第137話 ただの乙女の力
悠莉の想定した最高の援軍は"Akashic Vision"ではなく旧"Innocent Vision"のメンバーだった。
組織のしがらみに縛られず、優しき心を持ち、そして他の組織を凌駕しかねない力を持つ少女たち。
さっきまで余裕の笑みを浮かべていた飛鳥は明らかに警戒を強めた表情に変わっていた。
「悠莉様、大丈夫ですか?」
駆け寄ってきた葵衣が悠莉を抱き起こす。
叶の癒しの光を受けて傷と体力が回復した悠莉はふらつきながらも自分で立ち上がった。
「ありがとうございます、葵衣様。最高の援軍です。」
「感謝なら私たちにしてほしいわね。悠莉のためにわざわざ建川から急いできたんだから。」
八重花は背中を向けたまま恩着せがましく会話に割り込んだが第3の腕カペーラは油断なくジオードの切っ先を飛鳥に向けている。
それに背中から見ていても首筋が汗ばんでいたり叶が息を荒らげているので本当に急いできたのが見て取れた。
「そうですね。皆さん、私のためにわざわざありがとうございます。」
悠莉は素直に頭を下げた。
「まだ完全に治った訳じゃないですから休んでいてください。」
「とりあえず善意の正義の味方は怪獣退治を始めようか。」
叶や真奈美は礼の言葉を受け取るだけでそれ以上を求めない。
それがセイント、そしてその力を受け取るジュエリストの心。
真奈美が冗談めかして言った正義の味方のようにただ悠莉が困っているからという言葉だけで、楽しい休日を返上して命の危機すら存在する"非日常"に飛び込んでこれる善人たちだ。
「私は貸しにしておくわ。」
ソーサリスの八重花はさすがにそこまではないがそれでもどれだけ見返りがあるか分からない状況で迷いなく助けに来た。
昔とは比べ物にならないほどに他人に対して優しくなった。
「"Innocent Vision"。無くなったのにまだ飛鳥の邪魔をする!」
ドカンと暴れたモルガナが壁を砕く。
だが叶たちは恐れていない。
「私たちはただの通りがかりの乙女よ?"Innocent Vision"なんて知らないわね。」
八重花が見え透いた嘘を小馬鹿にしたような表情でつく。
悠莉以上に積極的に飛鳥を口撃する八重花は怖いもの知らずと言わざるを得ない。
案の定飛鳥はあっさりブチキレた。
「ただの乙女だったらさっさと死んじゃえ!」
一斉に押し寄せてくる10本のモルガナは天災のように"ただの乙女"にはどうすることも出来ない破壊の波だった。
その波を前に八重花と真奈美は逃げ出しもせずに自らの刃に意識を集中させる。
「真正面から迎え撃つ!」
真奈美は飛び上がると足を振り下ろす反動を使って空中で縦に回転する。
回転はさらに速い回転の力となり真奈美は高速で回転する円盤のように見えた。
スピネルが輝きを放ち円盤の外周が光を纏う。
そのまま落下してきた真奈美が地面にぶつかった瞬間、ギュンと猛烈な加速をつけて真奈美が触手の波に突っ込んでいった。
「デルタスピン!」
回転円盤は触手の怒濤に正面からぶつかり合い、その波を真っ二つに切り裂いていく。
「何よ、その技!?」
聖剣大車輪の強襲に飛鳥は本能的に攻撃をやめて横へと逃げた。
「おっ、とと。」
モルガナを切り裂いた真奈美は地面にスピネルを突き立てて急制動をかけた。
その背中を狙って飛鳥が攻撃を仕掛けるべく動こうとしたがその眼前を赤い炎が横切って飛鳥の動きを封じた。
飛鳥が睨み付けた先でジオードから赤い炎を吹き上げさせた八重花は腕組みをして立っていた。
「せっかく買い物返上で来てあげたんだから真奈美だけじゃなくてちゃんとおもてなししてほしいわね?」
八重花の不遜な態度に飛鳥はすぐに真奈美から標的を変更すると乱暴にモーリオンを振るった。
「だったら望み通りそっちから殺してあげる!」
剣閃をなぞるように伸びるモルガナが鞭のようにしなりながら壁のように迫る。
どんなに力のある魔剣使いでも正面から受け止めることは難しい純粋な破壊の力。
「殺すのに威力は関係ない。必要なのは…」
カペーラがぶれる。
八重花は動こうともしない。
「速さよ。」
だが八重花に向かって振るわれたモルガナは八重花に当たるはずだった場所から輪切りにされていた。
八重花の眼前を短くなったモルガナが通過し、斬られた先は地面に墜落してのたうつと消えていった。
「くっ、ぐう。」
飛鳥は悔しげに顔をしかめる。
カペーラの一撃は残像すら見えなかった。
斬撃が上から振られたのか下からだったのかすら分からなかったのである。
物理的な一撃の威力に自信を持つ飛鳥には八重花のいう速さを認めるわけにはいかない。
「貫け、モルガナ!」
槍のように捩られたモルガナが10本バッと広がり空間的に八重花に襲い掛かる。
八重花はカペーラからジオードを受け取ると体をねじるように構え、
「アーデントレッド!」
自身を中心に赤い炎の螺旋を生み出した。
渦巻く炎は触れた先からモルガナを焼き滅ぼしていく。
螺旋の向こうで朱色の瞳をした八重花が笑う。
「1つ忠告してあげるわ。」
「何よ!」
「そこにいると、焼け死ぬわよ?」
「!?」
赤い螺旋の内側に青い炎が見えて飛鳥が顔を上げるとドルーズが蛇のように飛鳥に向かって来ていた。
「モルガナを使う時に足を止めているから狙いやすいのよ。」
青い炎が飛鳥を襲う。
後ろに跳んでかわすが八重花の意思を受けて動く青き炎蛇は地面で跳ねるように形を変えて飛鳥に迫る。
「モルガナ!」
飛鳥はモルガナを周囲に展開。
八重花のアーデントレッドと同じように触手を盾にしてドルーズを防いだ。
ピッタリと密閉したモルガナの殻は炎を防ぐ。
「飛鳥は、モルガナは最強なんだ。あんな奴に負けるはずがない。」
ガチガチと奥歯を噛みながら飛鳥は自己暗示をかけるように精神の安定を図る。
「飛鳥は…」
「聖なる光!」
その声が、モルガナの殻に入ったことで外界からの声を完全に遮断したはずの飛鳥の耳に届き、安らぎすら感じる完全な闇に目を焼くほどに強烈な光が射し込んだ。
「うわあああ!」
飛鳥が目を押さえながら地面を転がる。
「このまま焼いちゃう?」
「さすがにそれは…」
「下沢さんを連れ出さないと…」
近くで話し声と足音が聞こえていたがやがて静かになった。
目が治ってきた飛鳥が周囲を見ればすでにそこには誰もいない。
荒廃した広い場所に飛鳥はただ1人だった。
「飛鳥は…最強…なんだ。」
地面に横たわったまま飛鳥は涙を流した。
壱葉ジュエルから逃げ出した葵衣と悠莉は叶、真奈美、八重花を葵衣が手配した車に同席させて建川に向かっていた。
悠莉は病院に向かうのだがとりあえず服を手配しなければならず、壱葉ジュエルの次に近い建川のWVeに向かっている。
叶たちは裕子と久美を待たせているので戻るところだ。
「皆さん、私のためにわざわざありがとうございました。おかげさまで生き長らえました。」
車に乗った悠莉は改めて礼を述べた。
実際叶たちが来なければ、あと数分遅かったら間違いなくモルガナの下敷きになっていたのだから本当に命の恩人なのである。
「下沢さんが無事で何よりです。」
叶はホッとした笑みを浮かべて答えた。
「執事さんの慌てた姿を見られたから十分収穫だったね。」
「それはどうぞお忘れください。」
真奈美は助けを求めたときに葵衣の事をレアだと思っただけだったが葵衣にとっては恥ずべき姿だった。
「見返りを…と言いたいところだけど今の私たちは時坂飛鳥にも言った通りただの人よ。だからヴァルキリーに対して何ら要求をしないわ。」
八重花は足を組んで説明したがその内容は見返りを求めないという意外なものだった。
「本当によろしいのですか?今回は全面的にこちらの都合で助けていただいたのですから相応の謝礼をご用意致します。」
花鳳の家の使用人が用意する謝礼にムクリと好奇心が首をもたげてきた叶と真奈美だったが一番食い付きそうな八重花がやはりすげなく断るように首を横に振った。
「ヴァルキリーからの報酬は受け取らないわ。だってこれに味をしめられて報酬を渡せば協力してもらえると思われると由良みたいになし崩し的にヴァルキリーの扱いにされそうだもの。」
「…」
八重花の言葉を聞くまではまだ葵衣と悠莉はお礼以上には考えていなかった。
だが八重花は本人たちが気付く前からそれが一種の契約だと気付いていて予防線を張っていたのである。
さすがは疑似未来視・洞察眼の八重花である。
「この辺りでいいわ。」
「止めてください。」
気まずくなりかけた空気を八重花がいち早く切り替えた。
気が付けばもう建川の駅前の近くまで戻ってきていた。
「裕子ちゃんたちにメールしてみるね。」
「たぶんどこかの店に入ってるだろうからね。」
「ホテルとかね。」
八重花のボケに叶は
「一日中歩いてると疲れるもんね。」
正しいホテルの意味で理解した。
「…」
真奈美は八重花の意味するところを理解し、想像して赤くなった。
3人の会話する光景を悠莉は微笑ましげに見ていた。
「皆さんは"Innocent Vision"がなくなっても仲が良いんですね。」
「はい。自慢のお友達ですから。」
「親友ってやつだね。」
「心の友よ。」
3人は異口同音の返答をすると開けられたドアから出ていった。
悠莉は八重花に声をかけようか迷ったが葵衣や叶たちがいるので断念し、手を振って見送るだけだった。
パタンと後部座席のドアが閉められるとさっきまでの賑やかさは幻のように消えて静けさが返ってきた。
「…私たちがあれだけ苦労した時坂飛鳥さんをいとも簡単に退けておいて"ただの人"ですか?」
「やはり野放しにしておくのは危険…では無いようですが、あまりにも惜しい方々です。」
少なくとも叶がいる集団が悪ではなく善であることは今回助けにきてくれたことで証明された。
とはいえ裏がないかと言えば八重花がいるため信用しきれないという非常に複雑な集まりだ。
そしてそこに内包される力は恐らく本気になれば現在のヴァルキリー以上。
もはや出鱈目という言葉がぴったりであった。
「ですが今は八重花さんたちの事よりもヴァルキリーのことです。」
ピリリリリリ
逃がしたジュエルの安否や壱葉ジュエルクラブの今後の事を話そうとした矢先にかかってきた電話に出鼻を挫かれる。
悠莉は断りを入れて電話に出た。
『悠莉、聞いてよ。』
電話の相手は良子だった。
悠莉たちは沈んでいるのに良子はテンション高い。
「まだ訓練の時間のはずですけどどうしました?」
然り気無く棘を混ぜてみたが良子はまったく気付いていない。
『それがさ、オーの桐沢茜が攻めてきて福岡ジュエルから逃げ出したんだ。でもその戦いでなんと、紗香がグラマリーを使えるようになったんだよ。いやぁ、お姉様としては嬉しいと思わないかい?』
悠莉は目眩がした。
驚愕の新事実が怒濤の勢いで押し寄せてきたように感じた。
「待ってください。福岡ジュエルにオーの桐沢茜さんが襲撃してきて敗走ですか?」
『あはは、はい、そうです。』
内容は笑ってすませられるレベルでもギャグに走るレベルでもないがもう1つの案件が良子の機嫌をハイにしているらしい。
葵衣は壱葉に続き福岡もオーに襲撃されたという事実に緊張した気配を見せた。
「さらにその中で紗香さんがグラマリーを発現させたと。」
「!?」
『そうそう。クォーツだから音震波を使ってね。本格的にあたしと悠莉とチームを組めそうになっちゃったんだよね。』
良子は我が事のように喜んでいる。
悠莉ももちろん喜ばしいと思っているが今は驚きや困惑の方が大きかった。
ピリリリリリ
そして葵衣の携帯も鳴り出した。
葵衣と悠莉は顔を見合わせ、頷いてから電話に出る。
相手は東北に遠征中の由良だった。
「海原葵衣でございます。」
『海原妹。東北ジュエルの事なんだがよく分からないことになってる。』
「よくわからないと申されましても…」
訓練はインストラクターの久保田に一任してあるからわからなくても問題ない。
だから由良が言っているのは別のことだと葵衣はすぐに悟った。
『ジュエルを無くしたはずの盛岡ジュエルが魔剣を持って襲ってきた。しかもグラマリーまで使ってな。』
「それは…確かな情報ですか?」
『久保田が盛岡ジュエルのやつらを知ってたからな。』
「…了解いたしました。詳細はインストラクター久保田に書類で提出していただくようお伝えください。こちらも報告する案件がございますので月曜日に会議を致しましょう。」
葵衣が電話を切ると、ちょうど悠莉も携帯を耳から放したところだった。
視線を交し合う2人は苦笑しか出てこなかった。
「壱葉ジュエル及び福岡ジュエルへのオーの襲撃。さらに姉さんから連絡があり"Akashic Vision"が名古屋に現れたとのことでした。そして盛岡ジュエルが謎の復活を遂げたという事実。」
「一体何がどうなっているのでしょうね?」