第130話 未完の力
明け方に様々な遭遇があったことなど皆知らず、しかしこの日は浮き足立っているようだった。
通常の登校時間よりも1時間も早く集まったヴァルキリーの面々は葵衣とその奥にあるスクリーンに目を向けていた。
「連絡がとれました。お嬢様?」
『こちら撫子です。皆さん、おはようございます。』
仕事前だが忙しいらしく撫子は少し遅れて画面の向こう側の席についた。
社会人の仕事については無知な面々は特に文句を言わず挨拶を返しただけだった。
『昨晩お伝えしましたが我々ヴァルキリーは"Akashic Vision"を殲滅すべく作戦行動を遂行していくことにしました。オーに対する対処も同様に守りではなく攻めの姿勢で対応していこうと考えています。』
撫子の話を聞いても一晩考えてきたヴァルキリーのメンバーに動揺はない。
美保や良子は戦いを待ちわびるように不敵な笑みを浮かべているし、緑里や悠莉は迷いはあるものの紅茶を飲んでいるだけで不安げな様子はない。
「ちょっといいか?」
テーブルの端に座る由良が軽く手を挙げて全員の視線を集めた。
美保に至ってはすでに喧嘩腰だ。
「ちょっと。まさか"Akashic Vision"と戦うのは止めろとか言うんじゃないでしょうね?言うつもりなら叩きのめして言えない口にするわよ?」
「そんときは返り討ちだ。…まあ、そういうんじゃない。」
由良は手を振って適当に美保をあしらうと撫子に目を向けた。
「俺も陸たちをぶん殴るために参加してるようなもんだから戦うのは構わない。だがこれまで防戦志向だった戦法をいきなり真逆に変えた理由はなんだ?」
「羽佐間様。それはメールに記した通りジュエルの被害が…」
『葵衣、いいですよ。隠しておけばまた要らぬ犠牲者が出るかもしれません。今度はヴァルキリーから。』
葵衣の説明を撫子が止めた。
その穏やかじゃない内容に聞いていたメンバーも何事かと目を泳がせた。
「つまり防戦に徹していたことで要らぬ犠牲者とやらが出たのか。」
『はい。横浜ジュエルクラブのインストラクター神川が"Akashic Vision"の手にかかり…殺害されました。』
「ッ!…"Akashic Vision"の宣戦布告って訳ね。上等よ。」
美保はそれを宣戦布告と取って口角を釣り上げた。
「想像以上にキツい実戦になりそうだ。けど、燃えてきた。」
ソルシエールの復活や紗香の特訓にと考えていた良子は"Akashic Vision"の見せた覚悟に苦笑したが、戦士の性かすぐにやる気を充足させた。
「これで半場さんは私たちと同じ人殺し。後戻りが出来なくなりましたね。フフフ。」
悠莉はかつての八重花のように陸との接点を思い、笑う。
「ソーサリスとの戦いだ。撫子様と葵衣を守るために、ヴァルキリーの理想のために戦うよ。」
緑里は撫子に従いジュエルの力でヴァルキリーに勝利をもたらすために頑張ると決意した。
「ちっ。もう"Innocent Vision"の時とは違うってことか。」
由良は悔しそうに顔をしかめて拳を打ち付けた。
ヴァルキリーの全員が"Akashic Vision"は本気でヴァルキリーとジュエルと戦うつもりなのだと理解するには十分だったらしく集まった時以上に緊迫感がヴァルハラに満ちていた。
『分かっていただけたようですね。"Akashic Vision"が宣言した通り"非日常"の力を消し去るために命を奪うことも厭わないというのなら、我々ヴァルキリーは世界の恒久平和の実現という理想のために全力でこれを阻止し、排除しなければなりません。』
全員が頷く。
この場にいる者、魔剣を手にした者にとっては共通の認識と言っても過言ではない。
『魔女オリビアの率いるオーもまた"非日常"の存在ですが、魔女の支配する世界を許すつもりはありません。よってヴァルキリー、オー、"Akashic Vision"は互いに敵同士、三つ巴となります。』
「ちょっと待ってください。」
そこに美保が手を挙げた。
その顔は明確な敵対構造になったことを喜び、総攻撃のための作戦を提案、という嬉々としたものではなく怪訝な雰囲気を纏っていた。
「潰れたとはいえ元"Innocent Vision"のやつらは放っておいていいんですか?」
「…。」
由良を含め全員がすぐに返事を出来なかった。
セイントの叶、ジュエリストの真奈美、ソーサリスの八重花と一人一人が突出した能力を持つ強力な存在である。"Innocent Vision"が潰れたとはいえ元から親友だった3人は一緒にいる事が多く、ダイエットと言ってトレーニングをしていた。
もしも叶たちが動けば少なからずパワーバランスは崩れることになる。
『確かに彼女たちの能力を捨て置くのは危険ですね。羽佐間さん、あなたからヴァルキリーに協力していただくよう申し出ていただけませんか?』
撫子はこれを期に叶たちを取り込むことまで考えていた。
少なからずヴァルキリーのメンバーにざわめきが起こるがこれから戦おうとしている相手を考えると聖剣の存在やソーサリスの数は戦略的に大きな意味を持つ。
「八重花が登校してきた日に話してみたが…少なくともヴァルキリーに参加するように言って聞く様子は無かったな。っていうか俺は護衛であってヴァルキリーのメンバーじゃないからな?」
由良は八重花が復帰してきた理由が"Akashic Vision"に入ったからだという考えを捨てきれずにいる。
でなければ八重花があそこまで調子を取り戻して出てくるなど考えにくいからだ。
ヴァルキリーのメンバーには言えない話なので自分の立ち位置を再認識させて誤魔化した。
さすがにヴァルキリーとして八重花を問い詰めたり攻撃するのは気が引けた。
『そうですか。ですが折りを見て声をかけてみてください。護衛であれ、気心の知れた仲間が同じ職についていると羽佐間さんも嬉しいでしょう?』
撫子はそう言ってまったく諦める様子もなかった。
由良は肩を竦めて椅子に深く腰掛け直す。
『当面は"Akashic Vision"に狙われそうなジュエルクラブにヴァルキリーが待機し迎え撃つ体勢を取ります。』
「ですがそれですと私たちが分身でもしない限りジュエルクラブへの配備は間に合いませんし、学校も休むことになりますね?そろそろ期末試験も近づいてきたことですし出席を犠牲にするのは…」
数ヶ所からウッと呻くような声が聞こえた。
具体的な名前は本人の名誉の為に伏せておくが撫子は皆の反応を見ても表情を変えない。
『もちろん承知しています。ですので…』
「もしかしてテスト免除とか?」
良子の案に呻き声を上げた数名の顔が華やいだ。
『違いますよ。ジュエルクラブの活動を縮小し、さらに各地区の統括ジュエルクラブで土日のみ活動をします。これにより時間と場所を限定できます。』
「こちらに赴いていただく日程とジュエルの所在が記入してあります。ご都合の悪い日は予め申し付け下さい。」
葵衣が日程表を各人に配布する。
基本的には以前強化の名目で出張したジュエルに割り当てられていた。
「俺は空白だけどいいのか?」
由良の名前の欄はずっと空白だった。
「羽佐間様には関東圏内でのジュエルクラブの護衛をお願い致します。"Akashic Vision"はやはり壱葉周辺に潜伏していると考えられますので地方よりもこちらの方が襲撃される可能性が高いと予想されます。」
「他のやつらみたいな旅行は無しか。北海道とかがよかったんだがな。」
ギクッと反応を示したのが数人いた。
「な、何言っちゃってるのよ!うちらはか弱いジュエルを守るために遠路遙々向かって…」
「来るか分からない"Akashic Vision"を警戒しながらも豪遊するわけだ。」
「ぐっ…そうよ、ちょっとくらいいいじゃない!」
由良がもう一度突っ込むと美保はあっさりと自白して逆ギレした。
「別に駄目とは言ってない。」
「むきー!やっぱり羽佐間由良はあたしの敵だぁ!」
ギャアギャアと喚く美保を由良が適当に受け流し、悠莉はそんなやり取り…というか弄られる美保を見て微笑んでいる。
『敵は強大です。皆さん、気をつけて下さい。』
撫子の忠告が終わると画面がブラックアウトしてカーテンが閉められた。
「以上がヴァルキリーの今後の活動方針となりますので皆様何卒よろしくお願い致します。」
葵衣が頭を下げて席についた。
気が付けば予鈴まであと少しという時間にまで差し迫っていた。
「あ、いけない!ボク今日は日直だった!」
緑里が慌てて駆け出していったのを合図にヴァルキリーの面々も次々にヴァルハラを出ていった。
最後に何故か葵衣と由良が残り
「…ジュエル合流の際に関東各地の名産を持参するよう伝えておきますのでそれにてご容赦ください。」
「…悪いな。」
旅に未練があった由良を葵衣がフォローして完全に解散となった。
一応各ジュエルクラブインストラクターから各ジュエルに連絡が行くように手配してあるとはいえ、葵衣は1時限目の終わった昼休みに良子のクラスを訪ねた。
「良子、執事さんが呼んでるよ?」
「ひつじさん?そんな知り合いいたかな?」
ベタな間違いの会話をした良子が教室から出てきて
「あれ?葵衣って名字ひつじだったっけ?」
正しい現実をあっさりと書き換えていた。
「海原です。」
葵衣は微笑むでもなく淡々と答えたがその様が逆に怒っているようにも見える。
「あー、あー、海原葵衣だよね。それで、何か伝え忘れかい?」
「綿貫紗香様の件です。彼女は現在所属が等々力良子付パシリとなっておりますので件の内容を良子様よりご説明ください。」
紗香は今も壱葉ジュエルで鍛練を続けているがその所属は壱葉ジュエルではなくヴァルキリー直属部隊員見習いとなっていた。
「そういうことか。わかったよ。それで紗香は壱葉ジュエルに置けばいいのかな?」
「その件ですが良子様が望み、綿貫紗香様も了承するならば遠征に同行させても構わないとお嬢様から言付かっております。良子様の育成方針にお任せすると仰られておりましたのでご自由にお決めください。」
「了解了解。それなら紗香に後で聞いてみるよ。」
「よろしくお願い致します。それでは失礼致しました。」
葵衣は恭しく礼をすると教室に帰っていった。
聞き耳を立てていたジュエルが数人ものすごい顔をしていたが良子は気付かなかった。
そして昼休み、良子が紗香を探しているとこの寒い時期に校舎裏の方から出てきた。
「こんにちは、良子お姉様。」
「ああ、ここにいた。探したよ。こんな所で何をしてたんだ?」
「食前のお散歩ですよ。」
紗香は然り気無く手を後ろに回して微笑んだ。
「ふーん、そうか。」
「それでお姉様はわたしに何か用事だったんじゃありませんか?」
良子が校舎裏に視線を向けるとその視線の先に移動して紗香が尋ねた。
探し回るのに少し時間を食ったから急がないと昼食を摂り損なう。
良子にとっては死活問題なので疑問は放り出してさっさと本題に行くことにした。
「連絡が来てるかもしれないけどジュエルの活動が変わって土日になった。それであたしらは各地に遠征するんだけど紗香が行く気があるならあたしと一緒に九州に行ってもいいって言われたんだ。紗香はどうしたい?壱葉にいた方が"Akashic Vision"と遭遇する可能性は高いらしいけど向こうに行けば普段とは違うメンバーとの訓練が出来るよ。」
「うーん、そうですね。」
紗香は悩んだ。
今朝方見掛けた明夜の圧倒的な強さに惹かれるものはあるので壱葉に残っていた方がもう一度見られる可能性はあるが、今の紗香では捉えられないことをキチンと自覚している。
それならばむしろ違う環境で鍛練し少しでも差を縮めた方が身になると結論付けた。
「わたしを遠征に連れていってください。お願いします。」
「わかった。それなら土日は福岡だ。みっちり鍛えてついでに観光しよう。"Akashic Vision"の襲撃がなかったらね。」
「もう、お姉様。ジュエルクラブを"Akashic Vision"から守るために行くんですよ?」
同伴の紗香にたしなめられてあははと笑った良子は去っていった。
にこにこと見送った紗香は踵を返して校舎裏に足を踏み出す。
そこには血塗れになったジュエルの生徒がいた。
紗香は血にまみれた手を見てクッと笑う。
「この程度のジュエルなんて意味はないですよ。わたしにはもっと力が必要なんです。だから、邪魔しないで下さいよ、先輩方?」
紗香は傷だらけになった3年のジュエルを放置して校舎裏を後にした。




