第13話 敵ではありません
ヴァルキリーの美保と悠莉が完全に戦場から離脱したのを確認してから"Innocent Vision"の乙女たちは大きく脱力した。
「えーん、怖かったよー!」
「あー、よしよし。よく頑張ったよ。」
緊張の糸が切れた叶は真奈美に泣きつく。
「やっぱり奴ら、ジュエルを持ち出してきやがったか。」
由良はバイクを止めると髪をわしわしとくしゃくしゃにして嫌そうな顔をした。
予想していたことではあったが実際に向こうにだけ力を持っているのを見ると危機感を覚えずにはいられない。
「八重花、平気?」
明夜が八重花を支えるようにしながら皆の所に近づいてきた。
奇襲のためとはいえ速度を出したバイクから降りてただですむわけがなくあちこち擦りむいていたり打っていた。
「この位、なんてこと無いわ。」
顔をしかめながら強がる八重花は今回の作戦の立案者だ。
ヴァルキリーがジュエルや新たな力を手に入れているかどうかを探り、力を持っていた場合はその力に対して叶のオリビンがどこまで対抗できるかを観察することが目的だった。
叶が窮地に陥った時のために由良の知り合いからバイクを借りて待機して戦況を観察していた。
「結果的に追い払えたから良いものの八重花は無茶しすぎだよ。」
真奈美がたしなめるが八重花は不敵な笑みを浮かべるだけだ。
「この手の無謀な作戦は立案者が率先して動かないと上手くいかないのよ。」
「それにしても実際にやりあってみると改めてソーサリスは"化け物"だな。」
「ジュエル相手にここまで手こずるのは正直予想外ね。まあ、ソーサリスだからこそジュエルを使いこなせているとも考えられるけど。」
水風船やスタンガン、バイクと様々なものを持ち出してきて5人がかりでようやく2人を撤退に追い込めたが八重花の怪我を含め払った代償の割に得られるものは少なかった。
「叶のオリビンの守りは強力。」
「それは収穫だが攻撃力は低いし大人数を相手にするとなると厳しくなるぞ。」
ようやく泣き止んだ叶が鼻をスンスンさせながらオリビンを持つ。
「八重花ちゃん、傷の手当てをするね。」
「そう言えば叶の力があれば医者要らずなのよね。今後も無茶できそうね。」
反省する様子の無い八重花の前に立った叶は静かにオリビンを逆手に持って振り上げる。
すでに効果は知っているとはいえ短剣を目の前で振り上げられるのはなかなか怖いものがあった。
「元気になーれー!」
ザクッと音が聞こえそうな勢いで振り下ろされたオリビンだったが、実際は八重花の体には傷一つついておらず、むしろついていた傷が塞がっていく。
「ふう。生き返るわ。叶の戦闘能力の低さも問題だけど真奈美のスピネルも本調子じゃないものね。」
刃を突き立てられながら普通に話を進めようとする八重花に苦笑しつつ真奈美がスピネルを叩く。
「そうだね。さっきだってバイクの加速を借りなきゃスピードも威力も上がらないからね。いったい何でこうなったのか知りたいよ。」
普段落ち着いている真奈美が珍しく焦りを見せた。
今回の戦いで力の低下をまざまざと見せ付けられたからだ。
「はい。これで大丈夫だと思うよ。」
オリビンを引き抜いた叶の顔に笑顔が浮かぶ。
八重花が拳を開いたり握ったり体の様子を確かめる。
「…折れてるんじゃないかと思っていたのにそれまで治ってるわ。大した速効性ね。何かの作戦に使えるかもしれない。」
八重花のむちゃくちゃな論理だったが今回のことで今後も無茶が必要になりそうだったため誰も笑えなかった。
嫌な沈黙が降りる。
「前途多難。」
「「はぁ。」」
新生"Innocent Vision"の初陣は辛勝となった。
一方敗走した美保と悠莉はジュエルを消して町を歩いていた。
美少女2人など普通なら男たちが注目して声をかけてくるものだが今日はより多くの視線を集めながらも誰も近づこうとしなかった。
1つは頭から見事に濡れ鼠になっていること。
水も滴るいい女ではないが本当に袖やスカートの端から水が滴っていてはよほどの勇者でなければ声をかけないし近づきもしない。
だがそれ以上の理由として
「あー、ムカつく!」
美保は頭から湯気を出しかねないほどに怒りを撒き散らしていた。
こんな状態ではたとえ水に濡れていなくたって誰も寄ってこない。
そんな晒し者の気分を味わいながらも町を歩いているのにはわけがあった。
「クリーニングに出すか、もしくは新しく制服を買わなければいけませんね?」
私服ならまだ良かったが制服で、しかもバイクが砂埃を巻き上げる中で水風船をぶつけられたので服についたのは泥水のようなものだった。
さすがに乙女会の人員がやんちゃな小学生みたいな泥だらけの格好でいるわけにはいかない。
よってすぐに終わるならクリーニングに出し、それが無理なら明日も学校なので制服を調達しなければならなかった。
「あー、予定外の出費!春は買いたいものが多いって言うのに!」
そういうわけで美保の怒りが収まる気配はない。
悠莉でも持て余す現状に笑顔のまま困っていると携帯が鳴った。
防水携帯なので壊れていないようだった。
登録名は海原葵衣。
「はい、下沢です。」
『お疲れさまです。そちらの状況は分かっております。すでに迎えの車をご用意致しましたのでそちらをご利用ください。代えの制服もご用意してありますのでご心配なさらず。』
花鳳撫子には息のかかった特殊チームがありヴァルキリーの活動を監視しているという。
今回はそこから報告が上がったのだろう。
「ありがとうございます。」
悠莉は礼を述べて電話を切った。
常にどこからか監視されていると思うとゾッとするが少なくともこれまでに監視の視線を感じたことはないのでプロなのだろう。
以前撫子も言っていた。
「彼らは空気です。監視という仕事を与えていますがそこに意思はなく、たとえ皆さんが命を落とすことになってもただその事実を報告するだけの存在なのです。」
つまり助けに入ってくることはないが邪魔もしないということだった。
だから悠莉は気にしないことにした。
「美保さん、迎えが来るそうですから落ち着いてください。」
監視されていることを言うと美保の機嫌がさらに悪くなるのは目に見えているのでそのことには触れず、悠莉は濡れた髪を弄りながら車の到着を待つのであった。
売りに出されているとはいえ私有地への不法侵入、ヘルメットを被らず2人乗り、騒音。
数々の悪行を重ねた"Innocent Vision"は傷の手当てを終えると戦場から早々に離れた。
「お役に立てやしたか、姐さん!」
「誰が姐さんだ!」
バイクは妙に腰の低そうな不良が回収に来たため"Innocent Vision"内で由良への恐怖度が増加した。
それに気付いた由良はフンとそっぽを向く。
「あいつら弱いくせに悪ぶってるから他の不良に目をつけられてのされそうになってたんだ。それをたまたま助けてやったらなつかれただけだ。」
近づく者すべてを壊したいほどに復讐に燃えていた頃の由良は憂さ晴らしに壱葉や建川近隣の不良グループに手当たり次第喧嘩を吹っ掛けていた。
なので最近でもまたに不良に因縁をつけられることがある。
ソーサリスの力を失った由良だが持ち前の威圧感抜群の睨みと喧嘩と戦いで鍛え上げたバトルセンスのため無敗のままだった。
「俺が弱くなったって噂が出回ってるらしい。」
「それは仕方ないんじゃないかしら?無法者の不良だった人間が留年したにも関わらず4月から真面目に登校して遅刻欠席も許容範囲。腑抜けだと思われるのも無理ないわ。」
八重花の言った内容は学生としては良いことだというのに捉え方の違いで悪評に聞こえる。
由良は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「煩わしくなくなるなら腑抜けで構わないんだがな。」
「由良先輩も随分丸くなりましたね。」
「鬼の撹乱。」
真奈美で1つ、明夜でもう1つ青筋が浮かび上がった。
「ま、まあ、お姉さん。2人とも褒めてくれてるんですよ。ね?」
叶が慌てて止めに入り2人に同意を求める。
真奈美は大きく頷いた。
「そうですよ。」
「…………うん。」
明夜は微動だにしなかったが叶のうるうるした視線に負けて頷いた。
由良は怒りの矛先を逸らされてしまい、八つ当たり気味に叶の頭をポンポン叩く。
「もう怒ってないから離れろ。」
「本当ですか?」
「うっ。…本当だ。」
叶のうるうるアイは由良にも有効で怒りがどっかに行ってしまった。
「不戦の勝者ね。」
八重花は叶を見ながらそう呟いて笑った。
夜に差し掛かろうかという時刻、ヴァルハラの明かりはいまだに灯っており、席には現在の総数に当たる5人のソーサリスがテーブルを囲んでいた。
美保と悠莉は水気も柔らかなタオルで拭き取り、制服もサイズがぴったりなものをあてがわれたのだが
「シャワー浴びたかった。」
「そうですね。髪が傷んでしまいます。」
さすがのヴァルハラにも風呂はついていないので美保は分かりやすく、悠莉は分かりにくいながらも不機嫌な様子だった。
2人の視線が一応最高権力者である良子に向けられた。
「あ、あたしじゃないよ?」
「お2人をお呼びしましたのは私です。申し訳ございません。」
葵衣に先に頭を下げられてしまい2人は引き下がる。
「要件は、"Innocent Vision"についてですね?」
「はい。ソルシエールと組織の当主を失った"Innocent Vision"の現行戦力とヴァルキリーの敵になりうるかについてお聞きしたく思います。」
葵衣は律儀にメモを取るための紙とペンを取り出した。
美保は先刻の戦いを思い出すと苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
「作倉叶のセイントの力は面倒よ。シンボルの能力が高くてジュエルが触れられないんじゃ攻撃のしようもないわよ。芦屋真奈美のスピネルも悠莉のコランダム3枚を貫いたしソルシエールを無くした奴等もインヴィみたいな戦いをしてくるからうざったいのよ。あいつらは敵よ。こそこそ動いてるのもどうせうちらからジュエルを奪おうとしてるからに決まってる。さっさと殺すべきよ。」
美保は白熱した様子で机をバンと叩いた。
紅茶の波面が揺れるがギリギリで溢れなかった。
葵衣は手を動かさず美保の話を聞いていた。
「なるほど。悠莉様も同意見でしょうか?」
葵衣の目に明らかな真剣味が帯びる。
美保の時は止まっていたペンが悠莉の動きに反応してピクリと動く。
「いいえ。」
「詳細をお願い致します。」
「はい。まず作倉叶さんですが、確かにオリビンはジュエルに対して非常に強力な力です。しかしそれを扱う彼女はまるで戦闘向きではありません。複数人で攻めればすぐに倒せるでしょう。」
美保の意見を取り入れつつも真っ向否定する悠莉に美保はムッとする。
「芦屋真奈美さんに関しても以前のような力は出せないようですね。本調子の彼女でしたらコランダムどころか私まで貫けたはずです。それをバイクの加速を利用してあの程度、原因は分かりませんが弱体化をしているのは明らかです。」
ヴァルキリー最大の懸念と言えたスピネルの弱体化という朗報に良子や緑里も笑みを浮かべる。
「他のソーサリスは気にする必要もありません。奇策に動揺してしまいましたが裏を返せば正攻法では私たちに対抗できないということです。」
「現在の"Innocent Vision"の戦力については了解致しました。」
悠莉の言葉を応用に速記で記入していた葵衣は最後の一文字を書いてペンを止めた。
見たままに悠莉の意見を優遇している葵衣を見て美保はますます機嫌を悪くするが客観的な意見で考えると反論できなかったのでふて腐れたように黙っているだけだった。
「それでは、"Innocent Vision"がヴァルキリーの敵になりうるかについてはいかがですか?」
「それはつまり…敵でなければヴァルキリーに"Innocent Vision"を取り込むと言うことですか?」
悠莉の荒唐無稽な先読みに良子たちはギョッとしたが葵衣は動かない。
「…その可能性を考慮するだけです。」
悠莉は葵衣の返事を聞いて即答を避けた。
悠莉の中で"Innocent Vision"の評価は決定している。
ただそれを告げることで変わるかもしれない状況を考えてみた。
しかしどんな道筋を思い浮かべても今の"Innocent Vision"にヴァルキリーに対抗する力はないと思い至った。
悠莉は全員の顔を見回し、
「今の"Innocent Vision"はヴァルキリーの敵ではありません。」
微笑みを浮かべてはっきりと告げた。