第14話 拡大するジュエル
対決の翌朝、戦いの緊張でなかなか寝付けなかった叶が眠い目を擦りながら登校していると
「ん?」
「あ…」
横の道から出てきた美保とばったり会ってしまった。
叶にとって美保はとりあえず敵と出会ったら殺しとこうみたいな思考を持つ危険人物に見えていた。
「…。」
美保は嫌そうな顔で叶を見ている。
周囲に人影は乏しく、2人を気にしている者はいない。
「…あ、あの。」
「ふん。」
美保はつまらなそうに鼻を鳴らすとプイと顔を背けて学校に向かっていってしまった。
「…行っちゃった?」
昨日の今日で好戦的な美保が変わるわけがないから暫く待ってみたが結局美保が戻ってくることはなく、叶は首を傾げながら足を踏み出し
「気を付けてください、叶さん。」
「ッ!?」
不意に背後から掛けられた声に音にならない悲鳴をあげて数センチ飛び上がった。
無駄に早い鼓動を押さえ込むように胸に手を当てながら振り返ると巫女装束の琴が口許を袖で隠しながら目を丸くしていた。
「驚かせてしまいました?」
「はい。それはいいんですけどどうしてまたその格好なんですか?」
以前の琴は今のような巫女装束で登校していたが半場陸と友の会になってからは比較的制服で登校することが多かった。
だが新年度になってからはまた白と朱のコスプレと思われかねない格好に戻っていた。
「太宮様の予言が朝からあったので着替える時間が無かったのです。」
理由は何であれ琴が巫女装束であることに変わりはなく周囲の注目を集めていた。
「それはいいんですけど、気を付けなさいというのはどういう意味でしょうか?」
もっとも叶は気にした様子はない。
琴の姿形ではなくその言動を気にしていた。
「言葉通りです。ヴァルキリーには気を付けてください。あの組織は"Innocent Vision"にとって危険な組織です。」
「は、はい。気を付けます。」
叶は先日の戦いの記憶も含めて強く頷いた。
叶の反応を見て問題ないと判断したのか琴は表情を和らげて学校に向かって歩き出した。
叶も隣に並ぶ。
「また新しいお菓子を…」
「わぁ。おいしそうです…」
制服と巫女装束、2年と3年、そして"Innocent Vision"と太宮神社の巫女といろいろと違いのある2人だったがお菓子の話で盛り上がる姿は普通の女の子だった。
壱葉高校に到着し、昇降口に向かうと由良も下駄箱に行こうとしているところだった。
「おはようございます、お姉さん。」
「カナと太宮院か。」
挨拶のようなただの確認のような微妙な返事をする由良に叶は普通に話しかけている。
琴はその光景を目をパチクリと見開いて見ていた。
「お2人は少し見ない間に随分と仲良くなりましたね?」
自分もお姉さんなんだけどなとちょっと拗ねつつ表面上は平静を保って琴は尋ねる。
「そうですか?」
「はい。以前の叶さんは羽佐間さんを怯えている印象がありました。それがお姉さんやカナと呼ぶような仲になっていれば驚きもします。」
叶は自覚がなかったようだったが説明すると納得した様子で頷いていた。
「もともと仲間だったんだ。ちょっとしたきっかけでそう呼び合うようになった、それだけだ。」
由良は面倒くさそうに説明するとさっさと下駄箱に行ってしまった。
「あ…行っちゃいましたね。」
見送る叶は別に残念そうでもない。
2人の関係に劇的な変化があったわけではないことに安堵した琴は
「か、叶さん。私のことも琴お姉ちゃんと…」
衝動に任せて提案したが
「?琴お姉ちゃん?」
『琴お姉ちゃん…琴お姉ちゃん…琴お姉ちゃん…』
「ウッ!」
あまりの破壊力に鼻血を吹きそうになった。
「どうしたんですか、琴お姉ちゃん!?」
駆け寄りつつ律儀に呼び方を守る叶はそれが琴を追い詰めていることに気付いていない。
「だ、大丈夫です。ですが、今まで通り琴先輩でお願いします。」
琴は追加ダメージで息も絶え絶えになり胸を押さえながらよろよろと靴箱に向かっていった。
結局残された叶は
「どうしたんだろう、琴お姉ちゃん?」
ちゃっかりその呼び名を定着させていた。
教室では真奈美の席に裕子と久美が集まっていた。
パッと見た感じで真奈美が困っているのがわかったが
「あ、叶。いいところに。」
逃げ出すことを考える前に裕子に見つかってしまった。
机に近づいていくと机の上にはファッション雑誌が広げてあった。
「何の話?」
「ほらここ。WVeの新商品が出るんだって。」
そのページには高級感を保ちながらも学生でも手を出せるようなアクセサリーやバッグなどが紹介されていた。
花鳳撫子プロデュースのブランドは今や若者の間で絶大な人気を誇るファッションだった。
「それにほら、ここには花鳳先輩のインタビューも載ってるよ。いやー、1年間とはいえ花鳳先輩と同じ学校に通ってたってだけでちょっと優越感だよね。」
裕子がページを捲ると撫子の写真とWVeに対する記者の質問と撫子の答えが所々目立つように太字で書かれていた。
「にゃはは、うんうん。でも、りくりくは知り合いみたいだったね?」
「そうなのよね。いったい何がどうなって半場くんはお近づきになったのかしら?紹介してもらうんだったわ。」
裕子は本気で悔しがる。
実際裕子がWVeの魅力に染まったのは陸が眠りについてからだった。
「そう、だね。」
叶と真奈美は目線を交わし合って曖昧に返事をした。
叶と真奈美は撫子の本質を、ヴァルキリーとして何を為そうとしているかを知っている。
だから裕子のように手離しに有名人と知り合いであることを喜ぶことは出来なかった。
「あ、八重花は乙女会に入ってたんだから先輩と付き合い深いんだ。あとで聞いてみよ。」
裕子は久美とはしゃいでいて2人の様子を見ていなかった。
2人の視線はインタビューの一文を見ていた。
「店舗の全国展開を予定している…。」
『失言だったわ。』
撫子は発売されたファッション雑誌のコメントを確認して葵衣に連絡を取り、第一声がこれである。
葵衣はヴァルハラにいたので周囲には誰もいない。
撫子が失言と言ったWVeの全国展開、それは第二次ジュエル計画の主幹となるため"Innocent Vision"への情報開示は慎重にしなければならないと話し合っておいた話だった。
だというのに話のうまい記者との会食で舌が滑らかになってしまいつい話してしまったのだ。
葵衣に連絡を取ったのはこれを知った"Innocent Vision"の動きを探るためである。
「確かに店舗展開の情報は開店してから広まるのが望ましくありましたが5月上旬までに各店舗は開店致します。もはや"Innocent Vision"が止められる段階ではないと考えられます。」
そもそも、かつてジュエル計画を頓挫させた輸送車襲撃と工場破壊は公表されてはいないが魔女の仕業である。
さすがに"Innocent Vision"がそこまで非人道的な手段に出るとは思っていなかった。
ましてや、今の"Innocent Vision"ではなおのこと。
『先日のことで"Innocent Vision"にジュエルの存在が知られた以上全国展開がジュエル計画であることは気付かれたと考えるべきね。動向には注意を払いなさい。』
「承知致しました。例の交渉はこちらで推し進めてよろしいでしょうか?」
『任せるわ。』
撫子は呼ばれたらしく一言二言話すとすぐに電話を切ってしまった。
ツーツーという電子音から耳を離した葵衣の目の前にも件の雑誌が広げられている。
「当初の予定で考えれば今回の情報は危険要素。」
そしてパソコンにはジュエル計画の進捗状況のグラフが開いている。
「ですが、今回は有効な交渉材料となるかもしれませんね。」
葵衣はわずかに口の端を歪ませて始業ベルまで作業に没頭した。
ファッション雑誌など読まない明夜と由良にWVeの全国展開をメールするとすぐに返信があったが内容は後日話し合おうとの事だった。
叶も真奈美もクリスマスパーティーの起こりとその裏で進められていたジュエリアの全国販売計画の全容は知らないため由良たちの反応に首を傾げるばかりだ。
八重花を誘いに一組に行ったときも2人の姿はなかった。
「あの2人にも思うところがあるのよ。」
八重花はそれだけ答えて食堂に向かってしまったので叶たちも慌てて後を追った。
何とか5人分の席を確保してランチを手に入れた乙女たちは会話の花を咲かせる。
ここが人気の少ない喫茶店だったり、裕子と久美が由良と明夜だったならすぐにでもヴァルキリーの動きについての話が始まるところだが、この場所この面子では不可能なため裕子の話に合わせて食を進めていく。
「それでどうなのよ、八重花?花鳳先輩と懇意になってWVeの優待会員とかになって安く買えるようになれるのかな?」
いつの間にか本音が混ざり始めていたがツッコミはなし。
「無理よ。乙女会は別にそういう目的で作られた訳じゃないもの。そんな卑しい心持ちの人間を乙女会に入れるわけがないでしょう?」
純乙女会には大勢いたけど、とは言わない。
「う…」
卑しい自覚はあるらしく裕子は硬直した。
「そもそも連絡先を知らないもの。話はだいたいその場でしたし、連絡を取るなら海原葵衣経由って感じだったから。」
それが八重花を警戒しての措置だったのかヴァルキリーとしての方針なのかわからないがとにかく八重花の携帯に入っているのは葵衣の連絡先だけだった。
「そこからなんとかならない?」
裕子は弱々しく最後の抵抗を試みるが
「連絡するのは構わないけど何て言うつもり?私の友達が欲目に眩んで花鳳先輩とお近づきになりないって言ってるんですけど取り次いで貰えますかって?少なくとも私ならすぐに電話を切るわね。」
八重花の容赦ないが的確な未来シミュレーションを前にガクリと首を落とした。
こうして裕子のささやかな野望は話す相手を間違えたがゆえに早急に終了した。
「…りくが頼めば、あるいは…」
「にゃは?やえちん何か言った?」
「…何でもないわ。」
八重花は思い付いたその裏技的な交渉ルートを闇に葬り、腹いせにやけ食いをするのだった。
放課後、叶は由良たちに連絡を取ろうと考えていたがその前のホームルームで保険委員の集まりがあると連絡を受けたため会議室に移動した。
部屋に入るとすでに先輩や同学年、さらには1年生が集まり始めていた。
「ッ!?」
叶は部屋に足を踏み入れたときに背筋に氷を押し込まれたような寒気を感じた。
その感覚は忘れるわけもない始業式の日に襲ってきた人型の闇から感じたものに似ていた。
「大丈夫?顔色悪いわよ?」
肩を叩かれてハッと振り返ると入り口で立ち止まったせいで渋滞ができていた。
部屋の中からも心配そうな視線は感じるものの先ほどの殺気は消えていた。
叶は深呼吸して気を落ち着かせる。
「ありがとうございます。ちょっと緊張しちゃって。」
嘘も方便、その言葉で心配そうな空気は和らいだ。
叶は近くの席につきながら周囲に気を配る。
(あの化け物が学校にいるの?それとも…)
あまり考えたくはないが見た限り化け物が化けているような人はいない。
(あの化け物を操る人がいるの?)
叶は会議が始まってからも警戒し通しで逆に注意が散漫になり、冗談とはいえ委員長にしますよという言葉に危うくはいと答えてしまうところだった。
叶としては"Innocent Vision"のリーダーすら持て余しているのだから他に余裕はなかった。
委員会が終わると皆散り散りに帰っていきボーッとしていた叶はほとんど最後になってしまった。
接触してくる人はいなかった。
ホッとしたようなモヤモヤするような微妙な感覚を胸に抱きながら夕日の色に染まり始めた廊下を歩いて昇降口に向かう。
「今日は遅くなっちゃったから明日でいいかな?」
由良と明夜は捕まらない。
八重花によれば午後の授業にはいなかったらしい。
だからまた明日にでも話そうと思った。
「もう少し遅くなってしまっても問題ありませんか?」
「ッ!?」
誰もいないと思っていた下駄箱で突然声をかけられて叶は声にならない悲鳴をあげる。
下駄箱の陰から現れたのはヴァルキリーの長の腹心、仕えるべき相手が卒業してからも執事服を身に纏う男装の麗人、海原葵衣だった。
彼女の手には1通の封筒があった。
だがその感情を映さない目は叶を捉えていた。
「…ッ。」
叶は恐怖を押し込めて葵衣に相対した。
今は"Innocent Vision"のリーダーだから。
「お茶会に御招待させて戴きます。」