第157話 雷光のソルシエール
炎が空を斬り、赤い軌跡がそれを追う。
無数に広がる糸の群れはその悉くが聖なる光と青い壁に阻まれる。
セイント・ソーサリス混成部隊とオリビアとの戦いは叶たちの方がわずかに優位と言えた。
「忌々しい光じゃ。妾の力を弾くか。」
やはりオリビンの魔剣優位性はオリビアの持つソルシエール・ジェードにも有効だった。
さらにその力が悠莉のコランダムに作用することでオブシディアンのスペリオルグラマリー・アイギスにも負けるとも劣らない鉄壁ぶりを発揮していた。
「確かにセイントの能力はいろいろと面倒そうね。」
八重花がカペーラを操って縦横無尽に炎の刃を振り回す。
一撃目の炎が消えるよりも速い次撃の応酬は空間の熱を加速度的に高めていく。
「くっ、小賢しい。」
熱は思考能力を低下させる。
オリビアは不快げに顔を歪めてジェードを操るが精度は徐々に鈍ってきていた。
「そんなにボーッとしてると真っ二つになるわよ。」
八重花の斬撃がさらに速度を上げる。
熱の結界は着実にオリビアを消耗させていく。
「調子にのるでない!」
オリビアが大きくジェードを振るうと足元から一斉に噴き上がるように糸が延びた。
八重花は咄嗟に飛び退いて回避しつつ
「おまけよ。ジオード、ドルーズ!」
赤と青の炎をその隙間から中に叩き込んだ。
オリビアはジェードを回転させて炎を掻き消す。
「等々力さん、上から行けます!」
「よっし!悠莉!」
「コランダム、道を。」
ジェードの陣形が壁を成すだけで上が開いていることを叶が告げるとすぐに良子はコランダムで出来た階段を使って高く高く天へと駆ける。
一気に5メートルほど駆け上がった良子は飛び上がると空中でラトナラジュの柄を両手で握って振り被った。
狙うは一点、オリビアのみ。
力を一方向に押し出すという特性をラトナラジュの斧の部分に収束させていく。
ラトナラジュの刃が真紅の輝きを放った。
「行くぞー!マルス…」
体を仰け反らせるほどに力を込めた良子に気付いたオリビアは新たに展開した糸をより合わせて繭を作り上げる。
叶のオリビンで弱体化させるのは間に合わず
「ハンマー!」
深紅の一撃はジェードの繭に阻まれた。
ドンッ
「ぐはぁっ!」
だが繭の中でオリビアは苦悶の声を漏らした。
確かに良子のマルスハンマーの斬撃は不可視の繭が防いだ。
だがそこから発生した衝撃がラトナラジュの特性によって増幅されて突き抜けたのである。
事実オリビアの足元の地面には鉄球でも叩きつけたような衝撃痕が刻まれていた。
「くそう。防がれた。」
尤も良子はそんな事考えてやったわけではなかったが。
オリビアは突き抜けた衝撃に顔を歪めながら滞空している良子に攻撃するべく繭を解いた。
「まずは1人…っ!?」
だがその瞬間視界に飛び込んできたのは清らかな若草色の輝き。
後衛で防御に回っていた叶が一瞬の隙をついて詰めてきたのである。
「セイント!」
オリビアはすぐさま良子への攻撃を中断し糸を一斉に叶へと向かわせるように振るった。
如何に聖なる守りと言えど至近距離で放てば防げはしない。
叶を刺し貫くために勢いをつける。
それでも叶がオリビンを振るうよりも速い。
「おっと、こっちを忘れてもらっちゃ困るよ!」
「ッ!」
ゴウッ
危機感に従い咄嗟に半身を引いたオリビアの真横を暴風と共に真紅の鉾槍が突き抜けて地面に突き刺さった。
良子が地面に落ちる間際に投げつけたのだ。
ドォン
地面に追突したラトナラジュの膨大なエネルギーは地面を揺らしてオリビアの手元を狂わせた。
「よもやこれも考えてか!?」
良子がそこまで考えているはずもないがオリビアがバランスを崩したことでジェードの糸の槍が叶の脇に逸れる。
八重花たちには見えていないが絶好の機会。
「あわわっ!」
だが、肝心な時に叶はラトナラジュの起こした振動でバランスを崩して躓き、オリビンではなく体でオリビアに体当たりしてしまった。
バチッ
「きゃっ!」
「ぬっ!?」
叶とオリビアが触れ合った瞬間、火花のように聖と魔の力が反発し合い両者を弾き飛ばした。
「妾を弾くとは。セイントの力、十分に高まっておるようじゃの。ならばその力貰い受けようぞ。」
「嫌です。この力はみんなを守るためのものです。絶対に渡しません。」
叶は臆することもなくきっぱりと他人のための力だと告げて断った。
叶とオリビアが睨み合う間に八重花と良子が割り込み陣形を立て直す。
「惜しかったわね。それにしても4人係りで辛うじて優勢なんて、相変わらず魔女っていうのは規格外の"化け物"ね。」
口で言う以上に八重花の表情は険しい。
八重花たちが優勢に見えるのはまだオリビアがグラマリーを見せていないからだ。
糸を操ること、不可視にしていること自体がグラマリーであるとも考えられるが、魔女のグラマリーがそこまで貧弱だと楽観するつもりはなかった。
「負の情念に囚われぬままよくぞここまで戦えるものじゃな。さすがの妾も1人で相手をするのは少々骨が折れるのう。」
オリビアが視線を上の方に向けるが茜も飛鳥もまだ戦いを続けている。
オーを呼び寄せることはできるがセイントとソーサリスが相手では役不足だ。
「機が熟すのを待つつもりじゃったが予定を早めねばならぬか。」
オリビアが指先をわずかに動かすとボゴッと地面が隆起した。
「きゃあ!」
「琴お姉ちゃん!」
それは束ねられた糸。
地面から突き出した糸は広がって琴と抱えられていた紗香を閉じ込めてオリビアの横にまで飛んだ。
糸で編み上げられた鳥籠だった。
「紗香さんはオリビアの手から奪い返せていなかったということですか。」
悠莉が珍しく表情を歪めて呟いた。
声も自身の詰めの甘さを悔いているようだった。
「妾の有用な駒じゃからの。汝らに返すのは惜しい。」
オリビアは状況の逆転で動きを鈍らせた八重花たちを満足そうに見回すと檻を指で撫でた。
「貴女の思い通りにはさせません。」
共に囚われた琴は紗香を守るために両手を広げて立ち塞がる。
「妾の邪魔をするならば、死ぬぞ?」
オリビアが目を細めると檻の一部の糸が内側に飛び出して琴の首に絡み付いた。
「…っ…」
苦しげに顔を歪める琴を見て
「琴お姉ちゃんを放して!」
叶が突っ込んでいこうとするのを八重花が手で制した。
オリビアが横柄に頷く。
「そうじゃな。邪魔立てするならばこの娘をくびり殺す。大人しく生まれ出る同胞を迎えよ。」
糸が蠢いて紗香の手足に絡み付いて拘束し、オリビアの前に移動させた。
懐から取り出した黄色い輝きを放つ魔石がゆっくりと紗香の額に近づけられていく。
琴の仲間である叶や八重花はもちろんのこと、2人の協力あってどうにかオリビアと戦えている良子と悠莉も下手に動くわけにはいかなかった。
近付くに連れて輝きを増す魔石はすでに紗香を主と認めているのか、あるいは取り込もうとしているのか不気味に光を明滅させていた。
「目を覚ますんだ、紗香!」
「このままでは私たちと本当に敵対することになりますよ、紗香さん!」
動けないなりに声を張り上げるヴァルキリーの2人だったが
「…ッ!……!」
その度に琴が声にならない呻きを漏らして苦しげに身を捩る。
「人質が無くなれば自由に動けるからの。戦乙女の集いはやはり戦いを心得ておるようじゃの。」
「違っ…!」
オリビアがいやらしい笑みを浮かべる。
良子たちにその気はなくても疑念を植え付けることで内部崩壊を引き起こさせようとしている。
「琴お姉ちゃん!」
尤も叶は琴の容態を深刻に心配しているだけだし
「魔女の指先一つでどうとでもなる状況じゃこっちがどう動いたところで同じよ。」
八重花は個人的な感情よりも客観性を重視しており悠莉たちの行動を咎めたりする様子はない。
オリビアは詰まらなそうに視線を外すといよいよ紗香の額に魔石を押し込むように手を伸ばした。
「させ…ません!」
「何!?」
その向こう側、鳥かごの中で琴が糸を手で強引に押さえつけて血を流しながらもわずかに首の絞まりを緩めていた。
「…フェル、…メール!」
呼ぶは聖なる矢。
どこからともなく飛来した群青の鏃を持つ矢は檻を突き抜けて琴の首に巻き付く糸を断ち切った。
琴はそのまま矢を掴むと檻の中で振り回して紗香の拘束を切り裂いていく。
「予言の巫女!」
「琴お姉ちゃんの右目が青く光ってる!?」
「やってくれるね、巫女さん!」
別種の2つの驚きと歓喜の声。
良子は一瞬でトップスピードに到達しながらラトナラジュを振りかぶりオリビアに向けて振り下ろした。
「ふっ!」
オリビアは檻の一部の糸でラトナラジュの柄を押さえつけながら自身は距離を取った。
「ゲホッ、ゲホ!」
「大丈夫ですか、琴お姉ちゃん!」
すぐさま琴に駆け寄って抱き抱える叶と同じように紗香を支える悠莉。
「やっぱり"太宮様"の力はセイントの能力なのね。」
八重花はフェルメールを見てそう考察するとオリビアに向き直った。
オリビアは俯いている。
それはまたも邪魔をされて怒っているようにも見えた。
「…ククッ。」
だが、オリビアの口から漏れ聞こえたのは押し殺した笑い声だった。
顔を上げたオリビアは確かに笑っていた。
「何がおかしい!?」
良子がラトナラジュを突きつけるが表情は変わらない。
隣に立つ八重花がわずかに目を見開き、オリビアとは逆の悔しげな声を漏らした。
「遅かったのよ。」
「…魔石が無くなっています。」
悠莉の指摘に叶と良子が目を向けるとオリビアの手から黄色い輝きを放つ魔石が消えていた。
「残念じゃったな。さあ、新たな魔剣使いの誕生じゃ!」
瞬間、悠莉が支えていた紗香から膨大な魔力が光の柱となって立ち上った。
光の中で浮かび上がる紗香の胸から棒状の光がゆっくりと出現し、それは紗香の身長を超えるほどに長い槍となった。
気を失っていた紗香の手が動き、吸い寄せられるように槍を握る。
ゆっくりと瞳が開かれる。
その左目は煌々と朱色の輝きを放っていた。
「紗香さん…」
光の収束に合わせて紗香もゆっくりと地面に降り立つ。
紗香はまるで感情を失ったかのように無表情で周囲を見回している。
「よくぞ目覚めた。妾こそが汝の主じゃ。妾の敵を滅ぼすためにその力、存分に振るうのじゃ。」
これでオリビアと紗香に挟撃される形となった。
「そんな、紗香が。」
良子はオリビアを警戒しながらも後ろを振り向いて戸惑った目をしている。
「ソルシエールを担うだけの資質がある事を見抜けなかった私たちの落ち度ですね。」
悠莉も落胆した様子で紗香を見ていた。
「前に明夜ちゃんが言っていました。綿貫さんはファブレがいたらソーサリスになっていただろうって。でも、こんなのって。」
叶は琴を抱き締めながら守るようにオリビンを強く握った。
「残念だけどここまでね。茜たちのように敵対するなら倒すしかないわ。」
八重花は紗香を助けるべき対象から打倒すべき敵へと認識を改めた。
紗香が美麗な黄色い長槍、ソルシエール・トパジオスを両手で握り後ろに引く。
黄色い槍が金色の輝きを放ち、槍が帯電する。
「電撃系のグラマリー!?叶、悠莉、防御を…」
「間に合いません!」
電雷がほとばしり空気が爆ぜる。
「さあ、産声をあげよ、トパジオスのソーサリス!」
「お…」
紗香が柄をグッと握りしめて腰を捻る。
バリバリと槍が雷光を纏って荒れ狂う。
叶が、琴が、八重花が、悠莉が、良子が、そしてオリビアが各々の感情を顔に浮かべるなか、紗香のグラマリーが咆哮を上げた。
「お姉様を、虐めるなー!!」
轟音と怒号をもって放たれた雷撃は叶や悠莉たちの間を抜けてオリビアに直撃した。
オリビアはジェードを操作して防御したものの困惑は隠せない。
シューとトパジオスの先から煙を上げ、怒りの形相をした紗香を見る。
「何故じゃ?妾の魔石はファブレなどとは違う臣下の術式が組み込まれておる。それが何故?」
「そんなこと知りません!」
紗香が叫ぶたびにバリバリと電光が走る。
「お姉様方を苦しめるヴァルキリーの敵はわたしのソルシエール、トパジオスでまるこげにします!」
それはオリビアへの完全な敵対宣言だった。
オリビア同様叶たちも訳が分からず困惑している。
「叶さんが…」
琴が苦しげに呻くようにしながらも声を出す。
「琴お姉ちゃん、大丈夫ですか?」
「げほっ。叶さんがオリビアに体当たりをした時に、弾けた力。恐らく、その際に魔石が変質したのでしょう。」
琴は心配ないというように起き上がった。
叶は琴の力についても尋ねたかったが今はオリビアをどうにかすることが先決だと判断して何も言わなかった。
これでセイント2人、ソーサリス4人の強力なチームになった。
「そんな汝らに都合の良い変質など、それが運命とでも言うのか!?」
オリビアは激昂するとまた俯いてしまった。
運命という言葉に八重花がまた難しい顔をしたがヴァルキリーの面々は純粋に紗香の復活、そしてソルシエールの取得を喜んだ。
「紗香、無事で良かった。」
「はい!これでお姉様方と一緒に戦えます。」
これでシグナルを…と不敵な笑みを浮かべた紗香に良子が尋ねようとしたとき
「認めぬ。」
グンと突然空気が地面に押し付けてくるような負荷が全員を襲った。
「うっ。」
弱っていた琴は耐え切れず蹲る。
助けようとした叶もまた満足に歩くことも出来ずに膝をついた。
「何、この力は?」
「力が、押し付けてくるようです。」
「これが、グラマリーなんですか?」
身体強化がかかるソーサリスはまだ膝を屈するほどではないものの動きは鈍い。
「このようなものが運命だなどと、認めるものか。」
「くぅ。これがオリビアの、力。」
八重花が崩れ落ちそうになる体をジオードで支えながら顔を上げる。
顔を上げた魔女の左目は朱ではなく、獣のような異形の金色に輝いていた。