第141話 未来からの警告
「"Akashic Vision"!?」
ほとんど直接的な面識のない紗香だが"Akashic Vision"の事はヴァルキリーからの情報や良子と悠莉の話を聞いて知っていた。
ソルシエール・オブシディアンで鏡像や幻覚を操る"裏切り者"・江戸川蘭。
ソルシエール・オニキスのグラマリーによって一心二体の力を使う・柚木明夜。
魔女ファブレから受け継いだ最強の魔剣・アダマスの担い手・半場海。
そして、未来を見通し未来を変える本物の"化け物"・半場陸。
ヴァルキリーすら恐れる最恐の集団。
「…」
突然現れた"Akashic Vision"に紗香は今にもジュエルを抜きそうなほどに警戒を強めていた。
「ほら、お兄ちゃんがいきなり声をかけるから驚かせちゃったじゃない。」
「ナンパはダメ。」
そんな紗香をよそにリーダーである陸は海と明夜にダメ出しされて困り顔を浮かべていた。
オーの軍勢を前にしたときの恐怖はないが底知れない雰囲気は"Akashic Vision"の方が桁違いに高い。
少なくとも紗香は自分の目の前に現れた"敵"の思惑が全く予想できなかった。
蘭は紗香の顔をしきりに角度を変えながらジロジロ見ていた。
蘭の方が背が低いので視界の下の方をチョロチョロ動き回る髪がとてもウザい。
「何ですか?」
「君が新しい哀れな子羊ちゃんか。ナンマンダブナンマンダブ。」
南無南無と拝まれても馬鹿にされているようにしか思えないというか絶対に馬鹿にしていた。
さらに哀れな子羊というのがグラマリーの発現を言っているのだと気付いて不快感が増した。
「わたしは望んで力を手に入れたんです。勝手に哀れまないで下さい!」
「あらま、怒られちゃった。」
蘭は悪びれた様子もなくペロリと舌を出すとヒョコヒョコと小さい髪の房を揺らしながら陸の横に戻っていった。
「わたしにいったい何のようです?」
完全にペースを持っていかれている紗香はさっさと用件に入った。
怪しい人たちに付き合っていたら危険に会うのは"日常"だろうと"非日常"でも変わらない。
「そうだね。哀れな覚醒者に僕たちからのお祝いとして…お茶でもどうかな?」
「ナンパだ。」
「ナンパ。」
「ランというものがありながらナンパなんて。」
リーダーと構成員の整合性がまるで取れていないが海たちは笑っているので陸の言葉が"Akashic Vision"の総意らしかった。
「はあ?」
そしてそれはまったく紗香が予想していなかった言葉だった。
「お断りします。」
呆けていた意識が戻ると紗香は即座に断った。
何が悲しくて敵とお茶をしなければならないのかと、叫びはしないが考えていた。
だが断られた陸は微笑みを湛えたままだ。
それが背筋が震えそうになるほどに不気味だった。
「まあ、そう言わないで。今日はヴァルキリーの会議もないしジュエルクラブに行く予定もないから暇なんだよね?」
「なっ!?」
何でそれをと叫ぶ事さえ満足に出来ないほどに驚いてしまった。
それは葵衣に会議がないことを聞いてから考えた予定でまだ10分程度しか経っておらず、予定を口にすらしていなかった。
「それに昼間に叶さんたちと話をして敵の考えを知ることも重要だって知ったんじゃないかな?」
紗香はもう声を上げることすら出来なかった。
背筋の悪寒は体温を根こそぎ奪ったような錯覚を引き起こし、手足は自分の意思とは関係なく震え出した。
(何ですか、この人は?怖い!)
見た目は普通の青少年だがその後ろにまるで巨大な目玉が浮かんでいるように見えた。
その目は紗香の行動から心まで何もかもを見通す悪魔の目だ。
その目の名はInnocent Vision。
「そこまで怯えられると罪悪感が湧いてくるな。どうしても嫌なら諦めるよ?」
紗香を気遣った言葉だが断れば何をされるか分からない。
それこそここにいるソーサリス全員が襲ってくる可能性だってある。
「…ごちそうに、なります。」
紗香は絞り出すようにどうにか答えた。
少し不安げだった陸はホッとしたように笑った。
それでも紗香は少しも安心できず、背中に拳銃を突き付けられた気分で喫茶店に向かうのだった。
(なぜ、こんなことに?)
紗香は喫茶店の席に座って奢られたコーヒーを飲みながら自問自答していた。
陸たちに連れられて初めて入った喫茶店はコーヒーの香り漂う雰囲気のいいお店だった。
紗香は知らないが"Innocent Vision"とヴァルキリーの会談が幾度か行われた喫茶店である。
出されたコーヒーはあまりコーヒーを飲まない紗香でも美味しいと感じるほどで文句はない。
だが
「今日こそはりっくんの隣はこのランがいただくよ!」
「お兄ちゃんの隣は渡さない!」
「指定席。」
なぜ"Akashic Vision"の面々は向かい合わせの席なので3-2で座ることをせず、真ん中に陸を置いて左右の席の争奪戦をしているのか。
なんでこんなのとお茶をしてるんだろうと紗香は遠い目をしていた。
「ごめんね、いつものことだから。」
サラウンドでうるさいはずなのに陸は苦笑しながらコーヒーを飲んでいる。
肝が据わっているのか慣れたのか紗香には分からない。
ともかくさっさと終わらせて帰りたかった。
「さっきも聞きましたけど、わたしに何の用ですか?」
紗香は震えそうになる体を懸命に張って姿勢を正す。
陸はそれを何故か哀れむような慈しむような目で見ていた。
コトリと陸がコーヒーカップを置いて指を組む。
「知っていると思うけど僕は未来視Innocent Visionを持っている。」
一応奥まった席を選んでいるしそれほど大きな声ではないので周囲には聞こえていないようだったがInnocent Visionの名を聞いただけで紗香の体が強ばった。
「それなら…占いでもしてくれるんですか?」
未来を知る方法で普通に考えるのは占いだ。
だがそれを聞いた陸はフッと曖昧な笑みを浮かべた。
「残念ながら僕に占いは出来ないよ。僕に出来るのは予言だけだから。」
不確定な未来ではなく実現する未来の現実を言い当てる。
"過程"と"結果"、見るものの違いが確固として存在している。
陸はトンと指でテーブルを叩いて表情を引き締めた。
「だからこれは予言だよ。君は遠くない未来に選択を迫られる。君の選んだ答えによって君は何かを得て、何かを失うだろう。」
それはあまりにも曖昧な予言だった。
占いでも似たような事が書いてある。
「いつ、どこで、何があるか分からないんですか?それだと本当に未来視なのか分かりませんね?」
紗香は虚勢で強がってみせた。
この穴を起点に論破して主導権を握ればすぐに帰れるからだ。
「見て、良いのかな?」
だが、すぐにそれが甘い考えだと悟らされた。
陸の瞳は漆黒の闇のようにまるで底が見えない…底知れない。
「僕のInnocent Visionなら君の望んだ通りいつ、どこで、何があるか知ることができる。だけどそれは君の意思を犠牲にすることになる。自分で選択したと思ったものが実は僕が選んだものだったとしたら…。そんな想像すら出来ないかな?」
「…」
紗香は1秒でも早く逃げ出したかった。
なのに体は指先一本動かない。
(わたしの選択がわたし以外の人が選んだもの?そんなの…)
紗香は目の前にあるコーヒーを見た。
いくつかあるメニューの中で無難なブレンドを自分で選んだ。
そのはずだ。
だが、もしもこれが陸が定めた未来の結果として紗香が選ばされたのだとしたら。
(そんなの…人形です。)
自分の意思すら仮初めのものでもっと上位の存在の意のままに動くだけの存在。
それは繰り糸に操られたピエロと同じだ。
「だから僕は君の未来を見ない。その過程を知ったから警告に来たんだよ。哀れな新しい同胞への手向けにね。」
紗香には陸の言葉の意味がまるで理解できない。
聞き様によっては前もって心構えをする時間をくれたと感謝すべきかもしれないが何が起こるのかもわからないのに感謝の念が生まれようはずもない。
ただ、その言葉が嘘偽りないものだという確信だけがあった。
「…一つ、良いですか?」
紗香はまだ震える唇を懸命に動かして言葉を紡いだ。
席決めで騒いでいた蘭たちも意外だったらしく動きを止め…その隙に海と明夜が陸の左右を陣取った。
「あ、ずっこい!」
「勝負の世界は非情なの。」
「ランちゃんはここ。」
文句を言うも聞き入れられず蘭は大人しく明夜の隣に座った。
仲間達の馬鹿げた争いを微笑みを浮かべてみていた陸は視線を紗香に戻した。
「僕に答えられることなら。」
「"Akashic Vision"はどうしてヴァルキリーと、お姉様たちと戦うんですか?」
"Akashic Vision"の文化祭での表明は紗香も聞いていた。
魔剣の力を使って魔剣や聖剣を消し去ると。
その為には抵抗する相手を殺すことも辞さないと。
だけど紗香が実際に話してみた限り、性格が破綻していたり危険な思想を持っているようには見えなかった。
ならば何故すべての勢力と戦う道を選んだのか、ヴァルキリーと戦わない選択肢は存在しないのかを紗香は知りたかった。
「君はヴァルキリーよりも叶さん寄りの人間だね。」
陸としては褒めているのだろうが紗香には誉め言葉にはなり得ない。
「わたしがいるのはヴァルキリーです。」
「それなら…戦う理由を探してるのかな?」
また心の内を言い当てられた。
もはや陸はInnocent Vision以外に読心術を持っているのではないかと確信しそうだった。
陸はコーヒーを口にしてわずかに表情を歪めた。
「残念だけど僕たちはヴァルキリーと戦わなければならない。少なくともヴァルキリーや魔女オリビアと僕たちの理想とは正反対だからね。」
ジュエルという魔剣の力を使って世界の恒久平和を目指すヴァルキリーと"非日常"の力を排斥することを目的とする"Akashic Vision"に共通点はなく、妥協しないならば和平はあり得ない。
オリビアの目的は定かではないが魔剣の担い手たちは魔女に不信感を抱いているのでこちらも対立の図式になっていた。
その2つは分かりやすいほどに相容れない派閥の衝突なので紗香も悲しいかな疑問を挟む余地はなく和平の使者にはなれそうになかった。
「それなら…どうしてあなたは自分の仲間だった"Innocent Vision"の皆さんを裏切ったんですか?」
それは誰もが知りたいと望み、実現していない"Akashic Vision"結成の根底に当たる話だった。
「…」
「…」
「…」
さっきまで騒がしかった蘭たちは貝のように口を閉ざしている。
陸も即答はせず言葉を選ぶようにコーヒーの液面を見つめていた。
「…それを聞いて君はどうする?」
答えは決まったらしく顔を上げた陸は紗香に問う。
質問の答え次第では返答しないことを滲ませている。
「わたしはお姉様たちを裏切るなんて考えたこともありません。だから仲間を裏切る気持ちは分かりません。」
紗香も師匠に似て心理戦を得意とするタイプではない。
自分の感じるまま、思うままに答えていた。
陸は紗香の答えを聞いて何故か悲しげに微笑んだ。
「ならきっと君に僕の考えを教えてもためにならないよ。君のようなタイプは周りに流されず自分の道を切り開いていけるから。僕とは違ってね。」
良いことを言われたような気もするがよく考えると回答拒否だった。
良子や美保なら引っ掛かりそうだが紗香は騙されなかった。
「別に聞きたいわけじゃないからいいですけどね。」
「そう言われると悲しいな。それじゃあ1つだけヒントを。」
陸はいたずらを考える子供のような含み笑いを浮かべて口を開いた。
「僕たちはパンドラの箱に入れられたシュレディンガーの猫なんだ。だから外側にいる叶さんたちとは一緒に戦えないんだよ。」
「?」
陸の言葉はどれも予言のように謎めいていたがこの言葉はそれ以上に意味が分からなかった。
だが陸はそれ以上答えるつもりはないらしくコーヒーを飲み干すと蘭たちと立ち上がった。
「そろそろお暇するよ。願わくは戦場で君と出会わないことを。」
それは完全に紗香のセリフだが反論する前に陸は伝票を持って行ってしまった。
「…なんだったんでしょう?」
"Akashic Vision"が店からいなくなると体を椅子に縛り付けるような重圧は消失し、紗香は深く腰かけてため息を漏らした。
少し冷めたコーヒーを口に含んでさっきの会話を思い出す。
(わたしに選択の時が訪れる。"Akashic Vision"はヴァルキリーやオーと戦うことに迷いはないみたいでした。元"Innocent Vision"の仲間たちと協力しない理由のヒントがパンドラの箱とシュレディンガーの猫。まったくちんぷんかんぷんです。)
パンドラやシュレディンガーも辛うじてその名前を聞いたことがある程度で詳しくは知らないため答えが出るはずもない。
「お姉様…いえ、まずは海原葵衣先輩に連絡しよう。」
戦う意味を考えていたのに変なことに巻き込まれたと思いながら紗香は葵衣にメールするのだった。