第153話 "人"ならざる者
「羽佐間由良、魔女が紗香たちのとこにいるよ!?」
「ちっ。こいつらは囮か、魔女が勝手に出歩いたな。」
戦闘中に下が騒がしくなったのに気付いた緑里はそれが魔女の出現と知って驚きの声をあげた。
だが由良はよそ見をしている暇はない。
「オリビア様の所には、行かせない。」
満身創痍になりながらも茜の闘志は微塵も衰えない。
肉を切らせて骨を立つ捨て身の戦法として自身の体をポアズで覆っていた。
グラマリー・ポーラス。
いかに自分のグラマリーとはいえゼロ距離の爆発で無傷な訳にはいかない。
だがポーラスはダメージと引き換えに光と爆音で相手の目と耳を潰し、体勢を崩させる特性がある。
結果として由良たちは迂濶に攻撃できなくなり膠着状態になっていた。
「音震波は他の泡に阻まれてほとんど届かない。近付けばドカン。あっちの加勢に行かなきゃなんねえのに。」
由良は焦れたように頭をガリガリと掻いた。
緑里は真剣な表情で頷くと由良のドレスの袖を引いた。
「ボクに構わないで超音振を使って!撫子様と葵衣を助けてよ!」
献身的な緑里の願いに由良はグリグリと乱暴に頭を撫でた。
「何するんだよ!?」
「はっはっは。お前が可愛いこと言うからだ。…だが、撃ったら大爆発で俺もただじゃ済まないだろうから共倒れだ。」
音震波や超音壁で押し返してもすぐに寄ってくる無尽蔵の空気爆弾は完全に由良たちを囲んでいた。
例えここで茜を超音振で倒したとしても由良と緑里が倒れたならそれは茜の勝ちと同じだ。
「そういうわけだ。自己犠牲じゃなくてちゃんと役に立ってみろ。」
「う…うん。」
見透かされて呻く緑里は爆弾ルーム脱出方法を考える。
しかし緑里にパッと思い付くことは由良がもう試していた。
「うー、うー!」
「しっかり悩めよ。…多分、お前が頼りだからな。」
由良の呟きは真剣に悩む緑里には聞こえなかった。
「ソーラー…」
「クルセイド!」
陽光の十字架が迫る触手にぶつかると同時に破裂して焼いていく。
焼け落ちたモルガナが地面に落ちて消滅すると撫子と葵衣は荒くなった息を深呼吸して調えようとした。
「へー、ジュエル2でレベル6まで行くんだ。やっぱりヴァルキリーは他のジュエルとは違うんだ。」
飛鳥は何度もモルガナが切り落とされ、焼かれても涼しい顔で余裕だった。
完全に無制限ではないようだが少なくとも撫子と葵衣の消耗と同じな訳がない。
「ソーサリスは本当に"化け物"ですね。なぜそれほどの力を持ちながらあなたは魔女に与するのですか?」
撫子は体力を回復させる時間を稼ぐため、そしてそれ以上に純粋な興味として飛鳥の戦う理由を知るために尋ねた。
普段の機嫌が悪いときなら返事の代わりにモルガナが飛んでくるところだが、今日の相手は格下ばかりで余裕があるため得意気に微笑んだ。
「飛鳥は別にオリビアの仲間じゃないよ。飛鳥はオリビアの同志で、オリビアを利用してるだけ。」
「…。」
飛鳥のこれまでの行動と今の言動に差違を感じるものの撫子と葵衣は目を合わせて頷くだけで追求しない。
「飛鳥は人が憎い。だから殺すの。プチッとね。」
唯一飛鳥の一貫している感情は人への憎悪。
自分を馬鹿にする者、見下す者、蔑む者を決して許さない。
それは魔剣使いを対象にしているわけではない。
ただ抵抗された方が面白いからジュエルを狙うだけだった。
「何故あなたは人を憎むのですか?初めから憎かったわけではないでしょう?」
産まれながらにして世界を憎む者はいない。
それは経験の中で育まれていくものだ。
だから何事にも原因が存在する。
「憎む…わけ?」
その言葉を呟いた瞬間、飛鳥の顔から感情が消えた。
怒っているわけではない。
泣いているわけでもない。
全ての感情を捨て去ったようにただ呆然とした。
その姿が撫子にはあまりにも不気味に思えた。
「飛鳥は…あれは…うちで…みんな…あ、ああ、ああああああああ!!?!」
頭を抱えて蹲る飛鳥は突然叫び声を上げて身を仰け反らせた。
「何事ですか!?」
「お嬢様、お下がりください!」
発狂したように全身を震わせて吼える飛鳥の体から黒い煙が立ち上って見える。
「目の前で…はは、真っ赤…真っ赤になったんだ…あは、あはははは!」
瞳孔が開き、目を開いて何も見ていない飛鳥はぐるりと首を撫子たちの方に向けた。
つられるように黒い煙がいつくもの漆黒の蛇を形作り睨み付けてきた。
「全部死んじゃえ…真っ赤になって…真っ暗になって…あはははははははは!!いけぇ、スペリオルグラマリー・ヒュドラ!」
漆黒多頭の大蛇の目が紅色に輝くと巨体に似合わず俊敏な動きで撫子たちに襲いかかってきた。
そこに手加減はない。
全てを一撃で粉砕するように暴れまわる。
「くっ。どうやら触れてはいけない領域に踏み込んでしまったようですね。」
さっきまでとは比べ物にならない破壊の嵐を前に撫子は攻撃の手を完全に排除してグラマリーを使って防御せざるを得なくなっていた。
葵衣はエアブーツの瞬発力で高速移動して回避していくがやはり攻撃に転じるほどの隙はない。
「禍々しい力を感じます。これがソルシエール。私たちはこのような力を使っていたのでしょうか?」
「魔女オリビアの与えたソルシエールだから、と信じたいわね。」
飛鳥の狂気に応じてさらに変貌を遂げていくヒュドラ。
撫子には一瞬その根元にいる飛鳥が人ではない何かの姿に見えた。
「目障りな虫は、全部潰れて死んじゃえー!」
荒ぶる破壊者を前に撫子たちはただ生き残ることだけを考え始めていた。
オリビアは上で戦う飛鳥と茜を見ておかしそうに笑った。
「妾の駒は心地よい闇を吐き出しておるわ。これは新たな駒の力がますます気になるのう。」
オリビアは振り返って語りかけるように目を細める。
そこにはボロボロになった"RGB"の3人の姿があった。
挑発に乗って突っ込んだ美保や紗香を傷付ける振りをされて挑みかかった良子はドレスをズタズタにされて地面に倒れている。
悠莉は辛うじて無事だがしゃがみこんで肩で息をしており、コランダムコアも1つになった上に欠けていた。
「さすがは、魔女の力と、言うべきですか。」
「汝も良い闇を持っておるの。ヴァルキリーなど止めて妾の駒とならぬか?」
「申し訳ないですが、お断りです。」
追い詰められた状態、断れば殺されるかもしれない状況でも悠莉は自分を貫いた。
オリビアは目を細めて口を吊り上げる。
「残念じゃな。ならば妾の野望の礎となるがよい!」
「コランダム!」
オリビアが手を翳す瞬間にサフェイロス・アルミナとコランダムコアの両方を前面に押し出して障壁を展開した。
オリビアの放つ見えない力が壁にぶつかりガリガリと縁を削っていく。
バキンと音を立ててコランダムにヒビが入った。
「紛い物の力でよう足掻いた。もう眠るがいい。」
バキン、バキン
ヒビは広がり、障壁は欠け、悠莉を守る壁が壊れていく。
魔女の力を前にジュエルの力では抗えない。
「この状況で、ヒーローの登場を期待するのは、少々少女趣味ですかね?」
悠莉の自嘲気味な独白の答えはなくバキンとコランダムコアが砕け散った。
「救いは妾の手を取ることじゃ。汝もまた良き駒になろう。」
魔女の力が、言葉が悠莉を追い詰める。
恐怖という名のオリビアの力が悠莉の中に侵入し、内側から精神を食い潰そうとする。
悠莉の心を喰らおうとしている。
バキン
悠莉を守る、悠莉の心を隔離し守る青き壁が砕けていく。
(いや、です。暴かないで。)
バキン
ドクン
障壁が砕け落ちる度に悠莉の心臓が跳ね上がる。
バキン
ドクン、ドクン
「汝を守る壁を破るぞ?絶望するがよい!」
もはや悠莉の前には叩けば砕け落ちる小さな障壁が浮かんでいるだけだった。
「壊れよ!」
オリビアが手を突き出すと悠莉を守る最後の壁が軋み
パリーン
乾いた音を立てて砕け散った。
晒されるのは悠莉の人とは違う歪んだ本性。
人の不幸に微笑む魔性の女の姿。
「止めてー!」
「っ!なんじゃ!?」
バキンッ、バキンッ
悠莉の叫びと共にオリビアの力が弾かれた。
砕けて地面に落ちたコランダムの欠片が浮かび上がり、継ぎ接ぎだらけの障壁が組み上げられていく。
それは何人も犯すことのできない心の城塞。
"人"ならざる本性を暴かれた下沢悠莉の本来の力。
「…さあ、目覚めなさい。」
ずっと呼びながらも違うものとして認識していたジュエルの魔剣。
その武骨な剣を左手に、右手を掲げた悠莉の手に根元から構成されていく青い文様を刀身に刻む幅の広い美麗なる剣。
それは紛れもなくソルシエールだった。
悠莉はその剣の主として名を告げる。
「サフェイロス!」
悠莉の手を中心に青い光が溢れ出した。
目映き青に染まった世界が消えたとき、悠莉は左右に二振りの剣を携えて左目を朱に輝かせていた。
オリビアはわずかに眉を寄せて目を細めた。
「よもやこの時に目覚めおるか。」
「ふふふ。あなたが私を暴いたからですよ?責任は取ってもらいます。」
悠莉は微笑みを浮かべると両の刃を眼前で交差させた。
幅の広い刀身はまるで近づくことを拒む強固な盾のよう。
「その壁もまた貫いてくれよう。」
オリビアが手を翳す。
見えない力に何度も苦しめられてきた悠莉だったがその微笑みは変わらない。
「開け、境界の扉。ディメンジョン!」
悠莉の眼前に小型のコランダムが六角形を成し、高速で回転し始めた。
筒の中の空間が歪み、やがて光さえ通さない漆黒の闇へと変わる。
「ッ!」
グンと突然オリビアの体が腕を突き出したまま不自然に揺れた。
伸ばした右腕を左手で押さえ、踏ん張るように歯を食い縛っている。
「グラマリー・ディメンジョンは異界への門です。あなたは少し私に力を見せすぎました。」
「小癪な娘じゃ!」
オリビアは忌々しげに言葉を吐き出すと左手を何もない空間で手刀の要領で振り下ろした。
途端にオリビアは仰け反るような格好になり、悠莉から距離を取った。
「よくぞ見破った。じゃがそのグラマリーは発動に時を要するようじゃな。ならば…」
オリビアが両手を振るうとチュインと地面に火花が走った。
その火花はまるで蛇のように悠莉に向かって不規則な軌道を描きながら接近していく。
「サフェイロス。」
右手に握るソルシエールを振るうと青い壁で作られたブロックが出現して火花を真上から押し潰した。
「かかりおったな!」
チュイン
突然悠莉の左側で火花が走る。
派手に火花を撒き散らしていた右からの攻撃は囮で本命は静かに近づいていた左だった。
「サフェイロス・ア…」
「遅いわ!」
オリビアの操る力がグラマリーを発現しようとしたサフェイロス・アルミナに絡み付いて悠莉から引き剥がした。
そのまま自分の手元に手繰り寄せて柄を握る。
「紛い物では上質かもしれぬが所詮は贋作か。じゃが、使いようもあろう。」
オリビアは逆手に握ったサフェイロス・アルミナの切っ先をいまだ倒れている紗香に向けた。
悠莉がピクリと反応して動きを止める。
「賢しいのう。そして愚かしい。この娘を助けたくば…などとは言わぬ。我が軍門に下れ。さもなくば殺す。どちらもじゃ。」
「それでは目的を達せられないんではないですか?」
「死人を苗床とする術も心得ておる。死をも恐れぬ兵を生み出すには都合が良いかも知れぬの。」
オリビアは押し殺したように笑いながら刃を紗香に近づける。
魔女は何の躊躇いもなく紗香を殺す。
それは目を見れば分かった。
悠莉はサフェイロスを離そうと手を前に出し
シュン
「ッ!」
背後から飛来した真紅の鉾槍に驚いて身を固めた。
それはものすごい速度で飛んでサフェイロス・アルミナとぶつかって弾き飛ばした。
思惑通りに行かず顔をしかめるオリビアと驚く悠莉が振り返ると上半身をダラリと下げた良子がどうにか立ち上がっていた。
そんな状態でジュエルを投擲したらしくまたフラフラしている。
「紛い物の魔剣を捨てて何とする?先に死人となるか?」
「嫌、だね。これでも4月からは華の大学生になるんだ。人生これからだって言うのに死ねないよ。」
言葉を紡ぐ度に周囲の小石が震え、大気がざわめき出す。
「ジュエルじゃ駄目だ。もっと、もっと力を。獣よりも速く、強い力をあたしに!」
良子の体が赤く燃える。
否、それは赤い光。
傷だらけの体でありながら、ふらつきながらも天に向かってゆっくりと掲げられていく掌からは真紅の輝きがあふれ出していた。
その光は左右に伸びる。
まだ形を成さない光に主は存在を固定するために名を叫んだ。
「ラトナラジュ!」
バシュッ
天高く掲げた手に握られたのは真紅の鉾槍。
炎を押し固めたように赤く輝いている。
今、この地に二振りのソルシエールが復活した。