第128話 戦乙女たちの決起
「横浜の神川さんが…殺された!?」
撫子は帰りの車の中で驚きのあまり声に出して叫んだ。
運転手は黒服なので動揺して運転ミスをすることはないがサングラスの奥の瞳はやはり戸惑いを隠しきれていない。
『お嬢様はお仕事中と存じていましたのでご連絡が遅れて申し訳ございません。』
「それは構わないわ。むしろ仕事中に聞いたとしても動揺を隠せなかったはずよ。」
神川は第一次ジュエル計画からいたジュエルであった。
あまり交流はなかったものの横浜ジュエルのインストラクターになってから躍進を遂げた話は撫子の耳にも届いていた。
「犯人は"Akashic Vision"で間違いないのね?」
撫子は否定の言葉がわずかな可能性だと知りつつ尋ねた。
『はい。横浜ジュエルクラブのジュエルたちが神川インストラクター殺害の瞬間を目撃しています。それが元で精神に障害をきたした者もいるようで現在被害の情報を確認中です。』
「…そう。詳しい話は帰ってから聞くわ。」
『お気をつけてお帰りください。』
電話を切ると撫子は携帯を握った手を力なく座席に落とした。
携帯が転がったが今は拾う気力もなく座席に深く身を預けた。
「とうとう、"Akashic Vision"からの被害者が出てしまいましたか。」
撫子は瞳を閉じる。
浮かぶのは文化祭の日、"Akashic Vision"として現れた陸が"人"を捨てて"化け物"になると宣言したときの顔。
それは"人"として築いた"Innocent Vision"やヴァルキリーとの絆を全て捨て去って"化け物"として理想に全てを捧げると語っていた。
それでも撫子はそれが以前の"Innocent Vision"で見られた戦略上のハッタリであり、命のやり取りを避けるのではないかと期待していた。
実際にこれまで"Akashic Vision"はジュエルを殺してはいなかった。
「…わたくしの認識の甘さが神川さんを殺したようなものですね。」
陸の甘さ…優しさを期待して"Akashic Vision"への対応を後手に回していた結果、ヴァルキリーは横浜のジュエルクラブと得難いインストラクターを失った。
「あるいは、半場さんはわたくしの考えすら見抜いたからこそ手を下したのでしょうか?」
"Akashic Vision"は共闘の余地はなく戦うしかないと分からせるために。
撫子はグッと腹に力を入れて身を起こす。
「わかりました。"Akashic Vision"が魔の力を使いわたくしたちを否定するならば、ヴァルキリーは魔の力を用いてあなた方の理想を否定するために戦いましょう。もう、戦うことを躊躇いはしません。」
もう先程憔悴していた撫子の姿はない。
あるのはヴァルキリーの長としての理想を追い求める者の姿。
そして"Akashic Vision"を敵と定めた戦士の姿だった。
この日、葵衣からヴァルキリーのメンバー及び由良に緊急連絡が送られた。
『ヴァルキリーは"Akashic Vision"のジュエルクラブ襲撃に対する損害の大きさから最優先殲滅対象と認定。明日より"Akashic Vision"に対抗すべく作戦行動を開始するため各員心されたし。』
「キタキタキター!」
美保は風呂上がりに脱衣場で鳴り出した携帯を見て喜びの叫びを上げた。
今まで煮えきらなかったヴァルキリーが遂に"Akashic Vision"を本当の敵として、殺すべき対象として認識した。
これで心おきなく敵対することができるのだから嬉しくないわけがない。
「美保ー、どうしたの?遂に体重が大台に乗った?」
声が大きかったため脱衣場の向こう側を通過しようとした姉の真由が声をかけてきた。
「体重増えて喜ぶ乙女がいるか!」
「乙女は博打打ちみたいにキタキタキターなんて叫ばないよ。」
言うだけ言って真由は階段を上っていってしまったらしくトントンと足音が遠ざかっていった。
叫びに関しては姉の言う通りなので美保は黙ったが、すぐに不敵な含み笑いに変わっていった。
「インヴィ、今度こそ、今度こそあんたを殺してあげるわ。」
鏡に映る壮絶な笑みを美保の左目は煌々と朱色の輝きを放っていた。
「ヴァルキリーが"Akashic Vision"を敵と認定ですか。」
悠莉もちょうど風呂に入っているときに連絡を受けた。
悠莉は長風呂派で風呂の蓋の上で本を読んでいたところに持ち込んだ携帯が鳴り出したのである。
「半場さんや蘭様と敵対するのはあまり気が進みませんが、"Innocent Vision"を相手にしていたときよりは心躍りますね。」
悠莉はふふふと怪しげに微笑む。
それは強者に挑む勇者の笑みではなく、蹂躙し、あるいは蹂躙される命と精神のやり取りを期待する狂った嗤いである。
「相手が現実を改竄する最強の魔眼とはいえ、弱点が存在しないはずはないですね。」
以前ジュエルの間引きと称して美保と良子と緑里がジュエルで戦いじゃんけんのようになったと言っていた。
それと同じようにどんな力にも得手不得手が存在するはずなのだ。
悠莉はチャプンと肩まで湯に浸かって天井を見上げる。
清潔に保たれた白い天井をスクリーンに投影される記憶は文化祭で見たAkashic Visionの力。
「…いえ、あれはAkashic Visionではないですね。あれは、蘭様のイマジンショータイム。」
文化祭の後に聞かされた話に撫子は悠莉よりも先に陸の病室で会っていてその時に現実と認識させられる幻覚を見せられたとあった。
そして悠莉も時間停止にも等しい幻覚を体感している。
「あれはAkashic Visionの力ではなくオブシディアンの作り出した幻覚でした。そうなるとやはりAkashic Visionの効果はその前に見た認識の書き換えということでしょうか?」
"Akashic Vision"に攻撃を仕掛けていたはずのヴァルキリーとオーの軍勢がいつの間にか互いに戦っていたことになっていた現象は理解できた悠莉だからこそ違和感を抱いた。
「…本に集中できなくなってしまいましたね。ふふ。」
悠莉はゆっくりと立ち上がって浴室を後にした。
本よりも面白い物を見つけた少女の笑みを浮かべて。
ザシュッ
赤い軌跡が夜の闇を走り黒き異形の胴体を斜め下からバッサリと両断した。
強化された膂力と長物の遠心力を生かした強力な斬撃を放ったのは言わずもがな等々力良子だ。
ジャージ姿なのは夜のランニング中にたまたまオーと出くわし出会い頭の戦闘になったからだ。
汗が浮かんでいるのも戦闘での疲労や緊張というよりもランニングのせいだった。
ブンと風切り音を響かせてラトナラジュ・アルミナを振り下ろした良子が周囲を見渡すがもうオーの姿はなかった。
ホッと一息ついてジュエルをしまう。
「あー、びっくりした。夜に出回ってるとは聞いてたけど道端で遭遇するとは思わなかったよ。」
良子は自分の手を見つめる。
実際に思うのは先程の戦いだった。
(ソルシエールのラトナラジュならあの程度の相手ならルビヌスで軽く一撃だったはず。だけどジュエルだとルビヌスの全力でギリギリってところか。)
RPGゲームじゃないのでダメージが表示されるわけではないが体感として力の違いを実感していた。
(オーのレベルが上がってきたり、前のデーモンみたいにさらに強い敵が現れたら、1人じゃ厳しくなりそうだ。)
「美保じゃないけどそう考えるとソルシエールが必要になってきそうだな。あたしも美保と一緒にあっちに参加しようかな?」
紗香も参加させれば特訓としての効果は十分に期待できるし、運がよければソルシエールの復活よりも先にグラマリー会得が出来るかもしれない。
「そういえばさっき携帯が鳴ってたような…」
ごそごそとポケットを漁った良子はメールを見て眉を潜めた。
「こりゃ、特訓してる場合じゃないってことかな?」
"Akashic Vision"との戦いが始まる。
陸たちの力を見るからに悠長にレベルアップを図っている暇は無さそうだった。
良子はフッと笑って携帯をしまい足に力を込める。
「だったら実戦で目覚めさせればいいか。」
楽観的な意見を口にした良子はランニングを再開させて夜闇に消えていった。
緑里は真剣な表情で屋敷の掃除をしていた。
もちろん真剣なのは掃除ではなく"Akashic Vision"との戦いという未来に対してである。
(行方不明だった江戸川蘭と柚木明夜、"Innocent Vision"から寝返った…違う、"Akashic Vision"のメンバーで"Innocent Vision"に潜入していた半場海。そして復活したヴァルキリーの仇敵インヴィ。その誰もがソーサリスで"化け物"みたいな力を持ってる。数では確かにジュエルの方が圧倒的に多いけど、本当にジュエルの力だけで"Akashic Vision"と戦えるのかな?)
緑里は緑里なりに必死にヴァルキリーが勝つための方法を考えていた。
だが陸が使った"Akashic Vision"は悠莉以外の認識を否応なしに書き換えた。
それは他人の心すらも書き換えてしまう本当に恐ろしい力に思えた。
そうでなくても他のメンバーでさえ"Innocent Vision"のソーサリスが苦戦した飛鳥や茜をあっさり切り抜ける実力がある。
(ヴァルキリーにもっと力が必要だ。そう、ソルシエールみたいに強力な力が。)
そして行き着いたのは敬愛する撫子の指針に反するソルシエールの力だった。
緑里はブンブンと頭を振って考えていた内容を振り払う。
(ダメダメ!撫子様はボクなんかよりたくさん考えてジュエルを使うって決めたんだ。だからボクは撫子様の従者として撫子様についていけばいいんだ。)
「んー、考え事をしながらなのに完璧な仕事をするなんて腕をあげたわね、緑里ちゃん。」
「ッ!?」
突然の声に振り返るとメイド長の恵里佳がムムムと唸っていた。
「ボクの後ろに立つな!」
「あら、それどこの殺し屋さん?」
緑里がスカートを押さえながら振り返る時点で何を警戒しているのかは丸分かりだが恵里佳はすっとぼけて微笑む。
そういう態度は悠莉のようだった。
「緑里ちゃん、悩み事?恋の悩みとかならお姉さん喜んで相談に乗るわよ?」
むしろコイバナ聞かせろとばかりに身を乗り出してくる恵里佳を緑里は力ずくで押し返す。
「そんなんじゃないよ。」
緑里はそれでも相談したくて言葉を選ぶ。
恵里佳はヴァルキリーについては何も知らないから。
「ボクたちは御主人様に従って働けばいいんだよね?」
海原で当たり前として教育されたことを恵里佳に問う。
恵里佳はキョトンとしたが頷いた。
「そうね。御主人様に頼まれた仕事が出来なければ注意されたり解雇されるわね。」
緑里はその言葉で撫子に従うのが正しいと考えた。
「でもね、私たちはただ働く人形じゃなくて人間なんだから。不満や意見があったら言ってみてもいいと思うわ。」
「うう…」
だけどそれに続いた恵里佳の本当の意見に緑里はますます深い悩みに落ち込んでいくのであった。
由良は自宅のベッドの上で横になっているときに連絡を受けた。
「"Akashic Vision"との本格的な戦いが始まる、か。とうとう護衛としての出番って訳か。」
意外と軽い口調とは裏腹に表情に浮かぶ迷いはいまだ消えない。
「…"Akashic Vision"、そこに俺の居場所は無いってのか?」
構成員は陸と明夜と蘭と…そして海。
由良が海に代わっただけでかつての"Innocent Vision"とメンバーは変わらない。
どうして海が良くて自分がダメなのか、何度も考えているが答えは分からない。
だからこそ陸に直接問い質し、ついでに一発殴るためにヴァルキリーの護衛として戦いに身を置く決意をしたのだ。
この一月はヴァルキリーも陸たちの力を恐れて消極的な姿勢を取っていたがとうとう動き出すことになった。
「カナたちには悪いが、話の内容次第では俺だけ"Akashic Vision"に入るって可能性もある。」
八重花の不可解な行動が"Akashic Vision"に参加したからなのか別の思惑があるからなのかは分からないが、由良はまだ"Akashic Vision"に、かつての仲間たちの中に戻りたいと願っていた。
そのためにはヴァルキリーと協力してでも"Akashic Vision"を見つけなければならない。
「だが、戦うとなったらあいつらは"化け物"だ。」
明夜はオニキスでアフロディーテを召喚する操作系なのに圧倒的な身体能力を持っているし、蘭の幻覚は以前よりも明らかに強力になっており底が知れない。
海のアダマスは相変わらず強力で陸のAkashic Visionは防ぎ方すら分からない。
誰と戦っても勝てるかどうか分からない。
公言通り殺すつもりでかかってくるかもしれない。
「…上等だ。あいつら全員叩きのめして…陸たちには、俺が…必要なんだって、分からせて…やる…」
決意を口にしながらも瞼が重くなって由良は眠りに落ちた。
その顔は戦い前なのに笑っていた。