第155話 虹の魔球
下で苛烈な戦いが繰り広げられている頃、由良と緑里の戦いも切迫していた。
「うーん。」
「まだ思い付かないのかよ!?」
緑里はずっと音震波で押し返しても戻ってくるポアズを退ける方法を考えていたが、かなり追いやられて背中合わせに立っている状態になっていた。
「う、うるさいな。ボクだって真剣に考えてるんだよ。」
「それは分かるがこのままだと押し潰されて爆死だぞ。」
由良は横震波でポアズを押し返すが焼け石に水、大して遠くへ行かずに戻ってきた。
「…そう言えば風をぶつけても爆発しないんだね?」
「縦震波とか尖らせると割れるみたいだけどな。あとは剣とかで切るか人に触れると爆発するようだ。」
試しに足元の石を投げつけてみたが多少配置が変わっただけで泡が爆発したりはしなかった。
「わわっ、なにやってるの!?爆発したら死んじゃうよ!」
「でも爆発しなかっただろ?」
言いたいことはあったが由良を口で言い負かせそうに無かったので引き下がり、また考える。
「穴を掘って地面の中に逃げるとか?サマーパーティーでそんなのを"Innocent Vision"がやったでしょ?」
「悪くはないが、あれは八重花のジオードで土をカラカラにして明夜が掘ったもんだ。地震っぽいことは出来るが空中にある泡には効かないだろうな。」
由良の冷静な返答に緑里はむくれる。
「むー、さっきから否定ばっかりじゃないか。そっちこそいい案無いの?」
「あるぞ。」
予想外の答えに緑里は唖然とする。
その顔が徐々に怒りに満たされていく。
「あるんならさっさと教えてよ!」
「ふう。まだまだか。」
由良は少し残念そうに呟いて緑里の頭をポンと叩いた。
「お前のグラマリーはあの式しか動かせないのか?」
「何、突然?っていうか頭撫でるな!」
手を払おうとする緑里をひょいとかわしながら由良は再び音震波で泡を押し返す。
ふざけていてもちゃんと自分の仕事をこなす由良に緑里は文句が続かず唸った。
そして言われた内容を考えてみる。
「ボクは式神っぽく使ってるから式って呼んでるけどベリロスのグラマリーはカボションって言って物質操作の力なんだ。だから多分動かせる…はず。」
これまで試したこともなかったから緑里も自信はない。
「だったら周りに散乱してる墓石やら何やらを片っ端から集めてバリケードを作れ。空気の泡なら押し退けたりはできないはずだ。」
「あ!」
由良が立てた作戦もカボションの事を聞かれて初めて思い至ったのだから仕方がない。
「でも爆発したら?」
「…とにかく今はバリケードを作るんだ。あまり余裕はない。」
由良が言い澱んで不安を抱く緑里だが他に考えがない以上文句も言えない。
それにさっきからグラマリーを使い続けている由良の負担が相当に大きいことに気付いていた。
「やるしかない。ベリル・ベリロス!」
緑里がベリル・ベリロスを両手で構えて瞳を閉じる。
目ではなく気配で周囲に存在するものを探知していく。
(仕込んである式はすぐに分かる。でも今は他のもの。)
さらに意識を集中させると真っ暗な世界にモノクロの地面が見えた。
(この中でバリケードに使えそうなもの…)
やはり墓石が一番好都合だ。
罰当たりだがやらなければ由良と緑里が墓の下に入ることになるので背に腹は代えられない。
近くにある墓石に意識を集中させていく。
(動け、動け、動け、動け、動け、動け!)
ボゴッと墓石が埋もれていた地面からわずかに浮かび上がった。
「グラマリー・カボション!」
存在する物質を意思の力で操作するサイコキネシスとも言うべきグラマリーにより墓石が空中を移動してきた。
その進路上にはポアズが浮かんでいるがぶつかっても泡が押し退けられるだけで爆発はしない。
1つ目の墓石が緑里の前に置かれた。
「やればできるじゃないか。その調子でバリケードを頼むぞ。」
「やってみるよ。」
緑里と由良は互いの役割を全うするためにそれぞれの魔剣を強く握りしめた。
「はあ、はあ。葵衣…。」
「お嬢、様。ご無事、ですか?」
時坂飛鳥のスペリオルグラマリー・ヒュドラの絶望的な破壊の力の前に撫子も葵衣も辛うじて生きているギリギリの状態だった。
「まだ生きてるの?早く死んじゃいなよ。何もかもぶち壊す。全部、ぜんぶ!」
ヒュドラは超重量の巨大な多頭の蛇の姿をしており、通りすぎた跡にはすべてが磨り潰されて平坦になっていた。
「ジュエルの、グラマリーを弾くなど、反則ですね。」
撫子たちはグラマリーで応戦したがサンスフィアや風の力はヒュドラを揺るがすことすら出来なかった。
その状況で2人が生き残れたのは偏に葵衣のグラマリーの力によるもの。
だが、それも限界を迎えようとしていた。
葵衣は傷ついた体を引きずるように撫子の前に立った。
「お嬢様。私が引き付けます。その隙にお逃げ下さい。」
「葵衣!それは…」
「お嬢様はこの様なところで死すべき人ではありません。…姉さんをお願い致します。」
葵衣は撫子の制止を聞かずにゆっくりと前に踏み出す。
「1人でやる?1人から殺る?違う。2人まとめて殺るよ!」
飛鳥は壊れたような笑みを浮かべるとバッとモーリオンを掲げた。
九頭の蛇のうちの1つが巨大な鎌首を持ち上げて直立し葵衣を見下ろす。
「戦う相手は、高層ビルですか。」
自嘲するような笑いを溢してカミカゼを構える。
もはやこれでヒュドラが攻撃してくる前に飛鳥本人を倒すしか2人が生き残る手立てはない。
「反抗的な目だ。そんなやつは、死ねぇ!」
怒った声を上げた飛鳥がモーリオンを振りかぶった。
「行きます!」
最後の勝機にすべてを賭けて葵衣はエアブーツで加速する。
空気抵抗を極限まで排除して高速移動を可能にするエアブーツだが瞬間移動ではない。
力を溜めて接近した葵衣は飛鳥が残虐な笑みを浮かべているのを見た。
「まずはそっちからね!」
振り下ろされたヒュドラは葵衣ではなくまだ動けない撫子に向かって弧を描くように上から襲いかかった。
「お嬢様!」
葵衣は急制動をかけて振り返り再びエアブーツを発動しようとするが
「あっはっは。背中を見せたら死んじゃうよ?」
飛鳥の狂気に牽制されて動けなくなった。
「くっ!」
撫子はデュアルジュエルのサンライズでマシンガンのようにサンスフィアを叩き込むがヒュドラは動じない。
撫子を地面ごと丸のみにしようとする大蛇を前に撫子の抵抗は全くの意味をなさなかった。
「わたくしは、こんなところで!」
眼前にダメもとでコロナを形成させようと力を集中させる。
太陽の光を放つ球体が小さいながら浮かび上がり、撫子が微笑みを浮かべる。
パン
だがそれも一瞬のこと。
小さな太陽は花火のように破裂して小さな光の粒となって散っていった。
やはりジュエルでコロナを生み出すことはできなかった。
消滅した光の向こうを見上げれば迫る黒きアギト。
「葵衣、緑里…」
撫子は瞳を閉ざして大切な人たちの名を呟き
「お嬢様ー!」
葵衣の悲痛な叫びが響き
そして
ザクンッ
天空から飛来した光の剣がヒュドラの脳天に突き刺さり、そのまま下顎を貫いて地面に縫い付けた。
ズドーン
もうもうと立ち上る土煙。
「な、にが…」
目の前には死んだように横たわる漆黒の大蛇。
残り数十センチの距離で生き長らえた撫子は呆然と土煙の向こうを見つめる。
巨大な化け物から姫を守るのは勇者の役目。
そんな物語を思うほどにその剣の輝きは目映く神々しい。
ヒュドラに突き立った剣が引き抜かれる。
いや、最初から担い手は剣と共にあった。
輝く聖剣の担い手は勇者ではなく、ドレスで着飾る乙女。
「どうやら、こっちのパーティーには間に合ったみたいだね。」
「芦屋、真奈美さん…」
それは聖なる魔剣セイバーを担うジュエリスト。
芦屋真奈美だった。
「時坂飛鳥、リベンジしにきたよ。」
スピネルの聖なる力の直撃を受けたヒュドラが傷口から砂のように散っていく。
撫子と葵衣がどんなに攻撃をしても傷一つ付かなかった強固な触手が一撃で滅んでいった。
真奈美が地面に降り立って飛鳥に目を向けると物凄い殺意を感じる視線を向けられた。
「聖剣使い、また飛鳥の邪魔をする!」
「邪魔されるようなことをするからじゃないかな?」
怒りで焦れている飛鳥とは対照的に真奈美には余裕すら感じられる。
両者がにらみ合いをしている隙に葵衣は飛鳥の前から離脱して撫子に駆け寄った。
「ご無事ですか、お嬢様?」
「え、ええ。芦屋さんに助けていただいたわ。」
撫子は困惑した様子で真奈美の背中を見た。
葵衣も同じように真奈美に目を向ける。
いったい何の思惑があって撫子たちを助けたのか。
立ち位置が不安定な真奈美たち元"Innocent Vision"は強力な力を持つがゆえに警戒しなければならない相手だった。
「うーん。背中がムズムズするな。」
視線を感じてなのか真奈美がそんなことを呟いて首だけ振り返る。
「とりあえず2人ともクリスマスパーティーの大事なお客さんだからちゃんとエスコートしないとね。」
真奈美は撫子たちがとりあえず敵ではないと告げて微笑んだ。
その隙を飛鳥が逃すわけもなく別のヒュドラが牙を剥く。
「芦屋さ…!」
「アルファ、スピナ!」
撫子が慌てて忠告するよりも早くスピネルは輝きを増してヒュドラを迎え撃った。
三日月のような弧を描く斬撃は蛇を真ん中から真っ二つに斬り捌いた。
ズウンと思い音を立てて地面に倒れたヒュドラが闇になって消えていく。
その向こうで飛鳥がギリギリと歯を食い縛って怒りを露にしていた。
「よくも…」
「そこ、危ないよ。」
真奈美が忠告した瞬間、飛鳥の脇ぎりぎりを光の球が高速で通過していった。
「光の弾丸!?」
光の弾丸が掠めた飛鳥の皮膚がプスプスと煙を上げる。
「スピネルの効果的な力の使い方を考えてたんだけど、結局あたしにあるのはこれだけだった。もう皆とソフトボールをすることはできないけど、積み重ねてきたものは無駄じゃなかった。」
真奈美が胸の前で両手を合わせると左手の手甲が光を放ち、それが手のひらに伝わった。
右手をギュッと握ればそこには光でありながら実体を感じる光球が生み出されていた。
「行くよ。」
真奈美は左手をグローブに見立ててわずかに前傾姿勢を取った。
握り込んだ光球に上回しにした腕で遠心力を与える。
ウインドミル。
風車の名を関するソフトボールの投法はプロならば上投げに劣らない速度を出せると言う。
真奈美はジュエルの力で強化した腕を大きく振り回し
「ふっ!」
地面スレスレを滑らせるように投擲した。
「ッ!?」
それは飛鳥の予測を遥かに上回る速度だった。
咄嗟にヒュドラをぶつけて速度を相殺させようとしたが先程と同じように触手は光球に触れた瞬間蒸発する。
「このっ!」
飛鳥はヒュドラを地面に打ち付ける反動で通常ではあり得ない急速な横移動で回避した。
だが既に真奈美は次の投球フォームに入っている。
飛鳥は舌打ちするとジグザグに走りながら真奈美に接近する。
「そんな分かりやすい攻撃、投げられるよりも前に潰してあげる!」
飛鳥は投げられる直前に地面を蹴って前進のベクトルを横へと強引に変化させた。
「直線にしか飛ばないならこれで!」
「たあ!」
真奈美が体勢を修正しながら光球を投げるが飛鳥の速度には追い付かない。
不可視の触手が真奈美を叩き潰さんと振り上げられ
バシッ
真横からの狙撃で撃ち落とされた。
「伏兵!?」
飛鳥は大きく後ろに飛んで周囲を警戒するが他に敵の気配はない。
よく見れば切られたヒュドラの断面は焼け爛れていた。
「…まさか。」
飛鳥が目を見開いて真奈美を見る。
真奈美は光球を指先で弄くりながら満足そうに頷いていた。
「凄い曲がり方だった。もうスライダーじゃなくてブーメランだね。」
「弾道が曲がる?馬鹿げてる。」
「なら受けてみるといいよ。」
真奈美が投球する構えを取る。
投げられてからでは追い付かないため走り出すしかない。
操られているようで苛立ちを募らせながらさっきとは逆方向に駆け出す。
「シュート!」
今度は見た。
真奈美の手元から放たれた光球は既に弧を描き始めていて飛鳥に向かってくる。
それを転がって避けた飛鳥は
「だったら!」
再び真奈美に接近し投球直前に飛び上がった。
「どんなに曲がったって上は…」
「ライジング!」
だが飛鳥の考えを嘲笑うように光球はあり得ない軌道で空へと向かって飛んだ。
「ぐう!」
咄嗟にヒュドラを多層にしてわずかな時間を作り出し、地面に伸ばした別の首で難を逃れたが飛鳥の顔は悔しさで激しく歪んでいた。
真奈美は右肩をくるくる回す。
「知らないと思うけどこれでもソフトボール部のピッチャーで虹の魔球使いとか言われてたんだ。」
生み出される光球を突き出すように構えて真奈美はにやりと笑う。
「グラマリー・アイリス。七種類の変化球、受けられるかな?」