第129話 未明の出会い
ヴァルキリーが"Akashic Vision"への敵対行動を始めると決めた翌朝未明、明夜は1人コンビニおでんを抱き抱えながら歩いていた。
24時間営業のコンビニは欠食児童みたいにお腹を空かせている明夜の生命線とも言える店だ。
もちろん後生大事に持って帰るわけもなく抱き抱えながらも順当に中身は減っていく。
根城に戻る頃には汁一滴残ってはいないだろう。
ビュン
吐く息も白い早朝と呼ぶには早い時間に風切り音が微かに聞こえてきた。
そしてその音に乗って魔力も感じた。
「…ジュエルがいる。」
明夜はおでんを食べながらのんびりとした足取りで発信源に向かった。
そこは公園だった。
かつて陸と真奈美が決闘した公園では
「やあっ!」
ビュン
紗香が左目にタオルを巻いてジュエルである槍を振るっていた。
タオルは万が一人に見られても左目が赤く光っているのがばれないようにするためだろう。
そうすれば暗いこともあってただの武術の訓練だろうと気にされなくなる可能性が高い。
…などと明夜が考えているわけでもなく、ただその訓練風景を見つめていた。
シュッ
斬撃の次は突き。
身体強化もあって穂先が分裂して見えるほどに速い。
「え、人!?」
紗香が明夜が見ているのに気が付いて慌てて槍を背中に隠した。
「ええと、違うんですよ?わたしはただの武道家少女でしてこっそり自己鍛練を…」
「うん。」
明夜は大根を食べながら紗香に近づく。
外灯の明かりに照らされて明夜の顔が明らかになると紗香の顔が驚愕に染まった。
「あ、"Akashic Vision"!ここで会ったが百年目、覚悟!」
紗香は大慌てでジュエルを構えて明夜を睨み付けた。
だが明夜はもぐもぐとちくわを食べている。
さあと紗香が穂先を揺らして牽制してももぐもぐ。
もぐもぐ。
「…もしかして、わたしを殺しに来たわけじゃないんですか?」
「うん。」
恐る恐る、若干呆れを含んだ問いに明夜はこんにゃくをもぐもぐ食べながら頷いた。
だが紗香は警戒を解いたりはしない。
「だけどここであなたを倒せばヴァルキリーは有利になります。お命頂戴!」
「やだ。あげられない。」
頭に向かって突き出された槍を明夜はヒョイヒョイとかわす。
結構激しい動きをしているのに容器に入ったおでんの出汁は全く零れない。
無駄に高すぎるテクニックに紗香はバカにされているように感じた。
「くっ、この!」
「命はあげられないから、がんもどきをあげる。」
避けながら箸で器用にがんもどきを摘まんだ明夜が紗香に向かって放り投げる。
だが紗香は全力で突きを放っていてとてもじゃないが避けることも…ましてや食べることなんてできるわけがなかった。
飛んできたがんもどきが紗香の鼻の頭に当たり
「あっつい!」
熱さのあまり思わずジュエルを放り出した。
明夜は紗香の鼻に当たって落ちるがんもどきを箸でキャッチした。
「勿体無いから食べる。」
もぐもぐ。
やっていることはただの食いしん坊だがその動きは明らかに常軌を逸していた。
紗香には明夜の残像が見えた気がした。
最後には容器を傾けて出汁もすべて飲み干した明夜はほとんど変わらない表情をわずかに満足げにしてお腹を撫でた。
「くぅ。力の差以上に何か悔しいです。」
紗香が槍を拾い上げながら項垂れた。
明夜がどれくらい真面目に相手をしたのかは分からないが紗香にとっては遊ばれたと感じていた。
事実、がんもどきは攻撃ではなく身代わりの駄賃として放られたのだから。
下げていた頭の上から朱色の光が見えて紗香が顔を上げると明夜が朱色の左目で両手にソルシエールを構えていた。
「や、やっとやる気になりましたか?」
腰こそ抜かさなかったものの槍を構えた紗香の足は震えていた。
あの回避で見せた身のこなしを戦闘で発揮されれば視認することもできず胴体が分断される可能性も十分にあり得る。
明夜は感情を映さない表情で紗香の前に立っている。
だが明夜は紗香を見ていなかった。
「お客さん。」
「え?」
驚く紗香の顔の横にオニキスが突き出されて小さく悲鳴を上げたが攻撃の意思がないことに気付いて振り返った。
「オーッ!」
そこには闇から這い出してきたようにいつからいたのかオーが数体近づいてきていた。
「オー!?」
「オー。」
紗香の驚きの声に律儀に手を挙げて答えるオー。
「オー。」
明夜も手を挙げて挨拶した。
「え、え?もしかしてオーと会話できるんですか?」
紗香は頭がこんがらがりそうだった。
明夜がオーと会話ができるのなら"Akashic Vision"とオーが繋がっているとすら考えられる。
「? オーってしか聞こえない。」
「オーッ!」
たまたまか、あるいは両者のお茶目が重なっただけだった。
何はともあれ紗香にとっては前門の虎、後門の狼の状況だった。
「こうなったらせめて一太刀浴びせて散ってやりますよ!」
「頑張って。」
明夜は紗香の横を通り過ぎるとオーに近づいていく。
「え?えーと、…」
「私は魔を斬り払う剣。ジュエルはまだ"人"から外れたわけじゃない。なら私が戦うのはオー。」
静かながらも決意の隠った声で告げる明夜の闘志に当てられてオーが吠えた。
シュン
明夜の立っていた地面にわずかに土煙が起こり、そこには明夜の姿がなかった。
「オオッー…」
明夜を瞳に捉えるより早くオーが断末魔の叫びを上げた。
胴体に入った斜めの線がずれて傷口から崩れていく。
オーが完全に消えるとその向こう側に明夜が静かに立っていた。
息一つ乱していない。
その姿は無表情も相まって死神のように見えた。
「アフロディーテ。」
死神が、増える。
「オーッ!!」
オーが存在を示すように雄叫びを上げて明夜に襲い掛かる。
血飛沫のような黒いものが散り、消えていく。
それは2人で1つのダンスのよう。
圧倒的な強さと速さを兼ね備えた剣の舞。
紗香はその光景をただジュエルを握り締め
「すごい…これが、本当のソルシエール。」
喜びの笑みを顔に張り付けていた。
紗香が求める良子や悠莉を支援するための射撃型とは異なるが明夜の強さは近接戦闘における理想と言えた。
圧倒的な速さがあればどんなに相手が力が強くても無意味であり、切れ味の良い刃があればそこに無駄な膂力は必要ない。
速さを主とした戦闘形態。
「わたしが目指すのは、あの速さを捕らえるほどの射手。」
だから紗香は食い入るように明夜の戦いを見つめる。
いつか自分がその速さに届く時をひたすらに望みながら。
琴は早朝に"太宮様"の予言を賜るために起こされてしまったため水凝りをしていた。
住宅街にある太宮神社周辺には滝などあるわけもなく禊は庭の井戸の水を使う。
ザパーッとかかる水は体感的には0度ではないかと思うほどに冷たいが
「…」
琴は悲鳴を上げることもなく涼しい顔をしている。
実際は慣れてるだけで冷たいものは冷たいのだが傍目には動揺した様子もない。
だが琴の心はむしろ動揺で満ちていた。
(遠くない未来、"災厄"が再び訪れる。以前よりも規模を拡大し世界を飲み込む魔の手がせまらん。闇深く、光は飲み込まれる。)
"災厄"、それはファブレが引き起こした赤い一日。
人々の記憶から消え去った悪夢の日である。
「それが規模を拡大し、壱葉のみならず世界を覆い尽くすというのですか。」
もしも赤い世界そのものがオーを生み出すための巨大な術式だとすれば、その規模が世界にまで広がれば全世界の各地にオーが出現し今度こそ世界規模の大混乱が引き起こされる。
特に現在の壱葉を中心とした日本とは違い、世界にはジュエルは浸透していないためオーが出てきたときに対処できない。
可能性としては人類がオーによって滅ぼされる、オーへの恐怖のあまりどこかの核保有国が核兵器のスイッチを押すなどの最悪のケースも考えられる。
「"災厄"を引き起こす存在はやはり魔女だと…いいのですが。」
一月前までなら疑う余地なくオーを操る黒幕が世界を破滅に導くと考えただろうが今はもう一つの可能性が提示されてしまった。
「もはやその力は魔王の如し。陸さんの"Akashic Vision"が"災厄"を呼び込むかもしれません。」
琴もまたAkashic Visionの運命改変の影響を受けなかった1人である。
能力の性質を考えると非常に小さい力しか示していないがそれでも人の認識の書き換えは十分に魔剣の担い手たちの常識からも大きく逸脱した力と言えた。
「魔女に魔王。これでは以前よりも"災厄"が広がるのも無理ありませんね。」
琴は禊を終えて家に戻り、巫女装束への着替えを済ませて外に出た。
まだ早い時間だが掃き掃除を始めるつもりだった。
箒を手に境内に向かうと
パン、パンッ
まだ日も出ていない時間だと言うのに参拝者がいるらしく柏手を打つ音が静かな境内に木霊した。
熱心な参拝者を拝むべく琴は箒を手にしたまま本殿に向かった。
参拝者はまだお祈りをしているようで柱の陰にいて見えない。
だが服装は夜の闇に溶けているように黒だった。
それに気付いたとき、琴は自分でも理由が分からず背筋が震えるのを感じた。
足が近づくなと言わんばかりに重くなり、呼吸も苦しくなった。
玉砂利を踏んでジャラと足音が鳴った。
一礼をした男が振り返る。
「…ちっ。」
「口で言ってますけど、さすがに舌打ちは酷いですね?」
琴の本気のような冗談を苦笑をもって受け流せる男、そもそも琴がそのような態度を取る男は1人しかいない。
「酷いという言葉はのしを付けてお返ししてもいいですよね、陸さん?」
"Akashic Vision"リーダー、半場陸は以前と同じ苦笑を浮かべて頭を下げた。
琴は警戒に警戒を重ねてフェルメールまで使おうかと悩んだが
「粗茶ですが。」
「ありがとうございます。外はさすがに寒いですからね。」
結局、良心の呵責に苛まれて陸を社務所に招待した。
陸はお茶を飲んでホッと息を吐いている。
少なくともその姿は様々な組織が警戒する"Akashic Vision"のリーダーには見えない。
「こんな朝からお仕事なんて巫女さんも大変ですね。」
「いつもはもう少し遅い時間ですよ。今日は目が覚めてしまいましたので。」
そこまで言ってから琴はこの目覚めすらも陸の力なのではないかと疑った。
そうでなければこのタイミングで陸が訪ねてくるのはおかしいと思えた。
「わざわざこのような時間に訪ねてこられたのは何か目的がおありなのでしょう?」
気付けば琴は言葉に警戒を乗せて率直に尋ねていた。
陸は苦笑を漏らしてお茶を啜る。
「目的は確かにありますね。」
「未来視のご依頼ならお断りさせていただきますよ。尤も、陸さんがそれを必要とされるとは思いませんが。」
何しろ"太宮様"よりも使い勝手の良い未来視Innocent Visionがあるのだから他の組織のように未来視を得るための交渉をする必要はない。
「他の組織に未来視の力を与えないために琴さんを勧誘しに来た、という可能性もありますよ?」
「つまりそれ以外の理由で参られたのでしょう?」
微笑みを浮かべたまま2人は腹の探り合いを繰り広げる。
だが琴は陸の底が全く見えず表面上は繕いつつも動揺していた。
陸が湯飲みを卓の上に置く音がカツンと響き沈黙が場を満たした。
「あまり琴さんの気を揉ませても悪いですから本題に移らせてもらいますよ。」
「…本当に、暫く見ないうちに随分と言うようになりましたね。」
わかっていて焦らしていた陸に琴は拗ねたような顔を向ける。
陸はその感情をも微笑みで受け止めて頷いた。
「以前ヴァルキリーに殺されかけた琴さんですが元気そうでよかった。」
「…そうでしたね。わたくしを救ったデーモンが海さんなのですから、あれは"Akashic Vision"に救われたということですか。」
つまりは半年以上も前から"Akashic Vision"は活動を開始していたことになる。
そしてそれは大きな矛盾を生む。
(深い眠りについていたはずの陸さんがどのように海さんたちに指示を出していたのでしょう?)
視線を向けて見るが陸はその疑問を理解していながら答えようとはしなかった。
「もう一つの用件は叶さんたちに僕たちに関わらないよう琴さんからも忠告してほしいんです。」
代わりに出てきたのは叶たちを遠ざけようとするものだった。
「叶さんも随分と嫌われましたね。ご本人ばかりでなく外堀からも近づかないように忠告されるとは。」
琴はお茶を飲みながら横目で陸の様子を観察する。
すまなそうにはしているが撤回する様子はない。
「…その心をそのまま叶さんに伝えては如何です?」
陸の本心が見え隠れする言葉に琴は進言するが陸は首を横に振った。
「できませんよ。何を言うかは琴さんにお任せします。」
陸は困ったように笑うと立ち上がって出て行った。
そのまま太宮神社から陸の気配が消えるまで座ったまま見送った琴は目を伏せる。
「本当に、困った方ですね。」