながらまっすぐな瞳で宣言した。
「私たちは"無垢なる瞳"、"Innocent Vision"です!」
そして今、無垢なる瞳"Innocent Vision"が新生した。




